姫様を頼む(前編)
だけど、何で俺のとこなんだろう。それならあの女の子、あみちゃんにもっと近い所に現れればあいつ、あんなに苦労しなくて良かったはずだ。リビングのパソコンの前に陣取った俺は、そんなことをつらつら考えていた。不意に携帯のバイブに気付く。そうだ、救急車に乗せられる時、仕方なしにマナーモードにしてたんだっけ。見るとそこには伊倉愛海の文字があった。でも、俺は電話には出なかった。バイブが止まった後、履歴を見る。メグは何度もかけてくれてた。けど……今ホントにどう言ったらいいのか解らなかった。
俺はぼんやりと、そばにあったパソコンを開いた。そして、俺はため息をつきながら――いちのすけさんはあみちゃんととおいところへいってしまいましたとさ ――と呟きながらキーボードを叩いた。
「いちのすけ(変換)一之助は……あみちゃん(変換)愛海ちゃんと……愛海ちゃん?! そうだ、これだ!!」
俺はあみちゃんと打ち込んだ後変換キーを押した時、その八番目の変換候補に目を瞠った。そこにはメグの名前めぐみと同じ漢字が躍っていた。試しにめぐみと入れたら愛という字一字でしか出てこなかった。たぶん、いや……間違いなくあみ姫様のあみは愛海だ! だから、一之助はメグの幼馴染の俺の処にやって来たんだ。
俺は慌てて、マナーモードを外すとメグに電話を入れた。
「もしもし?」
「圭治、今何時だと思ってんの? 本山さんが先に出て行ったって言ったっきり電話もかかってこないし、おまけにすぐにマナーモードになってるんだもん。心配したんだから!!」
電話がつながって、俺がそう言うか言わないかに、メグからの罵声が飛ぶ。
「ゴ、ゴメン。今からいいかな。」
「良いに決まってんじゃん。そのために待ってたんだから。何処で待ち合わせる?」
まだ何も知らないメグの返事は底抜けに明るい。
「お前んちに行くから……なぁ母さん、俺今からメグんち行って来る。」
俺が電話しながら自転車の鍵を引き出しから取り出そうとすると、
「圭治、今日はダメよ。何があるか判らないから、安静にしてなさいって言われたでしょ。」
と母さんからダメ出しが入った。
「大丈夫だよ、どこも打ってない。」
ああっ、もどかしい。どこもホントに打ってないだってば!!
「ダメよ、こう言うのは後から出て来ることが多いんだから。」
それでも母さんは折れてくれない。逆にそれを聞いていたメグが、
「どこも打ってないって、圭治、何かあったの?」
と聞いてきた。
「いや、何でもねぇよ。」
メグにだけは正直に全部話そうと思っていた。でも、それは電話じゃいけない。
「ねぇ、どうしても今日じゃなきゃダメなの? そしたら、メグちゃんここに来てもらえばいいじゃない。」
すると、母さんがそう言った。でも、そうすると母さんに話したことの辻褄が合わなくなる。俺は、露骨に嫌な顔をしてたのかもしれない。
「何なの、その顔は。ま、デートをすっぽかしたのに来させるのは気が引けるんだろうけどね、しょうがないじゃない。」
母さんに首をすくめてそう言われてしまった。
「そんなんじゃねぇよ!」
「ま、何でも良いわよ。後で言い訳できないような事してくれなきゃ何したってね。」
「だから、そんなんじゃねぇってば!!」
ああ、何か完全に誤解されてるよ……
でも、まぁそれでも良いかもしれない。俺は内心、一之助の『姫様を頼む』と言われたことを、実行してもいいかなと思い始めていた。それも、メグがそれを受け入れなきゃ話になんないんだけど。
やがて、しばらくしてウチに来たメグの顔は、ひきつってうっすら涙まで流していた。
「何でもないって、何でもなくないじゃん! 圭治トラックと接触したって言うじゃない。」
「お前、それ誰に聞いたよ!」
「竹林堂のおじさん……轢かれそうになった女の子を助けた高校生がいるってお客さんと話していたから。でもよく聞いたらそれ圭治だって言うし……」
くそっ、あのオヤジ、暇だからって道行く人みんなに吹いてるんじゃないだろうな。
「ぶつかってなんかねぇよ、第一ぶつかってたら、こんなとこにいられる訳ゃねぇだろ。」
「だって、電話すぐ切っちゃって、マナーモードで……病院に行ったんでしょ。」
確かにそれは間違いではない。間違いじゃないけど、違うんだ。
「とにかく上がれよ、一之助の事もあるから……俺の部屋でちゃんと説明すっから。」
「あ、そうだ本山さん! いないってことは、お姫様見つかったの?」
「ああ、もう! それもこれも全部話すから、上がれってんだ!!」
お姫ちゃんがか見つかったと思って気色ばむメグの瞳が辛くて、俺は思わず声を荒げた。その様子にメグははっと息を飲んだ後、
「何よ、いきなり怒りだすなんて……」
とぶつぶつ小さな声で文句を言いながら、俺の部屋に入った。