彼と彼
学校の鐘が鳴る。
「今日のホームルームは以上です。では、みなさん。今日から新たな一年。頑張ってください」
そう宣言したこのクラス、2―C担任教師キルサ・メイビィーユの言葉を受け、クラス代表メイ・シュベルトが「起立、礼」と号令をかけようと口を開く。
しかしメイがその言葉を口にするよりも早く、廊下から騒々しい(具体的に言えば人が走っている)音が聞こえてきた。
その音を聞いた瞬間、非常に苦い表情を浮かべるメイ。呆れるように額に手をやるキルサ。
そしてその音に気が付いたクラスの面々もまた、期待や不安等様々な感情を抱き「ガラガラ」と教室の扉を開けて入ってくるだろう人物に視線を向けた。と、同時に開け放たれる教室のドア。
「2-Cクリス・フィール、遅刻しました!」
ビシッと敬礼を決めるクリス。それは腕の角度から指の先まで神経が行き届いているかのような、クリスが内心でガッツポーズをとるほど完璧な敬礼であった。
がしかし、そんなクリスを迎えたのは拍手喝采とは真逆を行く、凍りついたかのような教室の雰囲気。
中には必死に笑いをこらえている生徒もいるが、明らかにクラスに流れる空気はクリスが期待したのとは正反対の気まずい物。
そんな教室内の空気から、滑ったことをいち早く自覚したクリスの背中に嫌な汗が流れ始める。そして、この場を何とかしようとクリスがさらに墓穴を掘り進める行為に及ぶよりも早く、この場を救う救世主が現れた。
「起立」
メイが仕切り直すように声を上げ、その言葉にまるで先程の一幕などなかったかのように事務的且つ習慣的に反応するクラスの面々。
クリスも半ば条件反射的にその場で、「気を付け」をする。
「礼」
一糸乱れぬ動きでクラス全員が頭を下げる。
「着席」
ガタ、ガタ、と音を立てて椅子を引く。
それら一連の流れで先ほどまで漂っていた微妙な空気を見事に払拭して見せた。クラス代表、恐るべし。
クリスはそんなクラス代表に心の中で感謝を述べると、まるで何事もなかったかのように空いている席へと向かう。
何人かの知人に苦笑気味の挨拶を受けながらクリスが辿り着いた席の前には、先ほどの微妙な空気の中でも必死に笑いをこらえていた人物が座っていた。
「いやー、クリスは新年度から飛ばすねぇ」
クリスが席に荷物を置くと、その人物は椅子ごと後ろを向いて話しかけてくる。その眼尻に、笑いすぎたために溢れた雫をうっすら輝かせながら。
ミケニル・ヒバァーニア。
端正な顔立ちとにこやかな笑み、スラリとした体躯で180センチをゆうに超す長身。そんなほぼ完璧なルックスを持つ上に親は有名商会の会長と言う、まさに敵しらずの美男子である。
そんな彼は、当然のように異性からモテた。
登校時には通学路に待ち伏せている女子がいて、机の中はどこの誰からかもわからない様な贈り物で毎日溢れ、廊下を歩けば黄色い悲鳴が飛び交う始末。プライバシーなんて、あってないような状況だった。
そう。商会が落ちぶれたわけでもなく、顔の造形が歪んだわけでもなく、ましてや体型が急激に変わったわけでもないにもかかわらず、今の彼に言いよる女子は少ない。
その理由は彼の性格。もっと言えば、自分の気に入った人以外に対しては非常にキツイことを平気な顔して口にする、所謂『毒舌』のせいであった。
初めの頃はその美貌と家柄から寄ってくる者が絶えなかったというのは事実。だが、学年の女子の多くがその美貌の裏に隠された毒の舌にやられ、また、彼の商会から贔屓にされよう等と言った下心を持ち彼に近づいたクラスの男子連中の殆ども同様の(更に実力行使も加えた)扱いを受けた。
結果として、学園の多くの生徒が近づきたいと思っていながらも、ある種の変わった性癖の持ち主を除き、滅多に近づかれないと言う奇妙な立場を一年間で確立するに至ったのだ。
そんな一癖も二癖もある友人に対して、クリスはしかめっ面を浮かべる。
