面倒くさい相手 1
昨年度実技全科目一位の『クリス・フィール』が初回の模擬戦で敗北を喫したという情報は、瞬く間に第二学年の間を駆け巡った。
驚きに目を見開く者、デマだと断じる者、クリスを嘲笑する者、その話を聞いた人は其々が持つクリスへの感情に基づいた行動をとった。
話が駆け巡りそれが真実だと分かると、今度は一体だれがあの『クリス』を倒したのかという事に興味は移る。そうして、クリスを打ち破ったメイジ・ツクモという生徒に関しての情報を集めようとする生徒が現れたのは至極自然な流れだと言えるだろう。
去年の覇者を打ち破る程の者ならば、すぐにでも情報が集まると当初考えられていた。
しかし、何時まで経っても情報は一向に集まらない。さらに、誰もメイジ・ツクモなどという生徒を知らないなどという可能性すら浮上し始めた。
第一学年ならいざ知らず、第二学年となった今ですら知っている人がいない。そんな幽霊部員のような存在が進級する、ましてや首席を打ち取ることなどできるわけがない。
第二学年編入。
その事実に突き当たるまでそんなに時間はかからなかった。
*****
「よう、フィール。二年から入って来たような編入生に負けたって本当かよ」
クリスとミケニルとイミルの三人で昼食をとっていた時、横から嫌味な声がかかった。
セラ・ケイト。
セラの実家であるケイト商会はミケニルの実家であるヒヴァ―ニア商会が台頭してくるまでは、武器や防具などの戦闘道具シェアではずっと先頭を担ってきた老舗の大商会である。しかし、銃を始めとした武器類のシェアがヒヴァ―ニア商会に傾いてきたため、今では武器のヒヴァ―ニア、防具のケイトと呼ばれている。
そんな家のことなどミケニルは全く気にしていないのだが、それが相手側もそうだという保証には、残念ながらならない。
「タダでさえ二学年で座学を取っていないのだから、実技で飛びぬけなきゃいけないのに、そんなぽっと出の奴に負かされるなんて大丈夫かい? おっと、君には命を散らすしか能のない成り上がり商会が後ろにいるから将来の心配なんて余計なお世話か。これは失礼」
そう言って業とらしく笑い声をあげると、一緒に居た取り巻きの男子学生も同様に笑い声をあげる。
しかし、クリスたち三人はそんなセラ達に構わず食事を続ける。ガン無視である。
だが、何故かその態度を反論できないからだととったセラ達は、更に好き勝手に言葉を並べ始める。
「いやー、僕達も実は寂しいんだよ。フィールが座学からいなくなってさ。授業の進みは邪魔が無いから早くなるし、寝息も聞こえないから集中できるし、何より場を沸かせる珍解答が聞けなくなったんだしね。寂しいったらありゃしないよ。ああ、転入生に負けるようだから今度は実技の時間で『本領発揮』でもしてくれるのかな? それはそれは実に楽しみだなお前ら」
そう言ってまたどっと笑いが起きる。しかしながら、正直どこに笑いのポイントがあるのか分からない周りとの温度差は凄まじい。だが、そんなんでも嘲笑されている側としては気持ちのいい物ではなく、流石に何時までも好き勝手に言われていてはまだ年若い彼らの我慢が長く続くわけがない。特に、直情娘なんかは。
「本当に本当に、余計なお世話だからあっち行ってくれないかな」
ボソッとイミルが呟く。
それは顔を突き合わせているクリス達にギリギリ聞こえる程度の声量。いくら我慢の限界に達しかけているとは言え、ここで大声を出して喧嘩を買っても仕方ないということは十分わかっているためだ。もしここで相手に聞こえるように言っていたならば、イミルの願いが叶うのはもう少し先になっていただろう。
「いやはや、去年の事があったから多少警戒していたのだが余計な心配だったみたいだね。次の授業の弓術では是非とも手合せを願いたいものだね『首席』殿。いや、もうその呼び方は正しくないかもな」
「アーハハハハ」と笑いながら歩き去っていくセラ達。もちろん、言い負かした気分になっているセラ達の気分は実にいい。
