湖の神殿・目覚めし天秤の脈動②
掲示板の前に到着すると、そこは結果を見に来た学生で列が作られていてなかなか見に行けそうになかった。
「順番待ちみたいだね」
残念そうに言うティアは俺にどうしようか訊ねる。
「早めに来たつもりだったけど、こんなに人で壁ができてるんじゃ見たくても見れないからな。近くにちょっとした広場があるんだ。ここの人の流れも見えるところなんだけど。仕方がないし、そこのベンチに座って少し待つか?」
「うん。じゃあそうしよ。わたしはロイドくんに従うよ」
そう答えをもらうと俺たちは騒めく掲示板の前を離れた。
高層の建物の間にある芝生の広場。
中心には石造りの噴水があるが、夏季休暇中だからか水の流れは止まっていた。
建物沿いにはこれまた石造りで噴水と同じ配色の長椅子が並んでいる。
その中で掲示板に近い場所にティアと並んで座り一息つく。
「――ところでロイドくん。もしかして成績はいい方?」
「ん? まあ、成績はいい方だとは思うけど。自分でいうのもおかしな話だけどな。どうしてそう思ったんだ?」
「ほら、こういう時ってもっとドキドキするものでしょ。なんだかロイドくんって余裕がある佇まいっていうか。まるで心配事がなさそうていうか……」
「心配ないってのはおまえの思い込みだよ。俺にだって成績で心配事はある」
「へえ、じゃあロイドくんの成績ってどれくらいなの?」
「そうだな点数の合計だけをみると、前回は学部内約百二十人中、上から四番目だった」
「ぐへぇ」
馬鹿みたいな声で驚くティア。流れるような動作で力なく項垂れる。
突然の出来事で笑ってしまいそうになった。
よせよ。俺、まだおまえはそういう性格でないと思っているんだから。
「なんだよ、その唸り声は」
「驚きを隠せない。なんだよその自慢は。どこに悩みがあるの」
「友達の一人が俺より上なんだよ。勝負していて今回負けてしまうと二連続で負けてしまうことになる」
「うわぁ。もうわたしにとっては別次元の戦いだね」
へへへ、と遠い目をする。
俺はそんなティアがテレジア学園の中でどれくらいの成績なのかが気になってしまった。
「ちなみにおまえの成績はどうなんだ」
「それを訊いちゃう?」
「訊いちゃうね。俺の成績は教えてやったんだ。おまえも言わないと不公平だとは思わないか」
「ううぅ……」
と数秒の間腕を組んで考える。
そして自分の頭の中で繰り広げられていた問答に決着がついたのか、口をゆっくりと開く。
「――平均点でいうと学年全体百五十人くらいで真ん中より、少し上くらい……」
「……」
良くも悪くもない、なんとも言い辛い結果だった。
ていうかテレジア学園ってそれなりに頭のいい学校じゃなかったか。
「そ、そっか。まあいいんじゃないか。別に悪くはないだろ、うん」
そんな曖昧な答え方をする。
それが逆にティアの感情を逆撫でてしまったのか、
「数学だけだと上から三番目だもん!」
と赤面して自分のいい部分を主張しようとする。
「お、それはすごいな。素直に感心したよ。あれ? でもそれで全体の真ん中ってどういうことだ。平均値ってことはもしかして……」
俺の言葉にティアは無言で頷く。
「……数学以外はからっきしってことか」
「ううー」
恥ずかしそうに両手で赤くなった顔を覆うティアだった。
だから恥ずかしがるところじゃないだろ、これ。
十分すごいよ、と半分は本音で慰めようとする。
その時だった。
「――おい、てめぇ。なに女の子泣かしてんだよ!」
と、荒々しい声を投げかけられる。
声の主を確認すると、そこには金髪にちゃらちゃらした服装で、いかにも不良のような見た目の男がいた。隣にはそいつに振り回されているようなおとなしそうな女性がいる。
――と、ティアなら第一印象から思うだろう。
ていうか、ライノとエイラだった。
「なんだよ大声出して。びっくりするじゃないか」
