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異世界転生創世記

作者: SAND BATH

 彼ははじめ、北条陸という名前をもって第一の世界に生を受けたが、AO入試で何とか入学した私立大学を単位がとれずに中退し、それから就職のあてもなく、人生が詰んだ。旧友からはニート、親からはごく潰しと馬鹿にされ、笑われ、それが嫌で走行中のトラックに身投げして自殺した。


 人生を終わらせたかった彼が、まさか第二の世界“平凡勇者が努力して魔王に挑む、基本ほのぼの冒険譚”に転生し、記憶を引き継いだ状態で新たな人生を始めることになろうとは予想もしていなかった。


 異世界転生……前の世界の知識を活かすことで、新たな世界で活躍する物語の形式。彼はそれを知っていたがゆえに、この世界でなら大物になって大成し、まさに世界を救うことができるのだと確信し、明るい未来が約束されているものとして毎日を過ごした。すくすくと育ち、十五歳になった彼はその世界の習わしにしたがって勇者となった。


 だが、結局何も為すことはできなかった。そもそも、勝手に授業をさぼって大学を中退して身勝手に自殺した北条陸が、精霊の加護を生まれながらにして与えられた勇者、アンドリュー・ハイドライトに転生したところで、もともと何ら特別な知識を身に着けていなかったのだから、特別な活躍などできるはずもなかった。結局彼は普通の平凡な勇者のひとりにしかなれなかった。


 精霊の加護があるから一応は戦えたものの、魔王を討伐するには力が及ばず、同じく神の加護を受けたほかの英雄に先を越されたのが悔しくて、彼は結局自殺した。自殺すれば転生できるだろうと高をくくっていた。実際その通りになった。


 アンドリューは世を去り、再び異世界に生を受ける。


 次は第三世界“勇者が魔界の犬飼に転生してわがままケルベロスの世話をする”に転生したが、犬を一度も飼ったことがなかった彼は自ら“ハチ”と名付けたケルベロスに嫌われまいと媚びを振りまいた。結果、ケルベロスに舐められ、しつけもできない犬飼に用はないと父親に勘当、そのショックで自殺した。

 

 その次は“ダメ犬飼が魔術使いになって前の世界のケルベロスを召喚してみたところ最強の召喚師になった”、その次は“魔術師が剣なんて握れるわけがなかった件”……というように、彼は失敗と自殺と転生を繰り返し、しだいに自らの名前を忘れた。


 何度自殺して、何度転生したのか、彼はもう覚えていない。数えることさえ面倒になってしまった。名前もどうだっていい。どの世界に転生しても活躍できないことが問題だった。


 ちなみに今の世界は“非モテ勇者がハーレム作って魔王に挑む話”なのだが、やってくるはずの女性戦士や女性魔術使いがいっこうに“パーティー入り”せず、タイトル回収さえできないまま中年になろうとしていた。いったいどこで間違えてしまったのか、見当もつかなかった。


 もちろん、彼はいま自殺を図っている最中だ。


 勇者と魔王の世界にはトラックなんてものはないから、簡単に自殺したければ伝説の剣で自らの首を切断する必要があったが、さすがに彼にそんな度胸はない。崖から飛び降り、谷底に落ちることで彼はようやく死んだ。


(次はどんな世界だろうな。次こそは、絶対に成果をださないと)


 自殺に成功さえすれば、またどこかの世界に飛ばされる。そんな自らの運命を、彼は完全に理解してしまっていた。おかげで死ぬことはもう怖くない。結果を出せないことが一番怖い。


 結果を出せなければ、いつもひとりだ。姫が婚約者に名乗り出ることもなければ、戦友が親友になったりもしない。


 決意と期待と、そしてまとわりつく失敗の可能性に怯えを抱きながら、彼は夢に入っていくような、あやふやで気持ちのいい眠りにいざなわれ、意識が飛ぶその直前、いつもそのとき見ることができる転生先の世界の名称を確認しようとして――。