「むかつくむかつく! なぁ! 何しに来たのさあいつら! わざわざ嫌味言いに来たのかよ! しかも、一週間も前の事を!」
「あいつ、裏が取れるまで待っていたんじゃないか。なんてったって、クリスが負けたんだ。あいつにとっては値千金の情報だろうよ」
「なにさなにさ、君たち二人は悔しくないの!?」
イミルはやけに冷めた対応を取るミケニルと、何事もなかったかのように食事を続けているクリスに激昂するが二人ともどこ吹く風だ。
「あんなの一々相手にしていたら、気が遠くなるよ」
「そうそう、僕も去年のようになるのはごめんだよ。イミルも分かっているでしょ?」
逆に二人にそう諭されてしまう。
去年、ミケニルとセラは全校生徒の前で大喧嘩を繰り広げた。きっかけは、今日のようにセラがつっかかってきたこと。この頃のミケニルは今よりも多くの学生(主に女子)に囲まれ、ストレスの溜まる日々を過ごしていたことも原因の一つに数えられるかもしれない。
二人とも大手商会の息子であり武器も一流、実力も進級間違いなしと言われる程の高いレベルで拮抗していたため、何の制限もなく二人が本気でぶつかった結果、学園側も無視できないほどの損害をこうむったのだ。
その後始末などを先導して行ったのがクリスであり、イミルである。この二人が慌ただしく動かなければ、ミケニルは(セラも)今この場にはいられなかっただろう。それ程の事件だった。
誰もその再来を望みなどしていない。だからこそ、普段なら真っ先に口を出すであろうミケニルも黙っていたのだ。
しかし、そう簡単に割り切れない思いというものがあるのも事実。
「でもでも!」
「それに」
だが、イミルが何か続けようとする前にクリスが言葉をかぶせて遮った。
「僕が、メイジ・ツクモに負けたのは変わりようのない事実だ」
その言葉にはただ淡々と事実を確認しているというよりも、咀嚼し、自らの一部としようとしている風に感じられた。
そんなクリスに思わずイミルは言おうとしていた言葉を飲み込み、俯く。そして急に重苦しい沈黙が三人に降りかかる。
誰もが何も言わない中、ミケニルが急にバン! と机を叩き勢いよく立ち上がった。
「よし、今日の帰りは久しぶりに外に出てみるか」
急に沈んでしまった場の雰囲気を払拭するかのように、ミケニルが食べていたパンの包み紙をくしゃくしゃと丸めながらそう切り出した。
それにすぐさまクリスが賛成する。
「いいんじゃない。もう二年生になってから一週間たったんだし、早い人はもう行っているかもしれないし」
「イミルはどうする?」
「え? ああ、ああ、勿論行くよ。去年の忙しさを思い出したら全然暇な方だしね」
イミルは突然の会話の変化。空気の変化に若干戸惑ったが、それでも意図を察したようで朗らかに返事した。
ミケニルがどんなに馬鹿な行動をしようと、トラブルを持ち込んで来ようと、このパーティーの中心である理由は、こういう事が自然にできるという点にあるのだろう。
「了解。じゃあ、ホームルームが終わるのが遅い方の教室集合ってことで。帰らずに待っていろよ」
ミケニルはそう言うと、ニカッと笑顔を見せるのだった。
*****
クリスの放課後の予定が決まったからと言って、午後の授業がなくなるわけでは無い。
午後にある弓術の授業は、クリスとイミル二人が一緒に受けている授業であり、セラと一緒の授業でもあった。
この時代、世界の主要な遠距離攻撃と言うのは三種類に分類される。
一つは銃。
その威力と速度は旧来の携帯型遠距離武器を軽く凌駕し、銃によっては弓の射程距離よりもはるかに遠い獲物をもしとめることが可能である。その上、弓のように膂力が必要ではないため、鍛えていない一般人や女性にも扱いやすい。
しかし、その使い勝手の良さとは対照的に、音が煩く、小型なのにも拘らず隠密に適さないという矛盾。精密機器なだけに誤った知識の下では威力を発揮することが出来ないどころか、自爆へとつながってしまうかもしれない諸刃の剣のような一面が存在する。そのため、強いが実際に扱うには相当の時間が必要であるというのが一般的な銃への見解だ。
