表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

十年恋愛 前

[ かなで、付き合って ]

 スマホのメッセージ欄に表示された文字に、心拍数を上げていたのはいつまでだっただろうか。4回目ぐらいまでは、ドギマギしていたような気もする。今回こそは、なんていう根拠のない希望を抱き、その度に打ち破られてきた。今年で10年目になるそのメールに、困った人だなと思いながら返事をする。


[ いいよ ]


 三文字だけの短い返事に、待っていたとばかりにすぐに着信が鳴り響く。この電話がほしくて、声を聴きたくて。俺の返事はいつも短かった。




【 十年恋愛 前 】




「いやぁありがとう奏!!奏がいるとやっぱりイベントに来たぁって感じがして感慨深いわぁ!!」

「いいから、どれなの?服。あと更衣室またないんだよね。」

「はい、ごめんなさい。トイレでお願いします。帰りにちゃんと焼肉奢るからね!!!24にもなって焼肉で釣られてくれるなんて、本当お姉ちゃんほろりと涙出ちゃうわ」

「はいはい。睦美ちゃんも着替えておいでよ。そっちは更衣室あるんでしょ?」

「がってんでぃ!じゃあ後でね。」


 狭いトイレの個室で渡された衣装を図案を見ながら、手順通り丁寧に袋から取り出す。自分のサイズピッタリに睦美ちゃんが作ってくれたそれを、傷をつけないように一枚一枚肌に身に着けていく。最後にネットをかぶり、適当にウィッグを頭に乗せる。ウィッグを整えるために個室から出て鏡の前に立てば、そこには数週間前に指定されたゲームのキャラクターが頼りなさ気な顔で立っていた。




 始まりは、まだ俺が中学生の頃だった。


 ずっと昔から憧れていて大好きだった睦美ちゃんは幼馴染の姉だった。この年頃の三つの年の差と言うのは性別を超越するほどの意味を持っていて、睦美ちゃんは自分が中学生になっても、小学生だった俺たちと同じ風呂に入ろうとしておじちゃんとおばちゃんに止められていた。


 俺は睦美ちゃんが大好きだった。小さなころの俺は冬生まれということもあり、みんなよりも頭一つ分くらい小さくてよくからかわれたりしていた。


 そんな中、ずっと自分と変わらずに接してくれていたのが、幼馴染とその姉の睦美ちゃんだった。


 特に睦美ちゃんは、体の小さな俺をいつも守ってくれて助けてくれた。帰り道で大きな図体だけが取り柄のような脳みそスッカラカンのお山の大将にランドセルをいくつも持たされそうになっていた時に通りかかった睦美ちゃんは、お山の大将なんかよりも頭一つも二つも高いところから鉄拳を振りかざして俺を守ってくれた。あの時から、睦美ちゃんは俺の唯一だった。

 睦美ちゃんは常に先を歩いていて、俺はついていくだけで必死で。光り輝かんばかりの眩しい睦美ちゃんが、とにかく憧れだった。


 そんな睦美ちゃんは専門学校への推薦入学が決まり、後は高校を卒業するだけだった。睦美ちゃんが中学に入ったあたりから、女に守られていることが何となく恥ずかしくなってきた俺は少しずつ睦美ちゃんと接触するのを避けていた。するとほとんど接点がなくなり、ほんの偶にリビングで顔を合わせる弟の友達と言う遠い立場なってしまった。自業自得とは言え、あまりに無くなってしまった接点にただ落ち込むしかなかった。


 そんな睦美ちゃんから、着信があった。

 期末テストで親の期待を大きく上回った時にご褒美として買ってもらっていた携帯電話には、睦美ちゃんの番号ももちろん登録している。以前、高校の入学プレゼントに買ってもらったばかりの睦美ちゃんが、嬉しさのあまりに遊びに行っていた自分にずっと自慢してきていたのだ。興味の無さを装っていたが、しっかりと覚えていた11桁の番号は今でも空で言うことができる。


