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35. 光魔法

 

「……ん」

 かすかな吐息とともに、アレンが小さく声を漏らす。閉じられていたまぶたが、ゆっくりと重たげに開かれていった。


「アレン!」

 思わず声を張り上げ、私は彼の顔を覗き込む。その瞳に確かな光が宿っているのを確認し、胸の奥が一気に熱くなる。


「……ミア?」

 戸惑うように私を見つめるアレン。

 ――なぜ自分の目の前に私がいるのか、そう問いたげな表情だった。


「体調はどう?」

 私は抑えきれない震えを隠しながら問いかける。


 アレンは驚いたように胸に手を当て、しばし黙り込んだ。

 そして、ぽつりとつぶやく。


「……こんなに心が軽いのは、初めてだ」


 その言葉に、胸がぎゅっと熱く締めつけられる。


 ――うまくいったのかもしれない。緊張がほどけて、頬が自然に緩んでしまった。


「少しいいかい」

 エリクさんが静かにアレンのそばに近づく。伸ばされた二本の指が、彼の額へとそっと添えられた。


 指先から光が広がり、空気に淡い紋章が浮かび上がる。

 その様子を見守っていたエリクさんは、やがて確信を得たように指を離した。


「魔法……使える?」


 促されるままに、アレンは右手を持ち上げる。すると、掌から眩い蒼の光が解き放たれた。


 ――間違いない。

 それは、彼が十年前に持っていた「光魔法」の輝きだった。


「おおっ……!」

 その場にいた全員が、一斉に歓声を上げる。歓喜と安堵が入り混じった空気が、一瞬にして研究所を満たした。


 私は、その光景を目にして安心した途端、どっと疲れが押し寄せてきた。魔力を使い果たしたせいだろう。足元から力が抜けていく。


 喉の奥から、微かな安堵の吐息が漏れる。

 盛り上がる人々の中で、私は気づかれないようにそっと後ろへ下がった。

 

「ミア、大丈夫?」

 ヨルくんが人垣を抜けて近寄り、心配そうに私を覗き込んだ。


 過去に行き、初めてアレンを救ったあの時――魔力を完全に失い、全身が石のように重く動けなくなった感覚とは違う。

 今の私は、緊張と慣れない魔法の行使、それに積み重なった疲労に包まれているだけだ。だからこそ、自分でもはっきりと分かる。あの時のように命を削るようなしんどさではない、と。


「ありがとう。でもちょっと疲れたから休んでくるね」

 そう告げると、「僕が付き添うよ」と隣から声が聞こえてきた。


 アレンの側にいたはずのエリクさんだが、いつの間にか私の隣に立っていた。


「ミアを送ったら戻ってくるから」

 低く落ち着いた声に、ヨルくんは短くうなずく。


「わかった」


「一人で大丈夫です」と伝えようとしたが、エリクさんは首を横に振り「念のためだから」と譲らなかった。その優しさに私は素直に頷き、彼に付き添われて研究所を出ることにした。


 静かに扉を開き、部屋を後にしようとしたその時――背後から、掠れた声が私を呼んだ。


「ミア……!」


 振り返ると、アレンがシーツを押しのけ、ふらつく足取りでこちらへ歩み出そうとしていた。まだ高熱の影響が残っているのか、足元がおぼつかず、今にも倒れそうになる。

 私は慌てて駆け寄った。


「まだ寝てないと……!」


 支えようと手を伸ばすが、アレンは自分でぐっと体を立て直す。その姿に、普段から鍛えている身体の強さを感じて思わず息を呑んだ。


「ミアが……呪いを解いてくれたの?」

 額に汗を浮かべながらも、アレンの瞳はまっすぐに私を見つめる。


「解いたのはね。でも、私ひとりの力じゃない。みんなのおかげ」

 私はそう言いながら、そっと視線をエリクさんとヨルくんへ向けた。


「……ありがとうございます」

 アレンは深く頭を下げ、二人に礼を告げる。


 その真摯な仕草に、私は胸の奥がじんわりと温かくなる。思わず口元がほころび、微笑ましい気持ちに包まれた。


 アレンが顔を上げると、まっすぐな視線が私と重なる。次の瞬間、彼の腕がゆっくりと伸び、ためらうことなく私の背中を包み抱き寄せた。


「……ありがとう」


 その低く柔らかな声を耳元で聞いた途端、胸を締めつけていた緊張がすっとほどけていく。

 過去へ行ったことも、ここまで足掻いたことも、決して無駄ではなかった――。


(アレンを救えて、本当によかった……)


