22 影
「レイジ……お前だけでも逃げ……がはっ!」
ラウドが呻き、一瞬で地面に崩れ落ちた。影から現れたのはアーノルド。目を逸らさず、無言でこちらへ歩みを進めてくる。手刀が俺の首を襲う手前で、俺はある少女の名前を呟いた。
「……サナ」
その名を口にした瞬間、アーノルドの手刀がピタリと止まる。彼の目に宿ったのは怒りでも嘲りでもなく迷いだった。
ユキに押さえ込まれていたミゼルも咳き込み、解放されたらしい。どうやら俺の一言で二人の動きが止まったのだ。
彼は唸るように言葉を吐き出した。
「なぜ……その名前を知っている」
「昔、世話になってね。あなたたちに会いたがってた」
アーノルドは全身を硬直させ、動こうとする体を無理やり押しとどめているかのようだった。やがて低く告げる。
「今すぐ、こいつらを連れて逃げろ。息の根は止めていない」
「待ってくれ、これは一体……」
言い終える前に、森全体が軋むほどの風圧を残して2人は掻き消えた。とても人の速さではなかった。
風が止んだ後も、膝の震えだけはどうしても止められなかった。俺は逃げることを優先した。まだ動けるミゼルと協力し、ラウド達を連れて森の入口へと急いだ。
「大丈夫か!?」
森の外ではランスが待っていた。俺が小瓶の中身を使い果たしてしまったせいで連絡が取れなくなり、心配で来ていたのだそうだ。
ひとまずランスの手も借りながら、俺たちは事務所へ怪我人を運んだ。
「うぅ……」
「……ここは?」
手当ての甲斐あって、3人は無事に目を覚ました。攻撃はあったものの、すべてが急所を外れておりわざと生かしてくれたのは明らかだった。
「それで、何があったのか教えてくれるかい?」
俺が森での出来事を語ると、ランスは顔を険しくし、腕を組んだ。
「……にわかには信じがたいけど」
ランスは無理やり自分を納得させた。そして何か言うのを躊躇うように、口をつぐんだ。
「ランス、何か知っていることがあるなら教えて欲しい」
「そのアーノルドとユキという人、僕の知っている限りでは最強と言われる勇者だ」
只物ではない。もちろんそれは俺も会って感じていたが、まさかそれほどだったとは。
「レイジ君の言葉がなければ、君たち5人は一瞬で消されていただろう。もし万全の状態でも、10秒持てばいい方だ」
ランスの言い方に、治療途中のラウドが腹を立てて突っ込む。
「おいランス、俺たちを舐めてるのかよ! これでも頑張ってシルバーに……」
「僕が居ても同じことだ! 彼らはゴールドランクの最上級、到底太刀打ちできる相手ではない」
ランスが声をここまで荒げたのは初めてだった。その怒号に、事務所は静かになる。
「それよりも僕は、彼らを従える者がいるということに驚きだよ」
「ランスは、タツキという名前に心当たりはある?」
「いや、聞いたことが無いな。しかし君たちの話を聞くに恐ろしい力の持ち主のはずだ」
ひとまずアーノルドとユキは俺たちを逃がしてくれた。それにはきっと何か意味があるはずだ。
「何はともあれ、皆が無事でよかったよ」
「あ、そうだレイジ。俺たちの刀返してくれよ」
「あぁ確かに、どうぞ」
俺はラウドとジャムに剣を返した。既に邪悪な気配は消え失せており、2人の手に馴染む元の剣に戻っていた。
「そうだ、剣についてヒントをくれたっていうジェファーさんの依頼がまだ解決していなかったね」
ランスが思い立ったように言う。そうだ、俺たちは退職代行屋。まずは残っている依頼を解決しなければ。
「ランス、それについて少し気になることがあるんだけど……」
俺はランスに作戦を告げ、関係者を集めてもらった。
「お待たせしました。うまくいきました?」
チャイムを鳴らして事務所に入ってきたのはポーランだった。明るい表情だったが、入ってくるなり顔をしかめる。
そこには俺たちだけでなくジェファー、そして彼の先輩弟子たちが大勢集まっていたのだ。
「あの、これは一体?」
「ポーランさん、俺は少し前にジェファーさんの工房で、兄弟子の方々と話をしました。そのときに……」
俺は工房の前で聞いた兄弟子たちの声を思い出す。
『師匠に迷惑かけやがって』
『今回は退職代行だとよ』
「ジェファーさんは危なっかしいどころか、今まで以上に元気だと皆が証言していました」
「そ、それは……!」
ポーランの声が震える。兄弟子のひとりが前に出た。
「そうだ、あの人はまだまだ現役だ。嘘並べて師匠を貶めるなんて許せねぇ!」
俺の言葉に、ポーランの兄弟子も付け加える。ポーランは唇を噛みしめ、視線を逸らした。
「僕たちがジェファーさんに会いに行ったとき、わざと彼に懐疑心を抱くようにしましたね」
「剣を投げるのは最近始まった話じゃない。それほど師匠は集中を乱されたくない方なんだ」
「うるさい! 僕は……」
「あなたはその性質を知っていて、わざと僕たちを差し向けた。休憩時間に席を外したのも、兄弟子たちと会わないためですよね?」
俺の追撃に、ポーランは顔を歪める。反論できず、ただ肩を震わせていた。