 その11桁の番号に加え、『睦美ちゃん』という登録名がでかでかと携帯電話に表示されていた。

 そして、くしくもその日はバレンタインデー。ポケットから取り出した携帯電話のディスプレイを見た瞬間、両手にぶら下げていたチョコレートの袋を落としそうになった。どこかで睦美ちゃんとばったり会えないかな~なんてぶらつきながら帰っていた道で立ち止まり、寒さでかじかむ手を震わせながら大慌てで携帯に飛びついた。


「も、もしもし!」

「ひっく、かな、で?わたし、むつ、み。」

「わかるよ。睦美ちゃん…?泣いてるの…?なにかあった??」


 およそ初めて聞く睦美ちゃんの泣き声に、俺は情けないぐらいに狼狽した。あのスーパーマンみたいに頼りになって、太陽のように明るくて、いつも笑っている睦美ちゃんが泣いていることが心底信じられなかったのだ。


「かな、でぇ」


 これは振られたのを慰めてほしいとか、そういう類の電話だろうか。ずっと恋心をくすぶらせていた自分は、このチャンスを逃してはならないと生唾を飲み込んだ。緊張のせいで乾いていた喉は、飲み込む唾さえも異物のように感じて痛かった。吸い込む冷たい空気が口内を満たし、更に焦りを生ませる。


「おねが、かなで、たすけて」

「もちろんだよ。何でも言って」

 悲痛な睦美ちゃんの声に、胸が張り裂けそうな思いで叫んだ。睦美ちゃんは、落ち着こうとするかのように深呼吸を繰り返して俺に言った。


「つきあってほしいの」


 望み過ぎた幻聴が聞こえたのかと思った。


 あまりにも唐突なその言葉に、一瞬言葉の内容を理解できなかった。数秒後、理解したと同時に体中の血液が沸騰したかのように熱くなった。突き刺すように感じていた寒さは一気に自分の周りから消え去っていた。一瞬の内に心の芯から温まった体が発熱し、服と体の隙間に熱気を生んだ。


「おれで、いいの?」

 掠れた声は自信の無さが滲んでいた。


 遅い成長期に恵まれた俺は中学では、少しばかりいい顔にほどよい成績のおかげでそこそこ女子からの評判がよかった。ずっと睦美ちゃんと一緒にいたためか女の子に対して乱暴な振る舞いをしないところも評価されていたのだろう。今日も両手に3つずつ、合計6つのバレンタインのチョコレートを獲得していたところだった。

 けれど、一番ほしかったチョコレートはもう何年も前からもらっていない。学校も違い、3つも年下。加えて弟の友達なんていうポジションじゃ、彼女に男として見られていないのは明白だった。さすがにもう風呂に誘われることは無くなったが、無遠慮な物言いや自分への接し方でわからないはずがなかった。

 現に自分が遊びに行ってもTシャツの下にブラジャーを付けていない時だってあるほどだ。その度に大慌てでトイレを借りる俺の心境をわかってくれているのは幼馴染だけで、睦美ちゃんはいつもどこ吹く風だった。


 そんな睦美ちゃんが。


「奏じゃなきゃダメなの」

「すぐ行く。どこにいるの?」


 思えばこの時、この勢いのまま自分の想いを伝えておけばよかったのにと、心底そう思う。


 いつもいつも出なかった自信が、この時なら、この時だけなら出せただろうに。どうして好きなのだと。小さなころから、ずっと睦美ちゃんだけを見ていたのだと。一言でいいから伝えておかなかったのか、今でも後悔して夢に見るほどだ。


「ありがとう、うちにいるの。すぐに来てくれる…かな」


 使わないだろう、使わないだろう。そりゃ、使わないだろう。わかってる。使わないはずだ。わかってる。


 わかっていても、睦美ちゃんの熱の籠った声に、年の離れた兄のいる友人から“友チョコ”の代わりに“友ゴム”として配られた物体を思い出した。可愛らしくラッピングされていた封を解き、ポケットに乱暴に押し込む。使わないだろう。わかっている、使わないだろう。だけど、もしも、いやもしもなんてない。使わない、わかってる。


