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5. 緑の薬瓶


 ーーーコンコンコン。


 静かな部屋に、重厚な扉を叩く音が響いた。


「アレン様、医者をお連れしました」


 扉の向こうから聞こえる声に、落ち着いた声音で答える。

「あぁ、入ってくれ」


 扉が開き、先ほど門で見かけた執事らしき男性が姿を現した。その後ろからは、白衣のような衣をまとった医師と、薬箱を抱えた助手が続く。二人とも落ち着いた雰囲気をまとい、長年の経験を感じさせる立ち居振る舞いだった。


「では、失礼いたします」


 目の前にしゃがみ込んだ医師は、私の足首にそっと手を添え、靴を外す。途端にひやりとした空気が肌に触れ、じんじんと熱を帯びた痛みが広がった。皮膚は赤黒く腫れ上がり、自分でもただ事ではないとわかるほどだった。


 指先で慎重に押さえ、角度を変えて動きを確かめた医師は、落ち着いた声で告げた。

「軽度の骨折――ヒビが入っていますね」


 思わず息をのむ。レントゲンも何もなしに、どうしてそんなことが分かるの?本当に診察できているのか、不安が胸にじわりと広がった。


「二日ほど安静にしていただければ、すぐに良くなります。こちらで処方するポーションを必ず塗布してください」


 軽やかに言い切られたその診断に、思わず目を瞬いた。2日で完治するわけがない。

 混乱で頭の中がぐるぐるする。けれど、医師はすでに立ち上がり、助手に目配せしていた。


「こちらです」

 助手が箱を開き、小さな瓶を取り出す。透き通った緑色の液体が光を受けてきらめき、神秘的な雰囲気すら漂わせていた。


「これは……?」

 おそるおそる問いかけると、助手が柔らかな声で答える。

「ポーションです。夜寝る前に患部に塗っていただければ、すぐに炎症が引きます。必ず毎日お使いください」


 差し出された瓶を受け取りながら、視線を落とす。小さな容器なのに、不思議な重みを感じた。


「ご苦労だった」

 彼は短くそう言うと、扉は静かに閉じられた。


 残された私は、手の中の小瓶を見つめたまま動けなかった。


 ポーションなんて、ゲームの世界や小説でしか聞いたことない。本当にこんな液体で治るのだろうか。疑問が次々と湧き出して落ち着かないでいると、不意に低い声が降ってきた。


「つけてあげるよ」

 顔を上げると、彼は片膝をつき、私と視線を合わせていた。その指先が、私の手の中でぎゅっと握りしめていた小瓶を指し示す。


「あ、ありがとうございます……」


 思わず差し出した小瓶を、彼は自然な所作で受け取る。くるりと蓋を回して外すと、先端についたスポイトを腫れた足首へと傾けた。


 ぽと、ぽと……透明感を帯びた緑の液体が数滴落ちる。

 瞬間、――パッっと淡い光が走った。


「え…!」

 目を疑う間もなく、さっきまで赤黒く腫れ上がっていた足首が、みるみるうちに元の形へと戻っていく。皮膚の下を蝕んでいた熱がすっと引き、嘘のように痛みが消えていった。


「うそ……ほんとに……?」


 恐る恐る足首を回してみると、まだ微かに違和感はあるものの、先ほどまでとは比べものにならないほど自由に動かせる。


「痛みは引いた?」

 見上げると、彼の真剣な瞳が私を覗き込んでいた。


「は、はい……!すごい……信じられないくらい痛くないです!」

「そう、よかった。でも、しばらくは安静に」


 安堵の笑みを浮かべながら立ち上がると、小瓶の蓋をきゅっと閉め机の上へと置いた。


 その背に向かって、私は思わず声を張り上げる。

「あ、あの!」


 振り返った彼に私は言葉を続けた。


「助けてくれて本当にありがとうございました!……私にできることがあればなんでも言ってください」

 心からの言葉だった。もし彼が助けてくれなければ、私はあの森で朽ちていただろう。運良く生き延びても、この街で行き場もなく彷徨う未来しかなかったに違いない。


 しばらく腕を組んで考える素振りを見せ、それから口元にわずかな笑みを浮かべた。

「じゃあ……」


 次に返ってきた言葉は、想像を大きく外れるものだった。

「これから俺のこと、アレンって呼んでくれる?」

「え?そ、そんなこと?」

「駄目?」


 あまりに予想外のお願いに、拍子抜けしてしまう。

 私は初めて彼の名を口に出した。


「アレンさん……?」


 彼の表情が柔らかくほころび、嬉しそうに私の元へ近づいてきた。そして私の隣にゆっくりと腰を下ろし、目線を合わせる。


 近距離で視線が重なる。心臓が跳ね、胸がぎゅっと締め付けられる感覚。冷静になろうとしても、自然と頬が赤くなるのが自分でもわかった。


「アレンでいいよ」

 低く、優しい声。微笑みながら私を見上げて語りかけるその姿に、またドキンと胸が震える。顔が赤くなるのが自分でも分かった。


「え…でも…」

「なんでも言うこと聞いてくれるんだろう?」


 不意に痛いところを突かれ、私は小さく息をのんだ。そう、なんでも言ってくださいと言ったのは紛れもなく自分自身だ。


 覚悟を決め、再び口を開いた。

「アレン」


 私の左手が、彼の両手に優しく包まれる。掌から伝わる温かさが、じんわりと心に染み込む。力を入れようと思えば振り解けるはずなのに、動揺と緊張で、私はその手を動かせなかった。


 彼が私を見つめる視線に耐えられず、思わず逸らしてしまう。すると、私の手を包んでいた両手のうち、片手は私の離れて私の頬を伝い、驚いて彼を見るとまた目が合う。


「ミア」

 柔らかな吐息に溶けるような声で、目尻をわずかに下げ、慈しむように私の名前を呼んだ。


 その声音は、まるで宝物を抱きしめるかのように優しくて、胸がぎゅっと締め付けられ、思わず息が止まる。名前を呼ばれるだけで、こんなにも心が揺れるなんて――。


「あ、あの……心臓が飛び出そうだから、手を離して……」

 自分でも大げさだと分かっているのに、本当にこれ以上は冷静でいられなかった。


 彼の瞳を見ることもできず、私は横を向いてぎゅっと目を瞑る。これ以上見つめ合っていたら、本当に心臓が爆発してしまいそうだった。


「俺も……」

 低く、掠れるような声が耳に届く。すると頬を撫でていた手が離れ、その拳をぎゅっと握りしめて口元に押し当てていた。


 恥ずかしそうに俯くその仕草は、今までの堂々とした姿からは想像もできなくて――なんだか、照れているようで可愛いと思ってしまう。


 初めて見た表情に私は胸の奥がきゅんと疼くのを感じながら、彼を見つめてしまう。慣れている人だと思っていた。見ているだけで恥ずかしくなるような、まるでドラマのワンシーンのようなことをさらりとやってのける人だから。

 だけど今この瞬間は、私と同じように、どこか不器用に心を隠しきれていないように見えた。


 けれど――。

 アレンのもう片方の手は、相変わらず私の左手をしっかりと包み込んでいた。温もりが伝わり続けて、逃げ場のない鼓動が胸の奥で鳴り響いた。


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