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3.フレンド

 最初に感じたのは、左頬に当たる冷たい質量だった。

 冷たくて硬い岩のようなものが僕の頬に強く押し当てられている。

 いや、と、僕は一瞬ののちに気が付いた。地面だった。これは地面だ。まぶたを薄く開くと、眩しい光とともに、横倒しになった家々が右方の垂れ込めた曇天に向かって屹立しているのが見えた。生えている、といったほうが正しいか、と考えて、それからまた一瞬してその考えが無意味なことに気づく。いま横倒しになっているのは僕のほうだ。

 地面に強く押し付けられているせいか、重力の方向がわからない。「う……ん……」呻きながら体を起こすと、途端に後頭部が激しい痛みに襲われた。延髄のほうから神経を抉るような痛みが後頭部、登頂を経て眼球奥に激痛を届け、僕がよろめいてたたらを踏むと、後ろに踏み出した右足がなにかやわらかいものを踏んだ。痛みに伴って訪れためまいに尻もちをつき、しばらくこめかみを押さえながら激痛をこらえる。痛みが治まると、やがて重力が尻の下、下方に収束していくのが感じられ、次第に頭がはっきりと冴えてきた。僕は再び身を起こし、それからかかとのほうを見やると、踏んだのは人間の手だった。

「うっ、……わ……」

 途端に叫び出しそうになるのをこらえ、僕は手の上から足をどける。周囲を見渡すと、地面を埋め尽くすほどいたるところに人間が折り重なって横たわっているのに気が付いた。人間を踏まないように注意して立ち上がると、見渡す限り倒れた人間の海のなか、辺りには僕と同じようによろめきながら起き上がっている人影がちらほらと見える。

「な……、な……」

 異様な光景に絶句して立ちすくむ。ふらふらとよろめきつつも姿勢を維持しながら、僕は混乱する頭で思案する。僕が立っている、ここはすでに仮想空間のなかなのだろうか? 倒れている人を避けつつ少しずつ歩いてみると、どうやらここは大きな広場状の空間のようだった。

「な、なにがどうなって……」

 人間の海の向こうに見えるのは、中世、西欧風の街並みだった。石造りの噴水や時計塔、街並みの向こうには切り立った崖のような威圧的な峰々。首を後方へ傾け、さらに視線を先へ滑らせていくと、連なる霊峰の頭上に、大地に突き刺さった異様に巨大なモノリス状の構造物が見えた。

モノリスは遠くの大気に霞んでいるにもかかわらず、山脈の峰をいくつか覆うほどの幅をもって、中腹以降の部分は曇天の薄暗い雲のなかへ消えていた。まさに言葉通り天を貫く異様なスケールに、僕はしばらく直立したまま呆けていた。

 間違いなく、明らかにこれは現実の風景ではない。あんな巨大な柱が自重に耐えてそびえることなど現実にできるわけがない。それ以前にまず、もとより地球にあれほど大きい構造物など存在しない。つまり……。

 ここは仮想空間、LROの世界なのか?

 午前十三時ちょうど、あれほど待ち望んでいたLROの正式サービスは、ログインした途端に倒れたアバターの山、チュートリアルもなしにすでに開始されている、ということなのだろうか。

 僕は手を握ったり開いたり動かしてみた。違和感はない。動かそう、と思ったときにはすでに動いている。よくなじむ、というよりもともと自分の手であるような感覚がある。自分はもともとこの体の動かし方を知っている、僕が調整したときよりもましてしっくりしている……。

「……?」

 僕は再び不安を覚えた。ログインできているのならば、ではあるけれど、仮想空間にもかかわらずアバターがなじみすぎているような気がする。良く考えれば、さきほど手を踏んでしまったときも、靴越しのぐにゃりとした感触が妙に生々しかったように思う。普通ならば処理の軽量化のためにカットされるはずの細やかな感覚や描画が、なにか精緻に過ぎるようなきらいがあるのではないか。

「……いや」

 僕はその考えを追い出すように頭を振った。考えすぎだ、事前情報によれば、LROは確か、既存のVRゲームの常識を覆すほどの超高精細な五感の再現が売りの一つだった。これほどの精緻な感覚の再現は、きっとおそらくLRO本来の仕様なのだろう……。

 僕は自分の髪に触れてみる。さらさらとした感触とともに、指を抜ける繊維の細やかな感覚。僕自身もすでに、キャラクタークリエイトで作成したキャラクターとなっているようだ。背丈や肩幅が実際の僕よりも少しまして、痩身でしなやかな体つきになっている。鏡となるものがないために確認することはできないが、おそらく眼の色も変わっていることだろう。

