夏至祭開幕・友と過ごす憩いの場所で④
そんなこんなで今日一日の活動が終わった。
うまく情報を集めることができていたのか、今後の方針はしっかり立てることができた。そのままの流れでアイリを先導に新作パンの完成を目指した。
そうして結局きりが付いたのは午後十時半。あと一時間半で日付が変わってしまう時間だった。
こんなに遅い時間になったのは残念であったが、しかし満足いくものが作れた分今日は安心して眠れることだろう。
店を閉め、友達と別れた後の家への帰り道。
俺はティアの案内も兼ね、海岸を歩く。
街中から離れた静寂の間。ざあざあと心に染みる波の音。しかし、眩い街灯りは夜空を照らし未だに闇を切り離す。
海にはちらちらと光る複数の点。今も誰かが海に出て漁をしているのか。それともこの時間だ、監視の意味合いもあるのかもしれない。
ちらっとティアの横顔を見ると、先ほどの柔らかな表情とは打って変わって真剣な表情になっていた。
「どうかしたか、ティア。何か心配事でも?」
「ううん。そうじゃないんだ」
頭を振り、ティアは小さく深呼吸を何度か繰り返す。
その間、俺は何も口を挟まずにティアの言葉を待っていた。
「――ねえ、ロイドくん。アーネストさんからは何も聞けなかったんだけど、そろそろ聞いてもいい?」
「何を?」
「ロイドくんがしていたこと。わたしと戦った後に、わたしが眠っていた間に、ロイドくんはアーネストさんと何をしていたの?」
「……それか」
言葉に迷う。
「それは……」
「ねえ、ロイドくん」
俺の表情を伺うように覗き込む。不意に、俺はティアの視線から顔を逸らしていた。
たぶん、俺はあまりティアにとって気分のいい表情をしていなかっただろうから。
それを見てしまったのだろう。
「――ごめん。しつこかったよね」
と、ティアは俯いて謝った。
「……」
違うんだ。俺はお前の問いかけが嫌で顔を逸らしたんじゃない。
むしろ、お前に申し訳なくて。お前を見ていると、自分の内からを湧き出るこの思いや後悔。それが許せなくて。
ティアはそれでも口ごもるようなことはなく、自分の思いを精一杯に伝えようとする。
「ロイドくん。わたしはね、あの時のことを根に持ってるわけじゃないんだよ。そりゃ、わたしを騙していたことも、レンちゃんを傷つけたことも簡単には許せないよ。でもね、これは違うんだよ」
「何が違うんだ」
「知ってるでしょ。わたしには小さい頃の記憶がない。そしてこのような力に目覚めた理由もわからない。ロイドくんのやってきたことがわたしの出生にかかわるものなら、ぜひ知っておきたかったんだ。アーネストさんって、わたしの小さい頃の話になるといつもはぐらかすから。今回のロイドくんとの共闘もそれ関連なのかなって……」
そうくると思った。こうして俺と会って、俺のことを改めて知って、そして状況が落ち着いた頃。まず初めに訊かれることといえば――
マーベルさんの言葉が蘇る。
『あの娘はね、特別なんだよ。特別とはいうが天才って意味でも、人間として秀でているって意味でもない。あの娘はね、単純に他の人間とは違うんだ。見た目や仕草からは想像できないだろうが。ロイド、君たちのような人間とは限りなく遠い存在なんだ』
そこから先は、何だったか。
覚えてはいるけれど、聞かなかったことにしたいくらいの戯言だった。
ティアにとっては悪夢のような真実だった、はずだ。
だから、俺はマーベルさんの言葉をここで伝えるわけにはいかなかった。
いいや、これも違うな。俺は伝えないんじゃない。伝えることができないんだ。
伝えることができるはずがない。こんな残酷なことを俺の口から言えるはずがなかった。
「――安心しろ。そのようなことはなかった。あくまで俺とエレナに関係することだけだった。ティアについては何も」
「本当に?」
「……ああ」
そう言って黙り込む俺。
「……そっか。なんだか、残念だな」
その一言を聞くと、ティアは寂しそうに目を伏せる。
寂しそうなその表情に、また俺のなかであの人の言葉が残響する。
『おまえは何のために戦ってきたんだ』
『エレナが無事ならそれでいい。まさかそのような考えを持ってはいないだろうな』
『エレナを救いたい。その気持ちは分かる。だがな、おまえはひとつ重要なことを蔑ろにしている』
『おまえはエレナ以外の全てを軽視している。周りの全ての人間を。そして自分さえも。だから星座の魔術という禁術に手を出すなんて真似をした』
