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06 天才剣士の退職代行【前編】

「急にごめんね」


 カフェの席に着くと、ランスは申し訳なさそうに言った。会うのは一か月ぶりで、少しやつれているように見えた。


 以前は凛々しく、笑うことが多かった彼の顔からは、どこか覇気が失われている。言葉を探しているのか、それとも切り出す勇気を溜めているのか、視線はコーヒーカップの受け皿を彷徨っていた。


 俺はそんな空気を払拭するように、ひとまず二人分のコーヒーを注文した。


「お待たせしました」


 運ばれてきたコーヒーと、ランスはにらめっこしている。まだ湯気の立つ黒い液体を前に、彼の肩がわずかにすくんでいるのが分かった。うーん、一度リラックスしてもらった方が良いだろうか。


「少し飲んでから話しましょうか」


 俺がそう言うと、ランスは近くに置いてあった角砂糖を自分のコーヒーに落とし込んだ。カラン、と氷のような音を立てて沈む角砂糖。それを彼はひとつ、またひとつと重ねていく。


 五つ目を入れた時点で俺の眉はぴくぴくし、八つ目で「それはもう砂糖水だろ」と心の中で叫んだ。


「ごめん、僕苦いの苦手なんだ」


 しまった、つい飲めると勘違いして頼んでしまった。気まずさを隠しつつ頼み直そうかと提案したが、ランスは「頼んでくれてありがとう」と微笑み、コーヒーに口を付けた。


 けれどまだ苦かったのだろう。角砂糖をさらに三個追加する――可愛いかよ。そんなやり取りをしているうちに、少し落ち着いたのか、ランスはようやく口を開いた。


「実は僕、この仕事を辞めようかと思っているんだ」


 俺は口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。あ、もちろん演技だ。最初にすれ違った時に、ランスが辞めるかもと言っていたことは知っていたからね。


「驚かせちゃったかな、君にも申し訳ないんだけどね」

「いえ、大丈夫です!」


 俺の演技は完璧のようだった。安心したランスは、今までのことを話してくれた。


「僕は最初、君と同じように一人だったんだ。それを今のパーティーに入れてもらった。ラウド達のね」


 ラウド、あのうるさくてでかいおじさんか。実際はランスの一個上だと聞いた俺は、本当にコーヒーを吹き出しそうになった。


「パーティーのメンバーは四人。ラウドと僕、君を看病してくれたミゼル、それとコルアだ」


 あ、あの女の子ミゼルって言うのか。可愛かったけど、雰囲気が既婚者だったんだよなぁ。


「ミゼルさんはご結婚されてますよね」

「よく知ってるね、言ってたっけ?」

「あ、はい。まぁ」


 やべぇ、つい既婚者前提で話してしまった。ここまで来たら聞くっきゃねぇ。


「ランスさんが旦那さんですか?」

「僕が?まさか。ラウドの奥さんがミゼルだよ」


 おい、ラウド恋人失ったんじゃないのか。普通に結婚してるとかふざけんな。というかミゼルなのが許せん。


「意外だったかな。あれでも仲良くやってるんだ」


 まぁ個人的にはラウドを許せないが、少し安心もあった。もしランスがミゼルと結婚しているなら、パーティーは壊滅してしまうだろうから。


「あのメンバーとはどれくらい組んでいるんですか?」

「大体二年くらいかな。だからこそ、辞めることを切り出しにくいんだ」


 ランスは下を向いてうつむいた。入れてもらった恩も相まって、今まで辞める話をしたことは一度もないらしい。


 コルアには一度話したが、冗談だと思われていなされてしまったそうだ。それは俺も見てるんだけどね。


「コルアは僕と同い年でね。楽観的だけど話しやすい奴なんだよ。ただ、こういう真面目な話は受け流すタイプなんだ」


 うーん、ろくでもないな。俺が言えた話ではないが。確かにランスのパーティーは曲者ぞろいと言っても過言ではないだろう。


「ギルド自体は、辞めることに対して特に止めることはしない。命に関わる職業だからね」

「なるほど……」


 ランスの現状が掴めてきた。個人的にはもう少し情報を集めたいところだ。俺はコーヒーの二杯目を頼んで、ランスはミルクだが、俺は話をさらに深掘りすることにした。今思えば職業病だろう。


