27. 飛ばされた先
「もしかして……別の時代に来た…?」
そんな考えが脳裏をかすめる。
時計台の古さが、まるで時間が逆行したようなそんな感覚を与える。何十年もの月日が経ったかのような感じではない。”古めかしい”、そういった感覚だ。
ここからアレンの家まではかなり距離がある。そもそも、私が知るアレンの家が、そこにあるとは限らない。別の人が住んでいる可能性だってあるのだ。
元来た場所に何か手掛かりがあるかもしれない。私がこの世界に来たとき鈴が手掛かりだったように、きっと何かがある――。
そう思い、私は来た道を引き返し始めた。
辺りをきょろきょろと見回しても、特にこれといったものは見つからない。足を止め、ため息をつき、石畳にしゃがみこんだその時だった。
森の奥から、突如として凄まじい音が響いた。ビクリ、と体がはねる。慌てて立ち上がり、音のした方――魔獣の森と呼ばれる西の森へ視線を向ける。
森の奥が青く光り、その光はすぐに黒い闇に覆われ、やがて青紫の光へと変わった。
「……何、今の……?」
胸騒ぎに駆られながら視線を彷徨わせていると、森の中からひとりの男の子がよろめきながら現れた。遠目にもわかるほどぼろぼろで、右肩を押さえ、足を引きずっている。服は破れ、血で濡れている。
「大丈夫!?」
慌てて駆け寄り、声をかける。
男の子は顔を上げ、私を見た。その目と視線が合った瞬間、胸がどきりと跳ねる。
――どこか、アレンを思い出させる顔立ちだった。
安心したのも束の間、少年は答えることなく、糸が切れたように力尽きて倒れ込んだ。
その体に黒い模様がじわじわと広がっていくのが見える。
(……魔獣の呪い?このままじゃ危ない……!)
私は息を呑み、両手を組んで少年のそばに膝をついた。
「お願い、目を覚まして……!」
祈るような気持ちで、必死に魔力を流し込む。実際に呪いを浄化したことなど一度もない。それでも、頭の中でエリクさんの言葉を必死に思い出した。
――魔獣や自然現象による呪いなら、君の神聖魔法で浄化できるかもしれない。
その記憶の声を頼りに、私は花の白い花弁から汚れが洗い流されるイメージを強く描いた。黒い模様が光に溶けていく姿を、ただひたすら思い浮かべながら。
どれくらい時間が経っただろう。五分か、それ以上か。
やがて模様は消えていった。しかし同時に、全身から力が抜け落ちる。息は荒く、心臓は胸を破りそうなほど早鐘を打つ。指先は痺れ、体が思うように動かない。
呪いの進行を止めることはできても、傷そのものは治っていない。命の危険はしばらく遠のいたとしても、今のままではこの子が危うい。
私は倒れている子の手首を掴み、背中に乗せる。小学四、五年生くらいの体格でも、意識を失っている分ずっしりと重い。
地面を思い切り踏み込み、なんとか立ち上がって歩き出す。一歩、一歩が鉛のように重い。街まで出れば病院があるはず――その一心で足を動かした。
だが、限界は近い。膝が笑い、足が思うように上がらなくなっていく。そしてついに、男の子を抱えたまま躓いて、地面に倒れ込んでしまった。
立ち上がりたいのに、力が出ない。視界がぼんやりと揺らめく。
(ここで倒れたら……私も、この子も……)
その不安だけが、かろうじて私を奮い立たせた。
この子を運ぶのはもう無理だと判断し、近くの人を探そうと顔を上げた瞬間――地面が微かに震え、人の声が風に乗って聞こえてきた。私はその方向へ体を向け、残っている力をかき集めて駆け足で近づく。
やがて、蹄の音がはっきりと耳に届く。馬だ。
砂煙の向こうから、人影が徐々に輪郭を帯びて現れた。
私は両手をブンブンと大きく振った。腕が重い。だが、必死だった。すると、こちらに気づいたらしく、その人は馬を止めて駆け寄ってきてくれた。
「どうしたんだ?」
男は馬から飛び降り、心配そうな目で私を見つめる。
「す……すみません!男の子がひどい怪我で……」
掠れた声をなんとか絞り出す。
「男の子?」
「そっちの方に……!」
指先で方角を示すと、別の騎士が「分かった」と短く告げ、馬を走らせてくれた。
「大丈夫?」
残った男が、私の顔を覗き込むように問いかける。私はもう声が出ず、ただ頷くだけで精一杯だった。
しばらくして、先に向かった騎士が戻ってきた。
「君の言ってた子って、この子のことか?」
腕に抱かれた小さな体が見えた瞬間、胸の奥が熱くなる。
「……!そ……です!」
声を絞り出した瞬間、視界がふっと暗転した。そこから先の記憶は、もうない。
そこで私は完全に意識を失ったのだった。
◇◇
――気がつくと、一番に目に入ってきたのは白い天井だった。
目を瞬かせ、状況を確認するために辺りを見渡す。どうやら、病院のベッドらしきものに寝かされているらしい。
上体を起こし、窓の外を見やる。見知らぬ街並みが広がっていた。私の知っている景色ではない。
ここは、一体どこなのだろう――。
ベッドから降りようとしたそのとき、開いていたドアの向こうで足音が止まった。廊下を歩いていた人がこちらに気づき、駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
優しく声をかけてくれたその人は、看護師のように見えた。
「よかった。今、先生を呼んできますね」
それから数分後、先生が来て診察し「問題ありませんね」と笑顔で告げた。
「あ、あの……! 男の子は一緒にいませんでしたか……?」
「ああ、あの子もまだ眠っているけど、無事だよ。もうじき目を覚ますはずだ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじわっと緩む。私はそこで初めて深く息を吐いた。
その後、私は意識を失っていた間のことを教えられた。
ここは私のいた国ではなく、隣国の領内だったこと。偶然通りかかった隣国の騎士団が私たちを見つけ、自国まで連れて帰ってくれたこと。
運が良かった。今こうして二人とも無事なのは、騎士団の人たちのおかげだ。
ーー二日が経ち、私も徐々に体力を取り戻してきていたとき、男の子が目を覚ました。