 何もない世界に、転生してしまった。



 いつもなら赤ん坊として、母の腕の中か赤ちゃん布団が敷かれた籠の中かベビーベッドの上で目を覚ますのだが、あいにく何もなかった。


 そもそも赤ん坊でもなかった。最初の世界で大学を中退して自殺を図った、二十歳そこそこの肉体年齢の状態で、ただ宙に浮かんでいる。白い光の中に包まれた世界だが、重力はない。かといって呼吸は普通にできるから、宇宙空間というわけでもなさそうだ。


「なんだここ? あの世、なのか」


 呟いてみたが、声が出せる時点でおそらくあの世ではない。喉を動かす筋肉の脈動から、まぎれもなく生きているのだという実感があった。


「じゃあ、なんなんだよ、ほんと」


 思えばこの世界に入り込む前、いつもなら表示される世界の名称が一文字たりとも表示されなかったことが気にかかる。生きている以上は転生に成功しているといえるが、とはいえ光の中を延々と漂い続けるだけの何もない世界など、これまで体験したことがない。


「誰かーーーーー!!!!!」


 しだいにこみあげてくる焦りが彼に大声を出させたが、彼の問いかけに応える者はいない。他人の

声どころか、物音のひとつも聞こえてこないのだ。風もないせいで鼓膜にほとんど刺激がなく、自分の心臓の脈打つ音が聞こえてきて、まるで時間とともに寿命が削られていくようで怖かった。


 そうして何分、何時間、光の中で虚無を漂ったことだろう。


 彼はようやく構造物らしきものを見つけることができた。もっとも、ただ何も動かず漂っていただけだが。



 破壊された古代の神殿。そう説明するのが適切な、どこか威厳のありそうで、しかし完膚なきまでに崩れて風化した、白い柱と白い床だけが残っている建物の跡地。壁も天井も祭壇もなく、体育館ほどの広さの床の、その果てに一本の柱だけが取り残されて、それは白い光の中を孤島のように浮かんでいた。

 

 彼はようやく自らの意志で全身を動かし、手と足をばたつかせることで方向を変えてその床に着地する。


 重力はないはずなのに、彼がそこに足をつけようと思ったその時、不可視の力が働いて足が白い床にくっついた。まるで磁力のようだが、彼は裸足だった。かといって、魔術使いとして生きたこともあった彼は、この床から魔力の痕跡を感じることもなかった。つまり魔術的な仕掛けが働いているわけではない。まったく不明の原理で足が地についたことになる。


 ただ確かなことは、彼が床に足をつけたそのとき、世界に音が響いたことだ。何もないこの世界の空気が次々と震え、反響し、世界のすべてを震わせる。


 当然だ。周囲には何もないのだから、彼の足裏が床に接する音だけが唯一の、この世界で奏でることができた音響となる。


「誰だ、その靴音」


 声がした。


 それは断じて彼のつぶやきではない。どこかおどけたような、聞き知らぬ男の声。


 彼は、背後を振り返った。そこにはさっきまで誰もいなかったし、何もなかった。なのに今は漆黒の鎧を着た長身の騎士が突っ立っている。


 中世ヨーロッパでよくみられる甲冑のようなデザインだが、両肩の先端に悪魔の角のような飾りが付けられていたり、胸部全体にうっすらと獅子の顔の紋章が刻まれ、赤黒いマントは蝙蝠の翼を思わせる。騎士の恰好でありながら全体的には合成魔獣(キメラ)の印象をもつ、矛盾を秘めた存在。


