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性悪な悪役に仕立て上げられた気弱令嬢は、友情を取り戻して真実を手に入れたい!  作者: 風間 華
第一章

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プロローグ

 ガタン、と馬車が大きく揺れた。

 「きゃっ──!」

 思わず声を上げた瞬間、視界がぐるりとひっくり返る。


 車輪が外れたのだろう。

 馬の悲鳴と御者の叫び声を最後に、馬車は道を外れ、崖の斜面を転げ落ちていった。


 ──終わった。

 頭の片隅でそう思った瞬間だった。


 右手の薬指にはめていた銀の指輪が、ぱきん、と甲高い音を立てて砕け散った。

 それは一年前、王宮から「祝福の証」として授かったもの。


 「え……?」


 胸の奥が急に軽くなった。

 絡みついていた見えない鎖がほどけるように、一年間押し込められていたものが一気に解き放たれる。


 喉から漏れた声に、自分で驚いた。

 「……あ」


 指が動く。息ができる。

 ──私は、私に戻れたのだ。


 王立学園に入学してから一年間、私は自分の体を動かせなかった。

 意識はあるのに、声も出せず、目の前の光景をただ“見せつけられて”いただけ。


 その間、“誰か”が私の体を操り、王太子の寵愛を受ける令嬢として振る舞っていた。


 白金色の髪は縦ロールに結い上げられ、真紅のリボンで飾られていた。

 氷を閉じ込めたようなアイスブルーの瞳は、笑うたび小悪魔的に光り、頬には濃い紅、唇は鮮血のような赤が塗られていた。

 宝石をちりばめた派手なアクセサリーをつけ紺の制服を煌びやかにし、歩くだけで人々の視線を集めた。


 ――それは、本来のおとなしい私とはかけ離れた姿だった。

 王太子の隣に立ち、取り巻きに囲まれ、笑顔を振りまきながら王太子と手を繋ぐ。


 本当は、嫌で嫌で仕方なかったのに。


 「姉さんっ!」


 崖下で泥にまみれながら、必死に体を起こした弟のレオンが、こちらへ駆け寄ってきた。

 彼は怪我を押さえながら、驚いた顔で私を見つめる。


 「レオン! 大丈夫なの? 怪我してない?」


 思わず駆け寄ると、レオンは目を丸くした。


 「……え?」

 「どこか痛む? 動ける? 手を貸すわ」


 私が差し伸べた手を、彼は信じられないものを見るように凝視した。


 「……姉さん……」

 「なに?」

 「いつもと違う……。てっきり“さっさと助けなさいよ!”って言われると思ったのに……」


 その言葉に胸が痛んだ。

 そう、あの一年間、私はずっとそんな風に振る舞わされていたのだ。

 本当は、こんな可愛い弟を突き放す姉じゃないのに──。


 「ごめんね、レオン。でも、今は私なの。昔の、あなたの知っている私に戻れたの」


 「……!」


 レオンの目が大きく揺れる。驚きと戸惑い、そして小さな希望。


 「姉さん……」


 彼の声が震え、そのまま私に飛び込んできた。

 「姉さんっ……!」


 力いっぱい抱きしめられる。肩に熱い涙が落ち、胸がじんと熱くなった。


 「俺……ずっと姉さんを嫌ってた……! 派手で、偉そうで、王太子に媚びて……そんな姉さんなんか大嫌いだった! でも……今の姉さんは……俺の知ってる、本物の姉さんだ……っ!」


 泣きじゃくる弟の背中を、私はそっと抱き返した。


 「……ごめんね、レオン。苦しませて」

 「違う……俺こそ、ごめん……! これからは、俺が守るから……!」


 ── 一年間、失われていた絆が。

 今ようやく、取り戻されたのだった。


***


 私の名前はエレーナ・アルヴィオン。

 アルヴィオン伯爵家の長女として生まれ、王立学園に通う身だ。

 この春で二年生になる。


 本来なら領地に戻って静かな春休みを過ごし、弟レオンの入学を一緒に喜ぶはずだった。

 だが、あの事故で──私は、ようやく自分自身を取り戻したのだ。


 王立学園の入学式の日。

 王宮から「祝福の証」として贈られた銀の指輪を嵌めたその日から、私の人格は奪われた。

 意識はあるのに、体は動かせず、声も出せない。

 代わりに、別の人格が私を操り始めたのだ。


 ──王太子、ダリウスの取り巻きとして振る舞う令嬢。

 派手なドレスに濃い化粧。媚びるような笑みを浮かべ、彼の腕に絡みつく。

 弟を見下し、冷たい言葉を浴びせる。


 本当は、嫌で嫌で仕方なかった。

 けれど周囲の人にとって、それが“エレーナ・アルヴィオン”だった。


 ──だから私は、学園で「派手で小悪魔的な伯爵令嬢」として噂される存在になってしまったのだ。


 けれど今、指輪は砕けた。

 私はようやく、自分の意思で歩き、言葉を口にできる。


 ***


 「……そんなことが……」


 両親に真実を告げたとき、母は顔を覆い、父は拳を震わせていた。

 テーブルには砕けた銀の破片を並べてある。

 それは、五年間の呪縛が本当に解けた証。


 「エレーナ……お前が、そんな苦しみを……」

 「信じられぬ。王家が……王太子がそんな仕打ちを……」


 父の低い声に、胸が詰まる。

 私は深く頭を下げた。


 「ごめんなさい。伯爵令嬢としての誇りを汚すような振る舞いばかりして……。でも、あれは私ではなかったのです」


 「姉さんの言葉、僕は信じたいです」

 横からレオンが口を開いた。

 「俺がずっと見てきた“姉さんじゃない姉さん”は、確かに……偽物だった」


 母は涙を浮かべながら私の手を取る。

 「エレーナ、あなたは私たちの娘。何があっても、それは変わらないのよ」


 父も頷き、力強く言った。

 「二度と同じことを繰り返させはせぬ。お前は伯爵令嬢として、胸を張って生きてゆけばいい」


 胸の奥がじんと熱くなる。

 一年間失われていたものが、少しずつ戻ってくるのを感じた。


 私は涙をこらえながら微笑んだ。

 「……伯爵令嬢エレーナ・アルヴィオンは、本当の自分を取り戻しました。

 これからは、学園で恥じぬように生きてみせます」


 春の光が窓から差し込み、砕けた指輪の破片を照らしていた。

 ──それは、私の新しい物語の始まりを告げる光だった。


 沈黙を破ったのは、レオンだった。

 「……でもさ、姉さん。あの派手なドレスと化粧は、もう二度とやめてくれよな。正直、俺、あれを見てると胃が痛くなるんだ」


 「ちょっ……レオン!」

 母が思わず噴き出し、父も咳払いで笑いを誤魔化す。

 私もつい苦笑してしまった。


 「ええ、もうしません。……でも、似合ってるって言われたらどうしようかしら」

 「絶対似合ってないから安心しろ」


 くだらないやりとりに、張り詰めていた空気がようやく緩んでいく。

 家族の笑顔に包まれて、私は心の底から安堵を覚えた。



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