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16. 手がかり


 パンケーキを食べ終えると、私たちはアレンの知り合い――移動魔法に詳しい人物がいるという家へ向かった。


「着いたよ」

 案内されたのは、古びた木の看板がかかる本屋だった。外観からして年季が入っていて、窓枠や壁の一部には蔦が絡まっている。まるで時間そのものが止まったような、不思議な趣を漂わせている。


アレンは重たそうなドアを押し開け、私を先に通してくれた。


 中へ足を踏み入れると、途端に外の明るさが遮られ、薄暗く静かな空気に包まれる。

 さっきの開放的なカフェとは対照的に、本棚が幅数メートルの間隔でぎっしりと並び、隙間という隙間にまで本が詰め込まれていた。紙とインクが混じった独特の匂いが鼻をかすめ、まるで宝物庫に迷い込んだような気分になる。


「こっち」

 後から入ってきたアレンがドアを閉めると、微かな光も遮られてさらに空気が濃くなる。彼は先に立ち、迷路のような通路を歩いて案内してくれた。


「暗くて狭いから気をつけてね」

「あ、うん……」


 返事をしつつも、私は周囲の景色に夢中になってしまう。積み上げられた段ボール、なぜか転がっているボール、そして崩れそうで崩れない本の塔。本を一冊でも引き抜けば、バランスが崩れて雪崩のように落ちてきそうだ。

 図書館の静謐さとは違う、どこか混沌とした迫力を感じた。


「わっ!」

 次の瞬間、視線ばかり上に向けていたせいで足元の箱につまずき、前にいたアレンに思い切り突っ込んでしまった。


「大丈夫?」

「う、うん……ごめん」


 鼻をぶつけて思わず押さえる。【気をつけて】と言われたばかりにもかかわらず、よそ見をしていた自分に恥ずかしくなる。


 すると、アレンは片手で私の腕をそっと支え、そのままするすると手首から指先へと滑らせていった。


「…ん?」

「またつまずいたら危ないし」

 そう言って自然な流れで私の手を握り、再び歩き出す。


 いくら転ばないためだとは分かっていても、意識せずにはいられなかった。胸がどくん、と大きく鳴る。顔が一気に熱を帯びるのが自分でも分かり、慌ててうつむいた。頬の赤さを隠してくれる絶妙な明るさに、私はひそかに感謝していた。


 アレンは私の手を握ったまま、迷いなく奥へと進んでいく。

 その手は大きくて、少しゴツゴツしていて——「男の人の手」という言葉がぴったりだった。緊張で心臓は早鐘を打っていたけれど、それ以上に不思議な安心感がじんわり広がっていく。


 いくら暗いとはいえ、ここはただの建物の中。すぐに行き止まりになるだろうと高をくくっていたのに、思っていたよりもずっと奥行きがあった。

 棚と棚の間を縫うように歩いていくと、まるで迷宮に足を踏み入れてしまったような気分になる。怖いというよりも、子供のころに探検をしたときのような、くすぐったいワクワクが胸に満ちていた。


「……いないのかな」

 立ち止まってアレンが辺りを見渡したその瞬間——。


「ここじゃ」

 背後から肩をポンっと叩かれ、心臓が跳ね上がった。

 喉の奥で悲鳴が止まり、代わりに息が詰まったような音が漏れる。こんな暗がりと不気味な静けさの中で急に声をかけられれば、心臓が止まったと思ってもおかしくない。


「び……びっくりして心臓止まるかと思った……」

 自分でも声が震えているのが分かった。店内の薄暗さが恐怖心を倍増させているのだろう。それに、この声の主のしゃがれた声色が、余計にぞくりとさせる。


「驚かすなよ、オリバー」

 アレンは平然としている。まるで予想していたみたいに落ち着いていて、きっと私の気持ちを代弁してくれたのだ。


「ほほ、すまんのお」

 現れたのは、目尻に深い笑い皺を刻んだおじいさんだった。

 白く豊かな髭と髪を持ち、首からは眼鏡がぶら下がっている。まるで絵本に出てくる海外の優しいおじいちゃんそのもので、さっきまでの恐怖心が嘘みたいに和らいでいく。


「可愛らしい娘と一緒か。珍しいの」

「ちょっと聞きたいことがあって。少しいい?」

「おおう、なんでも聞きな」


 オリバーと名乗ったその老人は、にこにこと楽しそうに笑いながら胸を張った。その頼もしげな態度に、この人ならきっと特別なことを知っている——そんな確信めいた期待が胸に芽生えた。


「彼女、ミアって言うんだけど、ここじゃない……別のところから来たみたいで、どうやって帰れるかとかわかる?」

 アレンの言葉に、オリバーは私の顔を見てにこりと微笑んだ。私もつられて笑顔で返す。


 すると、何やら嬉しそうに「ほう、別世界か」と低く呟いた。


 長く伸びた白髭を撫でながらしばし考え込み、やがて「あ」と短く声を漏らすと、すたすたと棚の奥へ歩いていった。そして埃をかぶった分厚い本を取り出してきた。


「空間の歪みに関する本じゃ」

 差し出されたのは辞書ほどもある大きな書物。革張りの表紙は擦り切れていて、手に取ると腕にずしりとした重みがのしかかる。思わず抱きかかえるように持ち直した。


「確か第三章あたりに書いておった気がする。探してみるといい」


 私は慌てて目次を開き、「第三章」という文字を指で追った。


「これ、読めってこと……?」

 心のどこかで抱いていた不安を、アレンが代わりに口にしてくれた。


「わしとて全部を覚えているわけではないわ。ただ、ここにおぬしらが探している答えが載っている“かもしれん”。それだけは言える」

「……まあ、そりゃそうか」

 アレンは深く息を吐き、肩を落とした。


 どうやら、この本を読み解くしかないらしい。専門的な文字が並ぶ難解そうな書物を前にして、私は自分に理解できるのかどうか、心細さを覚えた。


「結構ページ数あるね」

 アレンが私の肩越しに覗き込み、視線を本へ落とす。吐息が耳にかかって、背筋が一瞬ぴくりと震えた。顔の近さに息を止めて固まってしまう。


「これなに…?」

 最後のページまでめくったときに、何やら落書きのようなものが目についてアレンが尋ねた。


「あぁ、これはわしが書いたただのメモ書きじゃ」

「字汚な…」

ぼそっと呟くアレンにくすくすと笑いが溢れた。


「当時の状況覚えているか…?」

 オリバーさんにそう言われえて、私はあの日の光景を思い返していた。雲ひとつない晴天。誰かと「いい天気だね」なんて言い合った声。山の中にいたこと。そして——。


「鈴……!」

 思わず声が漏れた。

「来る前に、鈴の音が聞こえたの!あれ、関係あるかな?」


「鈴の音か……」

 オリバーは一瞬表情を引き締め、顎に手を当てて考え込んだ。まるで遠い記憶を手繰り寄せているかのように。私はその沈黙に息を呑み、期待を込めて老人を見つめる。


「……ふむ。この世界に来た日付を覚えているか?」

「日付……」

 私は答えに詰まり、思わず隣のアレンを見上げた。

「アレン、覚えてる?」


 けれどアレンはすぐに答えなかった。返事を待っているうちに、ふと、その横顔に影が差した気がして——胸の奥がざわついた。


次はアレン目線の話です。

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