「今年もミケと一緒のクラスなのか……」
「おいおい、なんだよその顔は。まるで苦味汁でも一気に飲み干したような顔じゃないか」
「いや、だって、僕が去年、何回君の尻拭いをさせられたと思っているのさ。それを今年もしなきゃいけないのかと思えばこんな表情にもなるよ」
ミケニルは無言で明後日の方へと視線を逸らす。そんな行動でさえ、ミケニルがやると絵になるのだから世の中は理不尽だと言うしかない。クリスはこの悪友と今年も一緒かと思うと、嬉しさよりも気苦労の多さを予想してしまい、ため息を吐きたくなった。
それというのも、ミケニルは容姿端麗毒舌家であるのに対して、クリスは逆に明るく、非常に話しやすい性格をしている上に、とある事情からこの学年で彼を知らない人はほとんどいないと言っていい、ミケニルに勝るとも劣らない有名人だったりもすることに起因する。
すなわち、学園生活を円満に過ごすために、ミケニルの毒が巻き散らかした恨み辛みを一身に請け負うという大変損な立場を担うことになっていたのだ。そのことを考えるたび、クリスとしてはミケニルと友人になってよかったのか偶に、非常に、悩むことがあったりもする程である。
ただし、それはそれ。これはこれ。クリスはすぐさま切り替えて、悪友とでもいうべきミケニルといつも通り雑談を交わし始める。しかし、そんなクリス達の横から雑談を始めてすぐに声がかかった。
「フィール君。先生が後で職員室に来るようにですって」
「え? ほんとに?」
声の聞こえてきた方を見ると、先ほどクリスを窮地から救いだした救世主ことこのクラスの代表であるメイが立っていた。
彼女は気難しげながら整った顔立ちに不機嫌そうな色を隠さずに確認の念を押す。
「分かった?」
「う、うん。りょ、了解です」
思わず、その眼力に押されて再び敬礼。
彼女はそれを見ると無言で自らの席に戻ってしまう。
クリスは、そんな彼女に聞こえないように声を潜めてミケニルに尋ねた。
「どう思う?」
「ん? 初日からメイビィーユ先生の説教とは運がないなと思う」
ミケニルはあっけらかんとそう答える。
「いや、そうじゃなくて彼女」
「お? クリスが女子に興味を持つなんて珍しいな」
「ミケに言われたくはないけど」
「俺はもう異性に夢見ることは滅多にないと自分で思っているからね。がっつかなくても向こうから来るし」
そんな事をのたまう外面完璧超人のミケニルなのだが、周りが興味を持つ物に興味を抱かないというわけでもない。つまりは、他人の恋愛事情に余計に首を突っ込みたがる極めて一般的な男子学生の部分もあるということだ。
「それでシュベルト嬢のどこに惹かれたのお前。もしかして、M?」
メイ・シュベルトの容姿は美人の分類に入る。それも飛びっきりの。
長い艶やかな黒髪に、無愛想ながらも整った目鼻立ち。この年にして、制服の上からでも分かる女性らしい体つきは、いかにもクールビューティと言った感じであり熱狂的なファンもいる、らしい。
しかし、クリスは恋愛事だと決めつけるミケニルに対して首を横に振る。
「いや、そういうわけではないんだけど、僕、彼女に何かしたかな? 彼女とは初対面の筈なんだけど」
そんなクリスの疑問に、「うーん」と考えながらミケニルは言葉を返す。
「まぁ、シュベルト嬢は模範的な『優等生』だからな。お前みたいな異質な『優等生』は目の敵みたいなもんだろうよ」
「僕は別に『優等生』ってわけではないでしょ。今朝も遅刻してきたし」
「まぁ、普通ならな。でも、ここではお前は立派な『優等生』だ。だから、『異質』ってちゃんと言っただろうが」
「この学園の『あれ』で優等生扱いはどうなんだろう……。むしろ、ミケの方が普通は優等生じゃん。いつもテストの成績良かったし」
「座学の成績良くてもね。別に学者を目指しているわけでもないのに、どうなんだか。てか、お前早くメイビィーユ先生のところ行った方がいいんじゃね?」
