はじめまして
習作です。
似非明治、大正風味です。
現代でいうならば、
盲目少女と写真家青年の恋愛一歩手前なお話です。
キャラクターの名前とかはあとがきに書いてあります
はじめまして。
それは、お互いを知るために、会話の初めに使う言葉。
その言葉を言うか、言わないかで本当に自分を知ろうとしているのか分かる。
「お願いですから、はい、と言ってください」
下心があります、と言っているような声で私に答えを求める人間達。父の階級、母の家柄、家の遺産。私の存在など、どうでも良いのだろう。それが見えるから、私はいつも言う。
「お気持ちは嬉しいのですが、私は…」
それに対する相手の反応もいつも通り。
「大丈夫ですよ。その両の眼が見えないことなど、些細なことです」
私の気持ちも確かめず、「大丈夫」と言い切る、不愉快な男達。何が大丈夫なのだろうか。私との生活だろうか?それとも、自分の都合だろうか?
朝起きると、いつも思う。「早く日が暮れないかな」と。目が見えないのに早くに暗くなってほしいなんて、滑稽でしかない。
けれど、最近は違った。家の時計が8時の鐘を鳴らす。そして、聞こえてくる。ガチャ、ガチャ、ガチャと金属同士がこすれる音。ただ、家の前を通り過ぎていくだけの音。だけれど、必ず私のいる部屋の前で立ち止まって、私を見ている。なんの下心もなく、ただ、見ているだけ。
「あいつ、またいるよ」
「声かけてみるか?」
私に愛の告白をしていた人間たちがその方向を向く。でも、その人は視線を向けられると直ぐに去ってしまう。逃げるでもなく、ちょっと立ち止まっていただけ、とでも言うように。
「あいつ、とは?」
気付くと私は、あの人の事を訪ねていた。
「あの者はこの近くで何やら、静止画をやっているらしく…」
「そうですか…」
答えなど、大して期待していなかった。ただ、この場から逃げるために、あの人を使ってしまった。でも、独特の匂いがした。薬品の匂いや、金属のような匂いもあったが、一番匂ってきたのはインクの匂いだ。どこか懐かしいインクの匂い。
「あっ。そういえば、今日は『西方近代楽曲団』の演奏会がありまして、誘おうと思っていたのです。一番いい席が取れたのですが。どうでしょう?」
「ずるいぞっ」
「その楽曲団ならば、つい昨日に両親と聞いてきました。毎年この時期には家族で聞きに行くのが我が家のしきたりなので…。申し訳ありませんが、お断りします」
「し、しかし…」
「所用がございますので、失礼いてします」
それは、いつもどおりの風景。お供のように付きまとう人間達と共に図書館へ行って、ラジオに入れる曲を借りに行く。ついでに、借りていた曲を返す。目が見えないのだから、本は借りても意味がない。
借りるのはいつも古典音楽だ。最近は西洋の曲も多くなっているが、やはり古典楽曲のほうがいい。
けれど、その日は違った。
家の近くでラジオを取り出そうとした時だ。イヤホンをしていなかったので、ラジオがなくなっている事に気が付かなかった。図書館に忘れてきてしまったのだろうか。そんな時だった。
ガチャ、ガチャ、ガチャと、朝に聞く音が聞こえてきた。走っているらしく、音が早い。
「あ、あの。これ、忘れていませんでしたか?」
あの人の声を初めて聞いた。
「こ、これは、豊香さんのラジオじゃないか!?」
「なんでお前が持っているんだ!?まさか、お前が盗ったんじゃ!?」
「いえ、ただ図書館の前に落ちていたんで…」
困惑したようにあの人は言う。無理やり取ろうとしたのか周りの人間に掴みかかられたようだ。
「あぁっ!!」
ガチャンと、ひどく軽い音を立てて、ラジオが道に落ちた。壊れてしまっただろうか…。
「す、すみません」
今日は厄日だ。
「ここまでくれば、一人で帰れます。貴方方もお帰り下さい」
「いえ、そういうわけには…」
「一人でも帰れます!さようなら!」
柄にもなく、大声を出してしまった。本当に、今日は厄日だ。
私の部屋には大きめの放音機がある。その放音機で図書館から借りてきた音楽盤から、ラジオに音楽を写す。けれど、今日からそれはできない。ラジオが壊れてしまったから。
