18 豹変の伝染
「お願いです、夫を助けてください!」
昼下がりの事務所に、必死な声が響いた。彼女の名はフレイル。冒険者として名を馳せた勇者グレゴリーの妻だ。
もう1人の依頼人をランスに任せ、俺は彼女の話を聞くことにした。
「最近、夫がまるで別人になってしまって……」
グレゴリーはかつてゴールドランクの勇者。だが五十を迎えてからは仕事を控え、穏やかに暮らしていたという。
ところが、あるクエストを境に一変。毎日ギルドへ通い、家でも勇者の話ばかり。以前は穏やかだった気性は荒れ、フレイルには手が付けられなくなったそうだ。
「医者に行っても特に異常は見つからず、『疲れでしょう』としか言わなくて……」
深々と頭を下げるフレイルに、俺は力強く答えた。
「任せてください。必ずや旦那さんを元に戻してみせます」
フレイルを見送った俺は考え込んでいた。やはり怪しいのはあのクエスト。そこで何かが起き、グレゴリーは変わってしまったのだろう。
フレイル自身も詳しい内容を知らなかったため、俺はクエストの詳細を調べるためギルドへ向かった。
「……嘘だろ」
記録された依頼は、ただの魔物討伐。内容に問題はない。しかし、驚くべきはそのランク――シルバー。
本来ならランス並みの実力者が四人がかりで挑むレベル。それを、五十過ぎのおじさん勇者が一人で?
グレゴリーの強さに驚きながらも、すぐに向かうべきだと思った。俺は依頼書を手に、受付へと駆けた。
しかし、受付嬢の「ご自身に合った依頼を選んでくださいね」という冷たい一言で追い返され、俺は頭を抱えてしまった。
しょんぼり帰ると、ランスがちょうど依頼人を見送っているところだった。
俺も挨拶を済ませ、状況を聞く。
「そっちはどうだった?」
「職人からの依頼だったよ。弟子のポーランさんだ」
話によれば、ポーランの師匠であるジェファーは著名な職人。だが八十を超え、最近は危なっかしい場面が増えてきた。
弟子としては心配で辞めてほしいのに、本人は聞く耳を持たないらしい。
「そっちも曲者だなぁ」
どうやら俺たちは、揃って厄介な依頼を背負ってしまったらしい。てか退職代行ってこんなんだったか?
俺がギルドでの出来事を伝えると、ランスは真剣な顔をした。
「そのグレゴリーって人、相当な実力者みたいだね」
もし前回のフィオナのように戦う展開になれば……勝ち目はない。ここはなるべく、穏便に話し合いで済ませたい。
「でもやっぱり、そのクエストに何かあるはずだ。明らかにそこからおかしくなってる」
翌日。俺はランスとともに、あのクエストに参加していた人々に話を聞いてみた。その結果は三パターン。
・グレゴリーと同じく、勇者に取り憑かれた者
・全く影響のなかった者
・元々冒険に心酔しており、区別がつかない者
三番目は置いておくとしても、全く影響を受けなかった人がいるというのは意外だった。だからギルドでも大きな問題になっていないのだろう。
実際に話を聞いても「普通のクエストだった」という返答ばかりだった。
「やっぱり内部に行って調べるしかないか……」
そう結論づけつつ、俺はランスを職人側へ向かわせ、一人で思案していた。彼らに何か共通点は無いのか……
「おう、困ってるみたいだな!」
突然肩を担がれ、思わず飛び上がる。聞き覚えのある声だ。
「ラウドさん!?」
振り返ると、そこにはラウド、ミゼル、コルア、そして新顔の青年がいた。
「僕は初めましてですね。ジャムと申します」
「あ、どうも……レイジです」
ミゼルの言っていた新メンバーだろう。ジャムはランスの後釜と言ってもよいほど爽やかな青年で、実力も申し分ないらしい。
パーティーが無事に再編されていることに、俺は安堵した。
「何かあったのか?」
今までの事情を話すと、ラウドは高らかに笑った。
