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賢者の森。
カタリスのギルドに所属する冒険者であれば、誰でも一度は入ったことがある広大な森林。
名前の由来は、何代も前のカタリスのギルド長が放った『賢い新人はあの森でクエストをこなす』という言葉だとされる。
内部の探索は一通りされており、周囲にダンジョンはなく、危険度が高い魔獣が出ることも少ないということが調査でわかっている。
それでいて、採取依頼で必要になる薬草やキノコなどが大抵手に入るのだから、かなりの好条件が揃った場所だと言えるだろう。
元々は違う名前がついていたようだが、冒険者が揃ってそう呼ぶうちに、カタリスの街全体で賢者の森と呼ばれるようになった。
しかし、今から約二年前。
危険度が低いとされていた賢者の森で、新人パーティーがオーガにされる事件が発生した。
幸いオーガはその場で討伐されたものの、軽傷数名、重傷者一名という被害を出した。
この事件を受けて、賢者の森では王国騎士や冒険者などで構成された混成調査団による大規模な捜索が行われた。
しかし他の人型魔物や召喚魔術、ダンジョンなどの痕跡はひとつも発見されないまま調査期間は終了。
しばらくは厳重な警戒が取られていたが、現在までで人型魔物の発見例は二年前の一件のみ。
ここ数ヶ月は元どおりの日常が戻っていた。
さて、件のオーガ討伐に成功した新米パーティーはさぞ成長し、大きな成功をおさめていることだろう……。
◆
「んだとコラァ!!」
サズは、護衛依頼を出した商人にキレていた。
それはもう、烈火の如くキレていた。
「ヒィィッ!!」
「ちょ、ちょっとサズさん!まずいですって!!」
サズに胸ぐらを掴まれ、吊し上げられた商人は顔を真っ青にして悲鳴をあげた。
商人の専属護衛はサズの気迫に当てられたのか、その場で立ち尽くしたまま動けずにいる。
一方で護衛依頼を共に受注したカタリスの冒険者は、焦って止めに入ろうとする者や「またか」と小さく呟いて呆れる者、手を出さずにニヤニヤしている者など様々だ。
「あぁ!?こいつがイチャモンつけて来たんじゃねぇか!!お前らいいのかそれで!?」
「わかってますけど、そういうのはギルドを通してっていつも言われてるじゃないですか!?」
「るっせぇ!それでケチられた金が帰って来たか!?」
「あんたが騒ぎ起こさなきゃちゃんと報酬もらえるんですよ!!」
この商人、ゲドーは普段から何かと難癖をつけて、冒険者に払う護衛依頼の報酬をケチるという悪い評判が他の街のギルドから聞こえてくるような男だった。
彼にとって不幸だったのは、カタリスにまだあまり詳しくなかったことと、サズの評判を知らなかったこと。
そしてギルドの受付嬢にセクハラを働いたせいで、欠員の出た護衛依頼が被害者によってわざとサズに回されたことだった。
ぎゃあぎゃあとゲドーの店の前で騒いでいるサズたちに、一人の屈強そうな男が首の骨を鳴らしながら近付いてきた。
明るい茶髪は短く刈り揃えられ、浅黒い肌に走った血管がピキピキと蠢いている。
周りを囲む冒険者や野次馬は彼の姿を見て、ほとんどの者が静まり返り、一部の慣れた者たちはやれやれと肩を竦めた。
「サ〜ズちゃ〜ん、あんた何してんのかしらぁ……?」
「あぁ!?……げっ。す、スローン副長」
肩をポンポンと叩かれ、低音域の声に女性的な口調で声をかけられたサズは肩をピクリと震わせて固まった。
商人の胸ぐらを掴んでいた手を離し、まるで錆びたおもちゃのように背後を振り返る。
そこには冒険者ギルドカタリス支部の副支部長、スローンが仁王立ちしていた。
二年前の事件の調査で王都の冒険者ギルドから派遣されカタリスにやってきた、武闘派の荒事担当である。
所属がバラバラだった混成調査団では頻繁な揉め事が起こることが予想されたが、当時のカタリス支部の責任者は軒並み事務職員や文官の出身だった。
そこでスローンに白羽の矢が立ち、お目付役兼ギルド側の現場責任者を任された。
剣闘士出身の元冒険者で対人戦・対人型魔物にめっぽう強く、当時の小競り合いの大半はスローンによる素手での仲裁(本人曰く『グラップル・両成敗』)によって収められた。
サズはほぼ全ての小競り合いに参加していたため、彼に対する苦手意識が植え付けられている。
「ゲドーさん、うちのサズが失礼をして申し訳ありませんでした」
「副長、こいつ護衛の依頼料を……」
「お黙り・チョップ!!」
「ごべぇっ!?」
地面に転がるゲドーを立たせながら謝罪するスローン。
サズが彼に抗議しようとすると、目にも止まらぬ速さで脳天にチョップを喰らい、潰されたカエルのような悲鳴が口から漏れ出る。
スローンは、痛みにうずくまるサズを見下ろして言った。
「あんたは、あと」
「ひゃい……」
「はぁ、相変わらずの石頭ねぇ……」
スローンはチョップした右手をさすりながら、ゲドーに向き直る。
「ゲドーさん。依頼料の詳しい打ち合わせに関しては後日、改めて、しっかりと、お話しさせていただきます。うちのハナちゃんにしたことも込みでねぇ……」
「は、ハナちゃん?」
「テメェがケツ触ったウチの受付嬢だよ」
