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「改めて、この度は私どもをお助け頂き、ありがとうございました」
「いやそんな、咄嗟のことだったし……。ひとまず頭を上げてくれ」
お嬢様、サテラと名乗ったドレスの女性はそう言って、サズに対して深々と頭を下げた。
一方のサズはといえば、身分の高そうな人間がここまでしっかりと頭を下げているのを見たことがない上、それが自分に向けられていることに戸惑ってしまっていた。
サズに言われてサテラは頭を上げたが、その顔はドレスと同じ夜空色のベールで覆われていて、傍目には顔の作りも表情もよくわからない。
だが彼女が纏う雰囲気からなんとなく、サズはサテラが自分とそう違わない年頃なのではないかと感じた。
「それで、今回の報酬の件なのですが。まずは、こちらを差し上げます」
サテラの後ろに控えた鎧の剣士が前に出て、テーブルに銀製のお盆を置いた。
その上には、こちらもまた銀製に見える、ペンダントのようなものが乗せられている。
ペンダントには青い小さい宝石がはめ込まれており、そこには魔力が込められているのがサズには僅かに感じられた。
サズは素直にこれが何なのかを尋ねた。
「これは?」
「こちらは月の女神アニェーラにまつわるお方、それもごく一部の限られたお方のみが人々に渡すことを許される、特別なアミュレットです。各地にある主だった教会でこちらをご提示いただければ、可能な限りの便宜を図ってもらえます」
セリーナがそう答えた。
アニェーラとは大陸各地で信仰されることの多い、比較的メジャーな神様である。
主に月、星、夜空などを司るとされ、旅人や行商人、冒険者や傭兵などの『様々な土地を移動することが多い人々』の間でよく仰がれている。
サズ自身も、そこまで熱心にというわけでもないが、一応はアニェーラを信仰している。
「なるほど、それでそのドレス……」
サズは小さく呟いた。
アニェーラを信仰する神官などは、しばしば夜空を模した法衣を着たり、星や月の意匠が施されたものを身につけるということを知っていたからだ。
「って、可能な限りの便宜?」
大陸各地にある教会は、それぞれが主神として仰ぐ神格こそ異なるものの、たとえ競合している神格の教会であっても、原則として『どこの教会でどの神格に祈っても祈りは届く』というスタンスをとっている。
そして『他の神格の信者であったとしても、無下に扱ってはならない』という決まりも存在する。
「はい。アニェーラを仰ぐ教会であることが望ましいですが、どちらの教会であっても、少なくとも寝食に困るようなことにはならないでしょう」
サテラが答えた内容に、サズは思わず口をあんぐりと開けたままアミュレットを見つめた。
普通、教会には困窮した人々を無償もしくは格安で泊まらせたり、食事を提供する仕組みがある。
それとは別に、教会に対して一定以上の寄進をすることで、伝統的な食事や由緒ある部屋での宿泊などの提供を受けることができる。
彼女が言う『寝食に困らない』とは、おそらく後者を寄進なしの無制限で受けられるという意味だろう。
「細かいご説明は私から後でさせていただくので、ひとまずこのアミュレットのことは置いておいて欲しい」
「あぁ、まずはっていってたな……」
セリーナがそう言って、アミュレットの乗った銀のトレーを一度下げさせた。
このアミュレットがまだ報酬のひとつ目でしかないことを思い出したサズは、どっと疲れが襲ってきたように感じた。
「サズ様は、魔術を使われますよね?」
「まぁな」
「魔術を使われた後、激しい頭痛が襲うようなことはありませんか?それか、昔と性格が変わったと言われるようなことなどは?」
「……ある」
サズは二年前の事件以降、怒りの感情を抑えることが難しくなっていた。
さらに、その時手に入れた炎の魔術を使いすぎた後は、頭の奥底から湧き出すような激しい痛みに襲われるのだ。
彼女たちについての後処理をいちどギルドに丸投げしたのも、この頭痛が大きな原因になっている。
サズはサテラに問題のない範囲、国やギルドから口止めされていない範囲で簡単に事情を説明した。