 俺は咳き込むような胸の詰まりを感じて、あまりの幸せに叫びだしそうで、その気持ちの赴くままに真冬の空を全力疾走した。





「ごめんね奏!急に呼び出しちゃったりして!」


 あれ、これもしかして違うんじゃね。と、汗だくになった俺は息を整えながら思った。高揚しまくって走っても走っても落ち着かなかった気持ちが、一瞬にして冬の寒さを思い出せるほどまで冷静になった。抑えきれずに叫びだしたいほどの胸の高鳴りだったというのに、目の前のいつも通りの睦美ちゃんを見て、今、俺はものすごく焦っていた。

 出来れば今このまま玄関のドアを閉めて、この言葉は聞かなかったことにして。溢れんばかりの幸福を抱いたまま、せめて一晩くらいは過ごしたい気分に駆られた。


「むつみちゃ」

「こっち!こっち来て!」

 ぐいぐいと腕を引っ張られるときに当たる胸に感じていた不安が一瞬で弾け飛ぶ。

 これはやっぱり、いやもしかしたら、なんてポケットの中身を思い出しながら真っ赤な顔でぐるぐると考える。


 睦美ちゃんの部屋に入るのは小学生以来だった。あの時よりも随分と内装が大人っぽくなっている気がする。ベッドを目にして、健全な男子中学生だった俺は顔から湯気が吹き出してしまうかと思った。


「服脱がすね?」


 ドアを閉めた瞬間にそう言った睦美ちゃんは、俺の服に手をかけてきた。あまりのことに驚いて、睦美ちゃんの顔を凝視したまま固まってしまった。


「あれ、これどうなってんのかなぁ…ごめんね不慣れで」

 よいしょ、と言いながら学ランの襟元についているフックを外そうとする睦美ちゃんの不慣れな手に、どれほど自分が喜んだか彼女は知らないだろう。今まで感じたことがないほど身近に彼女を感じて、吐息さえも触れそうなほど近くて、伏せたまつ毛の震えまでわかるその距離に、心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思った。香る甘い匂いに眩暈がして、ゴクリと生唾を飲み込んだ。


「む、つみちゃん」

「お、とれた!よし上着は脱げたね。ズボンはさすがにそのままにしとくか。私はいいけど、奏はもう恥ずかしいでしょ?」


 あ、やっぱり、これおかしいぞ。


 と自分の頭が正常に動き出した時には睦美ちゃんは後ろを向いていて、床に置いてあった紙袋から何かをごそごそと取り出していた。

 必要なら自分が、とポケットに入っているブツを取り出せる雰囲気ではなかった。そう、明らかに、違っいていたのだ。童貞でもわかる。これは、違うと彼女の後姿全部が俺に訴えていた。


「お願い!これ、着てみてくれないかな!?」


 そうして彼女が取り出したのは―――セーラー服だった。





「明日一緒にイベントに出る筈だった子がインフルエンザにかかっちゃって…!売り子も足りないし、お小遣いはたいて買ったハルト様達のコスチュームも無駄になっちゃうかもって思ったら、パニックになっちゃって…」


 彼女の言ってる言葉の8割も意味が分からなかった。とりあえず、自分が期待した未来はこれっぽっちも現実になる気配がない事だけはわかった。


「誰か頼れる相手…って思った時に奏の顔が一番に浮かんで。奏にしか頼れないの」

 よし、なんでもやろう。すっかり停止していた思考は、その一言と睦美ちゃんの潤んだ瞳で一瞬にしてそう結論付けた。


「ふふーペアコスなんだよー!見て見て私はハルト様の服着るの~~!」


 よくわからないままに着替えさせられ、隣の部屋で着替えてきた睦美ちゃんが鏡の前で腕を組んでくる。鏡の中には学ラン姿の睦美ちゃんとセーラー服姿の俺が、仲睦まじげに肩を寄せて映っている。幸せだ。これが、せめて男女逆の服ならば。


 自分で納得してきたとは言え、その場で両膝をついて打ちひしがれなかっただけ上出来だったと思う。鏡の中の自分は、どう見ても女の子にしか見えなかった。悲しきかな、普段なら整っていると褒められるこの顔が、実は単なる女顔なのだと気づかせてくれた睦美ちゃんに、泣きたくなった。


