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小咄:再び夜馬車が走り出すまでにかかった時間の理由について

結局、ローグリールの白い衣は完成するまでに一ヶ月半を有した。

一ヶ月もかからぬうちに一度は完成したものの、いざ試着してみると機械仕掛けの翼は思ったよりも開ききらなかった。

そこで作り直しが開始され、既に解析を終えた医者と仕組みを理解している発明家はともかく、実際にそれを織り込む服屋は泣き言を繰り返していたが、何とか巧妙にその機械の翼を布へと織り込んだ。

直って手元に戻ってきた白い衣を身に着け、ローグリールは湖畔の上空をぐるりと一周してみた。

遠巻きに見れば完全に直っているように見える。

だが…。

「うーん。飛ぶのには問題なさそうだけど…」

湖畔で片手を顎に添え、ルツィエはローグリールを見上げながら呻いた。

彼女がばさりと羽ばたいて、ルツィエとその横に立つスレイプニルの前に着地する。

片足の爪先から降りて翼を腰元に畳む瞬間、一瞬、キィ…と金具の音がした。

小さな音だが、羽音の中では不思議とそれだけ耳に残る。

「この音がね…。ちょっと目立つかもしれないねえ」

「いや。飛べれば、問題はないと思う…」

否定をしつつも、どこかローグリールも不安げではあった。

任務に支障がなければ大丈夫だろうが、疑似骨を織り込んだ衣など、彼女が知っている限りヴァルキュリアの中で持っている者はいない。

前例がないだけ不安ではあった。

「明日、国に戻る」

「お。そうかい」

「ああ。この様な小さな音だ。誰も、気づきはしないだろう」

「…なら飛ばなければ良かろう」

顔を背けたまま、横に立つスレイプニルが冷たい声で言い放った。

ローグリールがぎろりと彼を睨み据える。

いつもの悪態かと思い、ルツィエも両手を腰に添えた。

「あんたねえ、何のためにこの服直したと思ってんだよ」

「違う。そうではない。あの者に乗れば良かろうと言っているのだ」

そう言って、彼は顎で木々の奥を示した。

そこには、遠巻きに彼女たちの様子を窺っているスノヴィットと、何かを語っているカルピエの姿があった。

「あの者って…。スノヴィットかい?」

「ああ。あの女は気が狂っている。鳥が自分の主人になってはくれまいかと思っているようだ」

「…」

「全く、愚かという他ない。空を飛べる鳥が神馬に乗るなど。非効率も甚だしい」

スレイプニルは鼻で嘲笑ったが、ルツィエはローグリールへ顔を向けると、肘でとんっと彼女の肩を小突いた。

いいんじゃないかい、とウインクしてみた。

その後、どちらからどう告げたのかは分からないが、翌日の帰国に、ローグリールの隣には嬉しげなスノヴィットが並んでいた。



帰国の日、彼女を見送るために、ルツィエもスレイプニルもウラヌスも、他の馬たちも、そして服屋も発明家も、数人の町人たちも集まっていた。

彼らを前に、ローグリールは最初にあった時と同じように髪を結い上げ、槍を片手にして白く美しい衣をまとい、鉄甲を腰に提げていた。

「誓い通り、スレイプニルのことは一切を諦めよう。私では務まらぬ役であった。…だが、私以外の者たちにも同様の任務は与えられている。また他のヴァルキュリアが来た時は、その時こそスレイプニルを連れ帰る。覚悟するがいい」

「ご勘弁願いたいね。こっちはあんた一人追い返すのに必死だよ」

ルツィエは笑い飛ばし、片手を腰に添えた。

そんな彼女を、ローグリールが見詰めて尋ねる。

「…結局、お前は本当にスレイプニルを持っていたのか」

「馬鹿だね。あたしは持ってなんかいないよ。傍にはいるけどね」

「…」

笑顔で言うルツィエの言葉に、スレイプニルは目を伏せて短く息を吐いた。

ローグリールはスノヴィットの背に跨ると、手綱を持った。

勝負後の長い期間で、この白馬はすっかり神馬として空を駆けることを覚えていた。

とんと軽く蹄を蹴って、ふわりと上空へ駆け上がる。

「我が名は、ローグリール。奥様の忠実な僕である」

突然彼女が名乗りだし、ルツィエは少し瞬いた。

「ルツィエよ。お前が次にヴァルキュリアと戦う際は、我を破ったことを誇るがいい。お前の行く先に幸あらんことを」

手綱を引くと、スノヴィットが嘶いた。

駆け出す直前、ぽつりと唇を開く。

「…礼を言う」

何とか聞こえる声量で呟いてから、彼女と白馬は背を向けた。

その背中に、片腕を振るって声を張る。

「気を付けんだよー!スノヴィットも、しっかりローグリール守ってやりなー!!」

ルツィエの声を背中に受けて、ローグリールとスノヴィットは北の空を目指して駆け出した。

十数秒後、もう向こうからこちらは見えぬだろうと思い、彼女が湖畔を振り返ったが、既にそこに湖はなく、さして大きくもない、一望できる広さの森が広がっているだけだった。



