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失意の先に・漂泊の海を越えて⑧

 白銀の世界に変貌した月の塔の最上階。

 氷の結晶に封じられたロイドを背に、ユリウスは信じられない光景を目にしていた。


 ここ月の塔とは対面に位置する太陽の塔の頂上。そこで行われていた戦闘の行く末にユリウスは驚愕の意を隠せずにいる。

 突如現れた大量の機銃による総攻撃。

 背後からの不気味な腕による不意打ち。

 それすらをも耐え反撃に出たジェインは当然のこと、敵対する者を軽々と屠ることだろう。

 しかしどうしたことか。ジェインは何が理由か突然の離脱を測ったのだ。

 何故そのような行動に出たのか。あれほど固執していた星座の魔術の完遂はどうしたのか。ユリウスはその真意を見いだせずにいた。


 懐から通信端末を取り出しジェインに連絡を試みる。

「――うーん、ジェインさん何やってるんだよ。相手はあのジルだろ。神殿でもやりあったけど、あの程度なら軽くいなしそうだけど。あの優等生君、何か秘策でも持っていたのか?」

 通信用の礼装に魔力を込め、それを額に当ててジェインの応答を待つこと十数秒。一向に応答する気配がない。

 しないのか、それともできないのか。

 ユリウスの不安は募るばかり。

「全然出てくれない。しかたないし俺も一旦引くか? ……けどな、ここまでやってるんだ。流石に簡単に引けやしないだろ。ああ、不味ったな。こんなことなら魔力消費をもっと抑えるべきだった。今の残った魔力で星座の魔術を発動できるかどうか。霊獣をあぶり出すまでならできそうだけど、その先がなぁ。たぶん俺、霊獣を捕らえる前に殺されちゃうぜ」

 あーあ、と軽口を叩きながらも深いため息を吐くユリウス。

 それと同時に微かに感じる魔力の猛り。

「――あれ? もう動けないと思ってたんだけれど。もしかして無意識に手加減でもしたのかい」

 ユリウスは口元を歪ませ踵を返す。

 視線の先。そこには結晶に閉じ込められたロイドがあるはずだった。

 だが、どうしたことか。何が理由かその結晶は蒸発し、ロイドの身体は自由を取り戻していたのだ。

 ロイドはユリウスの言葉も聞かずに確かな意志を込めて囁く。

「――炎よ。再び俺の下に集え」

 散り散りになった魔力の残滓は再びロイドの周りを逆巻く烈火となる。だが、それも発動した瞬間のみの現象。次第にその火力は弱まりを見せた。

「はっ、このような炎で溶かしきれるとでも思ったのかい。懲りないね。この永久凍土と化した閉じた空間で君に何ができる」

 言う通り、ロイドの身体は再び冷気の嵐に蝕まれ、凍結が始まる。

「火力不足もいいところだ。見ろ。今にも炎の魔力は潰え、君の身体は凍結を間逃れずにいる。このような絶望の中で、君に何ができるというのだ。できるというのなら見せてみろ。君が夢見る奇跡という名の幻想を!」

 変わらず絶望的な状況。

 しかし、ロイドの目は死んではいなかった。

 熱き炎を宿した魂の如く、その双眸はユリウスを直視する。

「そうか、だったら見せてやるよ!」

 ロイドの炎の魔力は、死神の力に侵され、融解し、新たな形となって顕現する。

 禍々しい黒き炎。それは今までロイドが操っていたものとは全くの別物としてそこに存在していた。

 吹雪を蒸発させ、氷のワイヤーや壁を溶かし始めるその火力。比べるまでもなくつい数分前のロイドの力を凌駕している。姿形は変わらずとも、内に秘める魔の力は全く異なるものだった。

「――! 何が起きている。俺の冷気が圧し負けているのか? そんなはずがない。だがその黒い炎は何だ。先までのものとはまるで異質な邪悪を秘めたそれは。ロイドくん、これは一体何なんだ!」