 何度も転生した彼は、それが異形であることを瞬時に理解した。成果は出せずとも、勇者として魔王に相対した経験はある。その経験が、彼に素早い判断を可能とさせた。


「魔王か?」


 身構えながら、彼はつぶやいた。キメラの黒騎士は甲冑のバイザーに覆われた頭をかすかに揺らし、息を吐き出した。


 笑っているのか。黒騎士は道化のような大げさな動作で肩をすくめてみせた。


「ご名答。ということは、貴様はここに招かれた最後の異世界転生者というわけだな」

「招かれた? しかも、最後? どういうことだ。何も、わからない」

「知らないのかね。では、知らぬうちに討ち取らせてもらおうか」


 黒騎士の口調はのんきなものだったが、その体の動きは実に俊敏だった。何も手にしていなかったはずのその右手は瞬時に深紅の刀を握り、斬撃を繰り出す。


 一瞬の剣さばき。黒騎士は間違いなく手練れの刀剣使いだった。


 彼は、しかしその動きに対応していた。


「避けた……俺が!?」


 彼は自分で自分の能力に驚いていた。これほどまでにうまく攻撃を避けられるとは思っていなかった。この世界では体が軽い。どんな動きも決まる気がした。


「避けた、か。私の剣筋もけっして悪くはないはずなのだがねえ。貴様の転生先は、勇者だったのかな」


 黒騎士はまたのんきにつぶやいたが、そのときにはすでに左手に銃を握っていた。虚空から武具を召喚する技術……過去の転生先で嫌というほど見た。


 だから彼は、黒騎士が銃のトリガーを引くより先に動くことで、弾丸を避けることができた。


「体が動く……動かせる!」


 過去に受けた“一人前の勇者になるための訓練”の成果だ。異なる世界の、異なる理屈のもとに成立したトレーニング法のすべてを引き継いで記憶している彼は、そのすべての知識を重ね合わせ、最高の動きにつなげることができる。


 もっとも、これまでは世界ごとに物理法則が微妙に違っていたり、敵の攻撃方法も異なっていたから過去の訓練の成果はまったく使い物にならず、引き継いだ意味を成していなかった。


 この白い光の世界は、過去のあらゆる世界と共通した物理法則を同時にもつ……特殊な世界らしい。


「なら、これも?」


 呟き、思うとおりに動いてみる――弾丸を避けた体の動きの向きをそのまま前方に切り替え、敵との距離を詰める。


「いでよ、わが魔杖!」


 彼は虚空に命じた。直後、彼の右手に魔法の杖が握られる。修練をおさめた魔術使いのみが持つことを許される、一人前の証……かつてそれをもって魔王に挑み、撃退されて自殺することになったときの杖だ。


「炎よ、わが敵を焼き払え!」


 簡素な呪文だが、魔杖の性能によって大いなる魔術が発現する。先端の魔法石に人の言語情報をあらかじめ記憶させたそれは、持ち主が詠唱した呪文を言語として理解し、“炎”“敵”“払う”といった言葉の断片から詠唱したいのであろう魔術の種類や属性、対象、効果範囲を推定し、本来なら長文を唱えなければ発揮されない呪文を杖の内部で詠唱して実行する。


 これまでは世界ごとに言語が異なるため、その性能を発揮することができなかった。


 いま、彼は豪火を解き放ち黒騎士に反撃する。


「この威力……高位の魔術を、この一瞬で?!」

「俺、ひょっとして、何かやっちゃいましたかね?」


 文字通り一瞬で生成された豪火を避ける術はなく、黒騎士はそのまま竜巻のような炎の激流に飲み込まれて消えた。


――それだけの力を持ちながら、なぜ、転生しようとしている?


 世界に反響する呪詛の言葉が、彼の鼓膜ではなく魂を震わせる。声ではない、念話……理解し、彼は一歩、後ろに下がった。


 直後、眼前を獅子の爪が通り過ぎていく。


 豪火によって鎧が溶け崩れ、黒騎士という依り代から解き放たれた人と合成魔獣の融合体が、一切の炎熱を吹き飛ばし、その姿を露にする。


 黒き鎧の胸部に描かれていた獅子の顔が、そのまま胸部に埋め込まれる形で具現化し、ついでに腕も獅子のそれに置き換わる。蝙蝠のようなマントは悪魔の翼に変転していた。頭と足は人間のものがそのまま残され、そいつは溶け崩れた冑を獅子の爪で自ら外し、火傷で覆われた哀れな顔面を晒して、勇者となった彼に醜い肉声を放った。


「なぜ自殺を繰り返し、転生を繰り返す? 世界の破壊者である私を、この姿に追い込むだけの力をもっていながら、なぜだ」


 地の底から響くような禍々しい声だった。それを聞いた彼は一瞬身がすくんだが、苦笑するばかりだった。力だなんて、とんでもないことだ。過去、転生先の世界から受け取ったものをあたかも自分の力のようにふるまっているだけで、彼自身は何の努力もしていないに等しい。


 先ほどの身のこなしも、いまふるった杖も、どちらもその世界の住人ならば誰もが当たり前に身に着けていたものに過ぎない。そのすべてを引き継いだことが、強いて言えば彼の独自性となっている。


