Final 辞めたくなったら俺を呼べ
「はぁっ……はぁっ……」
放った瞬間、体からすべての力が抜け落ちた。
受け身を取る余力もなく、俺はそのまま地面に突っ伏す。衝撃が傷だらけの体に沁みて、それだけで激痛となった。
今度こそ、タツキを撃ち抜いたのは確かだ。
攻撃が奴の体を貫いた直後、周囲に張り巡らされていた氷が一瞬にして溶け、水となって地面へと流れた。魔法が切れた――すなわち、タツキが意識を失った証だ。
安堵が胸をよぎる。しかし同時に別の重みが圧し掛かる。
そう、俺は明らかにランスを巻き込んだのだ。あの威力をまともに浴びて、無事なはずがない。
けれど……あのとき、タツキの足を最後まで押さえていてくれたのはランスだった。あの支えがあったからこそ俺は狙いを外さず撃ち抜けた。
つまり――ランスは……。
ブクブクブク……
水泡が立ち上る音が耳に届いた。タツキが立っていた場所、その足元から。ランスだ!
「ランス……!がはっ」
思わず叫ぶ。肺に激痛が走り、それ以上の言葉が出せない。だがランスが生きていることに安堵する暇などなかった。引き上げなければ――明らかに溺れる。
くそっ、体が動かない。限界を超えていたらしい。手を伸ばそうとするが、震えるだけで指先すら届かない。このまま……ランスが死ぬのを見ているしかないのか。
「ランス!」
俺の声じゃない。力強く響く声が横から駆け抜け、次の瞬間、俺の目の前を影が横切った。
ラウドだ。
「おりゃあっ!」
水面に飛び込み、泡の中に腕を突っ込む。そのまま力任せに引き上げ――
「ゲホッ……ゴホッ、ゴホッ……!」
水を吐きながらランスが姿を現した。ラウドがしっかりと抱え込み、地面に横たえる。
だが、ランスの腕……片方が、肘から先ごと消えていた。
それでも――まだ息をしている。その事実に、堪えきれず涙が溢れた。
「よくやったな。お前のおかげで勝てたんだ」
ラウドが俺の前に腰を落とし、真正面から言った。その瞳に偽りはない。
誇り高い戦士の言葉に、胸の奥が熱くなる。けれど同時に、照れくささも込み上げて、感情がごちゃ混ぜになっていく。
……いや、それどころじゃない。俺、意識が遠い。マジでヤバい。
「レイジさん!」
駆け寄ってくる声。フィオナだ。
え、待て……彼女も致命的な傷を負っていたはずでは? 俺はもう死んで、今見ているのは天国か?
「よかった、無事で!」
フィオナに続いて、背後からジャムが駆けてくる音。いやいや、これは間違いなく死んだな。俺。こんなにみんな揃って元気なんて。
「ミゼル、頼む!」
ラウドの声。背に何かが触れると、じんわりと温かさが流れ込んできた。痺れていた神経がつながり、感覚が蘇る。
「はぁっ……まだ完全回復じゃないから無茶しないでよ!」
ヒーラー魔法。ミゼルだ。喉の奥に詰まっていた鉛のような疲れが溶け、俺は声が出せるようになった。
「……ありがとう、ミゼル」
少し喋っただけで口の傷が引きつる。それでも声を出せるだけで十分だった。
ミゼルはそのままランスにも手をかざす。治癒の光が傷の断面を覆い、彼女自身が倒れ込みそうになるところをラウドが支えた。
「ミゼルがいなければ、今ここにいる半分は死んでいたな」
ラウドが思わず呟く。誰も否定しなかった。
「ミゼルさん……他の人って?」
「アーノルドとユキって人は気絶してるだけ。身体が頑丈みたい」
さすがはゴールドランク冒険者か。
だが、もう一人――口にするのも辛い。
「……グレゴリーさんは」
「ごめん……間に合わなかった」
ミゼルの答えに、皆が黙り込む。
そうか。分かっていたことだが、改めて突き付けられると苦しい。
「墓は豪華に作ろう。あの人のおかげで勝てたんだ。絶対に忘れない」
俺の言葉に、誰もが頷いた。
「ランス、さっきは巻き込んでしまって――」
俺はランスの方へ向き直る。
「何を言ってるんだい。あれで倒せたんだ。僕も、最後はそれを狙っていたんだから」
ランスは穏やかに笑った。腕は失ったが、その目に後悔はなかった。
「前にフィオナが風魔法で押し下げていただろう? あれを水で応用したんだ。体ごと沈めて、攻撃に合わせて戻る。骨は何本か折れたけどね」
そう語るランスの声に、改めて命の重みを感じる。全員が、ギリギリで噛み合って勝利を掴んだのだ。
「レイジ、皆! 大丈夫か!?」
俺たちを呼ぶ声。駆け込んできたのはコルアだ。背後には村人たちが続いている。
コルアは余計な詮索をせず、まず救助を優先した。村人たちを指揮して素早く撤退準備を整え、俺たちは隣町へと運ばれていった。
目が覚めたのは三日後の夜。
ベッドに横たわったまま、窓の外に灯りが揺れているのが見えた。
「……レイジが目を覚ましたぞ!」
誰かの声が響く。起き上がろうとしたが、体が包帯でがんじがらめになっていて、痛みに呻くしかない。
「よかった、レイジ」
ランスが差し伸べてきた手を取る。……ん?
