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夢を売る人

作者: にゃんち5号

 寒い夕方だった。天気予報は今夜は冬の嵐になると言っていた。強く吹く風がむきだしになった首筋を刺して痛いほどだった。人の顔の見分けも覚束ない黄昏時。人気のない薄暗い路地。心がささくれ立っているのが分かる。

 僕は自分の心を叱咤して、目当ての場所にたどり着いた。「夢買います」と手書きされた小さな紙が貼ってあるドアがあった。そのドアを開けて、中に入っていった。毎日といっていいくらいこの小路を歩いているのに、どうして今まで気がつかなかったんだろう。その気にならないと入り口は見えないという噂は本当だった。

 中に入ると薄暗い通路の上に案内の矢印が浮かび上がり、それに従って行くととある部屋にたどり着いた。部屋の中には大きなモニター、机と椅子。それだけがある簡素な部屋だった。ドアを閉めて次に何があるのか伺っていると、ブンという機械音とともに正面のモニターが明るくなった。そこにCGのロボットが映し出された。ロボットが話しかけてきた。優しそうでいて親しみを感じさせない若い女性の声。

「どうぞ、お掛けください。夢をお売りに来た〇〇さんですね」

「・・・はい」

「机の上のセンサーに右手を翳してください」

 机の上に掌の形をした図形が現れた。

 僕は諦めて、大きく息をはき、言われるままにした。

「ほう、十五年ものですね。作家になりたかったんですね」

 僕の胸の奥が酷く疼いた。事務的な声が続く。

「それでは同意事項を確認してください。確認欄にチェックを入れ、お持ちのIDカードを所定の場所に翳してください」

 机の上に別のモニターが登場した。チェックすべき項目が赤く表示されている。指の先でモニター上の「はい」の隣の□にタッチしていった。同意書は誓約書を兼ねていた。

「はい、これで手続き終了です。買取代金は、明日、あなたの口座に振り込まれます」

 僕の夢は一体幾らで売れたのだろう。

 入って来たときとは違った通路を通って外に出た。薄暗い通路。一体何人がこの通路を通ったのだろう。すでに町は夜の帳の中に溶け込んでいた。希望が無くなるとむき出しの肌を刺す寒風が一層強く感じられる。知らずに下唇を強く嚙んでいた。懐かしい血の味がした。


 パンドラの匣に最後まで残っていた「希望」。人間に害をなすありとあらゆる苦しみのひとつ、「希望」。希望は人の生きる糧であると同時に、苦しみでもある。徹底的に管理された社会。出生時のDNA検査によって、その人間が何によって社会にもっとも貢献できるかが判定される。用意されたコースから外れようとする若者は、社会の安寧を乱す不要分子でしかない。政府は二十歳になる前に、分不相応な夢に憑りつかれた若者に夢を諦めさせる手段として、夢の買い取りを始めた。幼いころからの将来の夢を諦め、社会に必要な歯車になる。芸術はDNA解析によって適性があると判断された若者が専門の教育を受け、毎日、水準以上の作品を産み出せばいい。不相応な夢に憑かれた人間は役に立たない。不適応と生まれながらに烙印を押された若者たちは、僕と同じように自分の夢を売りに来る。夢への思いが強いほど、思い続けた時間が長いほど夢は高値で買い取られるという。しかし、二十歳過ぎると高く売れなくなってしまう。僕の夢は一体幾らと評価されたのだろうか。


 夜の街をどう歩いたのか覚えていない。気がつくと自分のアパートの前に来ていた。

「ただいま」

 務めて明るい声を出そうとしたが、変にしゃがれた声になっていた。

「お帰り。遅いから心配したよ。お腹空いているよね。作ってあるからいっしょに食べよ」

 彼女も務めて明るい声を出そうとしているのが分かる。

 会話のない夕食はすぐ終わる。僕は書き溜めた作品をPCから消去しようとして止めた。僕の時間と心づくしの証である作品は誰からも読まれずに終わる。夢を諦めても自分の余暇に趣味としてやればいい。何度となく周りに言われ、自分でもそう思おうとした。毎日決まった場所で与えられた作業をこなす。日曜日や休日に趣味で書く。ネットでも発表する場があるではないか。書くことは同じでも世に出ようとして書くのと趣味で書くのとでは大違いだ。僕は何故か頑なにそう思った。だから、日曜作家になって上手く書けたらきっと嬉しいと思うだろう。そういう平凡な人生を手に入れる・・・。初めて悔し涙が滲んだ。


 ある日、彼女が姿を消した。わたしのために夢を諦めた僕を見ているのがつらい。そう書かれた書置きがあった。

 僕は天を仰いだ。気分とは裏腹によく晴れた気持ちのいい青空がそこにあった。僕は吸い込まれそうな碧落の彼方をずっと見ていた。


 新しい生活は予想通り退屈なものだった。対人関係の苦手な僕は野菜工場の雑用のような仕事を選んだ。種類の特性に合わせて配合された栄養分の入った液体を与えられ、成長を促進する青い光のなかで野菜がすくすく育っていく。全てが自動化された清潔な野菜工場。二十四時間稼働している工場に必要な人員は少ない。たまに機械の調子が悪くなることがある。部品交換なのか丸ごと交換か。それはAIが判定する。AIから出たオペレーションを実行する手配をするのが僕の仕事だ。他の誰にも会いたくない僕は夜勤のシフトばかりを選んだ。日勤より少し実入りがいい。それに他の仲間に感謝される。

