表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/37

14. 街(後編)


「いらっしゃいませ、スコット様」

 店員の声に顔を上げると、すぐに丁寧なお辞儀が返ってきた。その言葉を聞いた瞬間――アレン・スコット、というのが彼の名なのだと初めて知る。


 店内は衣類店らしく、壁や棚には整然と畳まれた服が並び、鮮やかな布地が目に飛び込んでくる。木製の床には陽の光が差し込み、柔らかく反射して洋服たちをさらに美しく見せていた。


「本日はどのようなお召し物をお探しでしょうか」

「彼女の服を何着か見繕ってもらいたい」

「かしこまりました。では奥へご案内いたします」


「え、私の服?」

思わず間の抜けた声が出た。


「そう。ずっと準備してあげなきゃって思ってたんだ」

「い、いや、でも…! 今借りてる服でも十分素敵だし!」

「俺が買いたいだけだから」


 アレンはいつものように穏やかな笑みを浮かべる。その笑顔を見た瞬間、断ろうとしていた言葉が喉の奥で止まってしまった。

 ――迷わずこの店に入ったってことは、最初から私の服を買うつもりで連れてきてくれたんだ。


 けれど私は、これまでも十分すぎるほどのものを与えてもらっている。これ以上甘えてしまっていいのだろうか。何も返せていない自分が情けなくなり、胸がきゅっと締めつけられる。


「あら、スコット様、お久しぶりです」

 奥から現れたのは、首にサルトメジャーを掛けた背の高い女性だった。姿勢がよく、すらりとした体躯からは職人らしい自信が漂っている。


 先ほど案内してくれた店員がその女性に何事かを耳打ちすると、彼女は大きく頷き「彼女様に似合う洋服ですね。お任せください」と快活に答えた。


 彼女は目を輝かせながらハンガーにかかった服を手に取り、次から次へと私の前へ差し出してくる。その姿はまるで宝物を探す子供のようで、ただ見ているだけでも胸が躍った。


「華奢だけど背が高いから、こういうIラインをしっかりと見せてくれる服がおすすめです!こんなのはいかがですか?」


 女性はすぐに鏡の前まで私を連れて行き、選んだ服を上から合わせてくれた。鮮やかな布地が私の体の前で揺れると、不思議と少し大人びた自分になったような気がした。


「可愛い…」

 思わず口から言葉がこぼれ落ちる。


「でしょ!一度着てみてください」

 女性は弾む声で言うと、半ば強引に私をフィッティングルームへと押し込んだ。


 カーテンの内側で服を抱きしめる。

 これ、いくらくらいするんだろう。買ってくれるとは言ってくれたけど、あんまり高いものはやっぱり申し訳ない。


 名前で出迎えてくれるようなお店だ。きっと高級店に違いない。それに、この服の生地の質感――柔らかいのにしっかりしていて、普段私が着ている服とはまるで別物だ。


「とりあえず……着るか」

 小さく息を吐いて、用意してくれた服を手に取り着替え始めた。


 柔らかな布地が肌に触れた瞬間、心地よいひんやり感が走る。袖を通し、裾を整えるたびに胸の奥がドキドキと高鳴っていく。布が体に沿ったとき、自然と背筋が伸び、鏡の中の自分と視線が合った。