「メニュー、……呼び出し、コール……、メインメニュー、おっ」

 周囲の誰かがぶつぶつと呟いているのが聞こえる。どうやらメニューの呼び出しコマンドを見つけたようで、そちらへ目を向けると、中空を指で掻くような動作をしているプレイヤーが目に入った。

「メインメニュー」

 真似をして声を出してみると、軽い効果音ののちに、風景に加算処理された明るいメニュー画面が視野中央に出現する。

 ステータス、スキル、ポーチ、横一列に並んだ複雑な紋章の上に表示される英字の上に視線を滑らせつつ、僕はあるボタンを探す。ログアウトボタンは……。

 ――ある。

 僕は安堵の息をついた。ログアウトは可能なようだ。不具合のようなゲームの始まり方ではあったけれど、ログアウト不可能、デスゲームのような事態はさすがにフィクションのなかだけのようで、メニュー最右端の紋章をタッチして生えるツリー最下部に、実行可能なコマンドとして『ログアウト』の文字が明滅していた。真っ先にログアウトボタンを探したのは僕だけではないようで、辺りでつられてメニューをいじっている幾人かのプレイヤーもあからさまにほっとしたような表情をしている。

 ここはすでに仮想空間のなかで、メニューを開くこともでき、ログアウトも可能。デモムービーやチュートリアルがすっ飛ばされ、それに関する運営からの告知がいまだに一切されないという点はともかくとして、ゲーム自体は正常に動いているといえる。

 つまり、LRO――ロードオブレグルス・オンラインの正式サービスは、おそらく現時点ですでに開始されているのだ。


 ステータスは……、もちろんレベル1。種族『人間』、性別『男』、メインスキル、サブスキル……おそらく職業のようなものをセットできるのだろうスロットが僕のプレイヤーネーム『カヅミ』の横にいくつか並んでいる。ポーチ、すなわち所持品の欄には、初級の回復薬が五個と、初期装備と思しきクロス系の胴、腕、足防具、片手剣カテゴリの初期武器であろうブロンズソードが“装備中”のアイコンとともに表示されていた。

 しばらくメニューを確認していると、周囲に横たわっていたプレイヤーたちもそろそろ起き上ってきたようで、辺りはにわかにざわつき始める。

「どうなってんだ……」「チュートリアルは?」「バグか? 緊急メンテあくしろよ」「お詫びはよ」誰かが怒声を上げるのが聞こえた途端、それを皮切りにしてたちまち広場はプレイヤーの困惑の声と怒号で埋め尽くさる。状況が把握できない不安と無秩序な混乱、それらは瞬く間に周囲のプレイヤーへと次々に伝染していった。VR初のLROの正式サービスにログインできたこと、それに対する嘆声はほとんどない。

 人混みに目を凝らすと、聡いプレイヤーたちが広場の混乱に見切りをつけて早々にこの場を後にしていく姿が見え、非生産的な怒声に負けじとパーティーの募集をシャウトしているプレイヤーもいくらか見受けられる。

 数瞬だけ逡巡して、僕は彼らに倣って広場を抜けることに決めた。パーティーの募集に参加するのも考えたのだけれど、混沌としているいまこの状態でまともなパーティーメンバーが集まるとも思えないし、情報交換するにしても同じように広場を抜けて行動を開始しているある程度“慣れた”プレイヤーと合流したほうが得策だと考えたからだった。人混みをすり抜けながらメニューを操作し、僕はメインメニュー画面と、それからスキル選択やアイテムポーチなどのいくつかの画面をショートカットジェスチャーで表示できるよう設定した。おそらくこれから戦闘などでメニュー操作が必要となった際に、メニュー操作の即時性が重要になってくると思われるから。


 人混みを抜けると、広場の北側に出て、僕はそこから延びるうち小さな路地へ入った。メニューから現在のマップを確認すると、この街はどうやら【第三王立都市エマ】という名称らしい。中央広場からこの路地を通ってこのまま北へ抜けると、運のいいことに、近いところにアズール武具店という大きなNPCショップがあるようだった。

 路地を抜けて比較的大きな通り――マップ表示によると【黄昏通り】という――へ出ると、先程の混沌とした初期装備のプレイヤーの群れとは打って変わって、おそらくはノン・プレイヤーキャラクターだと思われる、ある程度身なりのしっかりとした人々が行きかう風景となった。石畳で舗装された道路を歩いていくと、NPCは皆どこかせかせかと道を急いでおり、「すみません、ちょっと」僕はすれ違おうとした商人風の男性に声を掛ける。

