彼と彼と、彼女と
クリスが教室に戻ると、計っていたかのように学園の鐘が鳴った。(本当にキルサは時間を計っていたのかもしれないが)
ホームルームには間に合わなかった彼だが、最初の授業すら途中から受けようとは思っていない。一年間遅刻し続けたせいで信憑性は薄いが、彼は遅刻だって別に好き好んでしているわけでは無いのだ。
なので担当の教師(というよりも年間の説明や諸々の行事があるので担任であるキルサが引き続き担当である)が教室に足を踏み入れる前に慌てて、先ほどカバンを置いた席へ着く。
「なんだ結構早かったな」
前の席のミケニルが残念そうにそう言ってきた。
「放課後また来いってさ」
はぁー、とため息。
「お前さ……去年から言っているけど、もっと早く起きられないのかよ」
ミケニルも彼の遅刻の多さには呆れを通り越して驚きすら感じている。しかも、それが全て純粋な寝坊と言うのだからなおさらだ。
クリスは机に体を投げ出して、気だるそうにミケニルを見る。
「今日は結構頑張ったのにこの有様なんだから、もう癖みたいなもんなんだよ。というよりも、布団が気持ちいいのが悪いんだよ! 僕を怒る前に布団を怒るべきなんだ! いや、待てよ。それなら夏になったらもっと早く起きられるかもしれない。暑いし」
「去年も同じようなこと言っていたけどほとんど変わってなかったぞ。もし変わったとしても、大半が休みだから遅刻数には変化ないだろうが」
自分で寝坊癖を治す気があるのかないのか良く分からないそんな彼に対して、ミケニルは匙を投げるかの様に「やれやれ」と首を竦める。
といっても寝坊して遅れてもしっかり一限目には間に合っているという事実がある為、あまりミケニルは必死になっていないだけであったりもする。……だからと言って許されることではないのも、また事実なのだが。
そんな風に雑談に興じていると少々遅れてだがこのクラスの担任であるキルサが教室に入って来た。
まだ新年度一日目という事で本格的な授業開始ではなく、教師の紹介やスケジュールの確認などのオリエンテーション的な内容がほとんどだ。
しかし、そんな聞いていても聞いていなくても特に問題の無さそうな内容にもかかわらず、生徒達の間では緊張感が漂っていた。
このルミアーナ学園ではキルサがクリスに言った通り、『世界に平和と発展をもたらす人材の育成』という設立目標を掲げ、今なお軸としている。
要するにこの学園では発展をもたらす知識のほかに、平和をもたらす為の力も教育しているということだ。
その理由は、この世界に存在する『魔』のせいである。
『魔』は生きとし生ける物に憑りつき、その物の本質をゆがめてしまう力がある。野生の生物に憑りつけば、『魔』の生物「魔物」と化し、人に憑りつけば『魔』なる人たる『魔人』へと変貌させてしまう。
この世にはそんな『魔』が溢れている。
何故『魔』が溢れているのか。何故『魔』が生まれたのか。そもそも『魔』とは何なのか。
『魔』が観測され始めた世界の改革期とも変革期とも言われている通称『暗黒時代』間の記録は、他の多くの書籍や記録媒体と同様に紛失してしまっている。
そのため様々な説が唱えられてはいるものの、世界の滅亡を乗り越えその事実が過去のものとなって久しい現在に至っても有力な説が存在していないのだ。
しかし人類も一方的にやられてばかりいたわけでは無い。
昔から人類は『魔』を消し去ることは出来ないまでも、『魔』という巨大な力に着目しエネルギーとして利用する実験を行ってきた。未だに『魔』の正体は謎のままだが、その過程で人から『魔人』へと変貌する確率を大幅に下げることに成功し、僅かだが確実に『魔』への抵抗力をつけてきていた。
そんな過程で『魔』を自在に操れる存在が生まれ、当初は迫害や排斥の対象にもなったが、その数は年々上昇。近年では学問としても確立されるようになり、一種のステータスとなるまでに至っていたりもする。
このように、人類は『魔』を当たり前のように受け入れ生活してきた。しかし『魔』との共存とも言えるこうした関係を築くことに成功した種族は、人間種のみだった。
