真実の扉・濃霧に包まれし氷結の都へ④
もう我慢はできなかった。
ユリウスがこの魔術儀式を引き起こした術者なのだと分かったなら、もう迷う必要はない。
ネロの言葉も待たず俺はジルのもとへと駆けていた。
白い氷のドームも、そのすべてを覆い尽くすほどの炎で包み込んだ。
魔力消費が激しく、他の魔術を連続で行使することもままならなくなるが、そんなことは知ったことじゃない。
今はどんなことよりもまずジルを救うことが一番だった。
その想いも、これから打って出るという意思も、ネロは瞬時に理解し気持ちをくんでくれた。
俺の肩を優しく叩くと同時にネロは走り出し、その腕を竜のような腕に形を変え大穴を穿つ。
俺も続けて地を駆け、ユリウスへ奇襲を仕掛けたのだった。
「――そこまでだ、ユリウス。ジルから手を放してもらおうか!!」
二人の魔術師と能力者に囲まれるユリウス。そんな状況にもかかわらず、とりわけ焦りを見せることなく大きく嘆息する。
「おや、ロイドくん。こんなところで会うなんて奇遇だね。いったいどうしたんだい」
まるで街中で偶然出くわしたかのように気の抜けた台詞を吐くユリウス。
余裕を繕っているのでなく、本気でこの男は少したりとも動揺していないのだろう。
「余裕ぶっていられるのも今のうちだ。いくらあんたが相当な使い手だったとしても、俺たち二人が相手ならどうだ。もう逃げれないぞ」
「……」
ネロはユリウスを前にして一言もしゃべらない。
正体を隠すためだろうが、話さないのなら今は俺に任せてもらおう。
「さあ、どうしたユリウス。その手を放すんだ。まさか怖じ気づいて動けないなんて言わないよな」
「まさか、そんなわけがない。それにしても仮面の男と手を組んだのか。そうかそうか。君はこうして俺の動きを封じることで術の発動を止めることができると思ったわけだ。だが、残念だけどそれは叶わない。どうしたところで君たちの努力は報われないんだよ」
「何を世迷言を。いいか。おまえにできることは二つだ。ここで素直に俺たちに屈するか、それともこのまま首を落とされるか。容赦はしない」
「ははっ、素直だねえ君は。こういうのは嫌いじゃない。だけれど――」
ユリウスはまたもや不敵な笑みを浮かべる。
「――タイムリミットだ。それでは、第三の選択肢を切り開いてみせるとしよう」
それは突如として始まった。
ユリウスの言葉を引き金にしたかのように突然、大地が脈動を始める。
いや、実際は逆なのだろう。
この異変が起きるタイミングでユリウスは行動を開始したのだ。
「さあ、その目に焼き付けるといい。ハルリスに眠る霊獣、その目ざめの瞬間を――!!」
状況の変化は止まらない。
ハルリスの街から次々に光の柱が立ち上る。
それは霧を、雲を突き抜け空高く舞い上がる淡い緑の一筋。
この神殿の奥を含め、合計で五つの柱が出そろったところで大地の脈動は静まった。
「――!? 何だ、何が起こっている」
戸惑う俺を横目にユリウスは不気味に口元を歪ませる。
「何がって、そりゃあ星座の魔術の起動だよ。ロイド、君も知っているはずだ。今起こっているこの状況が何を意味しているのか。そしてこの先何が起こるのか」
俺が知っていることだって?