「ここのことはよくわからない。でも、ほかの世界じゃ……転生先じゃ、俺は、ぜんぜん! ダメだったからだ!」


 彼は叫ぶようにうちあけると、杖を手放し拳を握る。一歩踏み込んで拳を突き出したが、それは敵にかすりもしなかった。


「なるほどな」


 敵は納得したような、見下したような、そんな穏やかな声を出すと反撃を繰り出した。それは的確に彼の胸にブチあたる。


「才がないから世を渡れない。誰かに認めてもらうには、とびぬけた才をわかりやすく示してやらねばならないから……貴様にはそれができなかった、というわけか。だが私も、貴様のような者から生み出されたもののひとつだ。見るがいい、この悪魔のような肉体を」


 敵の言葉と爪が彼の胸を貫いて、その命を奪うかに見えた。だが、胸を貫かれたまま、彼は生きていた。


 敵がその爪を引き抜くと、べっとりとした粘液がそこについた。そして、貫かれて穿たれた胸の穴が勝手にふさがっていく……彼は人の肉体をもちながら、同時に粘液によっても構成されていた。


 粘液が命をもってモンスターとなる、そんな不可思議な生命体がいる世界にも一度、転生したことがある。しかもそのモンスターとして、だ。結局勇者に討伐されて死んで終わったが、まさかその転生の経験がここでいきるとは。


 この場所は、どうやらすべての経験を自由に使えるらしい。これまでは世界の法則や君臨する神が微妙に異なっていたばかりに引き継いでも使えなかったすべてのことが、ここでは存分に振るえる。


 確信して、彼は敵の言葉に対応した。


「いろいろくっつけられて、なんだかひどい体だな。確かに、俺と似たようなものかも知れない」

「そのおかげで力が得られた。貴様も才はなくとも力があるようだ。私はこの力で世界のすべてを滅ぼした。この醜い肉体っで、ほかの世界も、次々と。そして最後に、すべての世界の結節点となるここにたどり着き、破壊した。私を生み出したこの世界のすべてを破壊することが私の願いだった。だが、この勇者を送り出す神殿を壊しきることができなかった。貴様を召喚する処理が完全に行われるまでは、ここは誰にも破壊できない」


 言葉を交わしながら、彼は一度手放した杖を拾った。自分にセンスがないのはさっき拳を外したことでわかってしまった。なら、これまで与えられた力で戦っていくしかない。彼は決意した。


 敵もまた言葉を口にしながら、彼の一挙手一投足を油断なく視界にとらえ続けている。互いの動きを見定め、隙を伺う。静かな戦いがすでに始まっている。そのなかで交わされる言葉がどこまで本気で、どこまで真摯なのか、わかったようなものではない。


 だが彼は、不思議と敵が嘘や虚勢を張っているとは思えなかった。直感だが、こいつは嘘をいう必要に迫られるほど無力ではないし困ってもいないし、ましてや思いやりの心などないだろう。だからきっと本音でしかしゃべらない。そんな気がしていた。


「何も守るものがなく、何も果たすべき使命も持たぬというなら、いっそ私とともに来ないか? 貴様のその力を活かしたい」

「ともに?」

「ああ。ともにこの結節点を壊し、世界を虚無にする。一度虚無にすれば、世界はまた揺らぎによって新たに生まれる。私と貴様は唯一生ける者として、そこで神になるだろう。どうだ? 新たな世界を意のままにできる。力を存分に示すこともできる。そんな夢の世界を、私と一緒に創らないか?」


 言葉とともに差し出される敵の醜い手が、彼には哀れに感じられた。彼はいくつもの世界で失敗し、去っていった。対して、この敵はいくつもの世界で戦い、勝利し、滅ぼして去っていった。


 勝者と敗者がともに行くなんてできるはずがない。彼はそう思った。


「俺とお前じゃ、違いすぎるよ」

「違う? 何がだ。力は互角だ、今のところはな。ひとまず私に負けなければいい。それだけの力をお前はもっている。お前には私の隣に立つ資格がある。戦って、そうとわかったのだな」

「いつも勝ってきたお前と、いつも負けて逃げてきた俺だ。ぜんぜん、違うんだ」


 彼は杖を投げた。敵は、投げられたそれに一瞬、視線をもっていかれた。


 その一瞬のうちに、彼は口笛を吹いた。


「助けてくれ、ハチ!」


 叫ぶと、その場から急いで離れた。


 直後、ガウ! と威勢のいい鳴き声が世界に響き、高位のケルベロスが敵に襲いかかる。


――相変わらずひょろっちい奴だ。俺様が守ってやるしかねえなあ!