「あれ、ランス。大怪我してたはずじゃ?」
「レイジ君は異世界人だからか、回復魔法が効きにくいんだ。僕はこの通り、もう全快さ」
そう言うと、他のメンバーも続々と顔を見せた。フィオナもジャムも、ミゼルも――全員が元気に立っている。なんだこれ、俺だけハンデ戦じゃん。
「こっちには回復役が多いからね。今は安心して療養して」
ミゼルの言葉に、思わず苦笑する。
だが、蘇生は出来なかった。
俺はランスに肩を借り、グレゴリーの墓へと向かう。そこにはすでに一人の女性がいた。フレイル――グレゴリーの妻だ。
「フレイルさん」
「レイジさん……無事でよかった」
彼女の目から涙が零れる。旦那を失ってなお、他人を案じる。その強さに胸が痛んだ。
「守れなくて、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。ランスたちも並んで同じように頭を垂れた。
「顔を上げてください。……きっと彼は、最後まで活躍できた。それが望みだったのだと思います」
フレイルの言葉に救われる。墓石が、微笑んでいるように見えた。
俺たちは決して忘れない。グレゴリーの名を、功績を、ずっと残していく。
墓前を後にし、村の広場へと向かう。そこでは大きな焚き火が上がり、祭りのような熱気が広がっていた。
「部屋から見えた灯りはこれだったのか」
「お祭りさ。皆、レイジが目覚めるのを待ってたんだよ」
俺が一歩踏み出すと、村人たちが一斉に歓声を上げた。
「ありがとう!」「お前のおかげだ!」
胸の奥が熱くなる。退職代行を始めてよかった。人と人を繋ぐことが、こんなにも力を持つのか。フィオナは屋台で忙しく立ち働き、ジャムは子供たちに取り囲まれていた。皆が楽しげに笑っている。
そんな中、俺は仲間たちに声を掛けた。
「ちょっと、俺ひとりにしてくれる?」
「分かった。でも無理はしないで」
そう言い残して仲間たちは散っていく。俺は祭りの外れへと歩いた。
そこにはアーノルドとユキがいた。荷物をまとめ、今にも旅立とうとしている。
「アーノルドさん、ユキさん」
声を掛けると、二人は驚き、深く頭を下げた。
「レイジさん……無事で何よりです。そして、申し訳ございませんでした」
俺が回復するのを見届けてから去ろうとしていたらしい。律儀な二人だ。
「頭を上げてください。ただ……もし本当に申し訳ないと思っているなら、一つお願いがあります」
「……えっ?」
「それは……」
二人は困惑する。だが、ここで引くつもりはなかった。
「今はとりあえず、美味いもんでも食べて行きましょうよ」
俺は二人を焚き火の輪へと連れて行った。祭りはその後、十日間も続いた。
「じゃあ、行ってきます」
体調が戻った俺は、アーノルドとユキを連れて街を出た。ランスたちも同行を申し出たが断った。サナとの再会は、できる限り少人数で臨みたかったからだ。
「それにしても、本当に行って良いんでしょうか……」
道すがら、アーノルドが不安げに呟いた。本意ではなかったにせよ、タツキのもとで多くの人を傷つけてしまった。その事実が胸に重くのしかかっていた。
ユキも同じだった。タツキが倒されても、手放しに喜ぶことができないでいた。
「だからこそ、行くんですよ」
俺の言葉に二人は首をかしげた。空になったクランツの小瓶を取り出し、俺はつぶやく。
「確かに、あなたたちの行動は許されないかもしれない。でも、辞めることはできた。仕事を辞めた人は、みんな一度は家に帰るんですよ」
どんな悪人だろうと、サナが喜ぶのは明らかだ。その顔を見たかった。その後は三人で話し合えばいい。もし距離を置くと決めても、俺が止める権利はない。
「着きました。ここです」
タツキとの戦いの前、クランツとサナも街から離れていた。すでにかなり日数が経っている。2人が無事なら、この家にいるはずだ。
