23. 熱(後半)
医者が来たり、イーサンやメイドたちがアレンの部屋に出入りしたりと、屋敷はしばらく慌ただしい空気に包まれていた。
医者が診てくれたとき、私は以前のようにすぐ治るのだろうと安心したが――今回はそう簡単にはいかないらしい。三、四日は熱が長引く可能性があると言われた。
イーサンもメイドも心配はしている様子だったが、どこか落ち着いた手際で動いている。まるで、こうした事態に慣れているかのように。
「熱を出すことって、よくあるんですか?」
思わず、近くにいたイーサンへ問いかけた。
「以前は一年に一度あるかないかでした。しかし最近は……半年から数か月に一度の頻度で、熱を出されるようになっています」
「えっ……そんなに」
「原因は不明で、我々も有効な手立てがなく。ミア様が今朝、体調の変化に気づいてくださったのは本当に助かりました。ありがとうございます」
「い、いえ……」
半年から数か月に一度――。それは決して軽い頻度ではない。アレンが普段の穏やかな表情からは想像もつかないほど、体は無理をしているのかもしれない。
今の私にできることは限られているけれど、何もしないよりはずっといい。そう思って、再びキッチンへ氷水を取りに行き、アレンの部屋へ向かった。
コン、コン。軽く二度、ノックする。
「アレン、私だけど。体調、どう?」
前回と同じく、しんとした空気が返ってくるだけで、部屋の中からは応答がなかった。
寝ているのかもしれない。それなら起こしたくないし、このまま引き返そうか――そう思い、扉に背を向けかけた、そのときーー。
ガチャリ、と背後でノブが回る音がした。
「どこ行くの?」
振り向く間もなく、熱を帯びた腕が私を包み込んだ。突然の抱擁に驚き、手に持っていた氷水が大きく揺れる。
「えっ、アレン!?」
「看病に来てくれたんじゃないの?」
「そ、そのつもりだったけど……寝てるなら起こさない方がいいかなって思って」
「……来てくれるの、待ってたのに」
耳元で、不貞腐れたような小さな声が響いた。背中から伝わる熱に、胸がぎゅっと締め付けられる。
「アレン…早く横になったほうがいいんじゃない…?」
病人のはずなのに、彼の体温と体格に包まれると、不意に意識してしまう。こんなときに何を考えているんだと自分を叱咤しても、鼓動は収まってくれなかった。
「ミアといると落ち着く」
首筋にかかる息が熱を帯びていて、思わず肩がびくりと震える。
「す、す、ストーップ!」
慌ててアレンの腕を振りほどき、一歩後ろへ飛び退いた。
氷水を入り口の小さなテーブルへ置くと、そのまま彼の肩をつかんで強引に向きを変える。
ぐいぐいと背を押して連れていくと、ベッドが「ぼすん」と音を立てて揺れ、アレンの体が沈み込んだ。
……かなり乱暴だったかもしれない。けれど、仕方ない。
「ほら、早く寝ないと良くならないよ」
「……残念だな」
口を尖らせて子供みたいに拗ねた声を漏らす。その仕草に、思わず頬が緩んだ。さっきまでの苦しげな表情より、ずっと元気そうに見える。少しだけ安心する。
アレンはふうっと深く息を吐き、ベッドに身を預けていたかと思うと、急に上体を起こした。
「どうしたの……?」
問いかけると、真剣な眼差しがまっすぐに私を射抜く。
「一つ、聞いていい?」
低く落ち着いた声。そう言いながら、彼は私の手にそっと触れた。膝の上に置いていた手が、温かくて大きな掌に包み込まれる。心臓が跳ねて、思わず息を呑んだ。
「え……うん」
アレンは何かを言いかけて唇を開いたが、すぐに閉じてしまう。躊躇するように視線を伏せ、言葉を探すように沈黙が落ちる。
けれど、やがて決意を固めたように顔を上げ、私の目を見据えた。
「……ミアは、元の……自分がいたところに、帰りたいって思いはまだ変わらない?」
「……え」
胸の奥を掴まれたように言葉が詰まる。その瞳は「帰らないでほしい」と訴えているみたいで、アレンの目を見ると苦しくなる。
私は――どうしたいのだろう。
この世界に来て、まだ数週間。もし元の世界に帰ってしまうと、二度とここには戻って来られないかもしれない。そう思うと、気持ちは揺れ動く。
なにより、私はもう気づいていた。心がアレンに傾いていることに。
けれど、それをどう言葉にすればいいのか、自分でも整理できない。答えを出せないまま、ただ胸の鼓動ばかりが早くなる。
「……」
私が黙り込んでいると、アレンはふっと力なく笑った。
「……困らせて、ごめん」
作り笑いだとすぐに分かった。その笑顔が、痛いほど胸に刺さる。
彼の手がゆっくりと私の手から離れていき、温もりが消える。冷たい空気がそこに残ったような気がして、思わず握り返したくなったけれど――できなかった。
結局、答えを出せないまま。
後ろ髪を引かれる思いで、私はアレンの部屋を後にした。