淡い緑の光は空という真っ白なカンバスに一つの模様を浮かび上がらせる。
それはまるで天秤のような、それに近い模様を示しているようで……
「あの光の柱の位置――、まさか!」
動揺する俺を見て、ついにユリウスは堰を切ったかのように抑えていた嗤いを上げた。
「クク、クハハハッ――そうだよ。あれは天秤座に対応する中継点さ! つまりハルリスにある石碑の陣は既に俺たちの手中。もう君たちにこの流れを止めることはできないんだよ」
ひとしきり笑い声をあげた後、ユリウスは落ち着いた元の調子で言う。
「それではさようなら。この地点の調整も終えたことだし、俺はひとまずここで退場させてもらうよ」
「逃げられると思っているのか」
ユリウスの言動の意味が分からなかった。
自分の両側には動きを止める魔術師と能力者の二人がいるのだ。
そんな状況で無事に逃げ切る余裕が、今のユリウスにあるとは考えられない。
「ああ、思っているとも。例えばこのように――」
ピキッと音を立て、ユリウスの頬にひびが入る。そのままユリウスの身体は氷のように白い彫像に変化していき内側から弾けるように砕け散った。氷の粒となったユリウスは風に乗ってハルリスの中心地へと飛んでいった。
「くそ、逃がすものか」
「落ち着けロイド。ここは僕が行くから、君はジルさんのことを頼む。君がいないと彼を温めてやれないだろ」
ようやく口を開いたネロは解放されたジルの容態とその無事を確かめる。
「ジル、大丈夫なのか?」
「今はね。幸い凍死している部分もなさそうだ。喋れないほどに体力を消耗しているけど、君の炎に当て続けてやれば大丈夫だろう。もし必要そうなら病院にでも連れていってやればいい」
「何だかいいように使われているようで気にくわないのだけれど気のせいか? ……まあいいよ、分かった。ジルは俺が見ておくから、あんたはユリウスを追ってくれ。絶対に逃がすなよ」
「もちろん。絶対にとは約束できないけれど、最善を尽くすさ」
「そこは絶対にって言いなよ。不安になってくるだろ」
「ごめんね。気遣いが足りてないみたいだった。じゃあ、これ。渡しておくよ」
言って、ネロは銀色の鉄の塊を投げてきた。
受け取って確認するとそれは通信機として機能する魔術礼装だった。
「これは……」
「何かあったらこの通信機に連絡する。使い方は分かるだろ」
そうしてネロは言うだけ言って俺の質問を待たずにハルリスの街へと駆けて行った。
腑に落ちないな。
説明の雑さもそうだが、どうして能力者であるネロが魔術礼装を持っているのだろうか。
ティアが過去に魔術礼装を使っていたこともあるから理解できないわけではない。あいつはマーベルさんから様々な礼装を受け取って自分の武器にしているから。
しかし、そうなるとこの礼装をネロに預けた魔術師がいることになる。
あいつ、一人でこの異変に立ち向かっているわけじゃないんだな。
◇
燃え盛る大地は次第にもとの湿地へと戻る。
ジルの肩を支えながら岩陰へと移動し、火を起こして身体を休めていた。
先ほどまでの戦闘が嘘のような静寂。
しかし、今もなお光の柱は消えることなく天を貫く。
早く俺も追いかけなくては、と焦る気持ちがある。その一方でジルを置いてはいけないという心配も同時に存在していた。
だから、もし俺がユリウスの後を追いかけていったとしても、ジルのことが気になって目の前の敵に意識を集中できなかったかもしれない。
そういう意味でネロの判断はおそらく適切だったのだろう。
まだまだ未熟だな。
マーベルさんの足元にも及ばないと意識してしまうと自然とため息が出てしまった。
息はまだ白かった。
それから一時間ほどたってからだろう、ビクッと隣で眠るジルの身体が動く。
「……ここは。ロイド、今はどうなっている。ユリウスはどこに行った」
ジルの意識が回復したらしい。
弱々しい囁きではあったが一命をとりとめたと捉えてもよさそうだった。
