2,ドラゴンと魔女
入学式の後、これから担任になるであろう教職員に誘導されやってきた教室。
割り振られた席に着き、俺はまず電子辞書を取り出した。
もちろん、【ドラゴン】について調べるためだ。
最近の若者ならばここでスマートフォンやらパソコンやらを使うのだろうが、生憎、俺はどちらも所持していない。
代用品として持ち歩いているのが、この電子辞書と言う小さなパソコンみたいな奴である。
中学の時、懇意にしていた先輩からいただいた物だ。最初の頃は使い方が全くわからなかったが、慣れてくると便利な物である。
そして辞書を引き、俺は唖然とした。
【ドラゴン】
ヨーロッパや中東の民話に現れる【想像上の生き物】。
起源は原始宗教などの宗教で神聖な生物とされる【蛇】を神格化した存在だとされる。
時代の移り変わりにより、新興宗教の中では、この神格化された蛇を【古き宗教の異物】…いわゆる【邪神】の類として扱い、【悪の象徴】【退治されるべき存在】とする事も多い。
その近代風潮が創作の分野に齎した影響は大きく、フィクションで登場する場合はもっぱら【モンスター】に分類される存在として描かれる。
「……想像上の、生き物……だと……!?」
馬鹿な、では教室に置いてもなお俺の隣りに座るこのドラゴンは何だと言うのだ。鼻歌歌ってるぞ。少しも寒くないレリゴーな奴だ。少々チョイス古いなこの変温動物。
……春の日の白昼夢……と言う訳では無いだろう。だって指をクナイでブッ刺してもこいつの存在感は変わらなかった。
大体、それだと俺が読んだ蔵書はどう説明を付ける?
……まさか、あれはいわゆる【フィクション】だったのか……!?
「どうかしたんですか?」
俺が頭を抱えていると、タツオが心配した様子で声をかけてくれた。
……心配の念には感謝するが……どうしても「お前のせいで俺は混乱している真っ只中だと言うのに、よくもまぁそんな口を利けたモノだな」とか思ってしまう。
「いや……そのだな……」
「?」
これは、どう対処すれば良い?
と言うか、何故に想像上の生き物が教室内にいるのに誰も騒がないんだ?
「これからよろしくねー」
「あ、よろしくお願いします」
「………………」
騒がない所か平然と挨拶交わしている子までいる。
「何故、電子辞書を片手に固まっているの?」
「委員長!」
そこに現れたのは委員長。颯爽と俺の左隣りの席に座る。
まさかの体育館時と同じ配置か。いや、しかし前後の人は違うし……完全なる偶然か。
「……委員長……? 私の事?」
「あ、ああ。すまない。つい……」
「私はまだ委員長じゃない」
まだ、と言う事はなる気ではいるんだな。流石は委員長だ。
「私は雨市麻央。ひとまず向こう一年よろしく」
「あ、ああ。忍ヶ白茶助だ。よろしく」
ふむ、クラスのマドンナ当確とも言える委員長と隣りの席か。これは幸先良い。
……っと、今はそれ所では無かった。ドラゴンだドラゴン。今重要なのは右隣の奴だ。
「あ、雨市さん、同じクラスなんですね」
「ええ、まさしく腐れ縁ね」
………………まさかの顔見知りか。どうやら中学時代のクラスメイトらしい。
腐れ縁と言う言葉から察するに、中学三年間一緒だったか、はたまた幼馴染とかその辺の可能性も……
いや、もうこの際、ドラゴンと委員長の関係性はどうでも良い。
……あれだ。
もうこうなったら、直球にいくか。
「…………超絶、少し、聞きたい事がある」
「タツオで良いですよ。なんですか?」
「お前は、ドラゴンなのか?」
「はぇっ……」
予想外、そんな感じのタツオの奇声。
「ちょっといい、忍ヶ白くん」
「ん?」
突然、委員長が口を挟んできた。
「話があるわ」
何だ急に……委員長の様な美人に話しかけられるなど普段なら願ってもない事だが……
「いや、悪いが俺は今この胸の中にある疑問を早急に解決したいんだ。申し訳ないんだが後にしてくれ」
「その疑問に関しての話。超絶、あなたも来なさい」
「は、はい」
「来なさいって……」
「忍ヶ白くんも、来て」