「なんだね、急いでいるのだが」

 僕は男性の受け答えがNPCと思えないほど自然なのに面食らいながら、「そのことなんですが……」と続ける。

「なぜ皆急いでいるのですか」

 男性は僕の問いに、頭上を指さしながら「見ての通りだ、嵐が来るんだよ」と答える。彼の指につられて上を向くと、なるほど確かに、西のほうから黒々とした雲がこちらへ流れてきているのが見えた。

「久しぶりの大きな嵐だ、戸や窓を補強しなきゃならんからね」

 嵐、……そのための戸や窓の補強。LROには天候や自然災害の要素も導入されているのか、さらにいえばそれらはNPCや町の建造物にさえ影響を与えるということだろうか? 僕はLROのシミュレーションのレベルの高さに、今更ながらに感嘆する。

 男性はそれだけいうと、「それじゃあな」とこちらに背を向ける。僕は「お手数かけました、ありがとうございます」と返し、男性がまったく現実の人間と同様のフォームで走り去っていくのを目の端でとらえながら、LROのプロモーションの際に発表された情報を思い起こしていた。

 いわく、LROでは、NPCの受け答えのシミュレートに汎用人工知能『アイ』を使用するのだという。『アイ』とは、病院や施設のナビゲーションAIや、AR用アプリの、代表的なものでいえば『脳内彼女』に用いられている、ほぼ人間と同等の受け答えが可能な次世代の人工知能らしい、おそらく先ほどの男性も『アイ』による会話のシミュレートが行われていたのだろう、僕は適当にそう勘当を付ける。

 NPCの行きかう通りを彼らと同じように足早に東へ向かって歩いていくと。やがて周囲の住宅よりも二回りほど大きな建物が見えてきた。マップに照らすと、おそらくそこがアズール武具店で間違いはないようなのだけれど、なぜか入口に大きな看板が下げられている。近寄ってみると、見たことのない文字――システムの補助によるものか、内容を理解することができる――で、嵐のために今日の営業を終了する旨が大きく書かれていた。

「なあ、君。ちょっと、そこの!」

 僕が途方に暮れて佇んでいると、背後から切迫したような声がかかる。振り返ると、僕と同じような初期装備をまとった長身の男性がこちらに駆け寄ってくるところだった。

「君、ベータテスターかい」

 男性は僕の目の前に立ち止まると、息を整えながらそう問いかける。僕は男性のぶしつけな問いに面食らいながら、無意識に彼の容姿を観察した。銀色の長髪のあいだからちらりと見える尖った耳はおそらく、初期に選べる三種族のうちひとつ、『妖精』のもので間違いない。装備品も含めて紛れもなくプレイヤーキャラクターだ。

「いえ……」

 彼がいうベータテスターとは、LROの正式サービスに先だって行われたオープンベータテストに参加した人々のことだろう。先ほど広場から真っ先に去って行ったプレイヤーの多くはベータテスターだと思われる。おそらくここで嘘をついたところでなんのメリットにもならないだろうから、「いえ、違います」僕は正直にそう否定した。男性も「そうか」と別段気にしたふうもなく返し、僕の背後のアズール武具店を示しておどけたように手を広げる。

「君もアイテムを買い込むためにここへ来たんだろ? まぁ結局この有様だけど、お互い災難だなぁ」

 男性はそれから「あ、ちなみに僕は元テスターだよ。始めてでこの店へ来ようと思うなんて君はなかなか聡明なプレイヤーだと思うし、よければフレンド登録をお願いできるかな」といって中空で指を動かす。

 ――『ヨハン』にフレンド登録を申し込まれました。受理しますか?