動物たちは今も変わらず『魔』を取り込むと魔物と化すのが大半だ。魔物は個体で強力な力を発現し、災害レベルの魔物となるとたった一体で国が落ちる。そんな魔物たちは、当然ながら人類の繁栄の大きな妨げとなり続けている。
平和を守り、人類の発展を進める為には『魔』と化した存在を駆逐する力は必要不可欠。そんな側面や背景があり、このルミアーナ学園は力の育成にも標準を合わせているのだった。
そんなルミアーナ学園に在籍する二学年生は今日、とある審査を受ける。
固有適正判別検査。生徒間では「トライアウト」と呼ばれる振り分け検査だ。
ルミアーナ学園では、一学年時に一般教養はもちろん、剣術、銃、槍術、魔術、体術、棒術、弓術等のありとあらゆる戦闘技術を学ばせる。
そして二学年になると、その生徒の適正に合わせたカリキュラムが組み込まれるのだ。この審査で自分の今後が決まると言っても過言ではない。
ではなぜ一学年目からやらないのかと疑問に思うだろう。
理由は、この学園の巨大さにある。
この学園は毎年、学年の巨大さに納得するほどの新入生を迎え入れる。勿論入学試験などは行うのだが、誰にでも学ぶ機会を与えるという理念の下、誰でもとは言えないが、かなり入学しやすい仕組みとなっているのだ。それこそ、明日を生きるのも困難な貧民街の子から、大国の貴族まで様々である。
しかし、簡単なのは入学時のみ。
その後多くのことを一年で学ばせるために、キチキチと軋む音が聞こえそうなほど隙間なく埋め込まれたカリキュラムが一律で課せられる。
一度でも躓いたらもう戻ることが出来ない程の速度で進む授業内容は、大量の退学者を例年生み出し、結果として、二年になるころには入学したころの人数の三分の一も残れば豊作と呼ばれるほど人数が減る。
このようにして、本当に優秀且つ熱心な者を選別し、より飛躍的に生徒の能力を上昇させるため、「トライアウト」は二学年時の最初に設定されているのだ。
そんなところから、一年次は篩の年、二年次からは研鑽の年なんて呼ばれているということは、ルミアーナ学園上級生内では結構有名な話だったりする。
そう言った理由から、二年生の初日の授業は後に控える「トライアウト」のせいで極端なまでの緊張感を孕んでいるというわけだ。
しかし、何事にも例外と言うものはある物で、クリスとミケニルは周りの迷惑にならない程度の小声(オリエンテーション気味なので注意はされない)でいつも通り雑談をしていた。
だが、そんな彼らも興味がないというわけではなく、どちらかというと他の生徒同様話す話題はトライアウトのことが中心となっていた。
「ミケは銃術狙いだよね」
「まぁな。流石に実家が銃作っているのに、息子がそれを取り扱う才能ないとか言われたらへこむから必死だよ」
ミケニルの実家は「ヒヴァ―ニア商会」というこの大陸の武器を手広く取り扱う商会として成長を続ける新興の大手商会だ。武器専門でありながら、その品目は万は下らないというのだからどれほどの規模かは予想がつくだろう。そんなヒヴァ―ニア商会が、ここ最近、特に力を入れているのが銃器なのである。
誰にでも扱えるうえに威力は申し分なく、射程距離もあるという夢のような武器であるが、手入れがやや面倒であり、慣れるまでに一定の訓練が必要。
その上、銃器本体の価格が非常に高価でありその弾丸一つ一つも銃に合わせなければならず、全てオーダーメイドとなるため、なかなか気軽に手を出せるような値段ではない。
そんな理由から、一部の貴族、金持ちや裕福な冒険者が飾りやサイドウェポンとして持っている程度だったのが現状であった。
しかし、そんな銃器の世界に新風を巻き起こしたのがこのヒヴァ―ニア商会だ。
まず、弾丸。射程距離に応じてショート、ミドル、ロングの三種類のみに統一したことで、大量生産が可能となり弾丸の値段を低価格で押さえることに成功した。
それだけでも、ヒヴァ―ニア商会の銃器は大幅な売り上げを叩きだしたのだが、それだけに留まらず銃本体にも変化を求めた。