 ――すごい、素敵だ。


 そこに立っていたのは、私が知っているはずの自分であって、でもどこか違う人のように見える。

 思わず口元が緩み、鏡の前でニヤけてしまった。さすがは洋服店の店員。私の体型を一目で見抜き、似合う服を選んできてくれただけのことはある。


 白いニットに、淡いオレンジのロングスカート。

 ふわっとした柔らかな印象を与え、顔色まで明るく見える気がした。いつもの地味で無難な服しか着てこなかった私が、こんなにも柔らかく華やかに見えるなんて。


「いかがですか?」

 カーテン越しに店員さんの弾んだ声が聞こえた。


 素敵だと思っているけれど、問題はアレンがどう思うか。

 とりあえず見せなければ、そう思って、少し恥ずかしさを抱えつつカーテンを開け、フィッティングルームから一歩を踏み出した。


「とてもお似合いです! どうですか、スコット様」

 店員さんは満足そうに私の両腕をそっと掴み、そのままアレンの前へと押し出した。


 真正面に立たされ、息を呑む。アレンの視線が、まっすぐに私へ注がれている。

 しばしの沈黙のあと、彼の口からぽつりと声が漏れた。


「……かわいい」

 低く、けれど真剣な響きを含んだその一言に、心臓の鼓動が一気に速くなるのを感じた。思わず目を逸らしたくなるほど凝視され、頬が熱でじんわりと赤く染まっていく。


 その様子に気づいた店員さんが、後ろから「まあ!」と嬉しそうに声を弾ませた。場が一気に華やいで、私はますます居たたまれなくなる。


「あ、ありがとう……」

 なんとか言葉を発してお礼を言ったけれど、アレンの視線は変わることなく、だけど何も発しず、二人の間になんとも言えない空気が流れた。

「……」

「……」


 いたたまれない私を救うように、店員さんが明るい声で場を切り替えた。

「さ!では、次着てみましょう!」

 なにも言葉を発しない私たちを見かねて、再び私はフィッティングルームへと押し戻される。


「次はこちらをお願いします!」

「え、まだ着るんですか?」

「もちろんです! いろんなお洋服を試していただかないと!」

「ええぇ……」


 次から次へと差し出される服に袖を通す。

 ――気づけば、すでに十着近くを試しただろうか。鏡の前で回るたびに別人になったようで楽しい反面、体力も気力もじわじわ削られていく。


 その間アレンは、ただ黙って椅子に腰掛け、私が着替え終わるたびに視線を外さずに見守っていた。

 ……正直、着替える私はへとへとだ。けれど同時に、アレンが私に向ける視線に、胸の鼓動は落ち着く暇もなく鳴り続けていた。


「では、次は……」

「い、いえ!もう大丈夫ですので!ね、アレン!」

 さすがに根負けした私は、フィッティングルームから顔を出し、助けを求めるようにアレンを見やった。長時間アレンを待たせるのも申し訳ないし、これ以上は体力も心も持たない。


「そうだね……じゃあ、ミアが着た服、まとめて送っておいてくれる?」

「承知しました! ありがとうございます」

 店員さんは満足げに深く頭を下げた。


「え、ちょっと待って。もしかしてだけど、全部買ってくれるつもり?」

「そうだよ」

 アレンはあくまで平然としていて、まるで「何か問題でもあるのか?」とでも言いたげな表情をしている。


「いやいや、こんなに要らないよ! それに、ここの服ちょっと高そうだし……」

 私は慌てて小声で訴えた。店員さんに聞こえたら困るから、声を潜めるのに必死だ。


「大丈夫だよ。さっきも言ったけど、俺が買いたいだけだから」

「でも……」


 その真剣な目に見つめられると、これ以上拒むのは逆に失礼な気がしてしまう。与えてもらってばかりで心苦しいけれど、アレンの好意を無下にするのも違う。


「ありがとう」


 ようやくそう告げると、アレンは安心したように、柔らかく微笑んだ。

 その笑みを見た瞬間、胸の奥のこわばりがほどけるようで、私までつられて小さく笑ってしまった。


 ◇◇


「疲れたでしょ。ちょっと休憩しようか」

 アレンがそう言って、自然に私の手を取った。その手の温かさに一瞬どきりとしつつ、引かれるまま歩き出した。


「ここのカフェ美味しいって評判らしいから、入ってみよう」

「あ、うん」


 正直、服を脱いでは着てを繰り返すうちに、足も腕も重くなっていた。だからアレンが気遣うように休憩を提案してくれて、心からほっとする。


 カフェの扉を開けると、ふわっと甘い香りが鼻をくすぐった。焼きたてのパンケーキとコーヒーの香ばしい香りが混ざり合って、思わずお腹が鳴りそうになる。

 店内は明るく、天井が高いおかげで開放感があり、外の賑やかな通りとは対照的に落ち着いた空気が流れていた。年齢層も幅広く、親子連れから年配の夫婦まで、皆が穏やかな時間を楽しんでいる。


