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34. 呪いの解放

 

 夕食を終えたあと、庭のベンチに並んで腰を下ろし、二人で夜空を仰いでいた。

 澄んだ風が頬を撫で、草花の香りをかすかに運んでくる。見上げれば、満天の星々が瞬き、ひときわ大きな月が静かに輝いていた。


 私は、これまで研究所で起こった出来事を、改めてアレンに語り聞かせた。


「……というわけで、もうすぐ呪いを解けそうなの。今、特訓してるから。もし上達したら……一緒に研究所に来てくれない?」

「分かった」

 アレンはほんの少し肩の力を抜くように笑みを浮かべ、私の膝に置かれていた手の上へと、自分の手を重ねた。


「……ありがとう」

 月明かりに照らされた横顔が、静かにそう呟いた。


「ミアには与えてもらってばかりだね」

 独り言のようにこぼれる声。


「ええ? どこが……?」

「俺がこうして生きているのも、十年前、ミアが助けてくれたおかげだし」


 その言葉に、私は思わず声を張って否定した。


「そんなことないよ! 私のほうこそ、最初にここに来た時にアレンに助けてもらったから、こうして無事でいられるんだし!」


 ぱっと視線が絡む。

 一瞬の沈黙のあと、自然と笑みがこぼれた。


「……じゃあ、お互い様ということで」


 静かな空気の中、私たちの笑い声が響いた。


 ーーどうか、すべてがうまくいきますように。夜空に浮かぶ満月に向かって、心の奥で強くそう祈った。



 ◇◇

 

 三週間後。


 私はいつものように研究所へ来ていた。そこへ、慌ただしい足音とともに扉が開かれる。


「ミア、アレンが倒れたらしい」

 駆け込んできたエリクさんの声は、妙に低く重かった。


「えっ!?怪我したんですか?」

 不安になってエリクさんに駆け寄る。


「アレンは今どこに……!」

「…いや、怪我ではなく体調不良らしい。聞いた話によると、急に高熱が出たそうだ」

「それって……!」

 ヨルくんが息を呑むように言葉を挟む。


 言葉にしなくても、誰もが思っていることは同じだった。

 ――呪いの影響。


「……試そうか」

 重苦しい沈黙を破るように、エリクさんが低く、静かに告げた。


「ミアできる?」

 私の胸の奥に、一瞬熱いものが走る。


 視線を向けられ、私はぐっと拳を握りしめる。心臓が早鐘を打つように鳴りながら、意を決して強く頷いた。


「はい!」


 エリクさんもヨルくんも、真剣な表情で私の決意を受け止める。


「よし。じゃあ準備に取り掛かろう」


 その言葉を合図に、私たちは足早に救護室へ向かった。


「アレン……!」


 部屋に入ると、ベッドに横たわったアレンが目に飛び込んできた。

 額には玉のような汗がにじみ、眉をひそめて苦しげに胸を上下させている。意識はないようで、時折かすかなうめき声をもらしていた。


 私は駆け寄り、思わずその顔を覗き込む。手を伸ばしたくなるほど痛々しい姿に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 ――早く……一刻も早く、この呪いを取り除いてあげたい。


 顔を上げると、傍らでアレンを見守っていたライアンさんの姿があった。

 目が合うと、彼は苦悩に満ちた表情を浮かべ、申し訳なさそうに口を開いた。


「ついさっきまで手合わせをしていたんだ。……まさか、体調が悪いなんて気づかなくて……」


 その声は震えていて、自責の念が滲んでいた。普段は快活な彼が、ここまで肩を落としているのを初めて見る。


「大丈夫です。私たちが……必ずなんとかします!」

 強い声を返すと、ライアンさんの表情にわずかな光が差した。


 そのやりとりを見ていたエリクさんが、一歩前に出る。


「よし、始めよう」


 私はごくりと唾を飲み込み、覚悟を固めた。


「悪いけど、アレンを隣の部屋へ運んでくれるか?」

 エリクさんの指示に、近くにいた騎士団員たちがすぐさま動く。彼らに支えられ、アレンは慎重に隣の部屋へと移された。


 そこには、ヨルくんが時間をかけて描き上げた魔法陣が待っていた。淡い青白い線で床一面に描かれた複雑な紋様は、どこか脈動しているかのように微かに光を放っている。


 ――アークストーンを媒介に、光の力を増幅させるためのエンハンス魔法。

 そのための陣だ。


 実際にアークストーンを用いて魔法を行使するのは、これが初めてだ。

 胸の奥で心臓が荒々しく打ち鳴らされる。


 ――うまくできるだろうか。もし失敗したら。もし、アレンを救えなかったら……。不安の影が、じわじわと心を蝕もうとする。けれど、ベッドの上で苦しみに顔をゆがめるアレンを見つめた瞬間、私は迷いを振り払った。


