宇城野晴彦の怪談考察~ひとりかくれんぼについての考察~
夏休みも終盤に入り、憂鬱の度合いが増してくるころ、スマホに着信があった。
『晴彦ぉー、助けてくれよ。ヤバイんだよ』
画面に表示された名前を見た時点で、嫌な予感はしていた。
スマホの向こうにいるのはクラスメイトの玉川香太郎。
子供の頃に藪につっこんで行って蛇に絡みつかれて悲鳴を上げながら出てきたことがあったが、そこから10年経っても何も変わっていない。
今はたしか、埼玉の親戚の家に遊びに行くと言っていたはずだが。
『従兄弟と肝試しで廃病院に来てるんだよ。そこでおかしなヤツに会って……ヒェッ!』
小さな悲鳴を上げてから、声が聞こえなくなった。
呼吸音は聞こえてくるので、必死に隠れているのだろう。
『行ったかな?行ったよな?ヤバイよほんと。ヤバイのが徘徊してるんだ。逃げたいのに出口がないし、どうしたらいいのか教えてくれよ』
スマホ越しじゃあ状況がわからない。警察を呼べよと言いかけたが、イタズラだと思われる可能性もあるだろう。
「出入り口がなくても、窓とかあるだろ。そこから出りゃいい」
『地下にそんなのあるわけないだろ。上に行く階段がなくなってるし、ヤバイのに見つかったらどうするんだよ』
そんなことこっちは知らないんだよ。そう思うだけで口には出さない。
今までの説明からすれば肝試しに行った先で狂人に追いかけられているだけの可能性が高いが、出口が見つからないという点で何らかの怪異に巻き込まれている可能性がある。
怪異にはそれなりのルールがあり、そのルールに従って対処をすれば無事に終われる可能性がある。
もちろん問答無用に襲われることもあるが、そういう危険な部類のものはよっぽど運が悪くないと遭遇しないはずだ。
ただ、怖い目に遭ってる本人に言うわけにはいかない。
「とりあえず、なんでそんなことになってるのか説明してくれよ。じゃないとアドバイスのしようがない。その廃病院て、人里離れた山の中にあったりするのか?」
『いや、近くに住宅街もあるし車がよく走ってる道路がある。あとショッピングセンターもちょっと行ったところにある』
「……そこを徘徊してるのって、普通に狂人のたぐいなんじゃないか?警察に連絡しろよ」
『ちがうんだよ、そうじゃないんだ。狂人というか犯人はもう動けなくなってる。というかロッカーの中に引きこもって出てこない。だから徘徊してるヤバイのは人間じゃないんだよ』
「……マジかー」
怪異だと確定してしまったか。それを最初に言ってほしかったが、動揺している相手に理性的な行動を要求しても無理だ。
欲しい情報をこっちが誘導して提出させるしかない。
「そのロッカーにいる犯人から、何をどうしてそうなっているとか聞き出せないか?」
『それなら最初に聞いた。【ひとりかくれんぼ】をやってたけど、怖くて止められなくなったとか言ってた。オレどんなのか知らないんだけど、晴彦はどうだ?』
「それなら知ってる。わりと有名なネットロアだ」
【ひとりかくれんぼ】とは、降霊術の一つだと言われている。
かくれんぼという遊びを軸にして状況を整え、ぬいぐるみを依り代にして雑霊を呼び出す。
万民に知られた遊びを下敷きにすることでルールの設定が簡略化されているため、シロウトでも比較的簡単にできてしまう降霊術だ。
あくまで“比較的”であり、怪異状況を作り出すにはそれなりの下準備が必要になるはずだ。だが偶然か分からないが状況が成立しているのは間違いない。なぜなら香太郎が今まさに巻き込まれているからだ。
怪異に遭遇しているのに電話が通じるというのも、【ひとりかくれんぼ】ならありえないことではない。
外へ助けを求めたり、赤の他人が紛れ込むパターンも聞いたことがある。
「わかった。じゃあその【ひとりかくれんぼ】を終わらせよう。まずはその犯人のところへ行ってくれ」
『は?オレが行かなくちゃいけないのかよ。徘徊してるのに見つかったらどうするんだよ』
