真実の扉・濃霧に包まれし氷結の都へ⑦
「ところでどうだ。そろそろ君の力、私のために使う気はないかね。今後の儀式にぜひ活用させてもらいたいのだが」
ジェインの言葉の羅列に、失っているはずの過去が映し出された気がした。
ジェインが言っていることは正しく聞こえる。
絶望に抗おうとするその姿が魅力的に感じる。
魔術なんてものがこの世界に存在しているから、あの日、俺の前から母親が消えた。エレナが呪いに侵されるような目にあった。友人たちが危険な目に合うようなことも今まさに起こってしまった。
思い出せば思い出すほど怒りが込み上げる。
「…………ッ、」
けれど、違うんだ。
そんな方法じゃダメなんだ。
ダメだったんだよ。
それを教えてくれた人がいるんだ。
その人が危機に瀕している。犠牲にされようとしている。
だから俺はここで抗わなければならない。
世界の在り方よりもまず、目の前に立ち塞がるティアやハルリスの人たちの敵に。
「――いいや、ダメだ。あんたにどのような事情があろうと、あんたがやろうとしていることはこのハルリスを絶望に陥れる。あいつらを、俺の大切な人たちを見捨てることになる。たとえ世界を救うことに繋がるのだとしても、俺はあんたの計画に賛同することはできない」
言って、目の前の敵を屠るために構える。
ジェインを倒せるとは思えない。
だけれど、一瞬の隙をつくことくらいはできるだろう。
その間にティアを取り返し離脱する。
そのあとにネロと合流して、二人でまた挑めばいい。
ジェインは俺の行動を見てつまらなさそうに嘆息する。
「……その目からして今はまだ無理そうか。確固たる意志を持つ、それはそれでいいことではある。だが成長したのか成長していないのかよくわからんな。今の己の言葉が矛盾していることに何故気が付かない」
ジェインは俺のことなど気にもせずにひとりでに呟き、そして抱えていたティアを何らかの魔術で宙に浮かし両腕を大きく広げる。
「さて、定刻までまだ猶予はある。これもいい機会だ。君の望み通り相手をしてやろう。こちらも久々に君の魔術をみたくなったのでね。少しは精進したんだろうね?」
ジェインが戦闘態勢に入る。
男を中心に魔力の禍々しい海が広がり、黒く塗りつぶされたレンガの道からジワリと浮き上がってくる影が二つ。
その機械じみた物体は次第に狼のような魔獣の形を形成し、まるで命のある生物のように呻きを上げる。どちらも大きさにして五メートルは超える巨体だ。
「狩りの時間だ。獲物は目の前の魔術師。不満はあるだろうが加減は無用。さあ、食い散らせ」
その言葉を聞いた瞬間、待機していた魔獣は牙をむき、予備動作を見せない脅威の瞬発力で俺に向かって襲いかかる。
一体は直線状に駆け、もう一体は空中に跳びあがり俺の頭上狙う。
避けることなど叶わない。たとえどちらかの攻撃を躱せたところで、その先にはもう一体の牙が俺を貫くことだろう。
だったらできることは正面から立ち向かうのみ。
腕に魔力を込め、炎を顕現させる。そして横に大きく一薙ぎする。
暴発させた炎の波をぶつけて叩き落そうとした、その瞬間――
「――!?」
突如、二体の魔獣は目の前から姿を消したのだ。
しかし、それは魔獣が高速で移動し俺の視界から外れた訳ではない。
ちょうど魔獣がいた位置に代わり現れた巨大な氷塊。轟音を伴いながら地面にめり込んだそれは着弾と共に暴風を巻き起こし、俺の炎をすべて掻き消していた。
まるで空中から発射された大砲の威力を思わせる威力。クレーターは俺の目の前までできていて、あと数メートル位置がずれていたら俺も巻き添えを喰らっていたことだろう。
それらが意味しているのはただ一つ。
魔獣は消えたのではなく、飛んできた氷塊に押しつぶされ、その機能を終えたということだった。
理解はできても突然の出来事に身体が反応しなかった俺に対し、目の前のジェインは不満の表情を浮かべ氷塊が飛んできた茂みの中を睨む。