(お母さんが愛した家なの)
サナは出会ったときそう言っていた。あんな小さな少女に、もう「過去形」を使わせたくはない。俺は覚悟を決めて扉に手を掛けた。
「開けますよ?」
後ろで二人が頷く。不安と期待が入り混じった表情だ。それでも俺は、扉を開けた。
「……あ、レイジさん! おかえりなさい! おじいちゃーん、レイジさんが戻ってきたよ!」
「ああ、ただいま」
「どうしたの? 早く入って来て……え?」
アーノルドとユキに気づいたサナは言葉を失った。透き通る瞳にみるみる涙が溜まっていく。
「ただいま、サナ」
「待たせてすまなかった」
二人の言葉を聞くや否や、サナは目に涙を溜めて駆け出した。
「うわぁぁん!!」
三人が抱き合う姿を邪魔しないよう、俺は静かに家の中へ入った。
奥の部屋にはクランツがいた。いつもと変わらぬ様子だったが、その顔はどこか糸が切れたように安堵していた。
「レイジ君、タツキを倒したんだってね。噂で聞いたよ」
「ええ、なんとか。みんなのお陰ですよ」
「サナの泣き声が聞こえるが、もしかして……」
「はい、アーノルドさんとユキさんです」
「そうか……」
クランツの目からも涙が零れた。ユキは彼の娘で、アーノルドは婿にふさわしい男だったと、嗚咽まじりに語る。会いに行くよう勧めたが、クランツは首を振った。
「今はサナの時間じゃ。儂は後で話せばいい」
「……分かりました」
その後、頼まれて冒険の顛末を語った。クランツは丁寧に耳を傾け、メモまで取っていた。
真剣に聞いてくれる姿に感心したが――後日その記録を本にして売り出し、俺が激怒するのはまた別の話だ。
「これ、あのときの生活費です。急なこと続きで渡せずじまいでしたが……」
「良いんじゃよ。ありがとう」
遠慮するクランツに封筒を渡したところで、サナたちが戻ってきた。
「レイジさん、本当にありがとう!」
涙で目を腫らしたサナは、それでも笑みを浮かべていた。アーノルドもユキも、涙の跡を残している。
「ユキ、おかえり」
「……ただいま、お父さん」
父娘は抱き合う。力の強いユキに潰されそうなクランツを見て、思わず苦笑する。
「お義父さん、ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
アーノルドは土下座しそうな勢いで謝ったが、クランツは片手で制した。
「君も疲れただろう。アーノルド君、ユキ。またサナと一緒に暮らしてほしい。この老いぼれの願いをかなえてくれんか」
顔を見合わせた二人は、戸惑いながらも頷いた。これで、この家族の絆が途切れることはないだろう。
「レイジさん、もう行っちゃうの?」
「うん、街の復興を手伝わないと」
住人たちは戻り、破壊された街の修復が進んでいる。休むよう言われても、ランスの人の好さに押され、俺たちも結局手伝わされる羽目になった。きっとラウドたちも汗水垂らして働いているはずだ。
「またすぐに遊びに来るよ」
「いや、今度はこちらから行こう」
奥から出てきたクランツは、もう俺の背中にへばりついていなかった。
「ここにいる理由もなくなった。街に家を買おうと思っておってな」
なるほど、アーノルドたちと話していたのはそれか。なら前よりも頻繁に会える。修理が終わったら事務所にも案内しよう。
「ではまた!」
四人に手を振り、街へ戻った俺は思わず息を呑んだ。すでに街並みの八割方が復旧していたのだ。魔法の力を使えば作業効率が上がるのは分かるが、それにしても速すぎる。
「お、どこ行ってたんだい!」
遠くから声をかけてきたのは元女将のハーレント。その周りには屈強な男たちが何人も集まっていた。
「えっと……何を?」
「何を? じゃないよ! あんたも手伝いな!」
問答無用で俺は男衆に混じり、瓦礫の運搬や材木運びといった重労働を任された。……おい、一応は世界を救った英雄なんだが?