「サズ様。私なら治療できるかもしれません」
サズはサテラの言葉に驚き、目を見開いた。
「サズ様は、魂魄という概念についてご存知ですか?」
「精神と肉体がどうのってやつか?なんとなくなら」
「私どもの教えでは魄、つまり肉体の歪みや不調が魂、精神に大きな影響を及ぼすとされています。そして私には、あなた様の脳髄に大きな歪みが見えるのです」
「じゃあ、その歪みをちゃんと治せれば」
「はい、頭痛や性格が元に戻るかもしれません」
サズはしばらく考え込んだ後、サテラに尋ねた。
「依頼の報酬として、その歪みを治してもらえるってことか?」
「はい。ただし、脳髄の歪みが治ったからといって『頭痛や性格が確実に元通り』とは行かないかもしれないのです」
「原因が別のことだった場合、か」
「そうとは限りませんが、大体はそういうことです。そして、この治療の結果如何によって、金銭での報酬をお支払いさせていただきたいと思っています」
「マジか……」
サズは二年前から暴走する自分の感情にも、頭が割れるような頭痛にも辟易していた。
もしこれで少しでもマシになるのであれば、金銭の報酬は要らないどころか、むしろこちらが謝礼を払ってもいいと思えるくらいだ。
サズはサテラの方に向き直ると、ソファから立ち上がって頭を下げた。
「お、お願いします」
「承りました。セリーナ、部屋の準備は?」
「整っております」
サテラに尋ねられたセリーナは、返事をしながら隣室に繋がる扉を開いた。
サズたちが今いる応接間は続き部屋になっており、扉ひとつ挟んだ隣の部屋は寝室になっていた。
応接間に入った時からどこか見覚えがあったが、この続き部屋は自分がオーガから受けた傷を治療する時に使っていた部屋だとサズは思い出した。
応接室で控えていた鎧の剣士たちが隣の部屋に移り、何やら準備をしている。
「サズ殿。治療するにあたって、麻酔薬と睡魔のポーションを使わせていただく。何卒ご容赦を」
セリーナがサズに頭を下げながらそう告げた。
麻酔薬と睡魔のポーション、どちらも大掛かりな治療の際に用いられる、患者を動かなくさせるための手段だ。
サズは二年前にも、何度か怪我の治療で使われていた。
「わかった」
「本当は補助に頼らず行いたいのですが、なにぶん非才の身ですから……」
「いや、そんなことはないだろ」
サテラが申し訳なさそうにするので、サズは慌ててフォローした。
カーテンが締め切られた寝室に入り、サズはベッドに横になった。
麻酔薬を嗅がされ睡魔のポーションを飲まされたサズは、抗いがたい強い眠気に襲われる。
しかし、サズの意識は少しの間残っていた。
薄く開いた瞼の間からは、サテラの顔がすぐ近くに見える。
ベールをとったサテラの目は見覚えのある灰色で、額には人間の目のような模様が描かれていた。
サテラが何かの呪文を唱えるとその額の模様が光り始め、星空を湛えたような瞳がそこに現れた。
その星空に見惚れたところで、サズの意識は深い闇の底へと落ちていった。
◇
意識を失ってから小一時間ほどでサズは目覚めた。
「お嬢様、サズ殿がお目覚めになりました」
サズの意識が戻ったことに気がついたセリーナが、応接室にいるサテラを呼びに向かった。
サテラとセリーナに見守られながら、サズは体を起こす。
「サズ様、お加減はいかがですか?」
サテラは、サズに体の不調がないか尋ねた。
サズはサテラ達の方を見て、口を開こうとしてはやめ、また開いてを繰り返している。
彼女達に何かを伝えようとしているが、適した言葉が出てこない様子だ。
少ししてサズは急に、涙をぽろぽろとこぼし始めた。
「サズ様?」
「サズ殿!?」
程度の差はあれ、急に泣き出したサズを見てサテラ達は慌ててしまった。
「どうなされた、泣くほど頭が痛いのか!?」
セリーナが一番慌てた様子で目線を合わせ、ハンカチを取り出してサズの涙を拭こうとした。
「すみません、すみません……」
泣きながらただただ謝り続けるサズに、誰も、どうすることもできなかった。
しばらくの間泣いた後、サズは泣き腫らした目を擦りながらぽつぽつと語り始めた。
「忘れていた過去を、思い出したんです……」
それは、ともすれば荒唐無稽と笑われるような話だった。