05 そして俺は勇者を諦めた
俺はあまりの衝撃で地面にへたりこんだ。慌ててランスが剣先を引っ込める。
「あ、ごめんごめん。実は教えたい知識があるんだ」
ランスは手を差し伸べ、俺を立ち上がらせてくれた。小瓶を受け取った彼は蓋を開け、そっと自分の剣の周りに魔力を掛けていく。金属の先端に淡い光がまとい、じわりと力を帯びるのが見えた。
「ちょっと見てて」
ランスは近くの大木に歩み寄ると、引き絞った勢いのまま剣を振った。大木は真っ二つに割れ、幹の内部が露わになる。音は割れた板の破裂音のように大きく、俺は思わず息を呑んだ。す、すげぇ。
「小瓶の魔力を使えば、一時的に剣をパワーアップできる。身体からの魔力に比べれば持続も弱いけど、覚えておいて損はないよ」
俺は小瓶を受け取り、自分の剣の刃にそっと塗ってみた。ただ、角度を斜めにしすぎて一気に魔力が纏わりついた気がした。
「ちょ、ちょっと塗りすぎかも」
ランスの忠告もむなしく、振り抜いた瞬間、腕から背中にかけて爆ぜるような衝撃が走った。足が地面から浮き、身体が空気に叩かれる感覚。視界がぐるぐる回った。
「……おぶっ!」
背中から地面に叩きつけられ、肺の空気が抜ける。よろよろと起き上がって足元を見ると、剣を振った場所に大きな裂け目ができていた。土が抉られ、地面がえぐれている。
俺がやったのか。ランスは頭を抱えていた。俺は恐ろしくなり、素早く小瓶の蓋を締めた。
「ごめん、予め量とか言うべきだったね。魔力は強すぎても危険なんだ。本当に切羽詰まってるとき以外は、一振り分くらいでちょうどいい」
「す、すいませんでした」
俺は小瓶を懐にしまい、ランスと共に任務地へ向かった。結果から言えば、任務自体は無事に完了した。ほとんどランスのお陰だ。俺はどっと疲れが出て、帰り道で具合が悪くなった。
「少し休憩しようか」
ランスに促され、俺たちは大きな岩に腰を下ろした。日の光が傾き始め、風が草をざわつかせる。
「やっぱり俺、冒険者は諦めます」
「うん、それがいいかもしれないね」
ランスも苦笑まじりに頷いた。行動を共にして分かったのだろう。無理を続ければ俺が危険にさらされると。
「そうだ、休憩がてらギルドカードを連携しておこう」
前回は彼のカードをちらっと見ただけだった。ランスは自分のギルドカードを取り出した。彼のカードはシルバーで、俺の緑とは色が違う。
「色が違うのってランクですか?」
「そうだね。一応、色でランクが分かれてる。冒険者なら緑、赤、ブロンズ、シルバー、ゴールドって順番かな」
嘘だろ、先が遠すぎる。一生緑はイヤだと思ってしまった。
「噂だと、ゴールドを超える黒ってのもいるらしいよ。僕は見たことないけど」
追い打ちをかけてくるな。目標の高さに目がくらむ。
「俺って、ずっと緑のままなんですかね」
ダメ元で尋ねると、ランスは意外なことを言った。
「いや、冒険者以外の仕事でもランクは上がるよ。職人になって一定の技量を超えれば、白いギルドカードになることもある」
白……カッコいい。冒険者以外にも道があるなら、俺にも可能性はあるかもしれない。
「職人って、どんな種類があるんですか?」
「雑用系から職人系まで色々ある。刀鍛冶、会計、不動産、あとは調合師や裁縫とかね。どれも地道な仕事だけど、腕を上げれば評価される」
会計は魔力をあまり使わないから、俺には向いているかもしれない。とにかく、まずは仕事をしてランクアップの可能性を探ろう。
「じゃあ、そっち方向で頑張ってみます」
ランスがカードを俺のカードにかざすと、端末が『認証完了』と柔らかく告げた。同期が済むと、相手がどのミッションに参加しているかなども見られるようになるという。
