その壱 「訪問」
四国の山奥の険しい崖の中ほどに祭られた祠があった。その祠ははるか古代から続く女神を祭ったものであった。かつては毎年大祭が開かれ、若い女子が巫女として三日三晩御奉仕するのが慣わしだった。
しかし昭和時代後期に過疎化が急速に進んだため、若い女子がいなくなったことから、祭りが行われなくなり、祠も半ば忘れられてしまい、樹海の中に消えつつあった。そして、その祠の秘密を暴こうとするものがいた。
一行は愛媛文芸大学郷土史研究会のメンバー4人だった。越智啓次郎講師と学生の西条詩織と三島大輔、吉田弥生だった。一行はハイキングにでも行くようなスタイルだった。実際、この日は日帰りの予定だった。しかし目的の集落まで行こうとしたが、道が廃道同然になっていたので途中から徒歩で行くことになった。その日は冬ももう直ぐという秋であったが、柔らかい日差しが注していた。
「八十八箇所めぐりのお遍路さんならわかるけど、なんでこんな山奥まで歩いていかないといけないのよ。だいたいこんなところに札所はないでしょ」と足が遅い詩織が不平をいっていた。
「今日の目的は廃絶したある祠の調査だ。なんでも超古代文明の女神が祭られているとの噂があるのだ。確かめに行くだけだ」
「そんなことどこに書いていたの」と弥生は言ったら、越智は一冊の古びた文献を出して弥生に渡した。
「愛媛県古代女神列伝? 昭和三十二年? こんな半世紀以上も前の本を見てきたの? でも、この本にあるような祭りをしていた集落が本当にあるのよ? 」
「ああ、あるよ。あったはずだ。一応調べた範囲では愛媛日日新聞の昭和60年10月縮刷版に、この祠の最後の大祭が開かれたとある。そのなかに、この祭りに参加した19歳の巫女が三十年後に出来たら大祭をやりたいという事が書いてある。昭和60年から三十年後っていつか判るだろう! 」
「えーと、昭和90年を西暦に直すとあれ? 今年だ! 」
「そうふだ、今年2015年は最後の大祭が開かれて30年がたつ。だから調査に行くのだ。もし、三十年後の今、あの記事の巫女が本当に大祭を復活するというから是非とも調査したいのだ。だから協力してくれ」
「ところで、大祭はどんな内容だったのよ教えてほしいな」
「実は知らん。ただ巫女が女神と一体化するものとしか伝わっていない。しかし百二十年に一度、乙未の年だけ内容を公開して言いそうだ。百二十年前の大祭を記憶した備忘録があったそうだが、太平洋戦争の松山空襲で焼失したそうだ。しかも過去のものも全て失われているので、大祭の内容を聞くにはあの巫女に聞くほか無いのだ」
「それにしても巫女さんそこにいるの? 」
「実は待ち合わせしている。松前妙子さんだ。今日の午前10時に祠で待っているそうだ」
「だから早起きしてきたわけだ。今日中に松山に帰れるかな? 」
講師と学生三人の気軽な会話はその後も続いたが、その後大祭が実際に開かれるとは思ってもいなかったことだった。