「ジル、目を覚ましたのか。ユリウスには逃げられたよ。ハルリスの中心部の方に向かっていったみたいだ。今はネロ…俺の仲間がユリウスを追いかけているから、その間に対策を立てないとな。連絡がまだないのが不安だけれど……。って、そんなことよりだ。ジル、身体は大丈夫か? 痛むところはないか?」
「ああ、どうだろう……うん、何とか大丈夫そうだな。――はぁ、流石に今回はやられたかと思ったよ。すまないロイド、俺は……」
「気にするな、相手が悪かったんだ。あんな大魔術を出されたら予め対策をしておかないと対処できないだろ」
いや、対策をしたところで俺たちの実力でどうにかできるものなのだろうか、あれは。
今回の場合は外側から俺の炎とネロの能力で無理やり砕いたが、内側にいた場合そもそも魔術を発動できる状態でいられるかすら怪しい。
「……なあ、ロイド。俺、機械みたいだってよ。俺ってそんなに自分の意志を持ってないか。俺はこんなにもこの街を愛しているっていうのに」
震える唇。話すことも辛いだろうに、それでもジルは内に秘める悔しさを吐露した。
「やり方は人それぞれだし、あんたが選択した道も悪いことだとは思わない。だからユリウスの言葉なんて気にするなよ。挑発って可能性もあるんだろ」
「気にするよ。挑発なんだったら尚更な。挑発ってのは事実を混ぜるからこそ効果があるんだ。俺はその事実を突きつけられたことで、簡単に崩れてしまった。情けないにもほどがある。
それだけじゃない。ユリウスの言葉を真に受けるなら石碑の周辺を警戒していた機関の仲間たちは、その全員がユリウス本人かその仲間にやられたことになる。この地に駆け付けた俺もこのザマさ。ロイドたちが来なかったらどうなっていたことか……」
「……ジル」
言葉が見つからない。このように悔い悩む者に対してどのような言葉をかけるべきなのか分からなかった。
迷う俺に対して、ジルは悔やんでいるものの心の迷いはなかったようで、その目に光は失われていなかった。
「――頼む、ロイド。俺を街まで連れて行ってくれ。あの魔術師、ユリウスに一矢報いないと気が済まないんだ」
そういって、ジルは満身創痍のその身体に鞭打ち立ち上がろうとしていた。
俺は咄嗟にその無謀を止めようとする。
「何やってるんだよ、そんな状態で」
「もちろんこのまま行くわけじゃない。回復魔術は心得ている。森を抜けるまでにはこの傷も治しておくから、だから」
「……すまないが、それは出来ないな」
言って無理やりジルを座らせる。ほとんど力を込めることなく、そっと腕を引くだけでジルを元の場所に戻せてしまった。
「何でだよ、俺じゃあ不安か? ユリウスに負けた俺が」
「そうじゃない。あんたの魔術も戦術も俺はすごく頼りにしている。だから俺だってあんたと一緒に戦いたいさ。ハルリスを守り通すこと。それがあんたの夢であって、あんたがずっと望んできたことだろ。だったらそれはジルの手で成し遂げなくちゃならない。俺の手を借りたとしても最後にはジルの手で決着をつけるべきだ。
だけど今のあんたは焦りすぎている。自滅覚悟で仕掛けていきそうで不安なんだ。それにさっきのはなんだ。軽く手を引いただけで倒れたじゃないか。だから気持ちを落ち着けて、体力も回復させて。それから自分の脚で駆け付けてきてほしい」
ここら辺が潮時だろう。
ジルも意識を取り戻し、身体の不調もないと確認できた。今おこしている炎も当分は消えない。周りに怪しい気配も感じない。
だったら俺はもうこの場に留まる理由はないだろう。
立ち上がり、岩の陰から離れていく。
「それじゃあ俺は先に行くよ。ジルも体力を回復させたら来るといい。でも、あまりに遅いと全部俺が持っていくかもな」
ジルは呆れてしまったのか、今まで見たことがないくらい大きなため息を吐いた。
「あーあー、そうだよ。おまえはそういう奴だった。一度決めたら俺の言うことなんて聞きやしない。でも今はおまえの言うことの方が正しいな。仕方がないから今は言うことを聞いてやる。おまえの働きには期待しておくよ」
その声を聞いてから、俺は「行ってくるよ」と手を軽く振りハルリスの街まで走るのだった。