今までは値段が高く、買う相手も限られたため実用性がある物と言うのは非常に少なかった。だが、装飾を落とし、軽量化や火薬の量の調整などをすることでより実用的な銃を生み出すことに成功。その上、弾丸の統一をしているにもかかわらず銃によっての特徴がそれぞれ異なり、自分のスタイルを損ねることなく運用できる。
それらの理由でヒヴァ―ニア商会は高い評価を得、銃をサブからメインへと変える者が急増したのが今から数十年前の事。現在、ヒヴァ―ニア商会の成功を見て同じように銃器へと手を広げる商会が増えたが、それでも依然としてヒヴァ―ニア商会の銃器関連のシェアは半分以上を占めている。
今やその名を知らぬ者なしと言われるほどの大商会となったヒヴァ―ニア商会。確かにその商会の御曹司が銃の適正なしと判断されたら、目も当てられない。
「大丈夫でしょ、ミケ全体的に成績良かったし、銃術は特に抜きんでていたじゃん」
「でもトップって訳ではないし、振り分け方もいまいち良く分からないじゃんかよ、これ。一学年での成績が良かった科目が選ばれるって訳でもないらしいし」
トライアウトの選別方法は何を基準にしているのか定かではない。そのため、ミケニルは「憂鬱だー」と喚いていた。
クリスはそんなミケニルを見て大変だなと朗らかに笑う。ミケニルのように特殊な家ではなく、ごく一般的な農家の出身であるクリスには縁のない話題であったからこその余裕だ。
そんな風に期待と不安を入り混じらせながら会話をしていると、この学園の鐘楼が授業の終了を知らせる。
「起立、礼」
朝と同様、メイが号令をかけキルサが教室を出る。
それと同時にミケニルは勢いよく立ち上がった。
「よし、うだうだ言っていても仕方がない。クリス、早めに集合場所行ってみようぜ」
これからの一年、いやこの学園生活の今後を左右するトライアウト。周りの緊張に合わせてクリスの体にも俄かに緊張が走る。
しかし、元来そんなものを長続きさせるような性格ではない。クリスは、数回手の開け閉めを繰り返すと、顔を上げた。
「うん。いこうか」
*****
教室を飛び出し数分後、二人は集合場所である講堂に来ていた。
「だいぶ早めに来たと思ったけど、もう結構な人数が来ているな」
ミケニルが言った通り、この学園でも最大の規模を誇る講堂内には既にかなりの数の生徒が集まっていた。(それにもかかわらず、手狭さを感じないのは流石と言ったところだ)
「まぁ、クラスにいてもすること無いからね」
クリスは目測ながら、学年のどの程度が集まっているのかを何気なく調べてみる。半分よりちょっと少ないといった感じだ。
「でも、トライアウトの順番なんてクラス順だしな。そんなに早く来る意味は無いと思うがな」
ミケニルが自分のことは棚に上げてそんな感想をこぼす。それに同意を示しているクリスもまた、自分の事を棚に上げているという点では間違いなく同類だ。なんだかんだ言っても息の合う二人である。
そんな風に、益にも役にもならない会話を「だらり」という擬音が似合いそうなほどのテンションで繰り広げている二人だが、周りもそうかと問われると否と答えざるを得ない状況となっていた。
いや、先ほどまでは違った。
気分が高揚している者、不安を押し隠そうとしている者、緊張をほぐそうとしている者、いつも通りの会話を繰り広げる者、様々なタイプの人が無秩序に会話を繰り広げていたのだ。講堂特有の反響も相まってかなりの音を発していたのは言うまでもない。
しかし今は、無音という程ではないにしろ先ほどまでと比べられると明らかに静まり返っている。
ミケニルもクリスもそのことに気が付いていないわけでは無い。敢えて無視しているのだ。
入学当初は違った。ミケニルが現れただけで黄色い悲鳴があがり、押し寄せる人たち(主に女性)で騒音が増したほどだ。
ただ今では、多くの人がミケニルの性格を知っている。ミケニルを取り囲んでいた彼女たちもミケニルの本性を知ると、まるで触らぬ神に祟りなしとでもいうかのように息を潜めるようになった。
