28. 男の子
男の子の目が覚めたという知らせを聞いて、その子がいる病室を訪れた。
ノックをして入ると、上半身だけ起き上がって窓の外を見ている姿が目に入った。その横顔がなぜかアレンに重なって見えて私は目を擦る。
すると、男の子はこちらを振り向くと私に気づき、少し警戒したように小さく肩を震わせた。
「気分はどう…?」
「…平気」
視線を逸らしながら小さく答えた。
「私、ミアって言うの。お名前は?」
「……レン」
「え、アレン?」
思わず聞き返すと、レンくんはぱっと顔を上げ、力強く「違う!」と大きな声で否定した。
「あ、いや…すみません。名前はレンです」
驚いた私を見て、しゅんと小さくなりながら謝る。
レン……アレンと名前まで似ているなんて。だけど、アレンから兄弟がいるなんて話は聞いていない。
もし過去に戻ったとしても、子供の頃のアレンに出会ってもおかしくないと思ったが……。それとも、何か事情があって名前を隠しているのかもしれない。
どちらにせよ、レンくんが話したくなさそうだったので、それ以上問い詰めることはしなかった。
「レンくんの家はどこ?」
そう聞くと、レンくんはしばらく黙り込み、視線を床に落とした。
聞かれたくないことだったのだろうか。私がどう声をかけるか迷っていると、ぽつりと話し出した。
どうやら、レンくんはずっと孤児院で暮らしていたらしい。引き取ってくれる家が見つかったものの、その家の主人は酒癖が悪く、アルコールが入るとレンくんに手をあげていたという。
孤児院側も貴族の家だからと安心していたのか、引き取られた後は連絡を取っていなかったそうだ。
耐えかねたレンくんは家を飛び出し、森に迷い込んでしまった。そこで魔獣に襲われ、命からがら逃げてきたところを私が助けた――というのが経緯らしい。
話を聞いているだけで胸が痛くなった。
退院した後のことを考えなければいけないが、目覚めたばかりで負担になってもいけないと思い、他愛もない話をして仲を深めることに集中した。
初めは私のことを警戒していたが、話しているうちにレンくんに笑顔が少しずつ見えた。
◇◇
レンくんが目覚めて3日後。レンくんとの関係も少し築くことができ、私は退院後の話を持ちかけた。
「私、病院を出たら国に帰ろうと思うんだけど、レンくんはどうしたい…?」
レンくんは俯いたまま、返事をしなかった。
逃げてきたばかりの彼に、やはりこの質問は少し酷だったかもしれない――そう思い、私は軽く後悔した。
「もし行くところがないなら、私と一緒に来ない?」
声をかけると、レンくんは小さく目を見上げた。
「え?」
その目に、少しの迷いと不安が混ざっているのを感じた。
「…いいの?」
「もちろん!」
笑顔で答えると、レンくんも口角をわずかに上げた。その小さな笑みを見て、私は心の奥でほっとした。
「そういえば、レンくんって何歳なの?」
「もうすぐ13」
「あ、そうなんだ」
見た目より小さいから、小学中学年くらいだと思っていた。病院の先生に後で聞いたところ、やはり孤児院での暮らしや栄養不足が影響していたらしい。
レンくんが完全に回復し、私たちは病院を退院した。レンくんは少し戸惑いながらも、私と一緒に元の国に帰った。
まずは、住む家を決めなければならない。
幸い、研究所での仕事で王宮からもらった小切手がポケットに入っていた。かなりの額をもらっていたので、換金すればしばらくの間は暮らしに困らないだろう。
馬車に乗って、一番近い街に降ろしてもらう。
換金の際、窓口の人と雑談していたときに「二人で住める家を探している」と伝えると、知り合いがちょうど家を貸し出しているという情報をくれた。
早速その人を紹介してもらうと、とんとん拍子であっという間に家が見つかった。
元々その家は、紹介してくれた人である換金所窓口の女性夫婦が住むつもりだったらしい。家具も揃えていたが、旦那さんの仕事の都合で別の街に移ることになり、急遽新しい住人を探していたそうだ。
しばらくはホテル住まいになると思っていたから、こんなあっさり家が見つかり少し不安も覚えつつも案内された家に入るとその不安は消し飛んだ。
陽の光がたっぷり差し込む開放的な窓、どこか懐かしいような家の造り。家具も家の雰囲気と自然に調和しており、短期間で見つけたとは思えないほど居心地が良い。
「すごい、素敵な家だね」
「うん」
レンくんも嬉しそうに頷いた。その笑顔を見るだけで、今日までの苦労が報われる気がした。
その後、食材や日用品を買いに出かけ、気がつけばすっかり夜になっていた。急いで家に戻り、レンくんにはシャワーを浴びてもらう。その間に私は夕飯の準備に取り掛かった。
(ちゃんと栄養のあるものを食べてもらわないと)
買ってきた新鮮な野菜をふんだんに使い、色鮮やかにお皿に盛り付ける。キッチンに広がる野菜の香りに、幸せを感じた。
「着替えのシャツ、どこだっけ?」
シャワーから上がったレンくんが、買い出しに行った袋の中を探し始めた。
「あ、えっ!シャツ渡してなかったっけ?」
着替えのセットを渡していたつもりだったが、どうやらシャツだけ漏れていたらしい。
少し焦ったように謝る私に、レンくんはちょっと困った顔をしながらも「大丈夫」と笑った。
「ちょっと待ってね」
慌てて私も一緒になって袋の中を探す。ようやくシャツを見つけてレンくんに渡した時、ふと右腰に違和感を覚えた。
私は勢いよくしゃがみこみ、レンくんの体をまじまじと見つめる。
やっぱり——。
あの時の呪いは完全に消えていなくて、薄く模様が浮かび上がっていた。目の奥がすっと冷たくなる。このままでは、呪いはまた身体中に広がり、いつか命を奪ってしまう——。
「大丈夫?」
レンくんが、逆に私を心配そうに見つめた。気遣う姿を見て、胸の奥に温かいものがこみ上げてくる。
私は両頬をぱんっと叩いて、完全に気を取り戻す。ここで私が落ち込んだら、余計にレンくんを心配させてしまう。
「ねえ、ちょっとベッドにうつぶせになってくれる?」
「いいけど……」
不思議そうにしながらも、レンくんは素直にベッドに横たわった。
「少しだけじっとしててね」
私は静かに意識を集中させながら、魔力を練り上げて呪いに注ぎ込む。
今回は魔力切れにならないよう、細心の注意を払った。それでも魔力も体力もじわじわ削られていく。
目に見える模様は消せた。けれど、これが根本解決になっていないことは、痛いほどわかっていた。今できるのは、ただ進行を遅らせることだけ。
呼吸が乱れ、レンくんが心配そうにこちらを見ている。私は「大丈夫」と微笑んだが、レンくんの表情は硬いままだった。
「この呪いが、見えるの?」
「……そうみたい」
わざと笑って陽気な雰囲気を作る。
けれどレンくんの表情は、闇を含んだままだ。私が必死になりすぎると、その焦燥がかえってレンくんを追い詰めてしまうのかもしれない。
レンくんだって、呪いが死に直結することを知っている。
——本人が気にならない程度に、私も行動しないと。
「じゃあ、私もシャワー浴びてくるね。レンくん、お腹空いたでしょ。先に食べててね」
話を逸らすように言い残し、私はシャワー室へと駆け込んだ。