「終わらせるには、ルールに従って行動する必要があるんだよ。じっとしててもいつかは見つかるぞ。それに犯人が生きているうちに必要なものがある場所を聞かなきゃ、香太郎がコツコツ探すことになるんだぞ。徘徊するヤツに怯えながら全部の部屋を探すことになってもいいのか?」
『……うう、わかったよ。行けばいいんだろ行けば。それで、必要なものって何だよ。向こう行ったらスマホで話してる余裕ないかもしれないから今教えてくれ』
香太郎の言うことももっともだ。終了方法も簡単なので、いっしょに教えることにする。
「必要なのは塩水だ。コップ一杯の塩水。その塩水を口に含んだまま歩いて鬼役のぬいぐるみを探して、コップに残ったヤツと口に含んだやつを順番にかけて、『自分の勝ちだ』って三回言う。それで終わるはずだ」
『は?徘徊するヤツに会ったら殺されるかもなんだが!?』
「息を止めれば気付かれにくくなるはずだ。感知能力が高かったら、とっくに見つかってるだろうからな。なんとか頑張って終わらせてくれ」
『マジかよ。他人事だからって無責任だな。わかったよ、やるよ。でも、怖いから電話つなげててくれよ』
「わかってる。ちゃんと聞いてるから早く行けよ」
『怖いんだよ。従兄弟は助けにきてくれないしさ。晴彦が来て代わりにやってくれよ』
「もうすぐ深夜だ。電車が止まるぞ。それに【ひとりかくれんぼ】は2~3時間で終わらせる儀式だから、俺が行っても間に合わないだろ。急いだ方がいいかもしれないぞ」
『ヒェッ、急に焦らせるなよ』
「落ち着けよ。ネットにある情報だけだと儀式として不完全だから、強力な悪霊とかは呼び出せてないだろうよ。実行犯がびびってるくらいだから、魔術を理解して実行したわけじゃないだろ。だから大丈夫だよ」
たぶん、きっと、そうだと思う。
香太郎は考えなしに突っ走りがちだが、走り出したら止まらずに進み続ける勇気がある。
最初の一歩さえ踏み出させることさえできれば、あとは勝手に進んでくれるのはいいところだ。
『なんか騙されている気がするんだけど』
「俺の言葉が信じられないなら、勝手にやってくれてもいいぞ」
『そんなこと言われても、オレには何も分からないんだよ。見捨てないでくれよ』
「香太郎なら大丈夫だ。頑張れ」
『がんばる』
そんな風に勇気づけながら通話していると、どうやら犯人が隠れているロッカーにたどり着いたようだった。
『もしもーし。生きてますかー?ちょっと聞きたいことがあるんだけど、大丈夫ですかー?おーい、開けますよー、……気絶してる』
犯人とやらは、ロッカーの中で気を失っているらしい。
そこまで怖がるならやるなよと思ったが、まさか本当に怪異が発生するとは思ってなかったのかもしれない。
そもそも自宅でやらずに廃病院に侵入してやってるあたりが、自業自得だろう。
『これは、ビデオカメラか?ええと他の持ち物は……、もしかして、塩水ってこれか?市販の熱中症予防用の食塩ドリンクだ。しかも未開封』
「お手軽だなあ。まあ、塩水には違いない。それに香太郎にとってもよかったんじゃないか、知らないヤツが口つけたものじゃなくて」
『そりゃそうだけど。でもやっぱりオレがやるしかないのか』
そこは諦めてもらうほかない。犯人と同じで、肝試しに来なければ遭遇することはなかったのだから。
『うう、怖いなあ。ぬいぐるみはどこにいるんだよ』
「とりあえず、水を使える場所を探すんだ。風呂場があれば一番あやしい」
『風呂場?病院の地下にそんなところあったっけ……。って、徘徊してるのが来た』
ガタゴトと音がして、そこから無音になる。きっとロッカーの中に隠れたのだろう。
スマホに耳を澄ませていると、妙な音が聞こえてきた。
最初は小さな羽音みたいだったが、いきなりボリュームを最大にしたような、耳をつんざく音が発される。
とっさにスマホを頭から離したが、キーンという耳鳴りが残ってしまった。
『……った…………でも…………だっ……な……』
「悪い、今ちょっと、耳がおかしくなって聞こえない。こっちは大丈夫だから、ぬいぐるみを探してさっき教えたとおりにやってくれ」