 ガウ、ガウガウガウガウ! と吠えるケルベロスは上のようなことを言っている。彼にはそれがわかる。


「助かったよ、ハチ先輩!」


 かつてハチと名付けたケルベロスは犬飼だったころの彼を舐めくさったが、それは自分の上に立つ者として認めなかっただけで、下の身分の者、つまりは常に守ってやらなければならない下位の存在としてはちゃんと認識していた。過去の転生先から受け継いだもののすべてが使えるこの世界なら、助けを求めて口笛を吹けば、八チは次元を超えてでも駆けつける。


 ケルベロスの体当たりをいきなり食らった敵は体勢を崩していた。さすがに呪文を唱えない突発的な魔獣の召喚は想定外だったらしい。しかもただの魔獣ではない。地獄の門番といわれる魔獣の、特に高位の存在だ。


 敵は大きく吹き飛ばされていた。


「それに! むさくるしい合成魔獣の隣なんてのも嫌だ。俺は、それならかわいい姫がいい!」


 彼は叫び、突撃する。一瞬で敵に肉薄すると、自分の持ち物を招来する魔術で伝説の剣を呼び出した。


「俺は何も成し遂げていない。だからこれから成し遂げたいんだ。ぜんぶが滅んだ世界で、後から生まれてくる俺より弱いやつらを好きなようにできたって、俺は、ぜったい満足できない」

「高望みだ。それでは何も実現できない。当たり前のことだ。自分の身の丈にあった目標をもて。そうしなければ、一生、負け続けるだけだぞ。夢に人生を食いつぶされる」

「そんなことわかってんだよぉぉぉぉぉ!」


 それができたらここまで苦労していない。彼はそんな思いをかみしめて、不意打ちのように呼び出した伝説の剣の柄を握り、敵の胸部の獅子の口腔に、輝く切っ先を勢いのまま突き入れた。


 元の世界ではせいぜい薬の小瓶やハンカチ程度の小物しか呼び出せなかった招来魔術で、伝説の剣など呼び出せるはずがない。この都合のいい、おかしな世界だからこそできることだ。そんなこの場所が破壊されてはたまらない。すべてを虚無にして新しい世界を生み出すなんて、もってのほかだ。


 ここでなら世界を救う英雄になれる。もっとも、敵がすべてを壊したおかげで誰からも褒めてもらえないらしいが。


「私を、殺すのか……?」

「先に襲ってきたのは、そっちだ」


 敵の背中に伝説の剣が貫通する。彼はそのとき手を離した。そして、刺さったままの剣の柄を蹴った。そうしてその場から宙返りして離れ、敵の最期の反撃を避けた。


 獅子の爪がむなしく空を切り、着地した彼は敵が倒れ、光となって消えていくのを見た。


「どうせ、世界のすべては、私が壊した。お前の行くところはどこにもない」


 最期のつぶやきを遺した敵の顔は、確かに笑っていた。焼けただれた醜い顔でも、それくらいは判別できた。


 彼は何もいうことができなかった。敵は嘘をいうほど小さくなかった。そして、自分のような凡俗が倒していい存在でもなかった。それだけ大きな存在だったと思うがゆえに、敵の最期の言葉もまた真実なのだろうと思う。


「ここでまた、自殺すれば、次の世界にいけるのか」


 彼はそんなことを考えたが、呟いてみて、それは危険なことだと思えた。敵はすべての世界を壊したと言っていた。そして最後にここにきて、この世界にとどめをさそうとしていた……これが本当なら、いま自殺しても転生する世界はないだろう。


