03 初仕事は勇者として
街へ向かった俺は、まず仕事を探すことにした。
クランツから譲り受けた小瓶があるとはいえ、いつまで持つかは分からない。だからこそ、まずは生計を立てることを優先したかった。
街を出る前、クランツからきつく釘を刺されていた。
「魔力ゼロは危険じゃ。差別されるし、身元を疑われる」
その声は珍しく重く、俺の心臓にずしんと響いた。
「……そして何より、」
続く言葉はさらに重かった。
遠く離れた街に転生した勇者がいるらしい。しかも、ただの勇者じゃない。彼は魔力だけでなく身体能力までも規格外に高い。
「どうやらかなりの暴君で、魔物は討伐するが周りの剣士も全員殺すと言われている」
……いやいや。魔物を倒すのは分かるけど、人間もまとめて処理するってどういう理屈だよ。
一瞬でも勇者に憧れた自分を殴りたい。人も魔物も区別なく斬る勇者――そんなの想像しただけで背筋が冷えた。
「この世界に転生者は多くない。今、疑いの目が集まっている状況でお主の存在がバレると危険じゃ」
確かに。もし「疑わしきは罰する」がこの世界のルールなら、俺は生まれて速攻で詰みゲーだ。まあ、半分以上はその悪勇者のせいなんだが。
「ひとまずお主の身元は偽造しておいた」
「まじっすか」
クランツ、そんなことまで出来るのか。やっぱり強キャラやな。
ギルドカードを手渡され、部屋を出る前にちらっと覗いたら、机の上には『魔力による身元偽造』『ギルドカードのつくりかた』なんて怪しげな書籍が山積みされていた。どうやら徹夜で勉強したらしい。
……ありがたいけど、初心者お手製の偽造カードって逆に危ないのでは? 俺は心強さと不安の両方を抱えつつ街へと向かったのだった。
街に入ると、前回来たときよりも人通りが多く感じた。屋台の呼び込みの声、鍛冶屋の金属音、どこからか漂う焼き肉の香ばしい匂い。
異世界だってのに、妙に現実味があって腹が鳴る。……いや、だからこそ仕事を探すんだって。
まず向かったのはギルド。仕事といえばここが鉄板だ。前回来たときに大まかな仕組みは把握してある。
掲示板に近づくと、冒険者らしき連中が群がっていた。鎧を着た屈強な男、ローブを身に纏った女、そしてどう見ても酔っ払いのオッサンまで。やはりここは人生の縮図か。
掲示板には、職業別・ランク別の仕事がずらりと貼られていた。ランク1、初心者向けの依頼は意外と豊富だ。荷物運びや街の掃除、魔物素材の収集……。
だがやっぱり目を引くのは「勇者の仕事」。とはいえ内容は勇ましい討伐ではなく、アイテムを取ってくるお使い系だった。
少し迷ったが、勇者の肩書きはやっぱり気になる。俺は依頼用紙を一枚抜き取り、受付へと向かった。
「いらっしゃいませ」
受付嬢がやっぱりかわいい。栗色の髪をサイドでまとめ、笑顔を浮かべる仕草がやけに眩しい。危うく口元が緩みそうになるが、必死に精神を正す。
「これでお願いします」
俺は用紙とギルドカードを差し出した。受付嬢がカードを眺める。その視線が妙に鋭く感じられて、俺の鼓動は早鐘を打った。
これは可愛いからのドキドキじゃない。俺の異世界生活がここでバレるかもしれない、命がかかったドキドキだ。
「承知しました。初めての仕事ですね。では、ルールをご説明いたします」
助かった……! 俺は胸をなでおろした。
受付嬢が合図すると、中から男性職員が現れる。
「ご案内いたします」
……チッ男かよ。いや、別にいいんだけど、テンションの上下が激しい。案内されたのは小さな会議室のような部屋。机の上に広げられたのは地図だった。
異世界の地図を生で見るのは初めてだ。意外と分かりやすく描かれていて、今回の仕事場所――スアロの森――の周辺は平地が広がっていた。
「今回はスアロの森に行っていただきます」
職員が指差した瞬間、その表情が一瞬だけ固まった気がした。気のせいだろうか?