 腕の中は思いのほか温かくて、安心に包まれた私は抗えない眠気に身を任せていた。そして、気がつけば意識はそこで途絶えていた。



 ◇◇


「……ふわぁぁ……!」


 思わず大きなあくびをしながら目を開ける。全身が羽毛布団にくるまれたみたいに軽く、ぐっすり眠った心地が残っていた。


 どうやら私はアレンの腕の中で眠ってしまい、そのままベッドに運ばれたらしい。

 視線を窓に向けると、外はまだ明るさを残していた。おそらく眠ったのはほんの数十分か、あるいは数時間ほどだろう。


 伸びをしようと両腕を持ち上げた瞬間、右手がぴたりと動かなくて驚く。視線を落とすと――そこには私の手を握ったまま、ベッドに身を預けて眠っているアレンの姿があった。

 彼はベッドの縁に肘をつき、私の手を枕代わりにするように頭をもたせかけている。その寝顔は、長い戦いからようやく解き放たれたかのように穏やかだった。


 ついさっきまで高熱にうなされていたはずなのに――。

 本来なら彼の方こそ休むべきなのに、私のそばで手を握ったまま眠ってくれているなんて。胸の奥がきゅっと締めつけられる。


 私はそっと、彼を起こさないように指先をゆっくりと動かし、温もりの残る手を静かに抜き取った。


 ベッドから体を起こすと、どっと力が抜けて膝が揺らぐ。思わず壁に手をついて体を支える。魔法を使った影響が、まだ完全には抜けていないのだろうか。

 呼吸を整え、椅子にかけてあったブランケットを手に取る。そっとアレンの肩にかけると、彼の安らかな寝顔に胸が温かくなる。


 ――その時、自分の喉がひどく乾いていることに気づいた。

 声を出すのもつらいほど、からからに渇いている。


 あたりを見渡すと、奥に小部屋が続いていた。

 ふらふらする足に力を入れてその部屋に近づくと、そこは簡易的なキッチンスペースで、水瓶やコップが並んでいた。


 コップを手に取り、水をなみなみと注いだ。

 一気に口に含むと、乾いた喉に冷たい水がしみわたり、ようやく息がつける気がした。


 それでもまだ足りず、二杯目を注ぐ。今度は少しずつ味わうように喉へ流し込んでいく。


 その時――。


「ガタンッ!」


 背後の部屋から、ベッドが大きくきしむ音が響いた。驚いてコップを持つ手を止める。


「ミアっ……!」


 不安に揺れた声が部屋から響く。私は慌てて返事をした。


「ここだよ……!」

 けれど、渇いた喉はまだ完全には潤っておらず、思ったより声はかすれ、小さくしか響かない。


 私はコップを片手に、廊下へと足を運ぶ。

「アレン!」と名前を呼びながらキッチンを出ようとした――その瞬間だった。


 勢いよく駆けてきた足音が近づき、次の瞬間、アレンがものすごい速さで角を曲がってきた。

 危うく正面衝突しそうになり、私は驚いて足をもつれさせてよろける。


「――っ!」


 咄嗟にアレンの右手が伸び、背中をしっかりと支えてくれた。強い腕に支えられ、なんとか倒れ込まずに済む。


「……あ、ありがとう」

 胸を撫で下ろしながらそう礼を言うと、アレンは目を大きく見開いて私を凝視していた。

 呆然としていたアレンは、はっと我に返ったようにまばたきをし、慌てて問いかけてくる。


「大丈夫?」

「え、あ、うん……」

 

 彼の異様な驚きようが気になったが、うまく理由がつかめず、二人の間に一瞬の沈黙が落ちる。

 私は空気を変えようと口を開いた。


「……そうだ!アレンは?体調どう?」

「え、俺?」

 自分のことを聞かれると思っていなかったのか、アレンがぽかんとした声を出す。


 ついさっきまで呪いでうなされていたことが記憶からないかのような言い草に、私もきょとんと首を傾げた。

 彼はようやく肩の力を抜いて、深く長いため息を吐いた。


「……ミア、君は五日も眠ってたんだよ」

「……へ?」

 思わず間の抜けた声が漏れた。


 五日?今、五日って言った?


「眠っているだけだとは聞かされていたけど……さすがにこれだけ起きないと心配で」

 心底安堵したように告げるアレンの声に、私はようやく彼の驚きの理由を理解した。


 どうりで喉が砂漠みたいにからからなわけだ。


 私は「五日」という言葉を反芻した途端、全身が恥ずかしさで熱くなる。慌ててアレンを押しのけるようにして距離を取った。


「……どうかした?」

 不安そうに問いかけるアレンから視線を逸らし、俯きながら小声で答える。


「……シャワー浴びたい」


「はは。わかった、準備してくるよ。ちょっと待ってて」

 アレンはどこか楽しそうに微笑んで、部屋を出ていった。


 静かになった部屋で、私は自分の手のひらを見つめる。

(ほんとに……五日も?)


 寝すぎていたせいか、時間の感覚がまるで残っていなかった。



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