7.母と息子
セシルがシェリーと瞳の話をした日の夜。
公爵家では久しぶりに2人の親子が夕食を共にしていた。
公爵夫人であるオリビアは、心ここに在らずの、まるで魔力で自動的に動く魔導人形の様に夕食を口に投げ込んでいる息子を眺めていた。
文句の付け所もなく育った愛息子は、幼い頃から悩み事や考え事に没頭すると、この様な魔導人形と化す。
久々に見たわね、などと思いながら魔導人形と化している息子に話しかけてみた。
「何か悩み事?もしかして恋の悩みかしら?」
と、愉快そうな目で息子をからかってみたのだが。
いつも冷静で掴み所の無い息子には、予想以上にクリーンヒットしたようだ。
ぶふぉっ!と今口に入れたばかりのスープを吹き出しかけて慌ててナプキンで口を拭いている。
むせてしまった息子は水を飲みながら、横で笑う愉しそうな母に向けて抗議の瞳を向けた。
オリビアはそんな抗議をものともせずに、浮かべた笑顔を崩さず、それでいてどこか真面目な声色でさらに踏み込んでみる。
「もしかして、シェリーちゃんに惚れちゃったのかしら?まぁあんなに可愛いものね。でもセシル、番を探すのは諦めたの?」
一瞬の静寂の後に続いた息子の言葉は流石にオリビアでも驚くものだった。
「もしかしたら…シェリーが私の番かもしれません」
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あまりの驚きに、夕食どころではなくなった母に、「詳しい話を!」と急かされ、セシルは母とリビングで紅茶を飲みながら昼間の話をして聞かせた。
一通り聞き終わった母の顔には困惑が浮かんでいる。
「セシルの瞳が緑になるのは、シェリーちゃんに触れた時だけで、シェリーちゃんの瞳の色は変化がないのね?しかも、色の変化も中途半端らしいと?」
セシルは母にそう確認され、そのようです、と答えた。
リンデンバウム王家の血筋には、稀に初代の聖獣の血を色濃く継いだ者が産まれる。
その者達は、今は大分少なくなった獣人や、古の龍族にもあるように、生涯の番となる相手を強く求める傾向がある。
これは強制されて探す訳ではなく、産まれた瞬間から、生涯を共にする番、伴侶となる者を、魂が求めてしまうのだ。
その者が運良く番を見つけることが出来ると、お互いに瞬間的に強い繋がりのようなものを認識し、体のどこかに変化が現れる。
リンデンバウム王家に伝わるそれは、お互いの瞳の色が深緑に変わるというものだった。
今のセシルとシェリーの状態を言い表すとすれば、運命の番なはずなのに何故か片思い、みたいな半端な感じである。
セシルの方も、自分の瞳の色が変わっていた事にはもちろん気づいてなかったし、出逢った時の乾きを満たされたような一瞬の喜び以降、自分の意思に反して、恐ろしい程強烈に求めてしまう、という感覚はなかった。
ふと、そういえばあの湖で微笑んだ時のシェリーの瞳は何色だったかと考えた。
今の空色とはちがった気がするが、長い睫毛で良く見えなかったのを思い出す。
ふいに、あの時のシェリーの笑顔が脳裏に蘇り、心臓がドクンと脈打ったのを感じた。
また思考の海に沈みそうになっていたセシルは、母の言葉で現実に戻された。
「この邸にある書物は調べたのでしょう?それで分からなかったのであれば、王家の図書室に行くしかないんじゃないかしら」
母の提案はセシルも考えていた事だった。
王家の血を受け継ぐ貴族は他にもあるが、その中で一番歴史が古い貴族は我がクラウド公爵家である。
聖獣に関する書物は、クラウド公爵家か、王家かの二択と言っても良かった。
セシルは母に顔を向けると、少し背筋を伸ばした。
「母上、お願いがあるのですが」
その言葉で全て理解した母は、にこりと笑って
「わかったわ。すぐ王妃様に手紙をとばしておくわ」
手紙を飛ばすというのは、手紙を届けたい相手に直接魔法で手紙を送る事を指す。
それならば返事も早く貰えるかもしれない。
セシルは頼もしい母の返事に、ありがとうございますと礼を告げ、ソファーから立ち上がった。
もう少ししたらシェリーが眠る時間になる。
今夜も悪夢にうなされるだろうシェリーの為に、今のうちに少しでも仮眠を取っておかなければ。
いつの間にか大人になったセシルの背中を眺めながら、息子を見送った。