「だが、これからHRが……」
「忍ヶ白茶助、来なさい」
「お、おぅ……」
よくわからないプレッシャーを感じ、俺は委員長に従うしか無かった。
◆
学校の屋上と言うモノはそもそも作業員以外の人物が出入りする事は想定されておらず、一般生徒に開放するには安全面に問題がある。そして開放する必要性も無いので、安全性を高める施工をする費用は完全に無駄遣い。
なので基本的に閉鎖されている。
……と言うのが屋上への扉が常に施錠されている理由らしい。
中学生の時、数少ない友人達と屋上に忍び込んで捕まった時、説明してもらった。
この晴屡矢高校も例外ではなく、屋上のドアは大きな南京錠でがっつり施錠されていた。
「ぬぅ、漫画やアニメを見習って欲しい」
「漫画やアニメだと開放されているものなのか?」
「忍ヶ白くん、そういうのはあまり見ないタイプ?」
「ああ、縁が無かった」
我が家のテレビは基本的に爺ちゃんに独占されているし、漫画に触れる機会も無かった。
その存在と娯楽用品であると言う用途は知っているが、実際にお世話になった事は無い。
「そんなコスプレしてるから、てっきり私と同類かと思ってたわ」
「コスプレ……?」
確か、仮装の英語表記だな。
……? 俺のこの紋付羽織袴のどこが仮装だと言うのだ。立派な礼服だぞ。
確かに礼服だとしても古式であり、少々奇異な視線を向けられるのは仕方無いとは思うが、流石に仮装扱いされる事には異議があるぞ。
「と言うか、何故にわざわざ屋上なんだ」
「これからするのは、人に聞かれては不味い話。密談と言うもの」
「それにしてもだ、屋上に拘泥する必要は無いんじゃないか?」
「茶助くんの言う通りですよ、人気さえなければここでも良いじゃないですか」
そうだ、この屋上ドア前の踊り場も、充分密談には適していると思う。
何より俺はさっさと疑問を解消したい。
「こういう学生の密談は学校の屋上でやるのが鉄則」
何に置ける鉄則だろうか。前提が見えない。
「……まぁ、私の手にかかればこんな鍵……」
何やら委員長がもぞもぞと手を動かしていると、
カチャリ。
「!」
南京錠が、開錠された。
すごいな……俺も錠破りにはそれなりに造詣が深いつもりだが、あんな一瞬で開錠する程の技術は無い。
いくら南京錠とは言え、最低でも五秒はかかる。
委員長……侮れないな。
「雨市さん……またそんな使い方して……」
「別に【この世界】では法的使用制限は無い」
「ピッキング行為は立派な犯罪ですよ」
「相変わらず図体に反比例して細かい」
タツオの言葉を適当に流しつつ、委員長は南京錠を取り外し、屋上のドアを開放。
「……さて、お望み通り屋上についた訳だが……一体なんなんだ」
俺はタツオへ重要な質問の途中なんだ。
「さっきのあれ、超絶に対しての質問、どう言うつもり?」
「どう言うつもりとは……」
シンプルに俺の疑問をぶつけただけだ。どういうつもりも何も無い。
強いて言えば、一刻も早く混乱に満ちた脳内の整理を付けたかっただけだ。
「あなたには、超絶がドラゴンに見えているの?」
「はぁ……? それは、まぁ……」
どう見ても、ドラゴンと言う奴ではないのか。
あ、待てよ……
「まさか、【ワイバーン】と言う奴か?」
「あ、いえ、ドラゴンで合ってます。ワイバーンは翼が生えている代わりに、前足…手が無いのが特徴ですね」
「ほう」
ドラゴンとワイバーンとやらが近縁種的なものだと言うのは例の蔵書で知っていたが、そう言う区別があったのか。そこまでは知らなんだ。
「そう言う問題じゃあないわ。あなたには、超絶がドラゴンに見える。間違いないのね?」
「ああ、この見た目はどう見ても……」
あの蔵書に記されていたドラゴンの挿絵にそっくりだ。挿絵だと体の構成は人間よりも犬猫に近い印象だったが……個体差の様なモノだろう。
「つまり……私の【魔法】が効いていない、と」
「魔法……?」
「率直に聞く、あなたは何者?」
「何者……と言われても……俺は特に変わりない平凡な一般人になるべく……」