なんだか携帯電話みたいだ。チャットに友達が一人増えた気分で、俺は素直に嬉しかった。まあ、今のところは師匠と弟子の関係だが。
「日が暮れる前に帰ろう」
ギルドに戻って別れの挨拶をした後、気づいた。宿がない。ランスに電話するのも遠慮がある。仕方なく掲示板の宿リストを参考に宿を回ることにした。
五軒回って全部満室。「もういっぱいだ」と一言で片付けられる宿ばかり。足は棒になり、そろそろ諦めかけたころ、ようやく一軒だけ空きがある宿を見つけた。薄暗く、古びているが人の気配がする。
「こんばんはー」
受付に人はいなかった。呼びかけると、奥から優しそうなおばさんが出てきた。
「夜分遅くにすいません、部屋はまだ空いてますか?」
女将は俺の顔をじっと見つめ、冗談めかして言った。
「あんた、見ない顔ね。顔色悪いし、前世で戦死でもしたかい?」
どこまで本気かわからない笑顔で、鍵を差し出された。俺はほっとして部屋に入る。埃っぽさはあるが、それでも野宿よりはずっとありがたい。朝になると女将が簡素な朝食をサービスしてくれた。
「昨日はよく眠れたかい?」
「はい、おかげさまで」
食後、会計に向かうと女将は不意に首を傾げた。
「支払いはどうする?」
「小瓶で」
女将は一瞬驚いた表情を見せた後、手慣れた調子で小瓶を手に取って中身を確認した。
「おや、残りは三回分くらいかな。かなり減ってるよ」
剣の弁償にパワーアップで思ったより消耗していたらしい。それでも、まだ数回分は残っているのが救いだ。女将は優しく提案した。
「ギルドカードと連携して、小瓶の在庫をいつでも見られるようにしとこうか?」
それは棚からぼた餅の提案だった。俺はありがたくお願いすることにした。女将が端末を操作すると、すぐに『小瓶の残量』の枠がギルドカードに反映された。
「私もあんまり一文無しで来られると困るからねぇ」
女将の軽口に安心し、俺は礼を述べてギルドへ向かった。
ついでに他の宿の相場も確認してみると、昨日泊まった宿の三倍近いところもあった。なるほど、この町の相場はピンキリらしい。俺は女将に今後もお世話になる旨を心の中で誓った。
その後の一か月は、冒険者以外の様々な仕事に取り組んだ。雑用は言わばバイトだが、魔力を使う作業が多く、俺はどうしても劣勢に立たされた。
引っ越しの手伝いでは「魔力少ないな」と笑われ、鍛冶場では不器用さを露呈して親方に怒られた。会計の仕事だけは魔力をあまり使わないため、何とか続けられた。
職人仕事の見習いも経験した。低ランクだと雑用ばかりだが、実際に職人の手元を見て学べたのは収穫だった。
ただ、俺の不器用さは天下一品で、鍛冶屋では金槌を振るたびに鉄片を飛ばしてしまい、「お前は人を殺す気か」と真顔で叱られたものだ。
その間もランスとは定期的に連絡を取り合っていた。俺の愚痴を聞いてくれ、助言をくれる彼の存在は大きかった。
ただ、彼が自分の過去や事情をあまり語らないことは、俺の中で小さな不安の火種になっていた。
ある日、いつものように会計の仕事を終えて宿へ戻ると、部屋がいつもより賑やかだった。人の声が廊下まで漏れてくる。
ギルドカードを見ると、ランスから着信があった。留守電を再生すると、いつもの軽口とは違う、言葉の選び方が重く低い声が聞こえた。背筋に冷たい汗が走る。
「今度、会えるかな?」
たった一言だが、妙に重たい。俺はすぐに折り返しの連絡を入れた。
さっきまであれほどうるさかった部屋の喧騒が遠ざかっていく。胸の奥で、いやな予感がじわりと膨らんでいくのが分かった。
お読みいただきありがとうございます! 次回から遂に退職代行!?