「何かって? そんなの俺にも分かりはしねーよ。だけどよ、ここにあんたを葬ることができる力があるんだ。手を伸ばさないわけがないだろ」

 瞬間、ユリウスの氷の結界がロイドを中心にほつれ始める。ただ氷を解かすのではない。結界そのものを破壊しているのだ。

 その事実を理解したユリウスに今までに感じたことのない恐怖の灯が生まれる。

「莫迦な、ここは俺の結界の中だ。たとえ新たな力を解き放ったところで、魔力の総量は変わらないはず。君ごときの炎に破られるはずが――」

「だったら、凍らせてみろよ。今までのようにな」

 畳みかけるようなロイドの挑発に、ユリウスは歯を食いしばる。

 結界がロイドの手によってほつれかかっている。ワイヤーを足場にした高速移動も封じられた。

 それは認めよう。だがそこまでだ。

 魔術が、戦闘技術が、たったこれだけで覆されたなどとユリウスは決して認めはしない。

「ならば、これはどうだ」

 ユリウスは右手を掲げ、その手に氷の大剣を精製する。

 対してロイドも、その手中に黒き炎の大鎌を形成する。

 炎と氷。

 その力が顕現した瞬間、二つの魔力の奔流が暴風となって二人を襲う。

 だが、そのようなものは二人にとって障害にすらならない。

 地を蹴り、駆けるのは同時だった。

 二人の魔術の競い合い。そこから繰り広げられる獲物を用いた鍔迫り合い。たった数合の力比べ。

 それだけでユリウスは直感した。正面からの力比べだけではロイドを潰しきれないと。間合いを取るために脚に力を込め横に跳ぶ。

「――!?」

 しかし、それと同時にロイドは踏み込み距離を詰めたのだ。

 ロイドから溢れ出す不可思議な魔力は、身体強化をも数倍に膨れ上がらせていた。

 その後、ユリウスがどう避けようとしてもロイドの間合いから逃れることは叶わなかった。

「――くっ、これにも追いつくというのか」

「どうしたユリウス。余裕がなくなっているぞ」

 息が上がってくる。

 呼吸が乱れてくる。

 それでも互いの剣戟はさらに激しさを増す。

 どちらか一方、少しでも気を抜いたほうが圧し負けて切り殺されることだろう。

 回避行動を繰り返せばどこかに反撃の余地はあるかもしれない。だが、ユリウスは数秒前とは打って変わって身を引くことはしなかった。

 そこには勝算があったからだ。

「はっ、君こそ強がりはよしなよ。今にも死にそうな苦痛にゆがめた顔でいい気になるんじゃない!」

 ユリウスの目には見えていたのだ。ロイドが魔力を消費するたびにその身体が悲鳴を上げているというその事実に。

 ユリウスは捨て身でロイドを屠りにかかる。

 打ち合いの最中、ロイドの動きが鈍った瞬間に氷の大剣を首目掛けて一閃する。それはすんでのところで身体を屈ませ避けられるが、ユリウスは動じない。

 屈めたロイドの胴目掛けて蹴り上げる。その鋭い衝撃がロイドの胸を砕き吹き飛ばした。

 ロイドの身体は宙に浮き、そして重力の赴くままに落下し激突する。ごふっと赤い血液を漏らすも、それで悶えている暇はない。増幅させた魔力で強引に傷を治癒させ、立ち上がり大鎌を構える。

 ユリウスはその行為を待ちはしない。すぐさま追撃のために地を駆け、大剣を振り下ろした。

 ぶつかり合う炎の大鎌と氷の大剣はギシギシと重い音を響かせる。

「身に余るその力。顕現させただけで使いこなせているわけではないのだろう? 身体中が蝕まれて苦しいのだろ? 今にも力尽きそうなんだろ? だったらもう諦めて楽になれよ。なあ、ロイドくん!!」

「……ああ、そうだ。そうだよ。あんたの言うことなんかこの俺自身が一番理解している。……だから、そうなる前にお前を討つんだよ――ッ!」

 ユリウスの視界が突如、赤黒い煙で染め上げられる。

 ロイドは黒き炎を暴発させユリウスの剣を押しとどめたのだ。

 その一瞬の間にロイドはひらりとユリウスの脇をかいくぐると――、


「これなら、どうだ――!!」


 ユリウスの側頭部に向かって黒き炎拳を放つ。

 ユリウスには見えていた。反応もできていた。だが――、


「な、どう……して……」


 身体が言うことを聞かない。脚が石になったかのような感覚。

 これも黒炎の暴発が原因だった。

 全身を襲う衝撃に、鼓膜を破るかの如き爆音がユリウスの身体を一時的にマヒさせていたのだ。

 防御の術もなくロイドの拳をまともに受けたユリウスは部屋の端まで弾き飛ばされ柱に激突する。

「――ぐはッ……」

 ついに地に伏したユリウス。

 頭部から流れたす血液と、脳を揺さぶられたことによる眩暈。治療のために魔術を発動させることすら出来なくなったユリウスに、もう立ち上がることは許されなかった。

 視線を上げる。その霞む目で見たものは――

「……なんだ、なんなんだよその目は」

 変化が起こったのはロイドの操る炎だけではなかった。開かれたロイドの双眸は魔人の如き紅く邪悪な輝きを放つ。

 ロイドの立ち位置は今やユリウスの上にある。

「やめろ、やめろ。……そのような目で俺を見るな!」

 ユリウスの悲痛な叫び。

 表に浮き彫りにされた恐怖の感情。


 ――今この瞬間、全ての条件が整った。


 ロイドはギリッと歯を喰いしばる。

 数日前に出会ってから今に至るまで、ロイドはユリウスの様々な姿を見ていた。

 仮面の男から助けようとしたあの時頼りがいのありそうな表情――

 コーヒーを奢ってくれた時のあの優しい表情――

 夏至祭初日にティアとレンを見守っていた時のあの穏やかな表情――

 すこしでも信じられる人であると思った自分が馬鹿だった。

 けれど、それでも、あの時の情景がただの嘘偽りだと切り捨てたくない自分が確かにいた。


 ――ああ、やっぱり俺って甘いよな。けれど、ここからはそんな俺でもやれる最大限の報復だ。


 今も苦しむエイラたちを救うために。

 この危機をこれ以上エレナに近づかせないために。

 そして何よりも、哀しみ囚われたティアを解放するために。

 ロイドは今ここに立っている。

 首を振り、自身の感情をかなぐり捨てて最後の魔術を刻み付ける。


「……我が死神の魔眼をもってユリウスに命ずる――」


 それは至宝を守護せし霊獣の司る力。霊獣と契約を交わした魔術師のみが振るうことの許される強大な魔術。

 ロイドの内に眠るは霊獣ライブラ。彼女の持つ幻属性の最奥が今ここに現出する。

 死神の魔眼とはまさにそれだ。

 目を合わせた者を魅了させる。

 目を合わせた者を石化させる。

 そんな数ある魔眼をも凌駕する特異性。

 発動するは抗うことすら許されない絶対命令権。


「――その身に宿す力の一切を放棄し、魔術師としての人生を終わらせろ!」


 ロイドは宣言する。

 奮然と、しかし寂然さも交えたその声で――


「あああぁぁぁああ!! ロイド、貴様ァァアアァァァ―――!!」


 黒き炎の大鎌を構え最後の言葉をユリウスに告げる。

「おまえを死なせはしない。苦痛に悶え、苦しみながら生きて償え!!」

 そして、死神の鎌は容赦なくユリウスの首を断ち切った。


「俺の勝ちだ、ユリウス!!」

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