「うっ、まぁ、しょうがない、行ってくるか」
そう言って、渋々席を立つ。
なるべく授業が始まるギリギリ且つ先生がいる時間に行きたい。そうすれば、説教も少しは短くなるだろう。
クリスがそんな打算を巡らしていると、ミケニルが懐からペンと手帳を取りだした。
「まず一回目だな。何日連続か楽しみにしてるぞ」
そういうと、くるくると手に持っているペンを回し、手帳に何かを書き込む。
「……勝手にしろ」
クリスは、憮然とした表情でそういうと時間を確認し教室を出て行った。
*****
この場所の名はルミアーナ学園。大陸有数の規模、歴史を誇る超が付く程巨大な教育機関だ。
その巨大さは、新年度になるとその規模に対応した数だけの新入生が入学してくる影響でこの街全体の景気が跳ね上がる程と言えば分りやすいだろうか。
もちろん、様々な生徒を受け入れる為に普段座学で用いられる教室のほかにも、用途に別れた無数の教室が存在する。音楽室や体育館、図書室など、どこの学校にもあるような教室はもちろん、座禅場やジムといった目的で使われるちょっと珍しい教室、果てには無菌室やシアタールームなどの特殊どころか特定の場所に行かないと存在しないような部屋まで存在している。
その学園の中でも最も威圧感を放ち、そして最も生徒が近寄りにくい教室がある。
職員室。
この学園でも、他の多くの教育機関と同じように、生徒たちにとってこの場所はあまり来たくない場所の筆頭だ。
そんな職員室に今、殆どの者が心を新たにして迎えるであろう新年度の初日に呼び出しを食らった生徒がいる。
何を隠そうクリスだ。
そんな彼の前には、彼の担任を二年連続で受け持つこととなったキルサ・メイビィーユが足を組んで回転式の椅子に腰かけていた。
金の髪はまるで金糸のようにサラリと光を反射して輝き、髪と同じ色の瞳は宝石のように強い光を宿している。少々きつい眼つきも彼女の魅力を損ねることはなく、むしろより引き立てているともいえるかもしれない。そんな彼女のスカートから除くスラリとした足は魅惑的で、足を組むことで捲れ上がったスカートには、異性なら思わず生唾を飲み込んでしまいそうな、そんな魅力にあふれていた。
しかしながら、その少々きつめな眼差しをさらにきつくし、後ろに般若がいる様な怒気を放っている彼女の前でそんな煩悩を持つ物は少数だろう。
彼女はクリスを睨みつけると、おもむろに口を開く。
「全く、二年生になれば少しはマシになると思ったのですが、どうやらそんな私の期待は、持つだけ無駄だったようですね」
「いやー、すいません。でも、始業式くらいはって僕も努力したんです。その努力は買ってください」
その結果が寮の一幕である。クリスが胸を張っているだけ、質が悪い。
全く反省している様子がないクリスの態度に頭が痛くなってきたような気さえしてくるキルサ。
「いいですか。この学園は世界の破滅を食い止め、その元凶たるアシアを打倒した『英雄』タロウ・サトウによって、世界に平和と発展をもたらす者を育成する場所として創設された場所なのですよ。いわば、世界の未来を紡ぐ場所。あなただって知っていますよね」
「そりゃ、一年続けて聞かされましたから……」
「なら、それに見合った態度、日々の生活を心がけなさい。この学園の生徒という事は、世界の未来を背負っているという事と同義なのですよ」
「は、はい」
「取り敢えず教室に戻りなさい。授業が始まります」
それで終わりだと思ったクリスは安堵の息を吐く。思ったよりも長々と説教されなかったからだ。
まさに、計画通り。
しかし、そんなクリスの判断は甘いと言わざるを得ない。
「今日はこの後適性診断がありますから、放課後また来なさい」
その言葉にがっくりと肩を落とすクリス。結局先送りにされただけであった。