3. 青鈴の余韻
「アレンさん!」
鋭く通る声が森に響き渡った。思わず肩をびくりと震わせると、背の高い青年が木々の間から勢いよく飛び出してくる。鎧の隙間で揺れる銀の装飾が、木漏れ日に反射してきらりと光った。
そのまま駆け足のまま私たちに近づいてきたが、途中で地面に横たわる生物を見つけ、少し足を緩める。
「最近村の方で被害を出していたのは、こいつだったんですね。さすがです!」
息を弾ませながらも、誇らしげな声。どうやら助けてくれたこの目の前の彼の仲間らしい。その後、視線が私へ移る。見慣れない存在を前に、目を瞬かせ、小さく首をかしげた。
「…その方は?」
心配そうに探るような声。
「足を捻ったみたいだから、彼女を連れて森から出ることにした」
「……は、ええ?アレンさんが、ですか……?」
青年は豆鉄砲を食らった鳩のように目を丸くし、声を裏返した。
まるで、まさか本人が自ら行くなんて――そう言いたげな反応だ。
「あとは頼んだぞ」
「はい?ちょ、ちょっと!」
青年は慌てて手を伸ばすが、目の前の彼は一瞥もせず私の方へと向き直る。その真剣な横顔を間近で見て、私はごくりと唾を飲み込んだ。
頭が追いつかないまま困惑だけが募っていく。目の前にいるこの人は、あの化け物のような生き物を一瞬で倒した人。いったいは何者なんだろうか。
そんなことを考えているとふわりと体が浮いた。
「えっ……!」
突然、腕に抱え上げられ、気がつけばお姫様抱っこをされていた。
体温の伝わる腕の中。肩にかかる逞しい手。心臓が跳ねるように早鐘を打ち、顔に一気に熱がのぼる。男性に抱きかかえられるなんて初めてで、しかもそれが初対面の人。恥ずかしさと戸惑いで頭が真っ白になる。
「あ、あのっ!その……杖みたいなのがあれば歩けると思うので、大丈夫です!」
慌てて抵抗の言葉を口にする。けれど、彼は表情を変えずに私をしっかりと抱えたままだ。まるで当然だというように、降ろす気配すら見せない。
「無理をすると、もっと足を痛めるよ」
穏やかで落ち着いた声。その声音に逆らうのが難しくて、私は小さく「……はい」と口を結んでしまった。
それでも落ち着いていられるはずもなく、じっとしているのも気まずくて、腕の中でごそごそと身じろぎした。その拍子に――カラン、と高く澄んだ音が響いた。
私のポケットから、何かが零れ落ちていった。
視線を追うと、小さな物体が地面に転がり、【チャリン】と綺麗な音を奏でる。
「あっ…!」
地面に止まったそれを見て、息を呑む。
転がっていたのは、小さな鈴。けれど普通の鈴とは違う。青いガラスのように透き通った、不思議な輝きを放っていた。
(……これ、私が追いかけていた音……?)
山に迷い込んだ時から、どこかで聞こえていたあの鈴の音。
どうして私のポケットに入っていたのだろう。今の今まで、そんなもの持っていた覚えはない。
鈴を見て驚いたのは私だけではなかった。彼もまた、鋭い視線を鈴に注ぎ、何かを確かめるようにじっと見つめている。けれど、言葉を発することはなかった。ただ唇をきゅっと引き結び、何かを飲み込んでいるように見えた。
「はい」
そんな沈黙を破ったのは青年だった。私の斜め後ろからすっと鈴を拾い上げ、差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます」
自分の物ではないが、ポケットから落ちたのをこの二人も見ていたのだろう。断るのもおかしい気がして、私は戸惑いながらも手を差し出した。
掌に置かれた鈴は、冷たいのに不思議と温もりを感じさせる。澄んだ青色は、この世のものとは思えないほど美しい。思わず息を呑み、もう片方の手で紐を持ち上げ、小さく揺らしてみる。
ーーーチャリン。
静かな山の中で、鈴の音が澄んだ響きを残し、こだまするように広がっていった。耳の奥にすっと入り込み、余韻だけを残して消えていく。まるで胸の奥にまで沁みこんでくるようで、その音に触れているだけで心が少しずつ癒されていく気がした。
「綺麗な鈴ですね」
私の手元を覗き込みながら、青年が穏やかな声で言った。
「ふふ……そうですね」
少し緊張の糸がほぐれ頬が緩んだ。
「じゃあ」
短く告げられたその言葉を合図に、彼は私を抱きかかえたまま迷いなく歩き出した。
「あ!降ろしていただいて大丈夫ですから!」
慌てて訴える私をよそに、彼の足取りは変わらない。
「大人しくしてないと落ちるよ?」
こちらに視線を向けて、ふっと口元を緩める。初めて見る笑顔に、心臓が跳ねた。
胸の奥がじんわりと熱くなって、慌てて視線を逸らす。彼に悟られまいと、息を深く吐いて気持ちを落ち着かせた。
彼の腕の中は、不思議と居心地がいい。ゆるやかに揺れる木漏れ日。さらりと頬を撫でていく風。さっきまでの混乱や恐怖がまるで幻のように遠のいて、静かに時が流れていく。
やがて彼の足が止まった。視線の先を追うと、一頭の馬が木に繋がれているのが目に入った。
野生のはずはなく、しっかりと馬具がつけられている。まるで主人の帰りを静かに待つ犬のように、大人しくそこに立っていた。
ここで立ち止まってどうするのかと思った矢先、私の体がさらに高く持ち上げられる。
「え!あの、ちょっと!」
気づけば私は馬の背に横向きに抱き上げられていた。視界が高くなり、地面が遠ざかっていく。慣れない高さに足が宙を泳ぎ、心臓がぎゅっと縮む。状況についていけず、声が裏返ってしまった。
恐る恐る身を固くしている私をよそに、彼は淡々と馬の紐を解き、馬具を整えていく。
そして彼自身も馬に跨がると、ドン、とした衝撃が私の肩に伝わる。
「しっかり掴まってて」
落ち着いた声と同時に馬が歩き出す。思わず反射的に彼の裾をぎゅっと掴んだ。揺れる馬上で、頼れるものは彼しかいない。その存在感があまりに近く、鼓動がさらに速くなる。
「あ、あの…!ちょっと待ってください!私ここへは友達と来ていて…その子の元へ戻らないと」
私が由美子と離れてから、下手すると1時間近く経っているかもしれない。
きっと心配してくれているだろう。鞄にはスマホが入っているが、そもそも鞄ごと由美子のところに置いたままで連絡もできない。
「……友達も一緒に?」
声を上げると、彼は眉を寄せて私を見た。その眼差しには冷静さの奥に、確かに心配の色が滲んでいる。
「どの辺にいたか詳しい場所分かる?」
「えっと…」
私は必死に知っている限りを話した。広場の様子、観光客の存在、由美子と過ごしていた雰囲気……記憶にあるすべてのことを話した。その間、彼は真剣に耳を傾けてくれていた。
「なるほど…。ということはここじゃなくて、近くの広場かもしれないな…。ちょっと寄ってみようか」
「良かった…!ありがとうございます」
そもそもここに由美子はいるのだろうか。そんな不安が押し寄せる。
さっきまでいた由美子と一緒にいたパワースポットとは違う、全く別の場所なのではないだろうか、と考えてしまう。
胸の内でぐるぐると考えているうちに、「もうすぐ森を抜けるよ」と言われ意識を元に戻した。進むにつれて木々の数が減り、差し込む光がどんどん強くなる。そしてついに、視界が大きく開けた。