「は、はいぃ……」
その時スローンを直視していた者の大半が、彼の気迫にサズ以上の恐怖を感じたという……。
「では、ごめんあそばせ。サズちゃん、ギルドに戻るわよ〜」
「あ、ちょ、副長!?歩くから、自分で歩くからおろして!!」
「あんた逃げるでしょうが」
スローンはうずくまっていたサズを肩に担ぐと、颯爽とその場を後にする。
居合わせた者は一様に静まりかえり、身動きが取れなかった。
◆
サズ。
苗字のない、ただのサズ。
冒険者ギルドカタリス支部に籍を置く、ブロンズもしくは『みなしアイアン』の冒険者。
二年前のオーガ出現事件の関係者であり、一番の被害者。
そしてオーガを討伐した張本人である。
もともと正義感が強い性格だったものの、オーガ騒動以降はそれがしばしば暴走し、問題行動が散見されるようになる。
あまりにも問題を起こすため、カタリスのギルドは臨時措置として冒険者ランクの『みなし格下げ制度』を導入した。
通常、重犯罪を犯したものは強制的に冒険者資格が剥奪され、窃盗など軽犯罪の場合は事情によりランクの降格のみで免れる場合がある。
しかしサズの起こす問題は一応筋が通っていたり誰かの代わりに怒っていたりと、情状酌量の余地がある場合ばかりだった。
そこでカタリスのギルド支部長は、ブロンズランクの依頼を受けることができる代わりに貢献度の入り方や依頼料の基準はアイアン相当で扱うという『みなし格下げ』、またの名を『支部長苦肉の策』を発案、施行した。
現在までにカタリスでこの制度が適用された冒険者は、サズただ一人である。
◆
「はぁ……」
スローンにギルドまで担いで運ばれた後、支部長と二人がかりでこってり絞られたサズは大きなため息をついた。
そんなだからパーティーに見放されるんですよ、というギルマスの一言が胸に深々と突き刺さっているからだ。
そう。
サズたち四人組のパーティーは、サズの問題行動を主な原因に、紆余曲折を経て解散に至った。
解散後、盾役のジョーと斥候のアンジュは二人で王都支部へ移籍。
魔術師のニースはオーガ騒動をきっかけに懇意になった三人組のパーティーに編入、カタリス支部に一応の籍を残したまま、街を離れていった。
一方のサズは、ソロで依頼をこなすようになった。
巻き込まれて貢献点が下がることを嫌って、パーティーを組みたがる者がほとんどいなかったからである。
たまに欠員が出た護衛依頼に駆り出されたり、昇進に興味のない万年ブロンズランクのパーティーに臨時で加入するということはあるものの、誰かと固定メンバーで組むということはなかった。
淀んだ空気を纏いながら支部長室を出たサズは、ギルドの受付へと向かう。
「おいサズ、またやったなぁ!」
「万年ブロンズ、いや、みなしアイアンさんお疲れ様っす!」
この状態のサズには何を言っても反撃が来ないとわかっているため、ギルドの建物内に設置された酒場からは万年ブロンズ仲間による容赦のない野次が飛ばされる。
「でもよくやったぞ!!」
「あぁ、ハナちゃんのケツはみんなの共有財産だからな!!」
低俗な野次がギルド内に響き渡ると、各所から彼らに向かって物と罵倒の言葉が投げられ始める。
「サイテー!」
「どストレートにセクハラだよ!?」
「女の敵〜!」
「あんたらも万年ブロンズでしょうが!!」
……居合わせた女性職員や女性冒険者によって、万年ブロンズの野次集団はギルドの建物から追い出された。
「あっ、待ちなさい!!」
血気盛んな何名かの女性冒険者が、彼らを追いかけてギルドの外へと駆けていく。
一連の全てが自分の行いをきっかけに巻き起こっているという事実は、サズの胸に刺さった見えないトゲを奥へ奥へと押し込んだ。
サズが受付に着く頃には、体から魂が抜け出ているのでは?というレベルの落ち込みっぷりであった。
「あの、大丈夫ですか……?」
肩を落とすサズの元に、受付から耳と頬を赤く染めた女性が小走りで駆け寄る。
死んだような雰囲気を纏ったサズが顔を上げ、覇気のない返事をした。
「あぁハナさん……なんか色々とすみません……」
「私がサズさんにあの依頼を回したんですから、お互い様です」
彼女はハナ。
件の商人によるセクハラの被害者であり、『カタリス支部受付嬢人気ランキング』でベストスリー常連を誇る、美人のギルド職員だ。
ちなみにこのランキングの仕掛け人、もとい下手人は先ほど逃げた万年ブロンズたちだが、毎年懲りずに開催され続けている。
駆け寄った際にズレた眼鏡を直しながら、ハナは言葉を続けた。
「受付に何かご用でしたか?」
「一人で頭を冷やせと言われたので、常設依頼を受注して森に行こうかと……」
護衛依頼の帰還が朝早かったこともあり、現在はまだ昼過ぎ。
どうせ一人になるなら森に行って、ついでに小遣い稼ぎをしようという魂胆だった。
「わかりました、冒険者証をお預かりします」
ハナは困ったような笑顔を浮かべるとサズの冒険者証を預かり、受付に戻って手続きを始めた。
「あまり遅くまで森にいないよう、注意してくださいね」
「はーい……」
常設の小型魔獣討伐と薬草採取を受注したサズは、美人受付嬢の見送りを受けて少しだけ元気を取り戻し、ギルドを後にした。