碧海のハルリス・始まりは黄昏の下で②
十八時頃まで話し合いが行われたところで、一旦の終わりが告げられる。
「それじゃあ、今日はここで終了。大体はまとめることができたし、続きは試験結果の発表日にすればいいでしょう。それまでに今日話し合った内容について復習しておいてちょうだい。資料は人数分用意してるから。あと、ライノは設営の準備を手伝ってもらう人全員に話をつけておくこと」
そう話をまとめたエイラ。
ラジャーと敬礼するライノは、やっと終わったー、と解放されたような笑顔を浮かべていた。
「はいはい、お疲れ様。アイリとロイドくんもちゃんと資料に目を通しておいてよ。覚えていればそれだけ柔軟に動けるんだからね」
「了解だ」
答える俺。対してアイリはこくりと頷くだけだった。
反応の薄い彼女。しかし乗り気でないってわけではないだろう。その表情は明るくやる気に満ち溢れていた。
普段見られない珍しい表情を見てこちらも嬉しくなってくるが、なんだか彼女がまたやらかしそうで若干の不安もあった。
何せ去年の夏至祭では――、いやその話はよしておこう。今悩んだところでどうにかなる問題でもないのだし。三人がかりで抑えれば何とかなるはずだ。
ライノが席を立ち、うーんと背筋を伸ばす。
「よし、それじゃあ晴れて夏季休暇に入ったってことで、どうだ?」
箸を持って何かを食べるようなジェスチャーをする。
「あ、行っちゃう?」
そしてアイリも同じようにその仕草をマネする。
「もう、二人とも。こういう時だけ意気投合しちゃって」
呆れたように嘆息するエイラだったが、思いのほか悪く思っていなかったようだった。
「まあ、試験も終わったことだし、わたしも今日は大丈夫だよ。ねえ、ロイドくんはどうかな」
と、俺に確認をとる。
すでに三人ともご飯を食べに行く気になっているようだった。
ライノのジェスチャーからするにラーメンだろう。学生がよく立ち寄るラーメン屋があり、俺もよくこのグループで行っているのだ。俺ももちろん一緒に行きたかった。
――が、今日に限ってはそうはいかなかった。
「あ、悪い。俺さ、今日はダメなんだ」
ごめん、と手を合わせて謝罪する。
「もしかして妹さんのこと」
エイラが気遣うように訊いてくる。対して俺は違うよ、と首を振った。
「今日はその件じゃないんだ。夜の七時くらいなんだけど、列車で俺の親戚の人が来てさ。その……迎えに行かなくちゃならなくなったんだ。大人だったら大丈夫なんだけど。その子、俺より年下でこの街に来るのも初めてなんだ。流石に一人で家まで来てくれってのは言えなかったんだよな」
それを聞くと三人は目配せしてから言う
「だったら仕方ないな。今日はやめるか」
ライノがみんなに提案する。
「いいんだぞ。三人で行ってきても――」
「わたしたちはこの四人で行きたかったの。増えるのはいいけど減るのは無し」
そういうエイラに続いてアイリも頷いて同意の意を示す。
三人とも俺のためを思って言ってくれているのだ。
「そうか、すまない。それじゃあ行ってくるよ。今日はお疲れ様、よい休日を」
温かな友人たちに見送られてこの場を後にする俺。
俺なんかに許されないような平和な日々。
何があろうと失いたくない友人の笑顔。
思い浮かべる。数か月前のあの惨劇を。
ああ、ティア。
お前もきっと、このような感情を持っていたんだよな。
だとしたら俺は……
◇
十八時過ぎの夕暮れ。
大学の正門を出てすぐのことだった。
正門の前に見える建物の角。そこに立っていた一人の男が俺の下に歩いてくる。
「よお、ロイド。こうして二人で顔を合わせるのは久々だな」
そう声を掛けてきたのは、つい数時間前に同じ教室で試験を受けていたジル・ロイヴァスだった。
しかしこの人物、さっきのメンバーとは違いとりわけ仲がいい友人という位置づけではなかったりする。
それでも付き合いがあるのは単に勉学の競争相手という理由だけではない。
この男は俺と同じ異端、魔術師なのだ。