二つ目は、弓。
かなり昔から、それこそ暗黒時代以前から使われていたこともあり、使いやすさの追求、威力の追求などを散々繰り返したおかげで銃が台頭した現在も使いやすさという面では群を抜き、メジャーな遠距離武器であることに変わりはない。汎用性にも長けており、持ち主の機転や発想次第では戦局を動かしかねない武器に成り得る可能性をも秘めていた。
しかしながら、射程距離はどれほど修練を繰り返してもある一定以上を個人で越えるには限界があり、威力速度ともに銃には遠く及ばないという厳然たる事実もまた存在する。
そして、最も新しい遠距離攻撃手段である魔術。
銃や弓とは違い、誰にでも扱えるわけでは無く、才能が大きくその差を左右するトリッキーなものである。しかし、その威力は絶大。一流の魔術師は一撃で戦闘を終わらせるほどの力があり、人によっては様々な種類を繰り出せるため、その汎用性は計り知れない。大きな魔法を即座に撃ちだすことが出来ないが、銃や弓程度の威力なら即座に連射することが出来る者もいる。
だが、魔術師全員がそんなことを出来るわけでは無い。むしろ、そこまで魔術を自由に操れるものは一握りの天才のみ。それでも、魔術師と言うだけで何処に行っても歓迎されるし、どんな戦闘でも真っ先に狙われる。
このように今は様々な遠距離攻撃法が編み出されているのだが、探索者や狩猟者のような人に必須とされているのは今も変わらず弓であった。
撃つ際に音が小さく、小型の物なら移動の邪魔になりづらい。矢尻に麻痺や睡眠等の毒を塗れば、ターゲットを殺さずに無力化できるのも大きい。矢尻の部分に返しをつけ、矢に糸でも繋げておけば仕留めた得物を取り逃がすといった失態も減る。
練習すれば誰もが扱え、特別な才能がいるわけでもなく、特別な知識が必要なわけでもない。そのため、実技の科目で一番人数が多い授業でもあった。
「ねぇねぇ、寝坊助君。本当に嫌味君とやるの?」
なので、イミルが先生の解説を聞きながら隣に座るクリスに耳打ちをしても直ぐに注意をされるという事もない。(因みに、嫌味君とはセラのことである)
「う~ん。別に相手するのは良いんだけど、弓術の授業って的中てとかが中心じゃん? 刀術とか剣術みたいに直接戦うって状況は少ないと思うんだけどな」
「確かに確かに、森の中での射撃とかは最低でも二学期になってからだろうしね」
「あいつは何時も具体性に欠ける」と、クリスがちょっとずれたところでセラに怒りを覚える。そんなクリスの様子からは、それほどセラに対して腹を立てているようには見えない。実際クリスにしてみれば、あの程度の絡みはある事情からセラに限らず様々な人から去年受けており、もはや日常茶飯事と化している為思うところも少ないのだが、幸か不幸かそんなクリスの悩み(?)は教師が解決してくれた。
「……というわけで、今日までの授業で大体の力量は把握できた。それでは、今日からは早打ちに挑戦してもらう」
静かに聞いていた生徒たちがその教師の発言を受け、俄かに騒ぎだす。
それは、会話をしていたクリスとイミルも例外ではない。
「イミル、早打ちなんてやったことある?」
「ないよないよ。全く時代錯誤なことするね。弓矢で早さを競っていたのは銃が出てくる以前だろうに」
「今の時代、弓矢は早さよりも正確性重視だよね」
「もっとももっとも、遅いよりは早い方がずっといいのは事実だけどね。問題は、それを授業でやる必要性だよ。そんなもん、個人の研鑽だろうに」
「一年次とは違って時間に余裕があると言っても、『比べれば』って言う程度の筈だし……。何を考えているんだろう?」
クリス達は自分たちだけでは分からないと他のざわついた生徒達の会話に耳を傾ける。しかし、他の生徒達も概ねクリス達と同じことを疑問に感じたらしく、答えは得られそうにない。
そんな中、教師が二回、手のひらを打ち合わせる音が鳴り響いた。
