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24. 呪い(前半)


 医者の言った通り、四日目にはアレンの熱はようやく引き、五日目にはすっかり顔色も戻って、いつものように騎士団の訓練に復帰していた。

 つい数日前までベッドに伏していたのが嘘のようで、その姿を見て安心しつつも――原因不明の病と聞いて私は心の奥に小さな引っかかりを残していた。


 今日は研究所に行かなくてもいい日だったので、気分転換も兼ねてベルサーユ図書館を訪れていた。

 静まり返った空間の中、私はヨルくんから借りた一冊の古びた本を広げる。表紙には、禍々しい文様が刻まれている。


 内容は「呪い」に関するものだった。ページをめくるたびに、血の気が引いていく。


《悪質な呪いにかかると、体に呪いの刻印が現れる。それは印となって肉体を侵食し、やがて心すら縛りつける》


 硬い文字でそう書かれていた。

 ――体に刻まれる呪いの印。


 背筋に冷たいものが走る。息を呑み、震える指先で次のページを開いた瞬間、目に飛び込んできた図に、思わず声を失った。


 そこに描かれていた模様は――あの日、アレンの部屋でふと見えてしまった「黒い印」と似ていたのだ。


 どくん、と心臓が跳ねる。

 思わず勢いよく立ち上がり、椅子がガタンと大きな音を立てた。本をばたりと閉じ、そのまま抱えたまま走り出していた。


「すみません、王宮までお願いします!」


 外に停めてあった馬車に飛び乗り、必死に告げる。彼はいま、騎士団の訓練に出ているはずだ。


 ――本にあった模様とアレンの印。

 偶然かもしれないし、私の見間違いかもしれない。だけど……もしそうじゃなかったら?胸騒ぎはどんどん大きくなり、鼓動の音が自分の耳の中で反響するように響いた。


 王宮に着き、通行証を見せると、いつも通り衛兵は門を通してくれた。

 

 エリクさんにお城の中を案内してもらった時、訓練場の場所を教えてもらったことを思い出す。


 私は迷わずそこへ向かって走った。

 だが、一度案内してもらっただけではっきりとは覚えていない上に、広大な王宮の敷地は思った以上に入り組んでいて、同じような建物や回廊が続く。焦りが募り、呼吸が荒くなる。


 なんとか記憶を辿り、訓練場の一角にたどり着いた。そこでは多くの騎士たちが剣を振るい、鋭い掛け声と金属がぶつかり合う音が絶え間なく響いている。


 陽の光を浴びて剣が閃き、空気を切り裂く音が周囲に広がる。俊敏に駆け抜ける影、鍛え抜かれた体が放つ迫力――どれも精悍で、目を奪われる。けれど、その動きはあまりに速く、視線を走らせてもアレンの姿を見つけ出すことはできなかった。


 焦る気持ちを抑えきれずに廊下を移動していると、不意に背後から声をかけられた。


「ミアちゃん?」


 振り返ると、少し汗を滲ませながらも穏やかな笑みを浮かべるライアンさんの姿があった。


「ライアンさん!」

「久しぶりだね。もしかしてアレンを探してる?」

「はい!どこにいるか知ってますか?」

「こっちだよ」


 ライアンさんは、同行していた仲間に「先行ってて」と声をかけると、私を訓練場の奥へと案内してくれた。


「おーい! アレン!」


 廊下の先でライアンさんが大声で呼ぶ。響き渡る声に反応して、数人の騎士たちがちらりとこちらを振り返った。その中に、すぐ見慣れた後ろ姿を見つける。


 アレンは声の主を確認すると、すぐに私の姿を見つけて目を見開いた。次の瞬間、剣を収めるとこちらへと駆け寄ってくる。


「ミア……!どうしたの?」

 勢いよく近づいてきたアレンに声をかけられ、胸がぎゅっと縮んだ。

「急に来てごめん……少し話したかったんだけど……」


 アレンの顔を見て冷静さを取り戻し、途端に後悔が押し寄せる。どうして訓練の最中に押しかけてしまったんだろう。家に帰れば会えるのに。訓練中の人たちも何事かと様子を伺っていた。


