11. 未知の力
「今日は一日どうだった?」
晩御飯のとき、アレンがよく足の具合と一緒に聞いてくれる。
「あ、今日はね。イーサンに近くの図書館に連れて行ってもらって、何冊か本を借りてきたの」
「あぁ、ベルサール図書館に行ったのか」
「そう!すっごく素敵な図書館でね、もう驚きの連続で……」
目を輝かせながら、建物に足を踏み入れた瞬間の感動や、ずらりと並ぶ本棚の圧巻さを一気にまくし立てる。自分でも少し子どもっぽいとは思うけれど、胸の高鳴りは抑えきれなかった。
「なにか面白そうな本は見つけた?」
「うん!魔法について、もう少し詳しくなりたくて……。教科書みたいな本を何冊か借りてきたの」
「魔法を?」
アレンの眉が、ほんのわずかに動いた気がした。
気のせいかと思ったけれど、その一瞬に何かを思い出したような――あるいは、心配するような影が差したのを確かに感じ取った。
けれど、すぐに彼は穏やかな表情へと戻り、静かに頷く。
「そうか。それはいいな」
その切り替えの早さに、私は小さな違和感を覚える。
でも、次の瞬間には心から安堵したように微笑んでくれた。退屈そうに日々を過ごしている私のことを、ずっと気にかけていたのだろう。
その笑顔に触れた途端、胸の奥がふっと温かくなるのを感じた。まるで、見えない手で優しく撫でられたように。
◇◇
そして、次の日もまた図書館へ向かった。
本当なら自転車でもあれば一人で行けるのに――と考える。だが、この世界にそんな便利な乗り物は存在しないらしい。皆わざわざ馬に乗って移動しているのだろうか。そう思うと、ちょっとしたお出かけも大仕事に思えてしまう。
今日は昼食を終えたあとすぐに送ってもらい、夕方六時に迎えに来てもらうことになった。昨日よりもたっぷり時間を使えるのはありがたい。
実は昨晩、借りた本を夢中で読み耽り、気づけば二冊を一気に読了してしまっていた。どうやら内容は小学校低学年向け程度のレベルで、字も大きく、挿絵も多い。だからこそ私にもすらすら読めたのだろう。
それでも――心の中でひとつの確信が芽生えつつあった。
やっぱり、魔法を使えば元の世界に帰れるのではないか。たった数冊を読んだだけで思い上がりかもしれないけれど、その予感は胸の奥で小さな炎のように揺れていた。
もちろん、誰がどのように魔法を行使できるのか、今の私には検討もつかない。本には生まれ持った「属性」と「訓練」の両方が必要とあった。血筋や素質が問われるなら、私は門前払いかもしれない。
それでも確かめずにはいられなかった。
今日は「実践編」と銘打たれた一冊を探し出し、小さなテーブルに腰を下ろした。壁際に並んだ席は一人で集中するのにうってつけだ。分厚い本を開くと、ページの中央に大きくこう書かれている。
『水の魔法。まずは、コップに水が注ぎ込まれる光景を鮮やかにイメージしましょう』
ジェスチャーの挿絵まで添えられていて、いかにも初心者向けといった感じだ。
私は手元の水筒を一気に飲み干し、空になったそれを机の上に置いた。
深呼吸。心を落ち着け、イメージする。
コップの中に透きとおった水が溢れるように注がれていく光景を――。
……しかし、現実には一滴の変化も起こらなかった。
何度手をかざしても、ただ空っぽの水筒がそこにあるだけ。
「はぁー……」
深々と息を吐き、額を押さえる。やっぱり私は駄目なのか。
ほんの少しでも期待していたぶん、肩にずしりと重みがのしかかる。
『次のステップ。容器を想像して、その中に水を注ぐイメージをしましょう。』
今度は実際のコップではなく、頭の中で描いた容器に水を注ぐ練習らしい。
――そんなの、絶対できるわけない。
心の半分は諦めに傾きつつも、もう半分では「もしかしたら」という期待が捨てきれなかった。
「こう…イメージして……」
私は目を閉じ、普段の生活で使っていたシンプルなガラスのコップを思い浮かべる。
そこに冷たい水が注ぎ込まれる様子を、音や感触までも想像しようと集中した。
すると――。
私の描いた空間の中で、確かに水が流れ込みはじめた。
透明な液体が、静かに、けれど確実に満ちていく。
「え!うそっ!?」
思わず声が漏れた。
やった!本当にできたんだ!
胸が跳ね上がり、思わず心の中でガッツポーズを決める。
――が、その直後、別の問題に気づいてしまった。
(やばい、これ……どうやって止めればいいの?)
コップの中はどんどん水で満たされ、まるで溢れ出しそうな勢いだ。
私は慌てて片手で本を捲り、必死に「水を止める方法」の項目を探した。ページをめくる指先が震え、紙が小さく擦れる音がやけに大きく響いた。
(だめだ、間に合わない!)
その瞬間、ふとひらめく。
――想像で水を生み出したんだから、逆に想像で止められるはず。
半ば開き直るように、私は「水が止まる」イメージを強く念じた。
すると、ぴたりと水の流れが止まった。静寂が戻り、思わず肩の力が抜ける。
……が。
問題はまだ解決していなかった。目の前には、すでに生み出してしまった大量の水が残っている。
「これ……どうしよう……」
床にこぼれたら大惨事だ。私は必死に周囲を見渡した。けれど、近くには誰もいない。
「あ!」
視線の先に、陽の光を浴びた出窓があった。そこには小さな花壇が設けられており、まだ蕾のままの花が並んでいる。
私は駆け寄り、手のひらで水をすくいながら一つひとつの鉢へと注いでいった。
水をもらった花たちは嬉しそうに葉を揺らし、蕾の奥でどんな色を秘めているのか――そんな想像が自然と広がっていく。
ひと通り水やりを終えると、どっと疲れが押し寄せた。
「ふー……疲れた……」
まさか図書館で花の世話をすることになるなんて。苦笑しながらも、どこか誇らしい気持ちが胸に残る。
深く息を吐き出した、その時。
「面白いことができるんだね」
不意に背後から声がして、私はびくりと肩を跳ねさせた。