「……ユリウスどういうつもりだ」
ジェインの視線につられて脇にある茂みを見る。すると、そこにはネロに追われていたはずのユリウスが立っていた。
「ジェインさん、こいつは俺の獲物なんだ。いくらあんたでも簡単に譲るわけにはいかないな」
「……」
「もしかして遅れたことに怒ってるのかい? ごめんよ。あの仮面の子がしつこくてさ。まくのに時間がかかってしまったんだ。許してくれよ」
言って、ユリウスはジェインの下に向かって歩き出す。
「ふん。貴様はいつもいつも、どうしてこうも空気が読めないのかね。だが私もどうやら熱くなっていたらしい。君の行いで本来の計画に支障が出ないのなら問題はない。この場の処理は任せよう」
「あれ、いいのかい。驚きだねえ。てっきりあんたがやるって言い張るものだと思っていた。ティアちゃんのこともそうだけど、それよりもロイドくんって元はあんたの作品なんだろ」
「それは事実だが、これはやはり欠陥品であることに変わりはない。加えて今のあいつには第三者の手が入っている。後はおまえの好きにするがいいさ。至宝の欠片の回収は私でなくてもできるのだから」
「結局はあんたの為に働くことになるってかい? だったらここからは俺の好きにさせてもらうよ。本当にいいね」
「二度言わせるな、ユリウス」
繰り広げられる二人の会話。
それはもう俺の存在など忘れ去られているかのようだった。
「――、おい待てよッ! なに勝手に進めてやがる。俺の話はまだ終わってない!」
怒り任せに叫ぶが、ユリウスは全く物怖じせず普段のような調子のいい言葉を吐く。
「おいおいロイドくん、そう焦るなよ。ここからは俺が代わりに君の相手をしてやるからさ。君の力、今度は俺に感じさせてくれないか」
ユリウスはジェインの数歩手前に立ち俺の攻撃を遮る。ジェインは言葉通りユリウスにこの場を任せたのか数歩後ろに後退する。先ほどとは打って変わって何をすることもなく口を閉ざした。
「おまえもおまえだ。ふざけるのもいい加減にしてくれ。それにあんたのその言葉はなんだ。今まで俺たちを騙していたのか。何故だ、何故そんなことをした」
「何故? 何故って聞かれてもねえ、そんなこと。目的を遂行するために決まっているだろ。星座の魔術、これを完遂させるためにはどうしても君の存在が邪魔だったんだ。だって君、テレジアの異変の実行犯なんだろ」
「おまえ、何を言っている。そんなはず――」
「ははは、もう無理に隠す必要はないよ。ジェインさんからすべてを聞いている。今までは知らないふりをしてあげていたんだ。そんなわけでさ、俺が水面下で動いている間、君に感づかれるわけにはいかなかったんだ。知られれば君の記憶に残る僅かな魔術の知識から対策を立てられてしまいかねなかったからね。
だけれど、それも取り越し苦労。君の身近な人が巻き込まれるまで自身の意志で動くことはなかった。動けなかった、のかもしれないけれど。むしろ警戒すべきはジルの方だった。少しだけ後悔だが、まあ今となっては終わった話だ。
それよりも今重要視すべきはこの彼女、ティア・パーシス。彼女は最高の素材だ。星座の魔術の生贄に最適だと君も思っただろ、ロイドくん?」
それを聞いたティアの目に微かな恐怖の色が灯るのを見る。
今まではティアに少しでも危害が加わらないように、こちらから手を出すことは抑えていた。しかし、それももうここまで。
俺の感情はもう制御が効かなかった。
「――――ッ!!」
ユリウスの言葉を聞いた瞬間、全ての魔力を使い果たしてでも焼き尽くす覚悟で炎の波をユリウスに浴びせる。攻撃範囲を凝縮し火災旋風のごとき炎の柱をそびえ立たせた。
さらに火力を上げるため残る魔力を注ぎ込む。内部で幾たびも暴発する炎がユリウスを襲う。
過剰攻撃なのは承知の上で、なお攻撃の手を止めることはない。
あの氷の魔術師には俺一人の手では破壊しきれなかった氷の壁があるのだから。