俺は脚を止めることなく真っすぐに駅へと向かう。
ジルは俺の隣につき、傍から見るとまるで仲のいい友人のように同じ速度で歩いていた。
「まだ帰ってなかったのか。どうしたんだよ、こんな時間に。おまえのことだから試験が終わったらとっとと家に帰って魔術の修行でもしているのかと思っていたよ」
「確かにいつもはそうだな。修行だけでなく街の見回りもしないといけないのだから。管理者のひとりとして当然の役目ではあるけれど、やっぱり俺には荷が勝ちすぎるよ。正直言って不満しかない」
大きなため息をつきながら力なく苦情するジル。
俺にとっては経験のないことだが、正規の魔術師は最上位の魔術機関が定めた様々な規則の下で活動をしているらしい。土地ごとに管理者が定められ、規則に則さない者がいれば、それを罰するという。
もっともメジャーなもので言えば魔術という存在を裏の世界から漏らさないことが上げられる。そのためにも徹底的な隠蔽工作が行われている。
人間では到底敵わない常軌を逸した力で表の人間に危険にさらさないようにするため――
というのはただの名目。
このような善性な考えを奴らは持ち合わせていない。むしろ技術の独占が主な理由だ。
しかし、誰しもがそのような考えの下で動いているわけではない。
特に魔術師として規則から道を外れてしまっている俺からすれば周りの皆を危険にさらさないた為、という意味合いの方が強い。
「お前は俺に愚痴を言いにきたのか? だったらやめてくれ。面倒だ」
「ああ、気に障ったか。それは悪かった。だが、愚痴が目的じゃないぞ。ただ、あんたと久々に話がしたくなっただけだ」
「そりゃ、嬉しいねえ。それで? 何の用かな」
「おいおい。用がなければ話しかけちゃダメか」
「そんなことはないよ。だだ、珍しいなって思っただけだ」
ジルの方から話しかけてくるなんて一週間に一回あればいい方だ。
そういえば、と思いついたように質問する。
「……ああ、そうだジル。今回の試験はどうだった」
「は? 余裕だったに決まっているだろ。あの程度で何故俺が手こずらなければならない。魔術の扱いに比べればどうってことないだろ」
「うわ、それ本気で言ってるのか? いや、本気なんだろうなお前のことだから。そうだとしたら腹立つわ」
俺がそういうと、ムキになってジルも言い返してくる。
「俺こそ同じことを言いたいね。何故おまえはそんなに魔術の扱いがうまいんだ。まだ本格的に使い始めてから時期が浅いだろうに」
「だからさ、俺のは根本的に違うんだよ。何度も言ってるだろ。あれは礼装による強化のおかげだ。本物の魔術を使えって言われたら、どうあがいてもジルに負けるよ」
それを聞いてクク、と笑うジル。
「なんだよ、その殊勝な態度。だがそうだな。もし、その借りた力で何の努力もなしに意気揚々としてたら、おまえを本気で殴ってたよ」
過去を思い出すように頭を揺らしながら唸るジル。
「えーっと。たしか、代々おまえの家系に伝わる礼装を身体に埋め込んで、体内の魔力を活性化させてるんだったか」
その通りだ、と俺は頷く。
「魔術って本来なら基本である五属性のうちどれかを先天的に持っていて、そこから発展させていく形なんだろ。だけれど、俺の場合は逆だ。礼装の属性である幻が先に現出して、それに活性化されて本来持っているはずの炎の属性が動き始めた。そのうち礼装の力無しで魔術を扱えるようにしたいんだけど、今はまだ無理だな。たぶん暴走して自滅する」
「それでもだ。強大な力を手にしてもおまえは壊れなかった。その時点で俺は魔術の扱いそのものでは負けている。認めたくないけどな」
「だからさ。何回も言ってることだけど、それもジルの勝手な思い込みだって」
大学を出てから駅までの道のうち、一直線に続く下り坂がある。
緩やかな坂道は数キロメートル離れたその先にある建物の群れの中に消えていく。それも超えた直線上には海があり坂道の頂上、つまり今俺たちが立っている場所からは水平線が見える。