「なるほどな。よし、俺たちが行ってやろう!」
「え! いいんですか?」
外部のパーティーに頼むしかないと覚悟していた俺にとって、これは渡りに船だった。ラウド達なら信頼できる。
「心配すんな! ランスが抜けたあと、俺たちもシルバーに昇格したんだ!」
すげぇ……! 更に努力を積み重ねたんだな、と素直に感心する。ちなみに俺のランクはいまだに緑。
「俺たちはランスの葛藤に気づいてやれなかった。お礼も兼ねて行かせてくれ」
俺は四人に調査の要点を伝え、依頼へと向かってもらうことにした。
4人を見送った後、ランスのいるジェファーの作業場へ向かった。
職人ジェファーの工房はこじんまりしていたが、中からは鉄を打つ甲高い音が響いていた。
「あ、レイジ君こっち」
ランスに呼ばれて裏口から入ると、依頼人ポーランがいた。
「前回はあまりお話できず、失礼しました。依頼内容は聞いています」
「こちらこそ急に依頼してすみません。弟子のポーランです」
天然パーマが特徴の、礼儀正しい青年だった。一緒に奥へ進む途中、ポーランが言う。
「先生は気難しい方なので、無礼のないようお願いします」
ポーランが扉を開けた瞬間、熱気が押し寄せた。ジェファーの工房では剣や装飾を作っているらしい。煙の向こうに老人の姿が見えた。
「こんにちは」
「話しかけるなァァァァ!!!」
挨拶するや否や、ジェファーが猛スピードで何かを投げてきた。何かが頬を掠めそうになる。恐る恐る後ろに目をやると、壁に剣が突き刺さっていた。
「——死ぬかと思ったぁぁぁ!!」
俺たちはポーランに連れられ、慌てて外へ飛び出す。
「どういうこと!? あのじーさんヤバすぎるだろ!」
「すみません、休憩時間に行くべきでした」
……いやいや、明らかにあの爺さんの方がヤバいだろ。
ポーランは別の仕事へ行ってしまったため、俺たちだけで仕方なくジェファーの休憩を待つことにした。
やがて、扉が開き、中からジェファーが出てきた。ポーランはいないため、俺とランスだけで話をすることになった。
「それで、要件は?」
「依頼を受けて来ました。ジェファーさんをお止めしたいんです」
「フン、どうせまた辞めろと言うんだろう」
まるで話を聞く気がない。それでも食い下がる。
「最近困っていることはありませんか? 物を落としたり、忘れたりとか――」
「そんなものはない!!」
ジェファーは怒鳴り、そのまま作業場へ舞い戻ってしまった。すぐに追いかけてこっそり覗くと、すでに鉄を打ち始めている。
「5分も休憩してないぞ!?」
「仕方ない、今日は引き上げようか」
俺たちは工房を後にした。正直、あの爺さんは人間的にはヤバいが、ボケているようには見えない。
ポーランにもう一度確認してみるしかないか……そんなことを考えながら歩いていると、事務所の電気がついている。
すでに日は落ちかけていたが、それに合わせて電気が自動で付く仕組みなどない。誰かが訪ねてきたのだろうか。
だが、戻った事務所は荒らされていた。
「……強盗か?」
「分からない、でも慎重に――」
ランスが言い終える前に、奥から椅子が飛んでくる。あまりに急な出来事で体が対応できない。
「うわっ!」
反射的に目をつぶった瞬間、背後から突風が吹き抜けて椅子を弾き飛ばした。
「間一髪、でしたね」
俺たちが後ろに目を向けると、そこに立っていたのは風魔法を纏うフィオナだった。片手には出前の包み。
椅子が落ち、目に入った光景に俺たちは呆然とした。奥で暴れていたのはラウド、それに新しく剣士として仲間になったジャムだったのだ。すでにコルアはやられてノックダウンしている。
2人を押さえつつ、こちらに気づいたミゼルが大声で呼びかけた。
「ごめんレイジ君! ランス! 止めるの手伝って!」
修羅場の中、訳も分からぬまま俺たちは駆け出した。




