猫-3
気が付くと太陽はその位置を少しばかり変えていた。頭上に位置していたはずのそれは何時の間にか少しばかり西に傾いている。ああ、太陽が西に傾くということはやはりここは日本だろうか。頭頂部をじりじりと照らしていた太陽が移動したことにより、今は頬がまるでガスストーブの前に置いたかのように熱を持っている。日焼けをしてしまう、しかしそれを防ぐ手立てはない。日差しの下にあまり出かけてこなかった結果だろうか、白に近い色になった肌には少々刺激が強いように感じる。肌が日焼けしていく感覚、日光に曝された皮膚が喘ぐ感覚を悟るのは何時振りのことだろうか。肌を焼くことは良くない、皮膚の病気になるぞ、何度も何度も聞かされてきた親の言葉をふと思い出す。何時もは慈愛に溢れていた両親の顔が、その時だけは悪鬼のような顔立ちになったのを覚えてる。もしかすると、忠告の内容が内容だっただけに、記憶が捏造されている可能性も否定できないが。
ただ、捏造だったとしてもそれで構わない。もうほとんど消えかけた遠い日の記憶、在りし日の両親の思い出なのだから。例えそれが俺の精神の創り出した虚構であったとしても、俺はそれを信じ続けるだろう。そういった紛い物でさえ、俺にとっては掛け替えのない宝物なのだから。
夏のある日、海に連れていってくれた父親。小さな車に家族全員で乗り込んで、和やかに海に向かったあの日。生まれて初めての海に小さかった俺は狂喜乱舞した、らしい。砂浜で騒ぎまわり、転げまわり、波に怯え、水に怯えていた、らしい。お粗末な砂の城を作成して、波に呑まれ消えていく姿を見て泣き喚いた、らしい。初めて入る海の味に、舌に染み入るような塩味に咽て泣いた、らしい。海水パンツを履いて、腰には浮き輪をつけ、腕には浮きを装着し、両親の庇護のもと海に浮いていた、らしい。生まれつき肌が白かった俺を心配した両親が、べたべたと日焼け止めを塗りたくってくれるのを、少しばかり嫌がりつつも成すがままにされていた、らしい。(すべてが伝聞形式なのは、俺の中ではもう完全に薄れてしまっている記憶だからだ。いや、もともと覚えていないような頃の記憶だからか。)それらは全て俺にとって大事な大事な思い出になっていて、それが今の俺の根幹に多大な影響を与えているのだろう。
懐かしい記憶、ふと思い出した大切な記憶、あまりにも唐突過ぎて涙が出てくる。両頬を伝う水滴、ほんの少しばかりの涙だが、瞳から漏れ出してしまった。ただ、それをふき取るなんて真似はしたくない。そんな行為は、まるで俺の大事な記憶を穢すような行為のように思えてきて。
胸板と両腕で作っていた小さな小さな籠の中で心地よく丸まっていたそれが蠢く。首筋を柔らかな毛並みが撫でていって、そこはかとないむずかゆさを感じる。そしてその感触は下顎にまで登っていって、頬を生暖かいものがなぞる。少しばかりざらざらとしたそれは頬を伝う水分を攫っていって、満足げに喉を鳴らす。
暖かな感触、丸くした両腕の中で丸くなる猫娘。頬に流れる涙を攫ったあと、すぐに俺の腕の中に隠れていった小さな猫。それの柔らかな背中に頬擦りをする。足は前に前に、一歩ずつ確実に進めていく。それにしても、この猫は何故こんなにも俺の腕の中で幸せそうにしているのだろうか。先ほど、ほんの少し前に会ったばかりの見ず知らずの他人に、何故こうも無防備な姿をさらせるのだろうか。俺はそれほどまでに無害な存在だと思われているのだろうか、それとも先ほど喉を撫でたのが余程心地よかったのだろうか。いや、おそらくそれとは別の理由だ。
この猫は、先ほどまであの狐に追われていた。つまり、生命の危機に陥っていたということだ。下手をしなくても、大型のそれと小型のそれでは体力も脚力も違いすぎる故に殺されていただろう。その小柄な体を上手く生かして逃げ隠れすれば違うだろうが、それができていなかったからこそ追われていたわけだ。そこに出てきた、見たこともない新種の生物。それを避けるために跳躍はしてみたが、失敗してその生物の腕の中に。しかしながら何故かわからないがその生物は狐を追い返し、あまつさえ急所である喉元を撫でながら自分を愛でてくれた。急所を取られてしまい、生物として敗北してしまったゆえに反抗をすることはできず、成すがままにされようぞ。恐らくこんなところではないだろうか。
だとしたならば、ここまで従順であることにも説明がつく。それか、俺をボスだと勝手に思い込んでくれたのかもしれない。猫が群れを作るのか否かはわからないが、そう考えても別段おかしくはないだろう。どちらにしても、今この猫には反抗の素振りが見えない。
「お前は、家族とかいないのか?」
腕の中で存在を主張する温もりに問いかける。家族が、親が、子供が居たならば放してやろう、そう考えて。ただ、声を掛けてからふと思う、猫に人間の言葉が通じるだろうか。いくら猫娘だとはいえ、そんな都合のいいことがあるのだろうか。腕の中の温もりはもぞもぞと動きだし、此方にその無垢な少女の顔を向ける。そういえば、この猫の年ごろはいくつくらいだろうか。大きさからみれば、一歳かそこらというところだろう。(猫は人間よりもはるかに早く年を取る。底から考えたら、大体人間でいえば十代後半というところだろう。)だとしたならば、まだまだ若い、年頃の娘ということになる。猫娘、と言ってはきたが本当にメスなのだろうか。考えれば考えるほど疑問はどこからかふつふつと湧いてくる。
