32. 再会
「……ミア……!」
耳元で掠れたアレンの声が震える。
強く抱きしめる肩がわずかに揺れているのを感じて、胸の奥が締め付けられた。私はそっと腕を回し返し、アレンの背に触れる。
「……お願いだから……俺の前からいなくならないで……」
懇願するような声が落ちてきて、思わず涙が込み上げる。けれど必死に堪え、震える声で謝った。
「心配かけて、ごめんなさい……」
言葉を返しても、アレンは抱擁を解こうとしなかった。
廊下のど真ん中で、誰が通りかかってもおかしくない状況だ。けれど彼の腕の中はあまりにも温かくて、心地よくて、抜け出したいとは思えなかった。
それでも、しばらく時間が経っても腕の力は緩まず、ふと「もしかして安心しきって寝ちゃった?」なんて場違いな想像すらしてしまう。
「アレン……?起きてる?」
思わず声をかけてしまい、しまったと心の中で後悔したけれど――
「起きてるよ」と小さな笑い声と共に穏やかな声がすぐに返ってきた。
その直後、腕の力が少しだけ弱まり、アレンは上半身をほんのわずか離して私を見つめた。久しぶりに目が合って、私は耐えきれず顔をそむける。
「顔、見せて」
囁くような低い声とともに、彼の手が頬へ伸びてきた。優しく撫でられると、肩がびくりと震え、心臓が耳元でうるさいくらいに響いた。
アレンの瞳には私の姿が映っている。そのまなざしは壊れ物を扱うかのように優しくて、胸が締めつけられる。このままでは本当に心臓が飛び出てしまいそうで、耐えきれず口を開いた。
「あ、アレン……! ひとまず、私の部屋に入らない?話したいことが色々あるから……」
私の言葉に、アレンは頬から手をそっと離し、その代わりに私の右手をぎゅっと握りしめた。その温もりが掌から胸の奥へと伝わり、じんわりと溶かしていく。
二人で部屋に入り、横並びでソファに腰を下ろす。けれど、沈黙が重く垂れ込め、鼓動ばかりが耳に響いた。
「あの……本当にごめんなさい!何も言わずに勝手にいなくなって……」
震える声で続けると、勢いのまま深く頭を下げた。恐る恐る顔を上げると、アレンは驚いたように目を見開いたがすぐ首を横に振った。
「こうして戻ってきてくれただけで十分だよ」
そう言いながら、私の手を握る力をほんの少し強める。その優しさに胸が痛んだ。
「……私がどこにいたか、聞いてくれる?」
恐る恐る問いかけると、アレンは迷いなく「うん」と答えた。
私は深呼吸をしてから、過去に起きた出来事を順番に話し始めた。十年前の世界へ行ったこと。そこで一人の少年と出会ったこと。そして、その子と過ごした日々――すべてを。
語り終え、私は胸の奥に抱えていた問いを口にした。
「……あの時のレンくんって、アレンなの?」
99%の確信があった。それでも残り1%の不安を消したくて、本人の口から聞きたかった。
「……そうだよ」
アレンは小さく答え、うるんだ瞳でこちらを見つめた。その瞬間、掴んでいた私の手を強く引き寄せ、私は再びアレンの腕の中にすっぽりと収まる。
「ようやく気づいてくれた」
耳元で囁かれたその声は、嬉しさに震えていた。
「ずっと探してくれてたの?」
問いかけると、アレンはこくりと小さく頷いた。
「探さないでって、オリバーさんに伝えたのに……」
十年後に必ず会えるのを身をもって経験していたから。でも…だから初めにアレンと出会った時、あんなに嬉しそうだったのかとわかると、思わず頬が緩んでしまう。
「そんなの……信じられるわけないだろ」
少し拗ねたような声音で言うアレンに、笑みがこぼれた。
「ふふっ……ごめんね」
その後、私たちはまるで時の流れを忘れたかのように、言葉を交わし続けた。