「ちょうど休憩に入ろうと思ってたから。こっちに来て」


 アレンはそう言うと、私の手を自然に握り、そのまま歩き出した。


「あ、助かりました。ありがとうございました」

 慌ててライアンさんに頭を下げると、彼は笑顔を見せながらひらひらと手を振って送り出してくれた。


 アレンに連れて行かれたのは、訓練場の一角にある小さな中庭だった。ベンチが置かれ、枝を広げる大木の葉が木陰を作っている。涼やかな風が通り抜け、遠くから剣戟の音だけが響いてくる。アレンは繋いだ手を離さぬまま、私をベンチへと座らせた。


「まさかミアが会いに来てくれるとは思わなかったよ」

 少し照れたように、それでも嬉しそうに笑う。


「訓練の邪魔してごめんね」

「さっきも言ったけど、ちょうど休憩しようとしてたところだから。気にしないで」


 その優しい声に安堵しつつも、胸の奥に渦巻く不安は消えなかった。思い切って聞きたかったことを切り出す。


「…あの、私呪いについての本を読んでて…それで、この前偶然見ちゃったんだけど…アレンの腰に刻印があった気がして……」

 震える声で、恐る恐る言葉を重ねる。アレンの手が強張ることなく、むしろ優しく私の手を包み込む。


「…そっか」

 低く落とされた声に、私ははっとして顔を上げた。


「ミアは神聖魔法が使えるから、見えるのか。別に隠してたつもりはないんだけどね」

 アレンは微笑んでそう言った。その笑顔は穏やかだけど、私の胸は締め付けられるように痛んだ。


 やっぱり――あれは呪いの刻印だったんだ。

 心臓がどくん、どくんと大きな音を立てる。あの時の熱も、もしかして呪いのせい?


 ――イーサンが言っていた言葉が、頭の中で甦る。

【最近は発症頻度が増えて、半年から数ヶ月に一度、熱を出されてます】


 もしそれが本当なら……今のアレンは、かなり危険な状態にあるのではないだろうか。


「…原因不明の熱が出るのは、呪いが原因なの?」

「うーん、そうなんじゃないかなとは思ってるけど…。もう呪いをかけられたのは10年も前だから、あんまり覚えてなくて…」


 アレンは眉間にしわを寄せて、苦笑を浮かべる。言葉の端々に、長年ひとりで抱えてきた重さが滲んでいた。

 イーサンでさえ呪いのことを知らなかったのだとしたら――アレンはずっと誰にも打ち明けずに、一人で背負ってきたのだろうか。想像するだけで胸がぎゅっと締め付けられる。


 俯いて言葉を探せない私に、アレンが静かに口を開いた。


「せっかく会いに来てくれたんだし、今日は一緒に帰らない?」

「えっ?」

「あと一時間くらいで訓練は終わるから…。ちょっと待ってもらうことになるけど」


 その提案に、胸のざわつきがふっと和らいだ。たとえ家までの短い時間でも、一緒にいられるのなら――不安を抱えたまま離れるよりはずっと良い。私は素直に頷いた。


 アレンはその返事に、ようやく肩の力を抜いたように小さく笑った。その笑みに安堵が滲んでいて、胸が温かくなる。


「あ……!騎士団の仕事が終わるまで研究所行っていい?」

 勢い余って声を張ってしまった。自分でも驚くほどの熱を帯びた言い方に、アレンは目を丸くし、驚いた様子だった。

「もちろんいいよけど…」

「1時間で戻ってくるから!」


 私は立ち上がってくるりと踵を返す。駆け足で廊下を抜け、外の空気に触れると同時に心臓が一段と早鐘を打ち始めた。


 エリクさんたちのいる研究所――。彼らは私がいない日も研究を続けていると言っていた。休みでさえなければ二人がいるはずだ。


 ヨルくんの言葉が脳裏をよぎる。

『呪いの種類によっては、解き方が異なる』


 そうだ。アレンにかけられている呪いが何なのかさえわかれば――助けられるかもしれない。胸の奥がぎゅっと締め付けられる。居ても立ってもいられなかった。


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