「ポーランさん、あなたはジェファーさんに文句を言われて腹を立てていた。それで彼を辞めさせることを考えたんだ」
ポーランはバツが悪くなったようにそっぽを向いた。俺が別の要件で彼に会いに行ったのは想定外だったのだろう。
俺はそこで、ジェファーが本当に辞めさせなければならない人なのか引っ掛かったんだ。
「怒られたくらいで師匠に迷惑かけんじゃねぇよ!」
「お前こそさっさと辞めちまえよ!」
耐えきれなくなったのか、兄弟子たちが次々にポーランへと暴言を投げる。ポーランは目も合わせようとしない。
その態度に、彼らは更にヒートアップした。暴動が起こるか? 俺とランスも身構えていた。
「ポーラン、聞きなさい」
今まで黙っていたジェファーが口を開いた。作業場での様子とは異なり、落ち着いた口調だった。
ジェファーが発言すると兄弟子が全員黙った。ジェファーの声は大きくなかったが、その言葉には重みがあった。
「私は君を嫌って文句を言ったわけじゃない。君の剣に対する情熱と技術は賞賛に値するものだ」
「じゃあなんでお前は向いてないって言ったんだよ!」
ポーランは元々、剣を愛しひたむきに努力する青年だった。しかしあまりに情熱的なので叱られることなくここまで育ってきたのだ。
「お前は傲慢になり始めていた。それでは今後どこかで必ず行き詰まってしまう」
「人なんかに頼らなくても僕は……」
「バカモン!! 剣は人を想って作るものだ。お前はそれが分かっていなかった」
ジェファーの一喝でポーランは口をつぐむ。思い当たる節はあったようだ。
「儂も言葉足らずだった。そこは謝ろう。しかし、お前の可能性をこんなことで無下にしたくなったんじゃ」
ジェファーの目は優しい光を灯していた。兄弟子たちは感動して泣いている。こういう人間だからこそ、ここまで沢山の人を弟子に取れるのだろう。
「僕は……っ」
ポーランは言葉を詰まらせた。悔しさに唇を噛み、肩を震わせる。それでも、次に出す言葉は彼の中で決まっていた。
「師匠、僕が間違っていました」
「そうか」
「……またここで、働かせていただけないでしょうか!」
そう言うとポーランは手をつき、深々と土下座をした。おそらく人生で初めてしたのだろう、手の置き方や体勢がぎこちない。それでも、申し訳なさとやる気は伝わってきた。
「顔を上げなさい。また家で雇ってやるから」
ポーランは兄弟子の元へも向き直り、丁寧に礼をした。兄弟子たちはお互いを見やっていたが、1人が口を開いた。
「あれだ、俺たちも強い言い方して悪かった。実力のあるお前に嫉妬してたんだよ」
こうして無事に、形は違えど依頼を解決することが出来た。
「レイジさん、ランスさん、ありがとうございました。騙していて申し訳ありません」
「いや、仲直りできて良かったよ。また職人として働けるみたいだしね」
「何言ってるんじゃ?」
その発言に、全員がジェファーを見た。何を言っているのか、ポーランすら理解できていなかった。
「家で雇うとは言ったが、ここまで迷惑を掛けておいてタダで職人に戻れると思うなよ? 今からお前は使用人として5年雑用をしてもらう!」
「えぇー!?」
「えぇーじゃないわ! ほらさっさと行け! 儂らが戻る前にすべての床を雑巾がけじゃ。終わってなかったら足すからな」
そう言うとジェファーは杖でポーランを小突いた。
「そんなぁー!?」
ポーランは泣きながら工房へと走り出した。兄弟子たちは大爆笑している。俺たちも思わず笑ってしまった。
「弟子が迷惑かけて悪かったな。また遊びに来るといい」
また剣投げられたら嫌だから絶対に行きたくないけど、俺は全力で頷いた。その拍子に、小瓶がポケットから落ちた。
「ん? お前さんそれは?」
「あぁ、小瓶です。ここに魔力を入れてるんですよ」
そうだポーランから報酬受け取ってないな。そんなことを考えているとジェファーが気づかないうちに俺から小瓶を奪い、まじまじと見つめていた。
「あの……」
「しょっぼい小瓶じゃのぉ」
「いや、これ結構珍しいやつで……」
「よし、儂が作り直してやろう。依頼料としてな。代金は要らん」
そう言うと、ジェファーは小瓶を持って行ってしまった。俺はポカンとその様子を見守ることしかできなかった。
「ま、まぁ作り直してくれるならよかったじゃないか」
「……それもそうか」
2日後、ジェファーの工房へ向かうとあわただしく仕事をするポーランの姿があった。
前は金髪だったのに、坊主になっている。反省したのか、無理やり剃られたのかは聞かなかった。俺に気づいたポーランが駆け寄ってきた。
「レイジさん、どうなされました?」
「ジェファーさんに呼ばれていてね。小瓶を受け取りに来たんだ」
「そうだったんですか、それではご案内します」
ポーランに連れられて、俺はジェファーの作業場へと向かう。その途中、何人かの兄弟子とも会ったがポーランが仲良くできていて安心した。扉を開けると……
「かぁぁぁーーーつ!」
また飛んできた。……今、髪の毛切れたよな?