十年前のレンくんとの出来事――私にとってはつい昨日のように鮮明に蘇る記憶も、アレンにとっては遠い遠い昔話。
「懐かしいな」
アレンが小さく笑みを零し、それにつられるように私も笑った。ふたりの声が重なり合い、静かな部屋の中に柔らかく響いていく。
けれど、アレンの目の下に刻まれた深いくま。
笑顔を浮かべているはずなのに、どこか覇気を失って見える表情。その一つひとつが、私がいなかった間にどれだけ彼が苦しんだかを物語っていた。
後でイーサンから聞いたところによると、やはりこの時代でも私がいなくなってから一ヶ月が経っていたらしい。
その間、アレンは人が変わったように塞ぎ込み、心ここにあらずだったのだという。詳しいことは教えてもらえなかったけれど……オリバーさんが訪れてから、ようやく落ち着きを取り戻したらしい。
十年前、オリバーさんには全てを話していた。
だからこそ、未来に戻った私のことも、彼はきっと正しく理解して記憶に留めていてくれたのだろう。
――それでも。
アレンの姿を目にするたびに胸が痛む。再会できたという安堵と喜びの裏側に、彼へ背負わせてしまった痛みの大きさを思い知る。
喜びと後悔、その二つの感情が胸の奥で重なり合い、苦しくなるほどに私の心を揺さぶった。
◇◇
それから二日後。私は王宮の研究所へと足を運んでいた。
いなくなって戻ってきたことはすでに伝えているとイーサンが言ってくれた。それでも、無断欠勤してしまったのは事実。
「どう思われているだろう……」
そう考えるたびに足取りが重くなる。
深呼吸をひとつ。
「よし……」
心の中で小さく気合を入れ、私は重厚な扉をノックした。
「失礼します……」
恐る恐る声をかけながら扉を開ける。
「おかえりー!」
明るく弾ける声と同時に、勢いよく部屋へ飛び込んできたのはヨルくんだった。小さな体をめいっぱい使って駆け寄ってくる姿に、思わず目を瞬かせてしまう。
その背後から、落ち着いた足取りで現れたのは、いつものように穏やかな微笑みを浮かべたエリクさんだった。変わらぬ落ち着いた声で、けれどどこか温もりを増した響きで言う。
「おかえりミア」
二人にそんな風に優しく迎えられると、どうしようもなく胸が締めつけられる。安堵と嬉しさが込み上げてくる一方で、申し訳なさが押し寄せ、立っているのもやっとの心地だった。むしろ、責められて叱られた方が気が楽だったかもしれない。
「……あの、無断で休んでしまって、本当にすみませんでした」
私は深々と頭を下げた。
日本であれば、報酬をもらっている立場上、きっと解雇は免れないだろう。そんな考えが頭をよぎると、余計に不安が募った。
「何言ってんの!」
ヨルくんがむっと頬を膨らませて声をあげる。
「そうだよ。事情はちゃんと聞いてるから。…ミアも大変だったでしょ」
エリクさんが柔らかい声でそう続け、私の肩に軽く手を置く。その仕草に張り詰めていた気持ちが少し緩んでいった。
促されるままに視線を移すと、テーブルの上には色とりどりのお菓子が整然と並べられ、湯気の立つお茶まで用意されていた。
「今日はね、ミアの復帰祝いなんだ」
にこやかに告げるエリクさんの言葉に、喉の奥が熱くなる。涙が今にもこぼれそうで、必死に瞬きを繰り返して堪えた。
「……二人とも、本当にありがとう!」
その一言に込めた感謝は言葉では到底足りなかったけれど、ヨルくんとエリクさんが笑顔で応えてくれるだけで、胸の奥が温かさで満たされていく。
こうして私たちは三人で肩を並べ、甘いお菓子を頬張りながら、たわいのない話に花を咲かせた。笑い声が重なり、テーブルの上に広がるひとときは、心温まる時間だった。




