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21. 研究所


 そして、エリクさんとの約束の日がやってきた。

 イーサンが手配してくれた馬車に乗り込み、再び私はこの豪勢なお城まで来た。


 けれど、前回と大きく違うことがひとつ。今日は隣にアレンがいない。それだけで、胸の奥が少し寂しく、同時に緊張も強まる。馬車を降りると、石畳の上で凛と立っていた門番さんがすぐに気づき、恭しく頭を下げてくれた。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


 にこやかに案内されるまま進んでいく。前回とは違う廊下を歩き、違う扉の前に着いた。

 「では、失礼いたします」と門番さんは礼をして立ち去っていった。


 ――ここからは一人きり。

 胸の中で小さく深呼吸をする。


 エリクさんは「研究している」と言っていたけど、もし大勢の学者たちが集まっていたらどうしよう。

 “誰、この子?”なんて視線を浴びせられたら……。


 そんな不安を抱えつつ、重たい扉に手をかけ、恐る恐る押し開けた。


「ミア!」


 呼びかけと同時に、柔らかな光が差し込む。大きな窓から陽が注ぎ、思い描いていたような重苦しい研究所の空気はそこにはなかった。

 迎えてくれたのは、嬉しそうに微笑むエリクさん。颯爽と歩み寄り、まるで旧友に再会したかのように親しげな笑顔を向けてくれる。


「よく来てくれたね」

「そりゃあ、約束しましたから」

 自然と笑みが返ってしまう。エリクさんの人懐こさに、胸の緊張が少しずつほどけていった。


「あの…他にメンバーって…?」

 周囲を見回すと、整然とした本棚が壁を埋め尽くし、硝子の器や魔法具が静かに光を放っていた。思ったよりも静かで、神聖な雰囲気さえ漂っている。


「ああ、紹介するよ。ヨル!」


 エリクさんが声を張った。奥の席に座る少年が、大きなヘッドホンを耳にかけて何やら没頭している。


 しかし呼びかけには全く反応がなく、ペン先だけがカリカリと紙を走っていた。

 「……全然聞こえてないね」と苦笑しながらエリクさんは彼の背後へ回り込み、するりとヘッドホンを外す。


「ヨル!」

「わっ、なに!?」

 突然現れた声に驚き、少年が目を丸くした。


「さっきから呼んでるのに無視するからだよ」

「あー、ごめんごめん」


「来て、紹介するよ」

 エリクさんに手招きされて近づくと、彼は私の肩を軽く抱き、にこやかに言った。


「新しい仲間のミアだよ」

「あ、はじめまして。ミアです」


 ぺこりと頭を下げると、少年は椅子から軽やかに立ち上がり、つむじをこちらに見せるほど深々と頭を下げた。

「ヨルです。よろしくお願いします」

 予想外に礼儀正しい挨拶に、慌てて私もさらに深く頭を下げる。


「……じゃあ、僕はちょっと席を外すよ。ヨル、あとはよろしくね」

 えっ、と声をあげるより早く、エリクさんは笑って手を振ると軽やかな足取りで部屋を後にしてしまった。


 ちらりと隣を見やれば、タイミング悪く視線がかち合ってしまう。落ち着いた漆黒の瞳にじっと見つめられ、私の方が年上なのに、しどろもどろしてしまった。


「あ、えっと…」

「こっちきて」


 あたふたする私をよそに、ヨルくんは必要最低限の言葉だけで静かに先導してくれる。促されるままついていくと、研究所の奥へと足を踏み入れる。


「ここの部屋はいろんな資料や本がおいてあって、自由に読んでいいよ。データベースはここね」

「あ、はい!」


 簡潔に、けれど的確に案内してくれる声が落ち着いていて、聞いていると妙に安心する。

 壁一面にびっしりと並ぶ本棚。革装丁の分厚い書物が整然と並んでいて、背表紙には難しそうな文字がぎっしり。静謐な空気に、自然と背筋が伸びた。


 次に案内されたのは、理科室のような雰囲気の部屋だった。机の上には瓶や器具がきちんと並べられ、窓際では見慣れない植物が育てられている。