予想してしかるべきだった。
呼び集められるのはどんな由来を持つか分からない雑霊なのだから、どんな攻撃をしかけてくるか分からないんだ。怪異が電波に干渉してきてなかったとしても、紛れ込んだ雑霊が妙な特技を持っていてもおかしくはないんだ。
耳をさすりながら回復を待つ。
突然のことでびっくりしたけれど、音量が大きかっただけだったようだ。
時間がたつにつれて聴力も戻ってきたので、今度はちょっと警戒しながらスマホに耳を近づけた。
『あった、見つけた。ぬいぐるみだ』
「見つけたか?じゃあ塩水を口に含むんだ。ぬいぐるみは赤い糸の縫い目があって、あまった部分が巻き付いてるはずだけど、それはあったか?」
『むむっ!?むう……。む、うんうん』
「あったか。なら塩水の残りをそれにかけて、次に口の中の塩水もかけるんだ」
ペットボトルから水が流れる音がして、その後に「んべえっ」と吐き出す声が聞こえる。
『オレの勝ち。オレの勝ち。オレの勝ち……どうだ?』
「こっちは判断のしようがない。いちおう気をつけながら、登り階段を探してみるんだ」
『オッケー。って、すぐそこに見えた。うわあ、あんな所にあったのに、今まで全然みつけられなかったよ』
どうやら無事に【ひとりかくれんぼ】を終わらせることができたようだ。
「終わったみたいだな。もう夜中にいきなり連絡してくるのは止めろよ。じゃあまたな」
『ちょちょちょ、あっさりすぎない!?まだ病院から出れてないんだから、もうちょっと通話してくれててもよくない?』
「もう眠くなってきたんだけど?はあ。わかった、病院出て、そっちの従兄弟と合流するまでならいいよ」
『ありがてえありがてえ。ほんと晴彦さまさまだよ』
駆け足で階段を上る音がする。
『うわっ!?』
「どうした!大丈夫か!?」
『急ぎ過ぎてこけた。痛え』
びっくりしたが、無事なようでよかった。
その後、香太郎は無事に廃病院を脱出することができた。
従兄弟と合流した後は警察に連絡し、儀式を行った犯人は回収されたようだった。
香太郎は従兄弟ともども警察にも家族にも怒られたらしい。ただあいつのことだから、反省したとしてもまた似たようなことをくり返すだろうけど。
◇
そしてその翌日、俺は香太郎が侵入した廃病院の地下に来ていた。
時間は昼過ぎのまだ熱い盛りだが、地下は妙に冷えていた。
香太郎が通ったルートを予測しながら、部屋をひとつひとつ覗いていく。
問題のぬいぐるみがどの部屋にあったのかは耳鳴りのせいで聞き逃していたが、階段の近くの部屋だとは聞いていたのでしらみつぶしに探していた。
「たぶん、ここかな」
そこは元は女子トイレだったのだろう。扉のない個室が順番に並んでいる、タイル張りの部屋だった。
入り口の近くの手洗い用の流しが残っていて、そこにぬいぐるみがいたらしい。塩水の飛びはねた跡が、よく見れば残っていた。
俺はそこから出ると、すぐ隣にある男子トイレに向かった。
男子トイレと女子トイレは鏡映しに近い構造になっていて、手洗い用の流しは壁一枚を隔てているだけになっている。
流しの上に鏡は残っておらず、小さな穴がひとつあるだけだった。
そこから振り返ると、掃除用具用のロッカーがぽつんとひとつ残っていた。
そもそも、犯人はなぜこんな場所で【ひとりかくれんぼ】なんてやろうとしたのか。
用意した手順もお手軽なもので、むしろ怪異を起こしたくなかったのではと思えるほどのお粗末さだった。
そして犯人は、ビデオカメラを持っていたという。
もしかしたらと思って調べてみると、犯人は動画投稿サイトでチャンネルを開いていることがわかった。
怪奇スポットに侵入して動画を撮影したものが、いくつも投稿されていた。
再生数が多いもの中心にいくつか見てみたが、そのどれもが、本人が撮影したものとは別に、第三者の視点のものもあった。
だから、きっと残っているだろうと思って探しにきたのだ。
掃除用具用のロッカーをゆっくりと開く。そこには、カメラを抱えたまま気を失っている、元、徘徊者がいた。
「最後のひとり、見つけた」