 仕事は雑多だった。毎日実施されている品質検査で求められたレベルを維持するのも大事な仕事の一つだった。出来る限りヒューマンエラーの発生を防ぐように設計されたシステム。勿論エラーに対する自己修復機能があり、AIが記録する稼働記録をチェックするだけだ。誰にでも出来る仕事。長くやっていればそれだけ習熟し達人の域に達するということもない。おそらく何も得られずに時期が来たらお役御免になり、死ぬまでの時間を見つめて暮らす人生が待っている。週に一回上司に当たる輪郭のぼんやりした男とミーティングをする。何事もなく過ぎた週は申し送りの確認と上からの指示-他の工場と比べて発生する不良品の割合が少し高い点をどうにかしろなど-を伝えて終わり。僕が確認の署名をしてまた来週となる。目の前の男がどういう経歴でどういう家族を持ち、休日は何に熱中しているかなどというやり取りは一切ない。男が僕に聞くこともないし、僕が聞くこともない。道で会っても多分自分の上司だとは気づかないだろう。

 報酬は平均的な額だった。贅沢をしなければ平均的な人生を送るのに十分な額だ。結婚をして子どもをつくり家をローンで買い、小さな自家用車をこれもローンで求め、たまに外食し、ごくたまに旅行に行くことができるようなそんな額だ。


 味気のない日々を過ごしていても、四季は移り変わる。毎日、といっても僕が出勤する夕方のことなのだが、勤め帰りの少しくたびれた初老の男とよくすれ違っていた。どこといって特徴のない、そういう意味では僕と変わりない男が、季節の変わり目をさかいに会わないようになった。一瞬病気なのかなと思ったけれど、定年かと思い直して彼のことは頭の中から追い出した。同じころ学校が終わってこれから塾に向かおうとしているような中学生の集団の顔ぶれも変わってきた。そういった中で僕だけがその変化から取り残されていた。

 時間だけが容赦なく過ぎていった。

 あるときネットの投稿サイトで刺激的な作品に触れた。

 選ばれた者のつくる陳腐なしかし浅く面白い小説が巷に溢れていた。いわば型通りの筋書。飽きさせないのは題材がよく練られているからだった。ハリウッド大作のように途中までは飽きさせない物語がつづき、そして信じられない展開をしてあっさり終わる。先の読めるお話ほどうんざりするものはない。

 その作品は文章は粗削りなところが散見されたものの、僕の乾いた気持ちに程よい湿り気を与えるようなナイーヴさがあった。夢中で読み、読み終わって大きなため息をついた。そういう経験を前にしたのはいつのことだろうか。思い出せないほど昔のことのようだった。僕の心の中でチカッと煌めく閃光が爆ぜた。そして思い出した。僕はこういう作品を書きたかったのだ。

 そうだ作品を書こう。誰に読まれなくてもいい。自分で納得できる散文を作り上げよう。

 幸い仕事は大きな波もトラブルもなく進んでいた。僕は優秀なオペレーターになっていた。毎月の目標を十数か月も連続してクリアしているのは勤めている組織の中でも僕とあと数人だけだと上司が言っていた。優秀な人間は上へ行くと上司は言った。彼が冗談めかして、「俺を追い越して上に行っても忘れないでくれよ」と言っていた。僕はきっと無表情だったのだろう。それ以上のことを上司は言わなかった。

 いつか書いてみたい素材をメモしてあったノートを取り出した。どこにいったかと狭い部屋の中を探すのに手間取った。とりあえずテーマを決めよう。テーマは何でもよかった。それを「作品」に仕上げるのが当座の目標だった。そして修行のように文書を書く日々が始まった。

 幸い務めは週に五日間、それも六時間労働と法律で決められていた。だから四交代制プラス管理者としての業務がほぼ一時間加わるものの、その他は自分が好きに使っていい時間が与えられていた。

 基礎力をつけるための本格的な読書も始めた。本格的にとは、書くための読書という意味だ。若いころのように好きなものを好きなだけ読むというのではなく、この国の古典や古来大きな影響を与えてきた隣国の古典を読んだ.十代のころには黴臭いと敬遠していた古典。何百年もの歳月、数多の人々の目に晒されてもその魅力を失なわない生命力はどこからくるのか。物語の面白さや発想の奇抜さも大いに勉強になったけれど、一番の収穫は「作品」としての生命力の源を感じることだった。

 読む方は進んでも、書く方は進まない。自分が表現したい内容とそれを表す文字がきちんと対応しているか。夢を売るまでは勢いで書いていた文がどれほど稚拙であったか思い知った。