「ここはいろんな植物を育てているところ。で、その隣に調合室があって、ここで種を作ったりポーションを作ったりしてる」

「ポーション?」

「そう。ポーションの作り方は色々あるんだけど、ここでは花を用いて作ってるんだ」


 花から薬が生まれるなんて……。

 私も足を捻った時、ポーションには助けられた。その原材料が花だなんて、驚きだ。

 もし花の種を日本に持ち帰って育てられたら――なんて考えが頭をよぎる。けれど、まずは元の世界に帰れるのかが一番の問題だ。


 一通りの案内を終え、私たちは最初の部屋へと戻った。

 しかし、肝心のエリクさんの姿はまだない。


「なにか飲む?」

「あ、うん。ありがとう」


 慣れた仕草で器具を扱い、お湯を沸かして茶葉をカップに落とす。その手際の良さは、普段からやり慣れている証拠だろう。

 やがて立ちのぼった湯気とともに、ふわりと甘い香りが漂ってきた。


「どうぞ」

「ありがとう。いただきます」

 一口含んだ瞬間、鮮やかな酸味と、じんわり広がる甘さに思わず目を見開いた。


「……おいしい!!」

「ほんと?良かった。僕のおすすめなんだ」

ヨルくんは表情を和らげ、どこか誇らしげにうなずいた。


 知らない味なのに、不思議と懐かしい。飲み進めるたびに心までほぐされていく気がする。そんな私の様子に満足そうな笑みを浮かべながら、ヨルくんがふと口を開いた。


「エリクさんから聞いたよ。神聖魔法が使えるんだってね」

「神聖魔法?」

 きょとんと首をかしげる。

 ヨルくんも「あれ?」と眉をひそめ、困惑を隠せない表情で私を見る。


「あれ……違うの?」


 聞き慣れない言葉に、私も彼も同時に首をかしげてしまった。まるで鏡のように同じ動きをして、思わず顔を見合わせる。その間の抜けた光景に、自分の中で張り詰めていた空気がふっと和らいだ気がした。


「あの花を咲かせたって聞いたんだけど」

 ヨルくんが指さした先には、先週、私が魔法をかけた花が小さく揺れていた。


「ああ、あれはそうだよ」

「やっぱり!それが神聖魔法だよ」

「……へえ」

「あんまりピンときてないみたいだね」


 くすくすと笑いながら、彼は背負っていた鞄から一冊の本を取り出した。


「図鑑?」

「まあ、そんな感じ」

 ヨルくんは慣れた手つきでぺらぺらとページをめくり、ある箇所を私に示した。


「ここ見て」

「ん?……あ!」

 そこには、昨日私が咲かせたばかりの花の絵が鮮やかに描かれていた。


「ほら、ここ」


 すすめられるままに視線を落とす。慣れない硬い言葉が並び、理解するまでしばらく時間がかかった。ページとにらめっこして、ようやく意味をつかむ。


「つまり…花を咲かせられる魔法を使えるのは神聖魔法が使える人間だけってこと?」

「そういうことだね」

「なんで私がその魔法を使えるの?」

「さー…生まれ持った才能じゃない?」


 軽い調子で言われた一言が、妙に胸に残る。私が神聖魔法を使えるのは、異世界から来たからなのだろうか。


 何にせよ、私が「特別」な魔法を持っているからこそ、エリクさんに声をかけられて、今ここにいる。

 そういえば、アレンも私が花を咲かせたときには本気で驚いていたっけ。


 その後、ヨルくんは神聖魔法についてゆっくりと説明してくれた。


 まず、魔法の世界にはいくつかの系統が存在し、その中には黒魔法や魔獣を操る類いの、悪質で危険なものがあるという。そうした魔法には必ず「呪い」が伴い、その呪いにも種類があり、解き方もそれぞれ異なるらしい。

 実際に、呪いにかかって苦しむ人は少なからず出るのだと、淡々と語られた言葉に背筋がひやりとした。


 そして、神聖魔法――。

 それは特別な花を咲かせることができ、その花から作られるポーションには並外れた治癒の力が宿るという。さらに近年、エリクさんの研究によって、この神聖魔法が呪いを解く鍵になるのではないか、という可能性が見え始めてきたのだそうだ。

