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父親、社会人、そして少女  作者: ニセ神主
1/5

目覚めと始まり


「……どうしたことか」


 私は今、自室のベッドの上で頭を抱えながら思案中である。


 階下では包丁とまな板がぶつかり合うトントンッとリズミカルな音が聞こえてきて、いつも通り妻が朝食を作ってくれているのだろう。微かに香る匂いから今日は朝食に魚を用意してくれているらしいことまで分かる。

 そしてその音が途切れた後、妻はいつも通り私を起こしに来てくれるだろう。


 だけど、起こしに来てくれた妻に、今の現状をどう説明すればいいのだろう。


「……どう、すべきか」


 再度呟くは諦め混じりの声。

 仕事でそれなりの立場になってから幾度となく漏らしたその声も、自分のやる気を削るだけだからと普段であれば自重するように心掛けていたのだがつい気持ちを乗せて吐き出してしまう。


 しかし、私の耳に入ってきたのは普段聞き慣れている自分のそれとは大きく違っている。娘達とはまた違った甲高い声だ。

 一瞬、背筋がぞわりと粟立ってしまう。


「私が、何をしたというんだ……」


 頭を抱えていた手を下ろす。

 私の小さな両手はパタリとベッドの上に落ち、それに合わせて長く艶のある黒髪が私の視界を遮るように垂れ下がる。


 そのまま私は思考の波に身を任せる。

 考え至るは何でもなかった昨日の事についてだった。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 昨日、私はいつものように目が覚めると、妙に身体が熱っぽかった。手近に体温計が無かったので額に手を当てて憶測で体温を測ってみても、やはり普段よりも体温は高く感じた。しかしその日に限って会社で大事な会議があったわけで、私は市販の薬を飲んで出勤することに。


 妻と娘達が心配してくれたが社会人たるもの、ちょっとの不調で欠勤するわけにもいかず、私は自分の身体に鞭打ちながら出勤した。


 薬が効いたおかげか、会議中はすこぶる体調が良くなり、私のプレゼンも上役方にウケが良く、今度私のチームで企画を進行することが決まった。

 部下達も久々の大仕事に気合い十分といった様子だった。


 だけど、私の右肩上がりの絶好調はここまでだった。


 午後になり、昼食を終えた辺りから私の体調は一気に絶不調へと下降し、まるでインフルエンザの時のような身体中の痛みと気持ち悪さが襲い掛かってきた。

 私の体調の変化は顕著だったらしく、部下のみならず上司までもが早退するよう強く言い、結局私は部下の車で自宅まで搬送されることとなった。


 私の家族は妻と娘が二人なのだけど、妻は自分の勤めに、娘達はそれぞれ大学と高校に通っているため、自宅には誰もいなかった。

 部下は病院に行こうと言ってくれたが、これ以上付き合わせて万が一にも感染させるわけにもいかず、もうしばらくすれば家族の誰かが帰ってくるから大丈夫と言ってなんとか帰ってもらった。


 その後、私は二階の自室に上がると着ていたスーツをベッドに脱ぎ捨てて軽く汗を流すようにシャワーを浴びると、リビングのテーブルに置かれていた朝と同じ薬を飲み、再び自室に戻ると文字通り倒れるようにベッドに潜り込んだ。スーツはちゃんとハンガーに掛けて。


 念のため体温を測ってみると、そこに表示されたのは社会人の気力でも到底抗いきれないくらいの高熱で、その数字を認めた瞬間、一気に体調が悪くなったような気さえした。


 ──とりあえず、妻に連絡しなければ。


 そう思い携帯電話を開いたところで、私の意識は途切れてしまった。



 次に目を覚ました時、部屋はすでに真っ暗になっており、私はそのままの体勢でベッドの上で手探りで携帯電話を探す。

 コツン、とようやく手に当たった物を掴み、それが感触から携帯電話と分かると私はパカッと開けて時間を確認する。真っ暗闇の中、発光する携帯電話の画面に目をシパシパさせながら確認することができた時間は午後11時30分。


 ──もうそんな時間か。そういえばお腹も空いているような気もする。


 そうぼうっとしながら考えていると、眠る前の酷い倦怠感がなくなっていることに気が付いた。風邪特有の筋肉痛のような痛みはまだ残っているものの、あの吐き気と倦怠感がなくなっているだけでも凄く楽だった。


 ゆっくりとベッドから降り、壁に手を付けながら歩く。ズボンのゴムが切れたのか、ずり落ちてくるズボンを片手で押さえながらそのまま扉がある方へと歩いて行くが、なかなか目当ての物が見つからない。


 ──あれ、電気のスイッチは何処だ?