「冗談じゃ」
……投げた後に言うなよ! 俺は全力でジェファーを睨んだが、そんなことには目もくれず奥の棚から小瓶を取り出してきた。
「できたぞ、これじゃ」
出てきたのはピンクの小瓶、蓋にはひも状の装飾が施されている……いや、これ全く一緒じゃん!!
「あの、これ何が変わって……」
「分からんのか?」
「……分かりますよ?」
焦って小瓶を見直すがやはり何の変化も見受けられない。どういうことだ? 俺がジェファーへ向き直すと、何やらニヤニヤしている。
「実は、見た目は変えていないんじゃ」
このジジイ、ぶっ飛ばしてやろうか。まぁぶっ飛ばされるのは俺の方だろうけど。
「中に入れることのできる魔力を増やしたんじゃ。これで今までとは比べ物にならない威力を出せる」
よく分からなかったが、とにかくパワーアップしたことは理解できた。
俺はジェファーに礼を言い、その足でクランツとサナの家へと向かった。思えば暫く帰っていない。
サナの両親のことは、クランツだけに相談しよう。タツキと名乗る男が、クランツの言っていた黒の転生者と同一人物ならそれも聞きたい。
家に着いた。変わらない木の匂いに安心する。不安を覚えながらも、俺は扉を開けた。
「……はいどちらさま……あ、レイジさん!」
すぐに出迎えてくれたのはサナだった。変わらない様子に安心する。それは彼女も同じようだった。俺が無事に帰ってきたことに、飛び跳ねて喜んでいる。
「どうしたサナ……おお! レイジ君か!」
奥からクランツも出てきた。以前よりも白髭が増えたような気がするが、相変わらず元気そうだ。
「お久しぶりです。中々帰れなくてすいません」
「今からご飯なの! レイジさんも一緒に食べよ!」
俺はサナとクランツに、街であったことを面白おかしく話した。一部を除いて。2人は楽しんで聞いてくれた。サナが昼寝に入ったタイミングで、俺はクランツに話しかけた。
「クランツさん、お話しておきたいことがあります」
「何かあるとは思っていたよ、奥の部屋へ行こうか」
部屋に入り、俺はクランツにアーノルドとユキを見かけた話をした。
「……なんと! それは本当なのかね?」
「彼らはタツキと名乗る男に操られていました」
俺はタツキの外見から雰囲気まで、事細かに伝えた。クランツはうろたえる。その様子を見て、俺は確信した。
「前に話してくれた黒ランクの転生者が、タツキなんですね?」
「儂も名前は初めて聞いたが、特徴を聞くに間違いない」
「何か、他に知ってることがあるんですよね?」
「あぁ、すべて話そう。彼は……」
クランツが言いかけた瞬間、爆音が響いた。
「なんだ!?」
急いで窓の外を確認する。すると街が燃えているのが見えた。
「遅かったか……」
クランツの手から湯飲みが落ち、床に茶が広がった。老人の顔は蒼白で、長年鍛えたその手が小刻みに震えていた。
「昨日、近くの街が一晩で滅んだと新聞で読んだ……あれも、タツキの仕業だったんじゃ」
血が凍るような寒気が俺の背を走った。
お読みいただきありがとうございます! 最終章開幕。遂にタツキの攻撃が牙をむく。
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