「嘘は許さない。私の魔法が効かない一般人なんているはずがない」
「待て、さっきから……魔法だと? 何を……」
「あなたが、私達に害する者なら……」
委員長の目に、攻撃色が宿る。
「ッ!」
殺気だ。完全に。委員長は俺を殺す気だ。
何故かはわからない、だが、いくら美人が相手とは言え殺されてやる道理は無い。
全身全霊を戦闘モードに切り替え、迎撃態勢を……
「ストップですよ雨市さん!」
不意に、俺と委員長の間にタツオが割り込んだ。
「茶助くんは悪い人じゃないですよ! 直感でわかります!」
「鈍感爬虫類の直感なんて当てにならない」
「待て委員長。よくわからんが、俺は悪人であるつもりは無いぞ」
タツオの言う通り、俺は誰かに取って害悪となる様な人間であるつもりは無い。
そんな生き方はしない様、心掛けてきたつもりだ。
爺ちゃんが聞いてもいないのに教えてくれた数少ない事に「後悔なく生きよ」と言う物がある。
俺は、誰かを傷付けたがために後味の悪い人生を歩みたくない。
「その割りに……私の殺気に対して、随分本格的な迎撃態勢を取ったように見えたけど?」
「ぬ……それは条件反射と言うか……」
「誰だって殺気を感じたら身構えますよ」
そうだ、その通りである。殺気を感じたらその殺気の発生源を即座に排除すべく行動するのが人の性だ。
タツオは見た目こそ非常識っぽいが、実にまっとうな事を言ってくれている。
「それよりも、意味がわからないぞ。さっきの口ぶり……まるでタツオがドラゴンに見えるのがおかしいと言う風じゃないか」
これだけドラゴンドラゴンしてる奴が、ドラゴンに見えないはずが無いではないか。
「あー……それがその、茶助くん。その通りなんです」
「……何?」
「僕は、雨市さんの魔法の力で……普通の人には【少し大柄の人間】に見えてるはずなんです」
「しかも、オマケでとびきりハンサム顔に見える様にしてあるわ。どれくらいハンサムかと言うと、中学時代はストーカーめいた親衛隊まであった程よ」
「…………はぁ……?」
……そうだ。そう言えばさっきから魔法魔法言ってるが……
魔法とは……あれだよな。
あの蔵書にも載っていた、【魔女】が持つと言う奇跡の力。
「まさか委員長……【魔女】なのか……!?」
「……ええ。【魔女】を知っているのね」
それはまぁ、あの本に載っていたから。
「だが、魔女は魔女狩りで……」
「ああ、この世界の歴史の話ね。私は、【別の世界の魔女】だから関係無い」
「別の世界……?」
「世界は一つではありません、僕たちは、【異世界】の住人なんです」
異世界……あれか、並行世界とか言う奴か。それもあの本で読んだ記憶がある。
世界と言うものは可能性の数だけ分裂する。
俺が昼食をオニギリにするかパンにするか悩んだ時、【俺がオニギリを選んだ世界】と【俺がパンを選んだ世界】が誕生する。
俺が実際どちらに進もうと、その二つの世界が生まれてしまった事には変わり無い。
オニギリを選んだ俺とパンを選んだ俺は別々の世界で別々の運命を歩んでいく。
そんな感じの話だったはずだ。
つまり、委員長達は……魔女狩りで魔女が滅ばなかった世界であり、ドラゴンが想像上の生き物では無い世界から来た……と言う事か。
「しかし、異世界を行き来する事はできないと聞いたが……」
なんとかパラドックスがどうの、と言うよくわからん理屈があるらしい。
「魔法を使えば割と余裕」
「あんまりよろしい事では無いんですけどね……仕方なく」
「仕方なく……?」
何か事情があり、異世界からこの世界に来た、と言う事か。
「詳しく説明した方が良いかもですね……雨市さん」
「異論は無い。むしろ賛成。なんでか知らないけど、魔法が効かない以上、忍ヶ白くんは共犯にしといた方が無難」
「共犯……委員長達は、何か法を犯しているのか?」
「私達が元いた世界では【ドラゴンを助ける行為】は違法に【なった】の」
「……何……?」
「あまり楽しい話ではありませんが……」