やるなら徹底的に、確実に、容赦なく、焼き尽くすのみ。
「――くくく」
しかし、それもむなしく炎の柱の中から薄ら笑いが響く。
急速に奪われる大気の熱。肌寒く感じさせるような冷気。
目の前の炎は時間を止められたかのようにその場にとどまり、周りに膜を張るように氷の壁に包まれる。
言うまでもなくユリウスの放った氷がその正体。氷の魔術は俺の炎を軽々と上回っていたのだ。
凍結した炎の柱は呆気なく弾け飛ぶ。
「この状況を前に退くことなくひとりで立ち向かおうとするとはね。無謀と吐き捨てることもできるけれど、今度ばかりは勇敢としてしっかりと受け止めてあげよう」
続けて襲い掛かる燃え盛る灼熱をものともしない吹雪の雄叫び。轟と吹き荒れる氷の暴風はユリウスの眼前にある全てを飲み込み氷漬けにする。
それは俺の身体も例外じゃなかった。咄嗟に炎を自身の周りに発生させ防御を図る。しかし、無念。炎の壁など瞬く間に掻き消され身体を氷で束縛される。両腕、両脚は完全に氷塊の中に沈んでいた。
「――これを耐えたか。やはり、君はいいものを見せてくれる。だが悲しいかなその勇敢さは無意味なものに終わるんだよ」
「無意味かどうかはどうでもいい。今はティアを助けられればそれで。いいからそこをどけ!」
「氷に縛られ身動きが取れないというのに、威勢がいいねぇ」
くくく、と不気味な笑みを浮かべるユリウス。
「ところでロイドくん。突然だけれど、ここにいる愛しの彼女に関するとびっきりの秘密を知りたくはないか?」
「……は? 突然何を言い出すんだ」
「君もずっと知りたかったんだろ。あの娘の正体を。魔導の三賢者、アーネスト・マーベルが保護している彼女がいったい何者なのか。ほとんどが消え去ったはずの能力者。その一人が彼女であることの真相を」
「おい待て。おまえ、何を言うつもりだ――」
俺の疑問や不安など無視して、ユリウスは話を続ける。
「知っていたかい、ロイドくん。能力者ティア・パーシスの正体。それはね、人間とは到底呼ぶことのできない化物なんだってことを。くく、驚いたかい。でもね俺は今、真実しか口にしていない。彼女は人の形をした『化物』なんだよ」
「――化物、だって? そんなはずはない。誰が信じるものか。あいつは、愉しいことがあれば笑うし、悲しいことがあれば泣きもする。友達を傷つけられれば、怒ったりもする。あいつはただ能力者ってだけで、誰もが納得するくらいの真っ当な人間だろうが」
反論しようとする俺に、ユリウスはその言葉を待っていたかのように「それだよ」と指をさす。
「そうなんだよ。それなんだよ。誰もが心に浮かべる純粋な人間像。それが彼女なんだよ。年頃の女の子みたいに明るく愉しく振る舞うさま。対して正義の心を持った聖者みたいに正しくあろうと自制する。ああ、まるで人間のお手本みたいだ――」
今すぐその口を閉じてほしい。せめてあいつが、ティアがいるこの場では。
あいつが今から言おうとしている言葉は、俺だけでなくティアをも絶望の淵に突き落とすものだ。
そう胸の中で騒めいている。
「――やめろ。それ以上は……」
「だから、君が命を投げ打ってあの娘を救い出そうとしたところで、この先に待つのは苦しみだけしかない。希望なんてどこにもありはしない。だって彼女は――」
お願いだ、それ以上は、それ以上は――
予感なんてものじゃない。これは確信だ。
次のユリウスの言葉が発せられた瞬間、俺は今まで積み重ねてきたすべてを崩されることになる。
ユリウスは止まらない。
歪んだ唇が今、黒く塗りつぶされてきた真実を告げた。
――だって彼女は、人工的に魔術的に精製された命。能力者としての力を持った人形兵器なのだから。
「人間、じゃない……? 人形、……兵器? 作られた、命……?」。
恐る恐るティアの方に視線を移す。
彼女は全てから目を逸らすように俯き、動きの一切を止めていた。
……ティア?
