碧海のハルリス・始まりは黄昏の下で③
ジルに渡された写真を思い出す。
そこに映っていたのは石碑に磔にされた人間の死体。
磔、といえば言葉の通りだが、今回の件で言えばジルは手っ取り早く伝えるためにこの言葉を選んだのだろう。
身元は不明。原形はとどめておらず、それはまるで服を着た針金細工のようだった。吸血鬼に血を絞りつくされたかのようにやせ細っているのだ。
原因は無理やり体内の魔力を吸収されたことにあるようだが、その行き先がまた奇妙で、石碑に充填されていたという。
被害者が魔術師だったのか、そうでなかったのかも分からないらしい。可能性としては魔術師に傾いているらしいが。煮え切らない答えだが、現在の状況からそうとしか言えないのだから仕方がない。
そして奇妙なことがここからだ。
不謹慎ではあるがその死体『以外』は美しかった。
石碑の前には鮮やかな宝石と見間違えるような結晶体が広がっていたのだ。
結晶体の周りには何色もの色を持った靄が架かっており、それは虹を連想させる。
一言で言えばそれは芸術品だった。
ただしその中に死体が閉じ込められていなければ、の話だが。
『この件は俺たちに任せておけ。今は手を出さず、何か思い出したら教えてくれ』
その言葉を最後に、俺たちはその場を後にした。
今はジルとその仲間がこれらを判断材料として、犯人と充填された魔力の用途を調べている。もちろんのこと、これは魔術関連だと判断され現場の証拠は隠滅。目撃した一般市民は記憶を改変されたのだと。
今のところ、このことをティアに伝えるつもりはない。
当然だろう。テレビのニュースで報道される内容ならまだしも、こんな血生臭い魔術師関連の事件で濁すわけにはいかない。
マーベルさんにティアのことを任された身。彼女には平和な夏季休暇を過ごしてほしいのだ。
◇
午後七時過ぎ。ハルリスの中央通りにある駅の前。
日も沈んで、街には街灯の光が道を作る。
人の流れはどこまでも続き、駅の周りに構えられた店から絶えず聞こえる賑わう人の声。そんな街の活気はハルリスと言う街のメロディーを奏でているようだった。
目的の人物を探すために目を配らせる。
彼女が乗ってくるはずの列車は数分前に到着し、既に乗客を降ろしてこの駅を出発している。
列車を下りてきた人たちは続々と駅の外に出てきて、それぞれの目的の場所へと歩いていく。騒めく人の流れは絶えず、気を抜けばその瞬間に目的の人物を見逃がして、すれ違ってしまいそうな気になる。
いつも以上に気を張り、道行く人の髪に注目していた。
何故髪の色? と疑問に思うかもしれないが、あいつを探すうえでは手っ取り早い手段なのだ。。
俺たちハルリス出身の者は髪を染めているライノのような人を除きほとんどが黒に近い色の髪をしているから、あいつの髪の色はそれだけ目立つはずなのだ。
だから――
ふと、人ごみの中、黒色の流れの中に一際目立つ金色が埋もれていることに気が付く。
壁際に身を寄せ俯いているため顔は見えない。いや俯いていなかったとしても身長の関係で頭のてっぺんしか見えなかっただろう。それでも間違うはずがない。俺はあの娘が誰なのか、そのふんわりと風になびく髪を見て、胸を締め付けるような不思議で奇妙な感情を抱いて、確信したのだ。
俺はその金色の髪をした人のもとに近づいていく。
人の流れに逆らいながら、かき分けながら、ゆっくりと徐々に近づいていく。
求めていた大切なものを見つけて、何としてでもこの手に収めようとするように。
そして――
「――ティア。久しぶりだな」
俺は彼女の目前へと辿り着いた。
そこにいたのは紛れもない、俺が初めて出逢った最高の恩人。
「……ん。ロイドくんこそ。元気そうで何よりだよ」
テレジア学園の制服とは違い、私服姿の彼女。
青のパーカーにピンクのシャツ、そして灰色のショートパンツ。
どうにも制服姿の時より子供っぽく見えてしまうのだが、今この場では口には出さないでおこう。
顔を上げ、俺を見るとにっこりと微笑む。
そこにいた少女はモグモグと口を動かして、
「これ、おいしいね。気に入ったよ」
どこで買ったのかわからないソースたっぷりの焼きそばを頬張っていた。
「そ、そうか。そりゃ、よかったな。話したいこともいろいろあるだろうけど、歩きながらでも構わないか?」