明日もまた、あの人間達と過ごさないといけないのだろか。だとしたら、私は両親を恨む。あんな人間たちが私の婚約者なんて。父も母も私のことを解ってくれない。解ったつもりでいるだけ。
カツン、と窓に何かが当たった音がした。
手探りで見つけると、それは紙ヒコーキだった。そして、微かなインクの匂い。
何が書かれているのか、目の見えない私には読めないだろう。けれど、そのインクの匂いは、いつも遠目に私を見つめる、あの人の匂いだ。
紙ヒコーキはすぐに開くように出来ていた。舳先が少し折れているが、文章が見えないから問題ない、そう思っていた。
指で触れると、文字がわかった。この文字は『今』次の文字は『日』というように。あえて筆圧を強くして、指で触れるだけでわかるように。
『今日はすみませんでした。壊れてしまったラジオですが、なんとか修理できたので明日お時間よろしいでしょうか?よろしければ明日の正午、図書館前にてお待ちしております』
あの人は私が目の見えない人間だと分かっていたのだ。
この時代に点字はあまり知られていない。私も存在を知る程度だ。なのに、この手紙の後ろの方には点字でも、同じ内容が書かれていたのだろう。不自然に紙が歪んでいた。点字は読めなかったが…。
翌日正午前、私は図書館の前にいた。約束の時間まであと何分くらいだろう?
「早すぎたかしら…」
時間が解らない、これも私の悩みだ。今の携帯式の時計にベルは内臓されていない。父も母もベルを内蔵した時計を探してくれているが、全く見つからないらしい。
「お待たせして申し訳ない。ラジオ、お返ししますね」
数分もしない内に、あの人が来た。今日はあの音は聞こえなかった。けれど、インクの匂いだけは漂ってきた。
「あ、ありがとう、ございます」
「いつも、クラシックしか聞かれないので?」
急に、あの人が音楽のことを聞いてきた。この人も音楽に興味があるのだろうか。私はそろそろクラシックに飽きてきた。いくら素晴らしい音楽でも、ずっと同じ種類は嫌だ。
「はい。両親がクラシック好きで、私も好きです」
嘘は言っていない。クラシック一筋、という訳でもないが…
「あぁ…。余計なことしたかなぁ…」
「な、なにか…?」
急に、落胆した声を上げた。軽く触っていじっただけでも、細かい傷もあるが、直っている。
「いえ、あまりにもクラシックばかりだったので、そのラジオを改造してジャンクミュージックもかけられるようにしてしまったんです…」
確かに、覚えのない妙な機器が小さいながら付け加えられている。これは、小型のアンテナと、ダイヤルだろうか。
「いえ。構いません。ちょっと、そんな音楽も聞いてみようと思っていたので」
「かさねがさね、申し訳ありません」
ひどく申し訳なさそうに、謝ってくれる。求婚してくる人間達もこれくらいの誠意があれば、考えなくもないのに。
正直、そういうジャンクミュージックと呼ばれている音楽を聴いてみたい、と思った事はある。けれど、選曲がいけなかったのか、あまり好きになれなかった。やはり、目が見えないと、音楽盤を選ぶこともままならない。おすすめでも、聞いてみようか。
「あの、貴方の良く聞く音楽は何ですか?良ければ、教えて下さいな」
「私は今聴いているのは…」
彼はその後、その演奏者について教えてくれた。
どうやってこの曲を知ったのか、どうやってこの演奏者を知ったのか、まるで少年のように熱く語っていた。意外だったのは、西洋にもジャンクミュージックがあり、どちらかというと西洋の方が多い、ということだ。
その後、私とあの人との関係は何も変わらなかった。
あの時の話は、同じ趣味の人がお互い名乗らずに趣味の話をする、程度のものでしかない。元々、平行線に近い直線がたまたま交り合った程度でしかないのだから。
今日も私は、いつもの婚約者達に愛をささやかれ、あの人は家の前で私を見つめるだけ。
あの人と初めて会話してから何日か過ぎた。
「豊香。今日、家族で静止画を撮りに行こうと思うのだが、どうだね?」
「あなた…。どういうおつもりですか?」
朝食の席でいきなり父がそう切り出した。私の目が見えないことが分かってから、父はそういった目でしか見えない物に私を誘う事はしない。だから、母も父に疑念の声をあげた。