「本当にびっくりしたのかよ? 言ってみたのはいいけど、そんなに落ち着いてるんじゃ驚かしようがないんだよな」
つまらなさそうに言うライノに対して、
「あんたが下手なだけよ。ただ大声で話しかけているだけじゃない」
とエイラは素っ気ない口調で批判する。
「なんだと、エイラ。じゃあ、あんたはできるっていうのか?」
「できるわよ。冷や汗かくくらいのものをね」
「ほお、じゃあ驚かしてみなよ、今」
「今は無理。こういうのってタイミングが重要なのよ」
そんな二人の会話。野放しにしていたら俺は彼らのおもちゃになってしまいそうだ。
「二人とも、俺で遊ぼうとしないでくれ。――ん」
隣から誰かが優しく服を引っ張っていることに気が付く。確認するまでもなくティアの仕業なのだけれど。
「どうした?」
「どうした、じゃないよ。ねえ、この人たちは誰なの」
先ほどとは打って変わって聞こえるか聞こえないかの小声で話しかけてくるティア。目の前で騒いでいた見ず知らずの二人に聞こえないようにするためなのだろう。
だが、エイラには聞こえていたようでティアの言葉に続けて訊いてくる。
「そうよ、ロイドくん。この金髪で瞳の色が綺麗な外国の人っぽい女の子は誰?」
それがエイラたちにとって本題なのだろう。妙に浮ついた表情になっているのはそのせいかもしれない。
ライノもにやけた顔で深く「うんうん」と頷いていた。
ぴょんぴょんと軽くステップしてティアの目の前に移るエイラ。
なんだか性格変わってませんか?
「初めまして。わたしはロイドくんの友達のエイラっていいます。後ろにいる金髪の彼はライノっていうのよ。黒髪を染めちゃってる不良さんみたいだけど、根は優しい良い人だよ」
「根は優しいライノだ。よろしくな。俺もエイラと同じでロイドの友達だから安心してくれ」
明るい挨拶をする二人に狼狽えるティア。
そんな彼女に「二人は大丈夫だ。ほら、おまえも」と挨拶を促す。
うん、と頷くティアは一呼吸入れてからライノとエイラの方に向く。
「えっと、わたしはティア・パーシスっていいます。家は帝都のテレジア市にあるんですけど、親の仕事の都合上、夏休みの間だけロイドくんのところにお世話になることになってます」
よろしくお願いします、とペコッとお辞儀をするティア。
「ティアちゃんっていうんだ。よろしくね、ティアちゃん」
「は、はい。よろしくおねがいします」
というやり取りをしてから一転、エイラは目を細くして訝しむように俺に訊いてくる。
「で、ロイドくん。テレジアから来たっていうこの娘は一体誰なの? この街の人ってないだけでますます何かありそうなんだけど」
「何もないよ。こいつはただの友人だ」
そう答えるとティアが隣でムッと頬を膨らましたが今は無視しておこう。
「ははーん、本当ですかねぇー」
「もう、見せつけてくれちゃってー」
二人してからかってくる様子を見て、本当に何があったんだよと思う。
ライノはともかくエイラの様子はやはりおかしい。
「だから、ただの友達なんだって。ほら、ティアからも言ってやってくれよ」
ティアは大きく呆れたように溜め息を吐く。
「あの、エイラさんにライノさん。本当にわたしたちはそういう関係ではないんですよ。さっき言われたようにわたしはハルリスの人間ではありませんが親同士が友人で、小さい頃だけですけどお世話になっていたんです。ですのでロイドくんとは言うなれば旧友のようなものです。たまに会っては食事をしたりする仲なのですが、今こうして二人でいるのもおかしくはないでしょ?」
こいつ、何ていう嘘を吐きやがる。
しかも絶妙に俺の昔の事情を回避した嘘だ。
「なんだよ、つまんねな。もっと冷やかしてやろうと思ったのに」
と、ライノはそれに納得したようにして冷やかしを止めた。
その様子をみてエイラもそのハイテンションを落ち着かせた。
「つまらなくて悪かったな、二人とも」
そうして、一時的な騒動が収まりを見せてくれた。