 僕の前に加算処理で薄く光るウィンドウが表示され、受理・拒否のボタンがゆっくりと明滅する。ヨハン、とはきっと目の前の男性のプレイヤーネームだと思われ、名前の脇には彼のレベルとメインスキル『術師』の表示がされていた。

「あ、もし僕のことを『胡散臭いやつだ』とか思ったら、別に承認しないで構わないよ。ベータテスターは得てしてほかのプレイヤーからヘイトを集めるものだからね」

 僕が逡巡しているのに気づいてか、ヨハンは笑顔でそういって腕を組んだ。僕は彼の顔をちらりと伺うけれど、どうやら別段悪い魂胆があるような雰囲気ではない。初対面でプレイヤーを、しかもベータテスターだと自称する輩を信用するのは自分でもどうかと思うが、かといって疑心にとらわれてのちのちいいこともないだろうから。

「そういうものですか」

 僕はそう返して、それから受理のボタンをタップする。鈴のような涼しげな効果音ののち、フレンド登録の成立を示す新しいウィンドウとともに、フレンドリストの開き方、といった旨のチュートリアル画面が表示される。

「お、ありがとう! これからよろしくね、カヅミ君」ヨハンは組んでいた腕を解いてこちらに右手を差し出した。「こちらこそよろしくお願いします。ヨハンさん」僕も右手を差し出して軽い握手を交わした後、ヨハンは「さて」と一転して真剣な表情になる。

「さっきからこっち、ぶしつけで申し訳ないんだが、これもなにかの縁だし、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ」

 歩きながらでもいいかな、とヨハンは続けていい、僕らは武具店を後にして町の北方への路地へ入る。「どうかな」真剣な表情でのヨハンの言に、僕はわずかに眉をひそめる。ヨハンはそれに気づいてか、取り繕うように続けた。

「あぁ、あまり構えないでくれ。そうだな、さっきの広場、君もいただろう? ひどい有様だった」

 ヨハンは右手の親指を立てて広場のほうを指し示す。先ほど僕が通ってきたよりも、NPCの姿が消え、対称的にまばらにプレイヤーの姿が散見される。

「えぇ。……あれはバグかなにかなんですか。チュートリアルもアナウンスもなかった」

「わからない。……そうだな、おそらく不具合かバグか」ヨハンはそこで言葉を切ってあごに手を当てる。「いずれにしても現時点で運営からのアナウンスがない限りどうともいえないね。ただ、あれだけの人間、おそらく現在このゲームにログインしているうちのすべてのプレイヤーがあの広場にはいた」

 僕は目を剥いた。「すべて……。つまり、四万」それがもし本当ならば、あの人間の海も頷ける。いかに中央広場が広いとはいえ、あれはまさしく異様な光景だった。

「ああ、そうだね、現在ログインしているのは……」ヨハンはメニューを操作して、ウィンドウをこちらに可視化して裏返して見せた。「これぐらいだ」オンライン人数は五桁、五桁目の数字は三だけれど、ほぼ四万に迫る数字が表示されている。

「事前情報によれば、スタート位置はアカウントのIDによって四つの街に均等に分けられるはずだった。おそらく第一から第四王立都市。けれど、どういうわけかすべての人間がここに集められた」

 ヨハンの言葉に、僕はいい知れない不安を抱く。「こっちだ。急ごう」路地を抜けると再び大きな通りに出て、ヨハンは僕を先導してさらに北へ進んでいく。

「第三王立都市エマ。運のいいことに、ここはベータテストの開始位置と同じなんだ。だから僕はここの地形を知っている」ヨハンが周囲を見回すのにつられて僕も辺りに視線を投げると、初期装備のプレイヤーたちがそこかしこを歩いているのが見とめられる。「それで、手伝ってほしいことについてなんだが、……いまこの街には四万のプレイヤーがいる。対してもともと想定されていたこの街のキャパシティは多くて一万人分、……どういうことかわかるよね」

 僕は頷く。「レベルを上げるにしても、エマ周辺のフィールドはプレイヤーで埋め尽くされることになる……」

「そう。だから僕はなるべく迅速にここから北西の村、【カミルの村落】へ移動して経験値的なアドバンテージを取りたい。ただ、武具を買えないいま、ソロだと厳しい道のりだから、よければ僕とパーティーを組んで欲しいんだ」

「なるほど……」

 僕は逡巡する。「どうかな。いまからパーティーを募集するにしても、この旨を説明するのにまた時間がかかるから、僕としてはぜひお願いしたいんだけど……」ヨハンは先に立って歩きつつこちらを振り返ってそう付け加える。

 僕はメニューからマップを呼び出してエマの周辺を調べてみる。カミルの村落はここから北西に横たわる森を抜けた先にあるようだ。地図上の距離で見積もってもそれほど長い道程になるわけではない、……ように思う。

「……わかりました」

 安直かもしれないが、これから起こりうる事態を考えると、またうまく機会が巡ってくるとも限らない。せっかくベータテスターと知り合え、パーティーに誘われているのだ、僕はヨハンの提案に乗ることにする。

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