04 優しき天才剣士、ランス
「あ、目が覚めたみたい!」
うっすらと目を開けると、真っ白な天井が視界に広がった。森ではない。土の湿った匂いも、枯れ葉のざらついた感触もない。
窓からは朝の光が差し込み、埃の粒が舞っているのが見える。部屋の隅には小さな机と椅子があり、整然と畳まれた布と木製の食器が置かれていた。
「ここは……」
声を漏らすと、傍らで椅子に座っていた女性が微笑んだ。小柄で愛嬌のある顔立ちだが、左手の薬指には銀の指輪がきらりと光っている。
あ、既婚者だな――ちょっと冷めた。
彼女は俺の戸惑いなど意に介さず、さらっと立ち上がる。その仕草は落ち着いていて、慣れた人の動きだった。
「薬草茶をどうぞ」
湯気を立てる茶碗が差し出される。立ちのぼる香りが鼻から喉へと抜け、思わず深呼吸してしまう。
「結構寝てたな、大丈夫か?」
もうひとつの声。男の声だ。どこかで聞いた覚えがある。
「あの、もしかして俺を助けてくれた人ですか?」
「まぁ、そうなるな」
振り返ると、そこに立っていたのは細身ながら鍛え抜かれた剣士だった。余計な動きが一切なく、ただ立っているだけで空気が張りつめるほどの存在感。
しかも、その顔には見覚えがある。初めてギルドを訪れたとき、すれ違った青年だ。
「あの森は最近、魔物の様子がおかしいって言われててね。ギルドの指示で様子を見に行ってたんだ。……無事でよかった」
彼は少し不満げに、ギルドへの愚痴を漏らした。
「ありがとうございます。お名前を伺っても?」
「僕はランス。よろしく」
ランス――。名前までカッコいいのかよ。俺ももっとヒロイックな名前にしとけばよかった。自然体の笑顔に安心感を覚えるが、その奥にどこか影が潜んでいるのを感じ取った。
「君は?」
さすがに「ランス」と答えるわけにはいかない。仕方なく、偽造ギルドカードに記された名を名乗る。
「レイジです」
「仕事のランクは?」
「1です」
ランスはうなずき、再びギルドに小言を言いつつ、俺に忠告をくれる。
「初めてなら、誰かとチームを組んだ方がいい。不測の事態に備えられる」
確かにギルドには個人依頼とパーティ依頼がある。俺が個人を選んだのは……強さではなく単純に、一緒に参加してくれる友人がいなかったからだ。心にちくりと刺さる。
「もし良ければ、次のミッションは僕たちと一緒にどうだい?」
ランスは自然に提案してくれた。ありがたい。俺は途中で放り出した依頼をキャンセルし、ランスと共に新しい任務を受けることにした。
ただ、不安もあった。
ひとつは「僕たち」と言ったこと。看病してくれた女性だけならいいが、怖い兄貴分みたいなのがいたらどうしよう。
もうひとつは、以前ランスが「仕事をやめようか」と口にしていたこと。あれは何だったのか。
疑念を抱えながらも、ランスと街を歩く。もうすでに3回目、道も覚えていた。
やがてギルドに到着すると、ランスは「少し用事がある」と離れていった。残された俺は掲示板に向かい、依頼書の束をめくる。難易度が低そうなものを吟味していると――。
「俺は行かねぇよ!!」
怒声が背後から叩きつけられた。酒臭い息、バンと机を叩く音。振り返ると、熊のような体格の大男が立っていた。その隣にはランス。
周囲の冒険者が一瞬で静まり返る。グラスを持ち上げかけた手が止まり、カード遊びの札が宙で凍った。
「まぁそう言わずに。困ってる人は助けたいだろ」
「遊びじゃねぇんだ」
険悪な空気の中、大男は俺を睨みつけてずかずかと近寄ってきた。床板がみしりと鳴り、まるで地震でも起きたような迫力だ。
「ランスから聞いた特徴だと……お前だな。組みたがってるって奴は」
黒曜石のような瞳に射抜かれ、喉がごくりと鳴る。叫びたい。「お前とは組みたくない!」と。だが声は出ない。
「初心者に構ってる暇はねぇんだよ。分かったら家に帰れ」
ごつい指でこめかみを小突かれる。シンプルに痛い。酒と汗の混じった匂いが肺の奥にまで入り込み、吐き気が込み上げた。
「やめろ!」
ランスが割って入る。救世主。だが大男は舌打ちし、渋々引いた。
「勝手に行けよ。ただし俺たちに迷惑かけんな」
吐き捨てて去っていく。
酒場はざわつき、奥の冒険者たちは「またか……」「ラウドが暴れてる」とひそひそ声を漏らした。受付嬢は慣れた手つきでグラスを並べ直し、店主は眉間に皺を寄せる。どうやら日常茶飯事らしい。
さらに新米らしき冒険者二人組が小声で「怖……」「俺らも絡まれたらどうする?」と震えていた。――いや俺も怖いわ!
残ったランスは雑巾を借り、黙々と酒を拭き取る。
「あ、俺も手伝います」
「ごめんね、ありがとう」
片付けが済むと、ランスが説明してくれた。
「彼はラウド。僕たちのパーティでタンク役をしているんだ」
「迫力がすごい人でしたね……」
「悪い人じゃない。ただ、昔恋人を魔物に殺されてね。リスクを背負いたくないんだ」
なるほど。事情はあったのか。……けどあの横暴ぶりは普通にムカつく。
「もう一人仲間がいるけど、その人にも断られてしまってね。仕方ない、二人で行こうか」
「ランスさん、どうしてここまでしてくれるんですか?」
疑問を口にすると、ランスは真っ直ぐに俺を見つめた。
「君、魔力ないだろ」
――心臓が跳ねた。背筋に冷たいものが走る。
「な、何を……」
誤魔化そうとするが、ランスの眼差しは鋭く笑っていなかった。
「剣がすぐ折れただろ。普通は誰でも少しは魔力を剣に乗せる。無意識にね」
魔力ゼロだからこそ、漏れ出すこともない。それを見抜かれてしまった。
「この世界では剣士も魔力を使って攻撃力を高めているんだ」
――今「この世界では」って言ったよな?
「君、魔力ゼロなだけじゃなくて……転生者だろ」
ドクン、と血が耳の奥で鳴る。
バレてるぅぅぅ\(^o^)/
こうして俺の異世界生活は幕を閉じることになった——
「いや、だからって君をどうこうする気はない。ただ、今は転生者へのヘイトが強い。隠した方がいい」
助言はクランツ爺さんと同じだった。
「人も増えてきたし、続きは道中で話そう」
俺はランスと任務の申し込みをし、街のはずれへと向かった。ちなみに壊れた剣は弁償させられた。くっそークランツから貰った小瓶の魔力を最初に弁償で失うことになるとは……もう剣士やめよっかな。
「それで、さっきの話だけど」
道中、ランスがふいに切り出す。
「弁償のとき見たけど……君、小瓶を持ってるよね?」
「はい。知り合いから貰いました」
ランスは安堵の笑みを浮かべる。
「魔力小瓶は生成が難しい。会計所くらいにしか置かれていない。持ってるだけでも珍しいんだ」
ありがとうクランツ。そんなレア物だったとは。
「一度、その小瓶を僕に預けてもらっていいかな?」
ニッと笑った次の瞬間、鞘から抜かれた剣が俺の胸元に滑り込んだ。
冷たい金属が皮膚をなぞり、血の音が耳の奥でドクンと鳴る。指先がじわじわ痺れていく。
――は!?
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