「――ところで今は二人だけか。アイリはいないのか?」
「ええ、あの娘は家の用事でね。明日に結果を見に来るそうよ。一緒にアイリの分も調べて教えてあげても良かったのだけれど、アイリにつまらないから嫌って言われちゃって。面白い結果が出たからぜひ教えてあげたいんだけれど、ここはぐっと我慢ね」
「そういうことか」
だがしかし、エイラのその言いように疑問を持つ。
「その言い方、二人はもう試験結果を見れたのか」
その問いにライノとエイラは二人同時に頷いた。
「もちろんよ。成績開示は二日間あるけれど、初日はこうして混むことは分かっていたからね。掲示板の前で貼っていたってわけ。つまりは一番乗りよ」
自信たっぷりに言うエイラに対してライノは溜め息を吐く。
「別にすぐでなくでもいいのにな。時間は十七時まであるんだから焦る必要はないって言ったのに、こいつときたら『早ければ早い方がいいでしょ』って俺を引きずり出してくるんだぜ。ホントやれやれだ」
「あんたは放っておけば二日目のぎりぎりまで見に行かないからでしょ。もし単位が取れていない科目があれば再試の登録をしに行かなければならないっていうのに。再試を逃しそうになって単位を落としかけたこと忘れてないよね」
ギクッと肩を震わせるライノ。エイラを落ち着かせようと間に入ろうとする。
「まあまあ、落ち着いてエイラ。去年のあの事件はライノも反省しているよ。まだ一回生で登録の仕組みをよくわかっていなかったから――」
「ロイドくんは甘すぎるのよ」
とエイラに睨まれてしまった。
「っ、すいません」
つい謝ってしまった。
「でもよ、俺はもう初めての時と違って全科目八割がたは取れるように頑張ってるぜ」
「む、最初のことを思えば、それは褒めてあげてもいいかも」
急に声色を落として言うエイラに「え、褒めるんだ、そこ」と無意識に突っ込みを入れていた。
「――っふふふ」
そんな俺たちのやり取りがバカバカしかったのだろう。
ティアは小さく微笑んだ。
「あ、ごめんなさい。変なところを見られてしまったわね」
「いえ、そんなことは」
小さく手を振って否定をする。
「皆さん、仲がいいなって思って。ロイドくんにもいい友達がいるって思うとなんだか嬉しくて」
そしてまた微笑む。
「どういう意味だよ、それ」
ライノとエイラもそれを聞いて微笑む。
何気ない言葉だったのに、やけに空気が和むこの感覚。
うん、嫌いじゃないな。
そうして二人にティアの紹介を終えた頃合いで――
「……?」
微かに魔術師の気配を感じた。
今まで遮断していた魔力を急に解き放ったかのように。
邪悪なものとは思えない、あくまで威嚇程度の微量な魔力放出。
ティアもそれを感じ取ったのか、ビクッと肩を震わせて反射的に俺の腕を掴んでくる。
目の前のエイラとライノの隙間から見える人影。
それは俺を睨みながら静かな足取りで近づいてくる。
いつも変わらず冷ややかな目をしているそいつは、俺と同じ魔術師のジルだった。
「ジルか。どうした。何か用か」
俺が言うと他の三人は無言でこの場を見守ろうとしていた。
ジルは一瞬だけティアに目をやると、何も言うことなく俺に視線を戻した。
「……ああ。ロイド、今時間いいか」
「今じゃないといけないことか」
見ての通り俺たちは話に花を咲かせている最中だ。空気の読めない発言は控えてほしいところだったが、ジル自身そう空気を読めないやつでもない。こうして話しかけてくるということは――
「そうじゃなければ話しかけないさ」
一刻の猶予もないような事態が発生している場合だ。
何を考えているのかはポーカーフェイスなその表情から依然として読み取れないが。
「――そうか、わかった」
短い会話とも言えないやり取りを終え、俺は立ち上がりジルの元へと歩いていく。
「ごめん皆。少しだけ離れるから三人で楽しく話でもしておいてくれ。ティアも少しだけ待っていてくれ」