「……大丈夫、できる」


 ぶんぶんと首を横に振り、両頬をぱしん、と叩く。じん、とした痛みとともに、意識が鮮明になり、視界がはっきりと戻る。

 私はアレンの胸元にアークストーンをかざし、深く息を吸って瞼を閉じた。


 ヨルくんに教えられた通り、雑念を払い、身体と意識をひとつにする。呼吸に合わせて魔力を巡らせると、ふわりと身体が浮かぶような感覚が広がり、次第に床を踏みしめている感覚すら失われていった。


 ――その瞬間。


 視界の中に、まるで映像が映し出されるように光景が浮かんだ。

 小さな男の子が何かから逃げるように背後を気にしながら森の中を走っている。すぐに分かった。あれは、幼い頃のアレンだ。


 しかし次の瞬間、彼は木の根に躓き、転んでしまう。すると、茂みの奥から黒々とした魔獣が姿を現し、容赦なく襲いかかろうとした。


 ここはアレンの記憶の中だと分かっている。けれど、今まさに目の前で繰り広げられる惨劇に、私は思わず身を乗り出し叫んでいた。


「アレン!!」


 しかし、声は届かない。

 記憶の中の私は存在していない。どれだけ呼んでも、幼い彼に気づかれることはない。


 それでも構わなかった。私はただ必死に、何度も、何度もアレンの名前を叫び続けた。


(お願い……届いて! アレン、立ち上がって!)


 祈るような思いを込めて、もう一度、力の限り名前を呼ぶ。


 ――その時。


 幼いアレンは顔を上げ、揺らぐ体を必死に支えながら立ち上がった。そして、小さな手を前に突き出すと、魔法を起動させる。


 瞬間、眩い青の光があたり一面を覆った。まるで空気そのものが輝きに変わるように、視界は光で埋め尽くされる。

 その圧倒的な力に思わず息を呑み、私は顔を庇った。


 待ち構えていた魔獣が咆哮をあげ、大きく口を開ける。しかし、闇のように黒ずんだその口は、アレンの放つ光に呑み込まれていった。

 どんどん、どんどんと。

 闇が剥がされるように、光に塗り替えられていく。


 やがて、視界の端に、過去に見たあの「青紫に染まる世界」がゆらりと広がり始めた。光はゆっくりと収束し、空間は嘘のように静寂を取り戻す。魔獣の姿は跡形もなく消え、残されていたのは――。


 衣服が裂け、身体中に無数の傷を負い、地面に倒れ伏す幼いアレンだけだった。息をのむほど痛々しい姿に、過去の映像だと分かっていても胸が痛む。


 さっきまで動かせなかった体が、まるで何かに解き放たれたようにふっと軽くなり、自由に動き出せる。私はその勢いのまま、倒れているアレンの元へ駆け寄った。


 過去に見た時と同じように、アレンの身体には黒い呪いの模様が全身に絡みついている。その模様は、じわじわと彼の命を削っていくように、どこか生々しく蠢いていた。


 ――でも、今回は違う。


 私の手の中には、淡青金色に光るアークストーンが握られていた。その神聖な輝きが、かすかに鼓動するように脈打っている。


(今度こそ、絶対に……)


 心の奥で、強く、強く誓う。

 私はアークストーンをさらに強く握りしめ、神聖魔法の詠唱を心の中で唱え始めた。


 ぶわっ、と全身を駆け抜ける風のような感覚が襲う。髪が浮き上がり、衣の裾が舞い、光の粒子が周囲に散りはじめる。

 アレンが失った光魔法を、この手で取り戻させたい。呪いを消し去り、彼を救いたい。ただその一心で、私は祈るように魔力を注ぎ込んだ。


 すると、手の中のアークストーンが、まるで意思を持ったかのように震え出した。

 脈打つ光が私の手のひらを包み込み、熱く、優しく、力強い。


「……!」


 光は手のひらから離れ、ふわりと浮かび上がっていた。アークストーンは淡い光を放ちながら、静かにアレンの胸の上へと移動し、そこで止まる。


 次の瞬間、パーン、と乾いた音を立てて弾け散った。

 キラキラと輝く粒子が無数の星屑となって、アレンの身体に降り注ぐ。その粒子は黒い呪いの模様を溶かすように、優しく、しかし確実に浸透していった。


 やがて、光はさらに強くなり、視界は真っ白な世界に塗りつぶされた。何も見えず、何も聞こえず、ただ温かな光に包まれる――。


「……はっ!」


 息を吸い込む音がはっきりと耳に届き、私は反射的に目を開けた。

 そこはもう、現在の研究所だった。全身に冷たい汗がにじみ、胸の鼓動が早い。慌てて横を見る。


 そこには、ベッドの上に横たわるアレンの姿があった。


「アレン……!」

 思わずその名前を叫ぶ。


 胸の奥からこみ上げてくるものを抑えきれず、私は息を詰めた。


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