「うん、いいよ。わたしもロイドくんの家に行くの楽しみにしてたから」
ティア・パーシスとの再会。
ここから俺の物語は動き出す。
俺の過ごしてきた日々の中で、この夏季休暇は忘れられない時間になるのだった。
◇
ロイド・エルケンス。それが俺の名前だ。
十九歳の大学二回生で、知っての通りハルリス学院大学という大学に通っている。
専攻は歴史学なのだが、正直将来の役に立つかと問われれば答えずらい一面はある。しかし、この街の成り立ちや文化の移り変わり、古くから伝わる言い伝えなどはなかなかに興味深い。
俺の秘密に関することについても多少のつながりが見える部分もあるので、少なくとも俺の『今』には十分役に立っている。
プライベートのことを話すならば、小さいころからこのハルリスの街で暮らしていて、今は訳あって妹と二人暮らしを暮らしている。生きていくには十分な援助も受けており、贅沢しない限りはお金に困ることはない。
でも、どこの誰が援助してくれているのかは公開してくれないのだ。
これではお礼を言うこともままならない。そこがとてももどかしい。
口に出して言える自己紹介と言えばこれくらいだろう。
と、そのように表現したのも理由はある。
もちろんそこには逆の意味、口に出せない自己紹介があるからだ。
エイラやライノ、アイリには決して知られてはいけない真実。
それが自分が魔術師だということだ。
この世界には魔力という物質があり、それは空気のようにこの世界に充満している。ただ、空気と比べればその量は無いに等しいかもしれないけれど。
そんな魔力を用いる常軌を逸した人間。この世界には存在していないとされている種族。それが魔術師と呼ばれている。彼らはそれぞれがそれぞれの目的を果たすために自らの意思で魔術師となり、日々鍛練している。
しかし、俺にとって魔術は研究対象ではなくただの道具だ。あくまでエレナを守るための手段として手に入れた力だ。生涯魔術の研究をしていこうだなんてことは考えていないし、他の魔術師のように執着もない。他に代わる力があるのならそちらに手を出してもいいくらいに。
しかし、そうなると個人の力ではどうにもならないものばかり。拳銃やナイフならまだしも戦闘機なんてものになると論外だ。全くもって話にならない。
そこで、俺がエレナを守るために魔術の道を進んだ結果、手に入れようとしてしまった脅威があった。
星座の魔術。
魔導十二至宝。
それは手にした者の願いを何でも叶えることができる程の魔力の泉だ。ひとたび封印を解けば各々の願いに適した形として姿を成す。
そう記憶していた。
しかし、そんなものただのまやかしでしかなかった。その実態は俺が思うほど希望に満ち溢れたものではなかったのだ。
何者かに導かれるように、操られるように行動を起こし、そしてついに俺は最大の過ちを犯すことになる。
儀式を成就させる為に俺はあの能力者の少女を殺そうとしたのだ。ただ、自分の望みを叶えるための犠牲としてしか思わずに。そのために騙し続け、そして裏切り、その娘の友人をも傷つけた。
たとえそれが暗示をかけられたうえでの行為だとしても許されざる悪徳だ。
それが二ヵ月前のあの日の出来事。
そんなことがあったのにもかかわらず、あいつは夏季休暇の数日間俺と過ごすことを選んだ。
それはマーベルさんに言われたからなのか。
それとも自分の意志でなのか。
俺にはあいつの考えが分からない。
殺そうとした相手のもとに自ら向かう理由が。
分からないなら、せめて知りたい。
自分を信じようとしてくれたあいつがどんな想いを抱いているのかを。
なあ、ティア。
おまえは俺のことをどう思っているんだ。
◇
「ここまで結構な時間が掛っただろ」
「うん。朝の六時に家を出たのにこの時間にやっと到着だからね。ざっと十二時間。テレジアからハルリスだとかなりの距離があるって実感した。大陸の中心から端になんて行ったことないし。ていうか、そもそもテレジアから出た記憶がない」
「そんなのでよくここまで来ることができたな。迷ったんじゃないのか。列車の乗り換え方とか」
「確かに。予備知識がなかったら確実に迷ってたよ。下手したら到着は明日になってたと思う」