その結果がこれである。既に去年の終わりごろには、クリスの東奔西走の活躍も虚しく、この様な状況が確立されていた。クリスはその時初めてイケメンと呼ばれる者の影響力をまざまざと見せつけられたのだった。
そんな、存在するだけで周りに影響を与える二人組(実質一人)だが、近づく人が全くいないというわけでもなかった。
「やあやあ、毒舌君に寝坊助君。新学期も変わらないようで何より何より」
その声に反応して後ろを振り向く。
そこには、にししと笑う女の子がいた。
制服はきっちりと着ているにもかかわらず、体中から活発な、率直に言えば軽そうな雰囲気を醸し出している彼女の名はイミル・スペンド。
「イミルも元気そうだね」
クリスは久しぶりに会った旧知の存在に笑みを浮かべる。
彼女、イミルは、今年は別のクラスとなってしまったが、去年クリスとミケニルが所属していたクラスにいた生徒の一人だ。
そして、この二人に話しかけてきた所からも分かる通り、ミケニルと会話のできる数少ない女子の一人でもあった。
「さてさて、お二人さんは狙いのクラスとかどうなのさ」
話題は相変わらずトライアウト。
「俺は銃が使えれば他はどうでもいい」
「僕も特に希望はないかな」
そんな淡泊とも言える二人に、イミルは隠す気もなく「はぁ」と大袈裟なため息を吐く。
そして、全くこれだからとでもいうような呆れた風を醸し出した。
「おいおい、お二人さん。そんなんでいいのかい。羨ましいったらありゃしない。流石は、成績優秀者様達だこと」
「そう言うお前こそ、何狙いとかあるのかよ」
ミケニルはあからさまなイミルの挑発を華麗に無視して、話題を返す。
イミルもそんな対応に慣れているようで、すぐさま先ほどの呆れた風を消し去り、元の雰囲気にもどる。
「ふむふむ、私は探索関連狙いだからね。君たちとは違ってシビアなのだ」
「お前みたいに騒がしい奴が探索者ってのは、何回聞いても笑えるな。静かに素早く正確になんて言葉とは最も遠いじゃねーか」
「よくもよくも、言ってくれるじゃないか毒舌君。でもでも、私は知っている。毒舌君の毒は照れ隠しだと。だから、私の大きな胸で受け止めてあげるのだ!」
そう言って胸をどんと叩くイミル。大きな胸はあくまで自称であるから、触れないのが優しさだ。
「は! まな板が。確かに、体格的な才能は認めてやるよ」
しかし、見え見えの地雷を思いっきり踏み抜くミケニルが、すぐそばで意地が悪そうな笑みをにやにや浮かべて言い返していた。
イミルは「なにをー!」とミケニルに挑みかかるが、ミケニルはそんなイミルの攻撃をさらりと避けて足をひっかける。
イミルは体勢を崩すが、持ち前の運動神経ですぐさま立て直す。
そんな喧嘩ともいえないじゃれ合いを、巻き込まれない位置から眺めるクリス。
三人の中の立場がどんなものか良く分かる光景だった。
しかし、今日はそんないつも通りとは違った。
ぞくり。
絶対零度の冷たさを感じてクリス、さっきまでじゃれ合いをしていたミケニルとイミルまでもが動きを止めて同じ場所に振り向く。
そこには今さっき入り口から入って来たメイ・シュベルトが、ゴミでも見るかのような目で三人を見ていた。
「……」
無言で視線を外すメイ。
かつかつ、と講堂内にメイの足音がやけに大きく鳴り響く。
気が付けば、他の学生も他を圧倒するかのようなメイの気配に当てられたのか、ミケニルとクリスが来てからも僅かに聞えた、囁くような会話すらもピタリと止んでいた。
静寂。
まるで、何もかもが動きを止める氷の世界の中で、それを支配する王か神かのように悠然と歩を進めるメイ。
一学年時とは比べ物にならない程の人数だとしても、かなりの人数が集まってきているこの場所で、トライアウトの緊張感とは別の緊張感を孕んだ奇妙さを醸し出していた。
ぽつり、と誰かが呟く。
それはクリスであったかもしれないし、ミケニルであったかもしれないし、イミルであったかもしれない。もしかすると、他の多くの生徒の誰かかもしれない。
それでも、確かに誰かは呟いたのだ。
氷の女王、と。