おい、どうしたんだよ。いつもの威勢のよさはどこに行った。
たとえ口をふさがれていようとも否定の意くらい示せるはずだ。
なのに何故、あいつはまるで受け入れているかのように黙っているんだよ。
まさか、これが特別って意味なのか?
まさか、こんなバカげた話がマーベルさんのいうティアの真相だったのか?
「いやあ、これについては本当に予想外だった。俺だってこのハルリス出身だ。この街の人々にはいろいろとお世話になったからね。できることなら別の方法で儀式を終わらせたかった。そんな時だ。彼女が現れたのは。この娘が能力者だと知った瞬間確信したね。俺はこのハルリスを犠牲にせずにすむ、って。
今まで住んできた故郷とその人々か、それともたった一人の能力者か。犠牲にするべきはどちらかなんて、考えるまでもないだろう?
だが悲観することはない。彼女は人間じゃないんだから。もとよりこの星座の魔術を完全な形で成し得るための材料なのだから」
「やめろ、ユリウス。それ以上はしゃべるな! 誰がどのように言おうと、あいつは人間だ。清々しいほどに純粋な娘だ。これ以上あいつのことを愚弄するなら、俺はお前を許さない」
「許さない? 許さなかったならどうなるというんだい。それにその言葉。君が一番言ってはいけない台詞のように思えるが? 数か月前のテレジアでの出来事。君は彼女をただの道具としてしか認識せずに、最後には星座の魔術の贄にしようとした。そんな君がそのような言葉を吐くか。まるで死神だな。人間としての感性が失われているのではないか?」
「黙れよ、ユリウス……」
「もうよしなよ。君、声が震えてるぜ」
言われて意識する。
口元は震え、足元がおぼつかず今にも倒れそうになる。
俺を見るユリウスの目に光はなかった。
「――ユリウス。そこまでだ。条件が整った」
ユリウスの言葉を止めるジェイン。その男も同じだった。もう興味を失ったかのように冷めた目で俺を見るだけ。
「ここまでか。まさかこの程度で崩れてしまうとは。もっと前途有望な子だと思っていたけれど、どうやら私の過大評価だったらしい。君はここへ何をしに来たのかね? 君はここで何をしたかったのかね?」
そしてジェインは、一際大きなため息を吐き、見下すような眼で俺を見る。
魔力を活性化させるジェイン。その周りには黒く禍々しい渦が逆巻く。そして、携える一本の武器。それは銀色に輝くガラス細工のように美しい大鎌。まるで俺が使う魔術を幻属性に切り替えたときのようで、自分の魔術を見ているかのようだった。
「――おい、おまえ。それはなんだよ」
震える声で目の前の男に問う。
ジェインはもう俺を見ることはない。
「その大鎌、それはなんだって聞いてるんだよ!」
再度、怒りを伴い問いを投げかける。
しかし、ジェインは俺ではなくユリウスへ声を掛けた。
「――ユリウス。今ここでティア・パーシスを封印しろ」
「了解、ジェインさん」
ただそれだけの言葉のやり取り。
何を、する気だ。
ジェインは大鎌を振り上げ、今まさにティアの首を切り落とさんとする。
嘘だろ。
冗談だろ。
何かの間違いだって言ってくれよ。
二人を止めようとして魔術を繰り出そうにも、俺を拘束している氷の錠が魔力を霧散させていく。力を失った俺は跪き、その恐怖に嗚咽を漏らす。
「やめろよ、お願いだからやめてくれ――!!」
頭がうまく働かない。
目の前の現実が夢であってほしいと、この一瞬にどれだけ頭の中で繰り返したことか。情けなるくらいに、誰にも見られたくないくらいに、目に涙を湛え身体を震わせる。
「やめてくれぇぇッ――――!!」
何もできないことに無情に湧き上がる悔しさと、理解しがたい現実を突きつけられたその残酷さに、俺はただ負け犬のように叫ぶしかできなかった。
「本当に残念だよ。折角、二択を与えたというのに結局どちらも選ぶことができないとは。君は私を失望させた。君に救いの可能性を与えるのはここで終わりにしよう」
そして断頭台のごとく、ジェインは容赦なく大鎌を振り下ろした。
――さあ、己の無力さに絶望するがいい。