だがそれよりも俺は驚いた。示された場所は、以前服(巨大な葉っぱ)を探しに行ったあの森だったからだ。
「どうかいたしましたか?」
「い、いえ何も」
危ない危ない。うっかり口を滑らせるところだった。勇者未経験の新米が森に行ったことあるなんて言えば、設定が破綻する。俺は街育ちのはずなのだ。
説明が終わると、ギルド裏のレンタルルームへ案内された。暗がりの中、服や防具が所狭しと掛けられている。
「ここはレンタルルームです。役職に合わせた服を自由にお選びください。業務後はご返却をお願いします」
「あの、料金って」
「無料です」
わかってるなぁ、ギルド。さすが俺が目をつけただけある。……まあ、逆に目をつけられないよう注意もしなきゃいけないけど。
俺は勇者っぽい服に着替え、スアロの森へ向かった。途中、忍者走りをするか一瞬迷ったが、さすがにやめた。普通に歩いて行こう。
スアロの森に着いた瞬間、空気が変わったのを感じた。以前来たときよりもずっと重く、冷たい。そういえば職員が言っていたな。
「スアロの森は気候条件によって大きく姿を変えます。危険を感じたら、すぐに戻ってくださいね」
……フラグ臭しかしない。まぁ、行くんですけどね。俺は自信を持って森へ足を踏み入れた。
だがすぐに違和感が肌を刺した。
暗い。頭上は厚い樹冠に覆われ、昼間なのに薄闇が広がる。霧が地を這い、不気味な静寂が森全体を支配していた。前回の穏やかな雰囲気とはまるで別物だ。
振り返ると、出口がない。一本道だったはずなのに。森そのものが俺を飲み込もうとしているようで、鳥の声も虫の音もない。ただ――。
「グルルル……」
低いうなり声が響いた。背筋が凍る。出口は消えた。もう進むしかない。
「ガルルルル……」
声が近づく。
勇者服と一緒に剣も借りてきたが、どう考えても使いこなせない。とりあえず距離を取ろうと、そっと足を進める。だが背後から迫る獣の息遣いが、土の匂いと混ざり合い、嫌にリアルだった。
パキッ。
小枝を踏んだ瞬間、空気が弾けた。
「グォォッ!」
飛び出してきたのは巨大な狼。体高は胸の高さ、金色の瞳がギラリと光る。
……よし、名前は狼ちゃんだ。いやいや、悠長に名前つけてる場合じゃねえ!
「どうすりゃええんやぁぁぁ!!」
俺は全力で走り出した。
だが出口は見えない。走っているのか、走らされているのかすら分からなくなる。
「グアァッ!」
先回りされた。狼ちゃんが目の前に立ちはだかる。足が止まり、膝が崩れた。
ジリジリと距離を詰める狼ちゃん。俺は覚悟を決め、腰の剣を抜いた。
あと三歩、二歩、一歩――。
「グォォ!!」
来た! 俺は渾身で剣を振り抜いた。
「グルルルル」
「え?」
……折れた。毛皮に当たっただけで、剣がボキリと折れた。
詰んだ。俺の異世界生活、ここでエンド。サナの両親を探す夢も、名誉やら女やらの欲望も、全部未練になって消えていく。
目を瞑った、そのとき――。
「今助けるぞ!」
幻聴か? いや、確かに聞こえた。クランツでも職員でもなく、サナでもない声。だがどこかで聞いたことがある。
俺は目を開けた。狼ちゃんの顔が、キスしそうなくらい近くに迫っている。殺意に満ちた瞳。爪が振り下ろされる――その刹那。
白い閃光が走り、世界を切り裂いた。轟音が鼓膜を揺さぶり、俺の視界を飲み込む。
その瞬間、何かが俺と狼ちゃんの間を駆け抜けた。
だが正体を確かめる前に、俺の意識は暗闇に沈んだ。
お読みいただきありがとうございます!
次回、謎の声の正体が明らかに!