夕暮れ時のこの時間。赤く染まった夕日が海に沈んで半円のように見えていた。
先を歩いていたジルは俺の行く道を遮るように真ん中で立ち止まり、沈みゆく夕日を背にして俺に訊ねる。
「それでは本題だ、ロイド。おまえ、何か危ないことに足を突っ込んでるんじゃないだろうな」
夕日の陰になっているせいか、ジルの表情はよく見えなかった。
「何の話だよ」
「とぼけるなよ。休学していた六月の間、おまえは帝都のテレジアに行っていんじゃないのか。そこで奇妙な魔術儀式を行おうとした。そうだろ?」
心臓の鼓動が高まる。
背中から妙な汗が出てくる感覚が過る。
ジルの言うことは起きた結果の一言だけで、中身もただの予想でしかなかった。
確信などどこにもありはしないはずだ。
だが、ジルの言うことはその通りだった。
俺はジルには一言もテレジアでの一件は話していない。
休学の理由は妹の病気を治す医師探しのため、としている。
そしてあの地で何かが行われたという事実を消せはしないまでも、誰が行使したかは分かるはずがないのだ。俺がテレジアに行ったという事実も含め、マーベルさんが徹底的にその証拠を隠滅しているのだから。
だから、ジルがこの答えに辿り着くはずがない。想像することもできるはずがない。
それを何故おまえが予想して口にできる。
「――何故そう思う」
「一部の魔術師の中じゃ有名だ。テレジア学園を中心に陣が形成され、気味の悪い魔力が発生しかけたところでその気配ごと消滅した。誰が何をしようとしたかってのは何者かの手で隠蔽されてるみたいだが、時期が重なってるんじゃ疑いたくもなる」
「だからって何で俺なんだ。俺は妹のために必死だったんだ。その情報、間違いじゃないのか? どこで手に入れたんだよ」
「秘密だ。言うわけないだろ」
ジルはやはり、言葉数が少なくなっている。
こうなってしまえば、こいつは厄介だ。今のジルは俺の言葉だけでなく、表情や仕草の一つを見逃さずに解決の糸口にしてしまう。時間が経てばそれだけ俺が不利になってくる。
「そっか、そりゃ面倒なことになったな」
ここは無理にでも切り上げた方が得策かもしれない。
すでに疑われているのなら、これ以上の失言をしないためにも。
「おい、ロイド!」
「すまないが、もうその話はやめてくれないか」
ジルの言及を無視して歩き始める俺。
ジルは俺の肩を掴み、この場から離れることを阻止しようとする。
「ロイド。解っているのか。俺が魔術師としてどのような立場にあるのか」
「そりゃあもちろん。この土地の制度を管理する魔術機関のメンバー、だろ。ジルの功績はよく聞いている。いずれはこの土地を任されることになるそうだな。おめでとう」
「そんなことはどうでもいい。俺はおまえのことを良く知っているから黙認しているだけだ。もしテレジアでやったことと同じようなことをハルリスで起こすつもりなら……場合によっては、俺はおまえを――」
「……始末することになる、ってか」
ジルは無言で頷く。
「物騒な話だな」
俺はジルの手を振り払い「じゃあな」と手を振って前へと歩き出す。
「――だが安心してくれ。俺はあんなことはしないし、やろうとも思わない」
「信じていいんだな」
「もちろんだ。俺がずっと探していたものは、もう見つかったからな」
「すまん。意味がよくわからなかった」
「ご想像にお任せを。じゃあな。約束の時間に間に合わなくなる」
そうして紅い夕日に向かって歩き出す。
心の中には再び湧き上がる罪の意識。
まるで俺は贖罪を求め煌々と燃え盛る炎に身を投じるようだった。
「――それでは何も知らないロイドに一つ情報をくれてやろう」
「まだ何か?」
もう振り返るまいと思いながらも、仕方なしに振り返ると――
ジルは一枚の写真を手裏剣のように飛ばしてきた。
受け取りそれを見ると、そこには――
「これ、は……」
息を呑む。不意に見てしまった光景に吐きそうになる。
そして魔術師の彼はゆるりと口を開いた。
「――昨夜、郊外にある石碑で磔にされた死体が発見された」