 どうにか短い作品を仕上げた。主人公の身辺雑記。大きな出来事のない毎日の日々。時間が緩慢に過ぎていく変化のないような日々を言葉の贅を尽くして描写していく。出来るだけ過剰にならないように、出来るだけ平板にならないようにと。言うは易く行うに難い、そういう作業に没頭した。時間はあっという間に過ぎていき、次の日のために食べそして寝る、しかし生活の中心に表現者の集中がある。仕上げた作品は自分のPCのファイルにしまった。書き上げると次のテーマが思い浮かぶ。作品として仕上げてしまえばお終い。ファイルにはいつか書こうと思っていたテーマが作品となって増えていった。

 投稿サイトで注目した作品の作者との文字だけの交流。作品の結構について批評を書きそれに作者が反応する。作者によっては自分の分身が腐さされたと感情的になることもあるが、少数ながら聞く耳をもった者もいて、自分の読みの浅さを指摘され勉強になることも多かった。その中の一人から、「あなたも作品を書いているのなら一度厳しい批評眼に晒されるのもいいのでは」という慫慂があった。喉の奥に刺さった魚の小骨のようにその言葉がつきまとった。ある日、堂々巡りを終わらせようという気になった。昔使っていたペンネームで思い切って投稿してみた。

 久しぶりに胸がざわついた。酷評されたらどうしよう。単なる揚げ足取りなどにはビクともしない自信はあった。怖いのは理詰めでダメだしされることだ。ここの「は」はどうして「が」でないのか。主人公の視点がこことここの描写で揺れているのは理由があるのか等々。作品として提出している以上それは避けられない通過儀礼のようなものだ。それでダメになる作者なら所詮それまでものだ。分かり切っていいながら投稿後の反応を見るのが恐かった。

 最初の投稿は概ね好評だった。「よく書けている」はいい。毒にも薬にもならない。「物足りない」「内面の掘り下げが甘い」という指摘は覚悟の上だから、そこに具体的な指摘があれば大いに勉強になった。どこの世界でも才能のある者はいる。世に出るかどうかは運が左右することも大きいファクターだ。しかし一番の収穫は素晴らしい作品はいつも少ないということだった。SF作家の名を冠した「スタージョンの法則」というものがある。作品と称するものの90%はゴミ同然のものらしい。それはオーバーグラウンドでもアンダーグラウンドでも変わりがない。過去の栄光を引きずり退屈な自己模倣を繰り返す大御所作家はどこにでもいた。新しいものを常に求めて実験的な作品を書く作家は毀誉褒貶が激しく、それに負けて消えていく者もいる。それでも刺激的ではある。

 いつしか投稿の数も増えていき、いわゆる固定した読者がつくようになった。

「感動しました」

「自分のことかと夢中になって読みました」

「先生の気負わない文体にいつも癒されています」

 先生か。くすぐったいような称賛のことばには、警戒しつつも自然と口元が綻んでしまう。

 その投稿サイトにはいわゆる「投げ銭」機能というものが付加されていた。全て無料で読める仕組みになっていたけれど、投げ銭の多寡で作品への感動を作者に伝える仕組みだった。

「感動をありがとう。次の作品を心待ちにしています。少ないですが喫茶店でコーヒーでも飲んでください」と多分小遣いの範囲で送付してくれる読者もぼつぼつ出始めた。

 夢を諦めない主人公の悪戦苦闘の日々を、自分の経験を重ねて作品を書いた。淡々としかし芯に勁さのある文体を採用した。誰にも似ていない自信があった。これで自分の世界が出来たと思った。推敲を重ね無駄を削ぎ落し、当初の字数から大幅に少なくなった。装飾を少なくした分、自分の表現したいものの直截性が高まったと感じた。

 往々にして自信は自己愛の裏返しである。根拠のない自信は脆いけれど、根拠のある自信は独りよがりになりやすい。僕が頼りにしたのは自分の美意識だけだ。僕の美意識がOKを出した。だから人目に晒すことが出来る。

 作品の反響は大してなかった。期待した程にはというべきか。または作者の独りよがりの満足を誘う程度にはと言うべきか。しかし、一部の読者から強く支持されたようだった。

「いつも感動をありがとうございます。先生のファンです」

「今作は読んでいるときに震え出してしまい、読む終えてもしばらくその震えが収まりませんでした」

「私も自分の夢を諦めかけていました。先生のお作に触れて夢を諦めなくてもいいと分かりました」

「夢を持ち続ける意味がはっきりしました。ありがとうございます。わたしも頑張ります」

 投げ銭の総額が思わぬ数字を示していた。一般的に、これは自由価格ながら自作が売れたと思っていいのだろう。オーバーグラウンドでは到底叶わなかった僕の小さな夢がこんなかたちで叶ったといっていいのか。作品を書く。それを待ってくれる読者がいる。そして少額ながらその努力は金銭で報われる。僕を待っていてくれる読者のために書く。この有様はとても幸せなことに違いない。

 幸いなことにアイデアは次々と湧き出してきてくれた。トルストイの『人にはどれほどの土地がいるか』を思い出した。僕は小さく、だけど会心の思いでいつまでも笑っていた。



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