 普段であれば数歩壁伝いに歩く所にスイッチがあるのだが、それが中々見つからない。壁に沿わせている手の位置が悪いのか、上下に手を動かしながら壁に沿わせるようにして再度確認すると、随分と高い位置で目当ての物に手が触れる。

 変だなという違和感を胸に抱きつつもスイッチを押して部屋の電気をつける。


 パッと明るくなる部屋の中。

 眩しさに目を細めて手を翳す。徐々に目が明るさに慣れてきたため翳していた手を戻して部屋の中を見回し、そして更なる違和感を覚える。


 六畳のその部屋は窓側に仕事机、壁際に資料等が多くある本棚、その隣にはシングルベッド……特に変わった所はない。

 まるで喉に小骨が刺さってしまった時みたいな嫌な違和感を解消しようと、腕を組んで考える。


「んんぅー……ん⁉︎」


 小さく聞こえたくぐもった女性……少女の声。

 ビクッと身体を震わせて動きを止める。


 1秒、2秒、3秒……暫く待ってみても声は聞こえてこない。


 ──気のせいか?


 気を取り直して部屋から出るための一歩を踏み出す。しかし踏み出した足がいつの間にか落ちていたズボンの裾に引っ掛かり、その場で派手に尻餅をついてしまった。


「痛た……んんっ⁉︎」


 強かに打ったお尻付近を撫でながら痛みを和らげる。その瞬間、聞き慣れない声が私の耳に入ってきた。


 それは娘達みたいな甲高い声。感覚的には、それよりも幼いかもしれない。

 当然私の部屋からそんな声が聞こえてくるはずがなく、この家を建てる時だって土地には拘ったのだから曰くや因縁などないのは確認済み……いや、何かがおかしい。


「あー、あー」


 自分の喉に手を当て、単調な声を上げる。

 それに応じて聞こえてくる少女の声と震える自分の喉。触れる手に喉仏のゴツゴツした感触などない。


 私は徐に立ち上がると、机の隣に置いてある姿見へと視線を向ける。


 そして見た。

 私がやっているように喉元に手を添えながらしかめっ面を浮かべている少女の姿を。


 歳は高校生……いや、もしかしたら中学生くらいかもしれない。娘達よりも明らかに幼い顔立ちをした少女は股下まで隠すくらい大きな上着を身に纏い、足下にはずり落ちてしまったズボンとトランクスが見える。肩まで伸びる黒髪を至る方向にハネらせている少女は私が喉に添えていた手を離すと同じように離し、その手を頭上に掲げると同じように手を掲げる。


「……夢か」


 そう呟くと私は足下のズボンとトランクスを上げると再度電気のスイッチを押し、消灯する。

 そしてベッドに戻って布団に潜り込むと、私は再び目を閉じた。


 ──自分が少女の姿をしているなど、なんてくだらない夢を見てしまっているのだろう。早く目を覚まして仕事に行かなければ。


 そうしているうちに私の意識は深い闇の中へと沈んでいった──

 



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「まさか、あれは夢ではなかったのか……?」


 昨日の、やけに鮮明に覚えている夢の回想を終え、私はベッドから降りて姿見の前に立つ。姿見に写って立っているのは、昨日見たままの黒髪の少女。


 今更ながら頬を抓み、横に引っ張ってみる。

 間違いなく痛い。


「どういうことなんだ……」


 全身から力が抜けるような感覚がしてきて、私はそれに抗うことなく崩れ落ちる。

 鏡の中の少女も私と同じように膝から崩れ落ち、なんとも言えない複雑な表情を浮かべながら私と視線が合った。

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