「えー、この中には、この授業に疑問を感じる者もいるかもしれない。けど、疑問は動いて解消するものだ。そして、動ける時間は有限だ。直ぐに私の指示に従うように」
「えー!」という生徒の抗議の声があちらこちらからあがるが、教師はどこ吹く風と言った感じでこれから行う早打ちの具体的なやり方を説明する。
それは単純に的に矢を10本当てるというものであり、散々一年次にやらされた内容だった。そのため、不安げな顔をしていた生徒達にも安堵した空気が流れる。
しかし、問題はその持ち時間。
10本当てるのに使用時間は三十秒。真ん中以外は外れとするという条件が追加されたとき、そんな弛緩した空気は粉々に砕け散った。
「イミルのベストって何秒だっけ?」
「えーと、えーと、四十五秒ぐらいだったかな」
「僕は四十秒ぐらいかな」
「あーあー、探索者目指している私よりも早いって嫌味君なのは君も同じかい」
「そう言わないでよ。イミルだって去年弓術は五位か六位ぐらいだったじゃないか」
「ふんだふんだ、一位の君に言われてもうれしくないよ―だ」
「そこ! 静かに」
「「すいません」」
ヒートアップした会話は流石に教師から注意を受けたが、その程度で一々傷つく時代はとうに過ぎてしまっている。すぐにまた(今度は周りに聞こえない程度の声量で)会話を続ける二人。
教師もそれに気づいているが、授業の妨げにならなければ問題ないとして説明を続ける。
「さて、何も一回での成功を君たちに求めているわけではないから安心するように。今日は君たちがどれほど早打ちというものに意義を見出しているかのチェックだと思ってくれれば結構だ」
教師はそう言うと、学園支給の弓棚まで進み適当に一つの弓を手に取る。
「これから私が実演してみせる。きっちり三十秒でやるので、しっかり観察すること。いいですね?」
そして教師はまた、生徒たちの前に立つ。
「では、そこの君。この時計で時間を計ってくれないか? 準備が出来たら開始の合図を送るように」
「あっ、はい」
最前列でその様子を見ていた生徒に教師がポケットから取り出した時計を渡し、手順を教える。
「今回は彼にお願いしますが、君たちが実際やるときは私が笛を鳴らして合図を送ります。終了時も同様です」
「先生準備できました」
「では、よろしくお願いしますね」
そう言うと、あらかじめ設置されていた的に向き直り、教師は弓をだらりと下げ、開始の合図を待つ。
その得も言えぬ空気に当てられてか、見ているだけの生徒達の集中力も否応なく高められていく。
「始め!」
時計を渡された生徒の合図と同時に教師は背中に背負った弓矢入れから一本を抜出し、弓にかけ、放つ。
その一連の動作は、川の水が上流から下流へと流れ落ちる様に、淀みない。一切の無駄が無いその姿は、正にこの教師が一流であることを物語っている。
思わず息をのむほどに美しく、芸術的。
そしてそれは一本では終わらない。二本目、三本目……と続けて放ってもその優雅さは微塵も損なわれずに、当然のように中央に的中する。
そんな神業じみた教師の見本に、まるで息をする時間も惜しいとでも言うかのように見入る生徒達。
そんな生徒達に囲まれながらも遂に、教師が最後の一本を放った。既に九本の矢が刺さっている中心の円の中。当てられる場所は決して多くは無い。
しかしながらそんなことは関係ないとでもいうのか、放たれた矢は意思を持って掻い潜ったかのように、まだ矢が刺さっていない部分へと見事に命中した。と、同時に時計からけたたましい音が鳴り響く。
「ちょうど、三十秒。君たち分かったかな? こんな感じでやるんだよ」
教師は、この程度当たり前といった態度で皆に声をかける。事実、教師にしてみれば『大した』ことなどではないのだろう。
しかしあれが、どれほどの神業なのかここにいる生徒が分からないはずが無かった。
「それでは、君達自分の矢を持ってこっちに整列するように」
教師が「早く、早く」と急き立てる為、未だ放心状態の生徒が多いながらも授業は進行する。
この学園がどれほどの人材を抱え込んでいるのか、改めて実感した一幕であった。