「にゃあ」
猫は口を開け、一声鳴く。そしてすぐに丸まってしまう。言葉が通じているのかどうかさえも定かではないが、今の反応を見るに俺が何か喋ったこと、そして何か質問したことはわかっているように思える。
左腕を放し、右腕だけで猫を抱く。そしてその猫耳が生えた頭を、ぺたんと倒れた猫耳を、ゆっくりと掌で撫でていく。向こうもお返しのつもりなのか、丁度頭の下に位置する俺の右中指をぺろぺろと舐めていく。周りから見たら不審な光景だろう、色あせた服に身を包む男性が、笑みを浮かべて腕の中にいる黒猫を撫でている図でしかないのだから。ただ、今現在周りに人の気配はない。荒廃した道の上には俺一人、恐らく周りの森にも人は住んでいないだろう。住んでいたらこの道路はもっと生き生きとしていることだろうから。
猫を撫でながら道を進んでいく。ぺたり、ぺたり、裸足でアスファルト舗装された道の上を歩くことにも大分慣れてきた。幾度か固い石を踏んではいるが、それもあまり大きなものを踏まなくなってきていて、お陰で歩くスピードも少し上がっただろうか。いや、それは只の思い込みかもしれない。速度を測る事なんてできないからだ。
ぺたり、ぺたり、ほとんど変わらない光景の中進んでいく。前方の道の切れ目はあと数百メートルというところだろう。そうしたならば、県道に突き当たる。そこを左に行こうか右に行こうか、どちらにしても北上することに変わりない。ただ、その途中で人間と遭遇する確率が大きく変動してしまうのだ。
左にいけば、そのまま県道は真西に伸びていて、ある程度進んだところで道は北にカーブしていく。そしてまたある程度北上したところで、今度は北西にカーブしていく。最終的にそこから少しばかり進んだところで国道に突き当たる道。県道というだけあって、その付近には数多くの建物が、家屋が立ち並んでいる。俺が海岸まで来た方法はこれだ。生活に必要な食糧も、こちら側の道ならば、乞食をすれば手に入ることだろう。この猫娘も、顔と手足さえ隠してしまえば、いや、このまま丸くなったままであったならば特に問題はないだろう。
右に行けば、東に少しばかり進んだところで県道が途切れてしまう。そこからはペンション群が立ち並び、そのすぐ近くには有名な海水浴場が広がっている。よく整備され、物販もしっかりとしている海水浴場がすぐ近くにあるからこそ、あの海岸は、この道は衰退してしまったのだ。そんな海水浴場のすぐ近くに位置している比較的大きめの集落を真西に進み、海岸をそれに沿って北上する。そうすれば、海岸を縦断すればその北端に新たな道がある。そしてそれに沿って北上すればいつの間にか国道に突き当たっている。此方側は人が多い可能性もあるだろうが、基本的に細い道ばかりなので県道を通るルートよりかは人に会わないだろう。問題点は海岸沿いだ、道なき道を進むことになるし、砂浜が続いているわけではない。確実に岩があったり、人が多い故にガラスの破片などがばら撒かれていたり、中々危険ではある。
こうやって俺が道を覚えているのは、俺自身がここに来る際にどちら側のルートを使おうか迷ったからだ。最後に見ていく光景をどちらにするか迷ったからだ。過疎が始まった集落という、人々の栄華と衰退が混在している自然に侵食し始めた西側のルートを通るか、家々が点在する海岸という、ゆっくりと人々に浸食されつつある自然が続く東側のルートを通るか。結果的に西側のルートを選んだ理由は、やはり俺も人の子だったというわけだ。さて、では今度はどうだろうか。どちらにしても、ある程度の危険は覚悟しなければならない。ただ、もしかしたら東に行ったほうが楽しいかもしれない。俺がここに来たときは西側のルートを通った。故に、目新しい東側のルートならばその道中を楽しく進めるかもしれない。しかしながら、この道路の現状を見ると再度西側のルートを通るという選択肢も捨てがたい。既に過疎の兆しを始めていたあの立ち並ぶ家々が、時間が経った場合どうなっているのか。復活し繁栄しているのか、それとも衰退し自然に食われているのか。はてしなく興味をそそられる話ではある。
まあ、県道に辿り着いたら決めればいい。今どちらか悩み悩んで決定しても、実際に県道に突き当たったときにその意見を押し通せるかどうかはわからないものだ。だとしたら、こうやってうだうだと考えていても意味がないだろう。とりあえずは真っ直ぐに進むことと、周りの自然を楽しむことだけを考えていたほうがよさそうだ。
なんとなく腹が減ってきた、飯はどうしようか。何も考えずに進んでいたが、何か口にしておきたい。できれば、みずみずしいものを。果物なんかいいだろう、それも梨や、西瓜のような水分がなるたけ多い物が良い。そうすれば、ついでに水分も手際よく摂取できるし、栄養バランスも悪くないだろう。真面目に生きていくならば、食料問題も考えなければならない。生存を考えないのならば、そういったことは考える必要もない。しかしながら、俺の心は生き延びるということを何故か渇望している。あれだけ人間社会から逃避したかったのに、何故だろうか。何度も何度も心に問いかけるけれども、結局答えは出てこない。前に前に進んでいるうちに、そういった後ろのほうに残る疑問も氷解していくのだろうか。