『それが間違いだと認識していたのなら、たとえ記憶の改ざんを施されようとも、自らの行いに疑問を持てたはずだ』
『そして最後には自らの命すら差し出して魔術を行使し、戦いに身を投じた』
『誰かのために死ぬなんてのは馬鹿のすることだ。本当に大切な人を守りたいのなら、その人のために生き続けろ。死ぬ覚悟なんてとっとと捨ててしまえ』
「――うぅ、ああ……」
あの人の言葉を思い出してしまったこの瞬間、気がつけばあまりの悔しさに血が出てしまうのではないかというくらい強く唇を噛んでいた。
最低だ。俺はずっと忘れていた。ずっと都合のいいように考えていた。
「ティア、――!」
前を歩くティアの手を強く握る。
「――え。どうしたの、ロイドくん」
驚き目を丸くして俺を見るティア。
「俺は、俺は……おまえに謝らなくちゃならないんだ」
自分のうちに秘める後悔もすべてを吐露し、懺悔する。
「すまなかった、ティア。俺はテレジアでおまえを襲った、裏切った。星座の魔術の生贄にしようとした。そして、何も関係のなかったレンさんに危害を加えた。俺はおまえに再会したとき何よりもまず、そう言わなければならなかったのに」
自分の言葉を出すことに必死だった。
こんなにも苦しいとは思わなかった。
こんなにも痛いとは思わなかった。
それでも俺は、目の前にいる俺を救ってくれた彼女に言わなくてはならなかったのだ。
「心の底から謝りたい。ティア、本当にすまなかった」
頭を深く深く下げる。
「…………」
ティアは一言も喋らない。
数秒にも満たない時間だったろう。だけれどこの空白の時間が、まるで永遠のように感じた。
「――――ばか……」
そう囁いたティアは無理やり俺の手を振りほどくと、俺の頭を力強く掴む。両手で髪をむしりとるんじゃないかってくらいの力でくしゃくしゃにする。
正直痛くて仕方なかった。けれど、反撃にでる気にはなれなかった。
これは身体の痛みだ。
それでも、それ以上に心が痛かった。
「ばか、ばか、ばか。もう、遅すぎだよ。わたし我慢してたんだよ。こっちから言うのも図々しいかな思ってたんだよ。でも一体何日経ってると思ってるの。再会したらすぐに言うことだよね。それが普通で礼儀ってものだよね。わたしより年上だっていうのに、それができなくてどうするの」
堪えていた感情が堰を切る。抑えていた怒りが露わになる。
涙声で訴えかけるティア。けれどそこには哀しみが溢れているように聞こえた。
「これでも寂しかったんだよ。わたしは一度たりとも忘れたことはなかった。あの日々がきっかけでわたしは成長できた。ロイドくんと過ごしたことでわたしがこの日常を、友達をどれだけ大切にしていたのかを知れた。でもロイドくんはあの時のことを無かったことにしたいんじゃないかって。そう思うとすごく怖かったんだよ」
このハルリスで俺と再会してから、いやそれよりずっと前から。
きっとこれは俺に対して初めて向けられた、彼女の真情の発露だったのだ。
「わたしは絶対に許さない。あの日のことを絶対に許さないからね。――けれど、それでも、ありがとう。あの時のことを忘れないでいてくれて。あの日のことを反省していてくれて。わたしと過ごした日々がロイドくんの為になったのなら、わたしはとても嬉しいよ」
俺から離れたティアは背を向けて袖で涙を拭う。そして何度も何度も深呼吸をして感情を整える。
決して不格好な顔を見せてやるものか、とでも言うかのように。
「ティア、おまえは……」
「――よし! ほら、ロイドくん。もう遅いし早く帰ろ。エレナさんが待ってるよ」
じゅるじゅると鼻水を吸う音を立てて、ティアは思い切り走り出した。
本当にこいつは。愛おしくなるほどに強い心の持ち主で、羨ましくなる。
ここにきてやっと、ほんの少しだけ縮まったかのような俺たちの関係。
俺が勝手に思っているだけかもしれないけれど今まであった違和感、胸のつっかえが取れたかような気分になった。
「……ああ、そうだな。帰ろうか」
そして、俺もティアの後ろについて走っていった。
「ティア、ありがとう!」
「うるさーい。わたし、ロイドくんのこと許してないからね」
「それでもだ。ありがとな!」
「あーあー、聞こえなーい」
そんなふうに馬鹿らしく夜の道で叫び、笑いあいながら帰路に就くのだった。