「予備知識、って。もしかしてマーベルさんに教えてもらったとか。あの人何でも知ってて教えるのも上手いからな」
そう予想して聞くと、しかしティアは首を振り否定した。
「ううん、違うよ。アーネストさんは何も教えてくれなかった。教えてくれたのは今日の日程でハルリスに行くこと。そして休日の間はロイドくんの家でお世話になること。この二つだけ。だからここまでの行き方も、到着してから何をすればいいのかも、何も教えてくれなかった」
「そうなのか。厳しいな、マーベルさんは」
「めんどくさがりなだけだよ。まあ、何か裏がありそうだけど」
だから、友達にここまでの行き方を教えてもらったのだそうだ。何でもハルリス出身の友人がいるとのことで時刻表や乗り換えする駅の構内図の資料までいろいろとくれたらしい。
一緒にハルリスまで来たらよかったのに、と訊いてみるも、その友達はもう少し早い日程でこちらに帰ってこなくてはならない予定だっだのだと。
さぞかし不安で寂しい一人旅だったんだろうなと思いもしたが、もしかしたら逆にティアは楽しんでいたかもしれない。初めてのテレジアの外だ。むしろ徐々に変わっていく風景を見て心が躍っていてもおかしくはない。
「そういえばさ、ここまで来たのはいいけど、わたしが帰る日までの間何をすればいいのかな」
「帰る日と言えば、確か八月の二十八日だったか」
「うん。休むにしても長すぎて。のんびりしてるだけじゃつまらないな、って思ってね。ロイドくんはアーネストさんから何か聞いてない?」
「いいや。俺も何も聞いてないな。裏があるとかじゃなく本当にゆっくりさせたいだけじゃないのか。マーベルさんも仕事で家を離れるからテレジアだと一人でずっと過ごすことになるんだろ。料理や洗濯、掃除、その他もろもろを一人ですべてやることになる。だからマーベルさんの気遣いだと思うけどな」
だとしても、俺を選ぶのだけは不思議でならない。
学園の親しい友人のところにでも……いや。それは無理なのか。
ティアの出生、生きてきた道のことも考えるとなおさら。
だから、事情を知っている俺なのか?
「――あ、そうだ。ねえロイドくん」
何故かティアは俺に対して妙に期待を含んだ目をして見つめてくる。
「何だ、そんな目で俺を見て」
「そういえば、わたしね。ここに行くって決まってから、ずっと会いたいって思っていた人がいるんだ」
恥ずかしそうに頬を赤らめながら訊ねてくる。
「えっとね、ロイドくんって、確か妹さんがいたよね」
「ああ、エレナのことか。いるよ。今も家にいるからこのまま帰ったらすぐに会えるよ」
「ほんとに!?」
「あ、ああ……」
こいつは何故こんなにもキラキラとした目をしているのか。そんなにエレナに会いたかったのか。ティアにはまだ名前以外は話していないはずなのに。
いや、だからこそなのかもしれない。俺がこいつを犠牲にしてでも救おうとした人がどんな人間なのか気にならないはずもない。
今ここでティアに言うつもりはないが、エレナはいい子だ。俺なんかよりずっと賢くて、大人びている。
そして何より、……
「そうだ、ティア。家に帰る前に寄って行くところがある」
驚いたような目をしたティアは、すぐに落胆したようにため息を吐く。
「え、すぐに帰らないの?」
「ああ、今日の夕食を取りに行く。エレナが今日のために手配していたものがあるんだ。荷物持ちにして悪いが、俺が持ちきれない分は一緒に持ってくれ」
「え―、女子に荷物運びをさせる気?」
「うわ、めんどくせーな、おまえ。この二ヶ月でなにがあった」
「嘘だよ。冗談だって。うん、いいよ。わたし力持ちだし」
ロイドくんより力あるし、と後で皮肉気に付け加える。
そうだった。こいつ、こんなに細身なのにやけに力が強いんだよな。
そんなやり取りをしていたところで、ふと気が付いたことがある。
ティアはこれから三週間程度こちらに身を寄せるのだ。
だというにこいつはショルダーバックを肩にかけているだけでそれ以外の何も持ち歩いていない。キャリーバッグはおろか、リュックサックさえも
「おまえ、荷物はどうしたんだ。まさかとは思うけど」
「そのまさか、だよ。必要な荷物は全部この中」
そう言ってティアは自分の鞄をポンと叩く。
「―――」
呆れて声さえ出なかった。