「…睦美ちゃん、俺がそっちじゃダメ?」

「え?あ、そっか。つい莉香の服着せちゃったけど、逆でいいんだった。よしよし着替えようごめんね奏。」


 ぐりぐりと頭を撫でられるその手つきに、懐かしさを感じて微笑む。そんな俺に、奏ちゃんもにっこりと微笑んでくれた。

 ポケットの中のパッケージは、どうやらやっぱり役に立たなかったらしい。けれど、この太陽のような笑顔をまた向けてもらえただけで、よしとしようと立ち上がった。




「きゃー!白ランイッケメーーン!!やだなにこれなにこれテラ萌える禿萌える写メ撮っていい?むしろデジカメで撮ってもいい??」

「どうしたの睦美ちゃん…禿げちゃうの?」

「禿げちゃうの~~!!!奏が写真撮らせてくれないと禿げちゃうの~~~!!!」

 テンションが上がったまま下がってこない彼女は、瞳に金平糖を入れたようにキラキラと輝かせていた。上気した頬はリンゴのように真っ赤で、興奮からか潤んだ瞳で飽きることなく自分を見つめていた。


 いくら大きくなったとはいえまだ14歳だった自分は、当時睦美ちゃんと1センチしか変わらなかった。しかも低い方で、というおまけつきだ。そんな自分と睦美ちゃんの目線は完全に一致していて、鼻と鼻が付きそうなほどの至近距離に、一歩も動けなくなってしまった俺はまるで木のように固まってしまった。


 現実ではありえないような配色のセーラー服を着込んだ睦美ちゃんが、きゃっきゃと手を叩きながら自分の周りをぐるぐる回る。付き合えないことは残念だったけれど、電話に出てよかった、と心底思った。


「ふぅ~!お腹いっぱい胸いっぱい!ねぇこれ莉香に送ってもいい?これ見たらインフルエンザなんか吹っ飛びそうだわ。」

「もうどうにでもして…」


 リビングから持ってきたカメラで一通り撮影し終えた睦美ちゃんは、大層満足気だった。反対に、ポーズはこうだとか視線はどうだとか散々指示されたせいで、慣れない行為に疲れ切ってしまった俺は地面に身を投げ出してしまっていた。


「ありがと奏ぇ~~いい子いい子。本当にありがとうね。あ、本番は明日だけど。」

 その声にどっと疲れが増した。しかし、無遠慮に撫でられる睦美ちゃんの手に幸せを感じる。横たわっているせいか、いつもは頭しか撫でてもらえないのに、今日は色んなところを撫でてもらえている。頭、肩、背中、腰。うつ伏せているせいで俺の顔が見えないから、ハルト様とやらを想像しているのかもしれない。こっそりと覗き見たときに、にやにやにやけながら撫で回していたのできっとそうなのだろう。彼女の幸せそうな顔に、自分まで幸せを感じる。あと、うつ伏せで良ったと心底思った。


「ちゃんとお礼はするからね!」

 何がいい?と小首を傾げる睦美ちゃんに、少しの逡巡の後にぽつりと本音を零す。


「…チョコがいい」

「チョコ?そんなのでいいの?」

「いい。」

「じゃあ今度美味しいの買っとくね」

 何ともあっさり請け負う睦美ちゃんに多少ムッとする。3つも年下の自分はやはり対象外なのだと、わかっていても突きつけられるのは面白くない。これでも今日はクラスで一番多い数をもらってきた自分がチョコレートをくれと言っているのに、全く照れもしない。困りもしない。面白くなくてそっぽを向いた。


「奏?」

「今日がいい」

「今日?」

「うん。」

「なんで?…あぁそっか、バレンタインだもんね!あの子と違って沢山貰えてそうなのに貰えなかったの?よしよしかわいそうに。今日の夜おとん達に作るつもりだったし、後で睦美ちゃんが作ってやるからね。ちょっと待ってなね。食べてお帰り。」


 違うし、もらえたし。と小さなプライドを振りかざしてしまったら、せっかくの手作りチョコを逃してしまいそうで。撫でてくれる睦美ちゃんの手が随分と小さくなったなと感じながら、俺は黙ったままこくんと頷いた。



 あれから早10年。

 俺はいまだに、あの時と寸分も変わらない彼女への気持ちのを抱えたまま、彼女の隣で彼女の嫁と言う二次元のキャラクターたちが着る奇天烈な衣装を着続けている。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