 

 けれど問題は、神聖魔法を使える者がほとんど存在しないということ。だから研究も行き詰まり、進展が難しかった。そんな折に、私が現れた――。

 話を聞きながら、自分の存在の重さを改めて突きつけられた気がした。


 魔法は生まれ持った才能だが、鍛錬によってさらに高められるものらしい。つまり、私も努力次第でその力をもっと役立てられるのだ。


 ヨルくんの説明は驚くほどわかりやすく、まったくの素人である私でもすっと頭に入ってきた。


「お待たせ」

 ノックと同時に扉が開き、資料の束を抱えたエリクさんが戻ってきた。私たちが座っているのを見ると、そのままヨルくんの隣に腰を下ろした。


「そういえば……僕のこと、アレンから聞いた?」

「あ……はい」

「別に気を遣わなくていいからね。直系でもないし、和気あいあいとしたほうが研究もうまくいくだろう?」

「そ、そうですね……」


 身分の違う人と直接話すなんて初めてで、どう振る舞えばいいのか全くわからない。けれど、横にいるヨルくんも「大丈夫だよ」と言いたげに柔らかく笑ってくれていたから、少しだけ肩の力を抜いて話すことができた。


 その日は、二人がこれまでに積み重ねてきた研究の話を聞き、さらに魔法の基礎について教わった。呪いがどういうものかはまだいまいち実感が湧かないけれど、それでも――もしこの力で誰かを救えるのなら。そう思うと、胸の奥が熱くなる。


 ーーそして、最初の練習課題として、目の前に置かれた汚れた壺を「浄化してみよう」と言われた。私は必死に魔法を起動させようと奮闘する。


 壺の前に両手をそっとかざし、強く念じてみる。だが、うまく力が流れていかない。額にじんわりと汗がにじむ。


「大事なのは、イメージすることだよ」

 隣からヨルくんが、落ち着いた声でアドバイスをくれた。


「イメージって簡単そうに思えるけど、結構難しいのね…」

 額に汗が滲むほど集中しても、壺はただの壺のまま。魔力が空回りしているようで、焦りばかりが募っていった。


 今度はエリクさんが低く響く声で言葉を添えた。

「自分を信じて」


 短く放たれた言葉は不思議なほどに温かく、胸の奥の迷いをとかしていく。

(そうだ。私には魔法が使える。花だって咲かせられたんだから、これだってきっとできるはず)


 自分を励ますように深呼吸をして、もう一度両手を壺に向ける。


「僕の手の動きに合わせて」

 気づけば、エリクさんが私の隣に立ち、そっと手を重ねるようにして導いてくれていた。


「上から汚れが落ちることを想像するんだ」

 落ち着いた声が耳元で響く。誘導されるまま、私の手は壺の表面をなぞるように、ゆっくりと上から下へと動いた。


 その瞬間――。


 キラキラと小さな光が散り、まるで夜空から星屑が舞い降りるように、壺の表面を包み込んでいく。光の粒がすべるように流れ落ちるたび、こびりついていた黒ずみが剥がれ、見る間に艶やかな姿を取り戻していった。


 その様子に思わず、思わず息を呑む。


 隣にいたエリクさんが満足そうに頷き、ゆっくりと微笑んだ。新品のように生まれ変わった壺は、窓から射す光を反射してきらきらと輝いている。


「すごい!」

 ヨルくんが子どものように飛び跳ねて喜んだ。その無邪気さに釣られて、私も思わず一緒になって跳ねてしまう。


「……本当にすごいね。ここまで浄化させられるとは思わなかった」

 エリクさんは静かに、けれど驚きを隠せない声音で感心していた。どうやら、彼の想像をはるかに超える成果だったらしい。


 褒められて胸の奥がじんわり熱くなる。頬が緩んでしまうのを止められなかった。


「この浄化の力が、きっと……呪いを解く鍵になると思ってるんだ」

 エリクさんは壺を手に取り、光にかざすように全体を見渡した。その横顔はどこか嬉しそうで、同時に強い決意を帯びていた。


 そして小さく、けれど確かに聞こえる声で呟いた。

「これから……忙しくなりそうだ」


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