「……あの、他の作業に変えてもらえませんか」
限界を迎え、かすれ声で訴えると、ハーレントは深いため息をついた。
「まったくしょうがないねぇ。じゃあ、街の見回りでもしてきな」
ようやく自由を得た俺は、復興した街を歩くことになった。最初からこれでよかったのに。
「レイジさん!」
振り返ると、元気いっぱいのフィオナが手を振っていた。カフェも完全復旧し、彼女は忙しそうに店内を走り回っている。
「フィオナも元気そうで安心したよ」
「はい! また楽しく働けます!」
初めて会ったときの控えめな彼女はどこへやら、今や眩しいくらいに活発だ。駆け回る姿は天使そのもの。
……が、それ以上に俺には伝えたい言葉があった。心臓がやたらと騒ぐ。
(今なら……行ける!)
「フィ、フィオナ!」
「はい?」
振り返ったその瞬間、俺は覚悟を決めて叫んだ。
「俺は……すき、だ!」
「え……あ! すき焼き定食ですね!」
「……は?」
フィオナは満面の笑みで厨房へ駆け込み、マスターに「レイジさんがすき焼き定食頼んでくれたー!」と報告。
やがて運ばれてきたのは――見慣れた、まさに日本のすき焼き定食。
「なんでここにすき焼きが……?」
「実はマスターの考案なんです」
奥から現れたのはカフェのマスター。どこか見覚えがある顔だ。
「あの、どこかで……?」
「さぁ、もしかしたら出会ってるかもしれませんねぇ。前世だったりして」
「ちょっとマスター! レイジさんに余計な事吹き込まないでください!」
軽口を叩くマスターに、フィオナが慌てて突っ込む。……俺はすき焼きを口に入れ、確信した。
(あのおじさんだ……! ナイフ男の次はマスターとして転生してたのか!)
フィオナと楽しげに並ぶ姿に、俺の心に炎が燃え上がる――復讐の炎だ。
次回から新番組、暗殺者レイジがスタートするよ! そんな冗談を心の中で呟きつつ、俺はすき焼きをかっこんだ。
「おお、レイジ!」
店を出た後、声をかけてきたのはランス。彼は建築の指揮を執っていた。相変わらず何でもできる奴だ。
「アーノルドさんたちは?」
「無事に再会できたよ」
一通り仕事が終わったので、ランスの提案でハーレントへ報告に行くことになった――が、彼女は人混みの中で倒れていた。
「ハーレントさん!」
駆け寄った俺に返ってきたのは怒声だった。
「コラァ! ぎっくり腰だよ!」
……なんだ、そういうことか。文句を言いながら運ばれていく彼女を見届け、俺とランスは散歩に切り替えた。
「やっぱり寂しいな。君と離れるのは」
ランスは石を蹴りながら呟く。俺も同じ気持ちだった。ギルドカードの再発行も終わり、ランスは教師として働くことになったのだ。
「君がいなければ大変なことになっていた。本当にありがとう」
「こちらこそ。お前がいなきゃ俺なんかとっくに死んでたよ」
夕日が沈む街を眺め、互いに感謝を交わす。半年にわたる日々が終わろうとしていた。
「……終わったな」
「そうだね」
短い会話の中に、全ての想いが込められていた。そのとき、ランスが切り出した。
「ところで、タツキの最期、見たかい?」
彼から抜け出ていた黒い塊――俺も気づいていた。邪気のようなもの。
「もしあれがまだ残っているなら……」
「いや、俺はやらないぞ!?」
慌てて遮ると、ランスは肩を落とした。まずい、このままだと本当に一人で調べに行きかねない。
「……まぁ、もし被害が出たら調べてもいい……かもしれない」
「そうか!」
満面の笑みに、俺は頭を抱えた。祈るしかない。頼む! どうか平和でいてくれ……!
「おお、探したぞ!」
遠くからラウドの声。ミゼルやコルア、ジャムまで一緒だ。
「もうすぐ復興記念祭が始まるから、迎えに来たんだ!」
「え、またやるんですか!?」
十日間ぶっ通しでやったのに、どれだけ祭り好きなんだこの世界の人間は。
「で、二人で何を話してたんだ?」
「それは――」
「うわー! 祭りめっちゃ楽しそうだな! 早く行こうぜ!」
余計なことを言わせまいと、俺はランスの腕を引っ張り、街の喧騒へと駆け出した。
最後までお読みいただきありがとうございました!! 10万字を超える大作を書くことが出来て感無量です(´;ω;`)
レイジたちの物語はこれで一度終幕ですが、彼らの冒険は続いていきます。また新たな小説でお会いしましょう!
高評価や感想をいただけると今後の励みになります! これからも頑張って行きたいのでよろしくお願いします!