 案内されたのは窓際にある丸型のテーブル。四人がけの席に、私とアレンが向かい合って座ると、不思議とその空間が特別なものに感じられた。


「好きなの頼んでいいよ」

 アレンは自分がメニューを開く前に、先に私へと差し出してくれた。

 こういう紳士的なことを、さらっとやってのけちゃうから……また乙女心をくすぐられてしまう。


 軽く食事をするつもりでここに入ったのか、それとも飲み物だけのつもりだったのか。

 アレンなら、私が何を頼んでも文句は言わないだろう。でも、自分だけ食べるのはちょっと気が引ける。そんなことを考えながら、私はメニュー越しにアレンをちらりと覗いた。


 ぱっと視線がぶつかって、慌てて目をメニューへ戻す。

(そうだよね、私が早く決めないと、アレンはメニューを見られないんだから)


 とりあえず候補を二つほど決め、アレンにメニューを返した。

 するとアレンは、ほとんどメニューを確認もせずに店員さんを呼ぶ。


「コーヒーを一つと…ミアは?」

「あ、私はアイスミルクティーをお願いします」

「なにも食べないの?」

「え、あ、うん…」

 実はパンケーキセットも気になっていたけれど、アレンが飲み物だけなら私も合わせようと思っていた。


「ここのパンケーキ、美味しいって評判らしいんだ。せっかくだし、食べてみたら?」

「え、いいの?」

 アレンがにこりと笑って頷く。その笑顔に背中を押されるように、私は甘えてケーキセットを頼んだ。


「もしかして、あんまりお腹空いてなかった?」

「ううん。ただ、アレンが食べないなら、私一人で食べるのも悪いかなって思って……」

「そんなこと、気にしなくていいのに」


 アレンは軽やかに笑った。その声が、カフェの柔らかな空気と混ざり合って、心まであたたかくなっていく。


「お待たせしました」

 しばらくして、テーブルに私が注文したパンケーキセットと、アレンのコーヒーが並べられた。


「わあ……美味しそう」

 目の前に置かれたパンケーキは、白いお皿の上で綺麗に盛り付けられていた。しっとりとした生地の横には、鮮やかな赤のいちごと、深い青のブルーベリー。そしてふんわりと盛られた生クリーム。整えられた彩りに、思わず見惚れてしまう。


 私はフォークを取ると、ためらいがちにパンケーキへナイフを入れた。すっと刃が沈み、甘い香りがふわりと広がる。


「アレンも食べない?」

「ん?俺はいいよ」

「でも、パンケーキ好きでしょ?」

 前に食後のデザートでパンケーキが出てきたとき、アレンが美味しそうに平らげていた姿を覚えている。あの時の表情が頭に浮かんで、自然と口にしていた。


「まあ、好きだけど…」

 アレンが少し照れくさそうに目を逸らす。


 私は半分に切ったパンケーキを取り皿にのせ、そっとアレンの前へ差し出した。余計なお世話かな、と一瞬迷ったけれど、同じものを一緒に食べられたら嬉しいし。


「せっかくだし、一緒に食べようよ。あ、でも……要らないなら無理に食べなくていいからね」


 少し不格好に切れてしまったパンケーキを見つめ、アレンはふっと笑った。

「……そうだな。せっかくだし、俺もいただくよ」


 その一言に、胸の奥がじんわりと温まる。

 異世界で初めて味わった外食のひととき――その甘さも温かさも、深く心の奥に刻み込まれた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