しかし、私としては早くから外に出られてうれしい。毎日私に愛の告白をする人たちに会わなくてもよくなる。来てくれる人には申し訳ないけれど、家族で出かけられるのはすごくうれしい。
「かまいません。しかし、理由を聞かせていただけますか?」
「…豊香?」
母が、信じられない、というような声を出す。
「…理由か…」
いつもの父らしくない。いつもならば、理由を問われても即答するほど行動に意味を持たせる人なのに、今日は歯切れが悪い。
「最近…人の良い静止画屋を見つけてな…。試しに撮ってもらったら、なかなか味があってな…。豊香にも、目に見えなくても、それ以外のところで感じてほしいと思ったからだ」
静止画と聞いて、あの人が浮かんだ。顔を見ることも叶わない、あの人…。
「その店は、この近く…でしょうか?」
あの人も静止画をやっている、と聞いている。そして、この近くでやっている、とも…。
「いや、ここから汽車に乗って5駅ほど離れた所だが…?」
「…。ありがとうございます…」
なぜか、心が落ち込んだ気分になった。行く、と言った以上、行きはする。けれど、『静止画』という言葉だけで、あの人の所では?、と考えてしまう。
でも、違った。
希望はいつも儚い。儚くて、辛くて。目が見えなくなった時から解ってた。
「では、朝食を食べ終えたら、すぐに準備をしてくれ。私はその店に連絡を入れる」
「はい」
私は手早く食事を終えて、身支度を整えた。
その後、汽車に乗り目的地を目指す。
「着いたぞ」
移動時間が長かったので、私はついうとうとしていた。父に起こしてもらい汽車から降りる。
結構大きい駅だ。家の周りより喧しいが、五月蠅い、と言うほどの音ではない。どちらかと言うと、活気に満ちた喧騒だ。
「こっちだ。離れないように、手を繋いでいなさい」
人が多い所に行くと、父と母は決まって手を繋ぐ。右に父、左に母、真ん中に私。小さい時から、この配置。
「ここだ。…御免ください」
駅から少し歩いた所に目的の静止画屋はあったらしい。まだ、汽車の汽笛や音が大きく聞こえる。父が扉を開けると、炭の匂いや鉄の匂いに混じって、どこかで嗅いだ匂いがしてきた。
それは、金属のような匂い。
それは、薬品の匂い。
それは、インクの匂い。
それは、あの人の匂い…。
「いらっしゃいませ。上郡さまですね?承っております。どうぞ中へ」
そして、これはあの人の声…。
…また、会えましたね…。
自己紹介もしていなかった。
お互いの好きな音楽を話すだけの他人に近い関係だった。
だから、お互いを知るために初めに言う言葉は、
はじめまして。
私は、彼に言う。
「はじめまして。上郡豊香です」
彼は、私に言う。
「はじめまして。小向鴎です」
数日後、私の家では2つの静止画が飾られた。
1つは、父の提案した家族の静止画。
もう1つは、私と私の初めてのお友達の静止画。
あの日、静止画を撮りに言って以来、冷たい、なんて感じなくなった。
いつものように、私に求婚する人たち。けれど、今は前と違う。
「今日こそ、はい、と言ってく…」
―リリリン
ラジオに新たに加えられた、時間を知らせる機能が涼やかな音色を出す。それは、あの人が来る合図。
「申し訳ございません。これから用事があるので、失礼します」
「では、お供を…」
この前までなら、断り切れなかった。
「お気持ちは嬉しいのですが、結構です」
一緒に行ってくれるお友達がいる。
「今日も図書館へ行くのですか?」
豊香さん、と鴎さんは言う。
「はい。今日も行きます」
鴎さん、と私は言う。
今は、毎日暖かい。
おわり
ここでキャラクターの紹介をさせていただきます。
上郡 豊香 (かみごおり ゆたか) 17
本作の主人公。
盲目の令嬢で、幼少期に目が見えなくなる。以来、両親に適度な愛情を受け、令嬢のお手本のように育った。令嬢キャラによくある世間知らずではない。
小向 鴎 (こむかい かもめ) 18
本作中では、最後以外あの人と呼ばれる人物。
静止画(写真のこと)屋の見習いで、修行として豊香のいる街を訪れる。修行をしている際、豊香の父の目にとまり、豊香と友だちになる。友人に変人が多い。
気が向いたら同じ設定、キャラクターで続編のようなものを書くかもしれません。