 本当の死が訪れる。それもまたかつては彼の望みのひとつだったが、いま死にたいとは思えない。


「ここが世界の結節点ってのが本当なら、唯一残ったこの神殿は……?」


 彼は床と柱だけが残る、この世界で唯一の構造物をよくよく見渡した。どれだけ見渡しても、体育館並みの広さの床の、その先端に柱が一本立っているだけの、廃墟でしかない。


 勇者を送り出す神殿。敵は確かにそう言っていた。世界の結節点に存在する、勇者を送り出す神殿……神様でもいそうなものだが、敵に消滅させられてしまったのだとしたら、自分のしたことはとんでもないことだったのだと、改めて彼はそう思う。神すら滅ぼした破壊者を消滅させてしまった。つまり、新たな世界が生み出されるきっかけを抹消してしまったということだ。


 虚無が訪れなかったおかげで、世界は破壊されたまま無様に残る。再生されず、次の破壊者がくるのを待つしかないのかもしれない。


 それでも自分をここに転生させて、あの破壊者を倒させたこと。それがもし、かつてここにいた神様の狙いだったとしたら。


 くしくも、さっきの敵も新たな世界の神になるとかなんとか、ごちゃごちゃ言っていた。この世界には、神様という概念が確かに存在したらしい。


「じゃあ、あの柱が一本だけ残されたことに……?」

 

 床の上を歩いて、ひとつ残った柱の目の前に立つ。何ももたないその手を触れると、それは柱から船の操舵輪に変わった。まるで大昔の海賊船のような、大仰なデザインのものだ。だがその中央には人の頭の大きさほどもある青い石――魔石が埋め込まれていることから、それがただのオブジェでないと思わせる。


 彼は魔石に触れた。同時に、記憶が蘇った。思い出そうとしたわけでもないのに、強制的に記憶が掘り返されていく。


 魔石に込められたエネルギーによって、脳の記憶をつかさどるネットワークが刺激され、活性化したのだ。


 直後、まるで泡のような球状のスクリーンが神殿の外に広がる白い光の中に出現する。泡の中には映像が表示され、それは彼がかつて転生した世界の光景を映すものだった。


「なんだこれ」


 泡は次々と生まれていく。魔界の犬飼がケルベロスをなんとか引っ張って躾けようとする世界、粘液の怪異が勇者に討伐される前に自らの能力を高めようと修行している世界、魔術師になりたての男が仲間を作らずひとりで魔王に挑んでいく世界……それはどれも彼が見てきた世界だった。


 試しに操舵輪を回してみれば、船が行き先を変えるように、床が向きを変えて、真正面に浮かぶ泡の種類を変えることができた。泡が目の前にくるたびに魔石が輝きを放つ。触れれば、ひょっとしたら真正面に見える泡の中……かつて転生した世界の中に行くことができるのかもしれない。


 そこまで思いついた後、彼は自分がここに招かれた意味を理解できた。そんな気がした。


「俺、ひょっとして、神様になっちゃった?」


 おどけたように言ってみたが、応えてくれる者は誰もいない。この白い世界の中には誰もいないのだ。


「でもここにあるのは、俺が主人公じゃなかった世界なんだよな」


 呟いてみて、深くため息をつく。かつて転生した世界とはつまり、失敗して自殺して逃げ去っていった世界のことだ。いまさら、戻ろうとは思えない。どうせ自分の強みのすべてが活かせるわけでもない。世界の結節点というこの場所が、たまたまそういう特殊な場所だっただけだ。


 彼は操舵輪を回して、回しつくして、何の泡もない位置に神殿の行き先を向けた。そして、操舵輪の真ん中に埋め込まれた魔石に手をのせる。


「俺が、挑むべき世界に」


 記憶から世界が生成できたなら、望み――願いから世界を生成することもできるはずだ。


 彼は、そうして未知の世界を創り出し、大きくジャンプした。新たに生まれた何も見えない泡の中に入ると、時間が逆行して、肉体の年齢が巻き戻され……彼は記憶を保ったまま、赤ん坊になっていた。


 言語も物理法則も、神様がいるのかどうかさえもわからない。ひょっとしたら悪魔がいる世界かもしれない。だが、成果を出したい。そのためには生き抜かなければならない。


 この世界でなら、きっと。いや、必ず……彼は何度目かの決意を胸に刻んで、まずは幼少期を過ごすことになる。

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