「辞めたいと思った理由はあるんですか?」

「ずっと辞めたいとは思ってたんだ」


 結構そういうタイプはいる。自分よりも他を優先してしまうタイプだ。特にランスのように結果を出せてしまう人間だと、期待されて余計に辞めづらくなってしまう。


「僕は生まれつき剣技は出来たんだけど、勇者の仕事をあまり楽しいとは感じられなかった」


 ランスの現状、辞めたい気持ちは理解できた。ただ、それで辞めさせてくれるほど周りは甘くないだろう。揉めるのは必須だ。


「もし勇者を辞めることが出来たらやりたいことがあってね。教師になりたいんだ」

「教師、ですか?」

「うん。昔、村の子どもたちに剣技を教えたことがあってね。初めて木剣を振った瞬間、子どもの目が輝いたんだ。その顔が……どの冒険よりも嬉しかった」


 当時は教師を目指したいと親に伝えたが、すぐに却下されたらしい。剣技が凄いんだから、それを活かす道に進むべきだと。


「でも、結局それで得られたものはほとんどなかった。そして何より、楽しくないんだ」


 一人で生計を立てていて、親の束縛がない今考えるのは周りの環境だけだ。


「ごめんね、働き始めの君にこんな話。今日の飲み物代は僕が奢るから、そろそろ出ようか」

「待ってください!」


 席を立ちかけたランスを、俺は引き止めた。


「俺があなたの退職代行者になります。一緒に勇者を辞める方法を考えましょう」

「いいのかい?」


 別に最初は助けるつもりはなかった。特にランスの勇者退職を助けたところで、俺が得られるメリットはほとんどない。勇者ランスはこの世からいなくなるわけだからね。


 でも、この世界に来て初めて同期として仲良くしてくれたランスを見放すわけにはいかなかった。


 それに、新しくやりたいことがあるという人間は退職代行には意外と少ない。もちろん飾り立ててくるのだが、明らかに今の仕事を辞めたいだけの言い訳としてしか使われない。


 ランスの目は違った。本当にやる気を感じた。俺は人生で初めて――いや、一回死んでるから二回目か。どちらにせよ、利害関係抜きにランスを助けたいと思った。


「まずは作戦を立てましょう」


 俺たちは現状を整理した。ランスの親に関しては特に心配は要らず、ギルドも手続きを踏めばそこまで難しいものではない。やはり問題となるのはパーティーのメンバーだった。


「まずは優しい人、納得してくれそうな人から相談してみましょう。ラウドさんは最後にして、ミゼルさんとコルアさんだとどちらが良さそうですか?」

「うーん、どちらかと言えばミゼルかな。ちゃんと話したことはなかったし」



 翌日、俺たちはミゼルと待ち合わせて会うことにした。街中の広場にある噴水の横で、時間になると彼女は姿を見せた。


「どうして三人まとめてじゃないの?」

「そんなことしたら意見が強い人に流れてしまうじゃないですか。説得は一人ずつ、退職代行では常識ですよ?」

「へ、へぇ、そうなんだ……」


 ミゼルが来る前、ランスは俺の迫力に怖気づいていた。


 そんなことはつゆ知らず、ミゼルがこちらへと軽やかに歩いてくる。


「ランスどうしたの? あ、君は確かレイジ君だね! 元気そうで良かった!」

「実は……」


 俺たちはランスが仕事を辞めたいことについて、丁寧に説明した。


「そうだったの……そんなに思い詰めていたのに気づけなくてごめんね」

「あぁいや、こちらこそ今まで言い出せてなくてごめん」


 付き合いたてのカップルの喧嘩か。俺はほのぼのと二人を見ていた。それにしてもミゼルの反応は予想通りだった。初めにしておいてよかったと心から安堵した。


「君の人生なんだから、君が好きに決めるべきだよ! 一生離ればなれっていう訳じゃないんだし。ラウドさんには、私から言っておこうか?」

「いや、それはやめてください!」


 俺は急に割り込んだ。眺めていたい気持ちはあったが、それでは困る。


「ラウドさんには一度、本人から話してみるのが良いと思います。それで納得してもらえなかったときは、ミゼルさんに手伝っていただいても良いですか?」

「あらそう、分かったわ! じゃあもしまた何か困ったことがあれば連絡頂戴ね!」


 ミゼルと別れた俺たちは、まず一人味方を付けられたことに一安心した。


「レイジ、ラウドにはミゼルから予め話してもらった方が良かったんじゃ?」


 ランスは不安そうにしている。


「いえ。ラウドさんのようなタイプの場合、一度こちらから話を付けに行った方が良いでしょう。納得はしないと思いますけど、ランスさんが直々に話に行ったことが後で説得力を増すことになるんです」


 今回は完全な代行ではない。それならばできる限り、有効な手段を取っておきたかった。


「次はコルアさんですね」

「うん、もう少し後で待ち合わせることにしてるよ」


 コルアとは一緒に昼食を取りながら話すことにしていた。



「来ないですね……」


 既に待ち合わせ時間から一時間が経過していた。


「コルアは時間にルーズだから」


 ランスは苦笑しながら言った。


 ここまで相手のことを理解できるほど関係性が深いと、今から話す気力が萎えてくる。自由人ほど実は繊細だということも多い。


 空席の椅子を見つめながら、嫌な予感だけがじわじわと膨らんでいった。


お読みいただきありがとうございます! 高評価感想を頂けると嬉しさで作者が暴れまわります。

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