あなたは本や絵画の中で、自身で高速に空を飛べるはずなのに、馬に乗って描かれているヴァルキュリアを見かける可能性がある。

だとしたら、そのヴァルキュリアの片翼は、もしかしたら、機械仕掛けなのかもしれない。








ルツィエが家に帰ると、妙に室内が広く感じた。

短い期間とはいえ、それまでいた場所から人がいなくなるとは、そういうものだ。

彼女は短くため息を吐いて一度室内から出ると、新入りのウラヌスに馬舎へと繋がる隣の馬小屋を案内した。

舎内へ入れないルツィエの代わりに、中の細かい案内は珍しくスレイプニルが買って出た。

彼らの家を見上げているウラヌスの隣で、スレイプニルが口を開く。

「お主にも礼をせねばならぬからな。何かあれば、まず私に言うが良い」

『スレイプニルが嫌なら僕に聞くといいよ、ウラヌス』

その数歩後ろで、にこやかにユージンもウラヌスへと声をかけた。

一度スレイプニルが背後を振り返り、彼を睨む。

一瞬バチリと火花が散った。

『…賑やかな所だな』

ウラヌスは一目で彼らが不仲であることを理解し、巻き込まれるのは御免だとばかりに尾を揺らした。

おそらく、何か困りごとが生じたら直にルツィエに尋ねるだろう。

横で見ていたルツィエは彼らの様子に短く笑った後で、スレイプニルへと向いた。

「でも、あんたなかなか格好良かったじゃないか、今回」

「…」

思わぬ言葉に、スレイプニルがちらりと彼女を振り返る。

ユージンが不満げに少しだけ声を張った。

『それは気のせいだよ、ルツィエ。彼のために騒動に巻き込まれたんだ。しかも本人は特に何もしていない。全て君が行動して丸く収まった。彼が格好良かったことなんてあるものか』

「そうかい? でもほら。あたしが勝つって信じててくれたじゃないか。折角逃げてきたってのに、あたしが負けりゃ嫌な場所に戻ってもいいなんて、ちょっと泣かせるだろ?」

「…ああ」

機嫌良くユージンに首を傾げて言うルツィエ。

そんな彼女の反応が思いの外嬉しく、スレイプニルは静かに目を伏せて相槌を打った。

「勿論だ。私はお主を信用している。…それに、私は端から戻る気などはなかったからな」

「…ん?」

ルツィエが笑顔を引っ込めたことに気付かず、得意気に彼は続けた。

流石スレイプニル、賢いねと言われると思って。

「一体誰が戻ると言ったのだ。誰が銀の轡を噛むと言った。私は、ただスレイプニルを“連れてくる”と言っただけだ。鳥に従って戻るとは、一言も口にしてなどいない」

「…」

「正体を明かすことになれば、我が雷で焼き殺してやっただろう。愚かな鳥めが。飼い殺されている鳥など、神など、あんなものなのだ。半神とはいえ、所詮連中は揃って浅はかで、傲慢なのだ。例えあやつが勝ったとしても、私は――」

『…君が愚かで僕は嬉しいよ』

言葉の途中でユージンが一言呟いた直後。

バチーン…!と、朝の森に平手の音が響いて、近くの木々から小鳥が逃げていった。

小鳥たちは離れた木々の枝に留まり、横っ面を叩かれたスレイプニルと、叩いたルツィエを見下ろした。

何が起こったのか分からない様子で驚愕に目を見開いている彼に、思い切り眉を寄せて激怒したルツィエが顎を上げて声を張った。

「ふざけんじゃあないよ!もしローグリールが勝ってたら、あたしがあんたに轡付けて追い出してやったからね!!」

ルツィエが吠えて、鼻息荒く背を向けると、ウラヌスへの説明すらも忘れて家の中へ入ると荒々しくドアを閉めた。

叩かれた頬を押さえることもせず、今し方の彼女の行動が理解できないスレイプニルが、唖然と、閉まったドアを無心で見詰める。

そんな彼を、ユージンは嘲笑った。

『君は決定的にデリカシーに欠けているね。焦った僕が馬鹿だったよ。本当に』

『…お前、あの様な分かり易い女の性分も見抜けんのか。若いな』

「…」

ユージンは疎か、新参者のウラヌスにまで半眼で呆れられても、スレイプニルには何が悪かったのか全く分からない。

その日は馬舎に戻る気にはなれず、ふらりと町に出た。

一日考えてみたがやはり分からず、夕方に偶然会った時計屋を見つけ、酒場で簡単に事情を説明していると、彼は苦笑した。

「取り敢えず、僕が悪かったって言って花束やケーキでも持って帰ったらどうかな。…あ、いや。御者さんにはお酒がいいか」

「私の何が悪いというのか」

「いや…。うーん。確かに嘘は言ってないけど…」

「私も貴方に賛同しますけどね、結局、何が悪いとか良いとかではないですよ。そこまで深く考える必要はありません。女性を手に入れたいのなら、その女性にただ従っていればいいんですよ。ごめんね、愛してるよと言ってキスをするだけ。簡単簡単」

「愛…?」

「そうですよ。どうせ肉体は、男性が支配するんですからね。貴方は男性でしょう? 心は女性に捧げるべきです」

「いや、僕はそれもどーかと思うんだけど…。両方のバランスっていうものがさ…」

「おいーっす。なになにー。そこ何の話してんの? …つか、すげー珍しいメンツじゃん。何これ」

丁度酒を仕入れに来ていた宿屋も、いつも通り飲みに来た鍵屋も加わり、酒場の一角で町の若者によって正直さとは何かとか嘘とは何かとか、肉と心の支配のパワーバランスについてとか、恋愛観が話し合われた。

愛の話を目の前でされても、まるで教科書の見本のようなその単語を前に、スレイプニルはやはりピンとこなかった。

種族や個々人の考え方により随分意見は分かれてまとまりとは程遠かったが、話し合った結果、それが良いか悪いか、正しいか正しくないかよりも、スレイプニルの言動はやはりルツィエの感性には合わないのだという結論にやっと達した。

達したが、やはり納得できないスレイプニルが彼女に謝るまでには相当な時間がかかり、その間、夜馬車は運行しなかった。


話を聞いた花屋が花束を、そして夜馬車が運行しないと常連客たちが迷惑する酒屋が特別に極上の酒一本をスレイプニルに押しつけることにより、彼は不本意だが、渋々ルツィエに謝ることにした。

反省しているのならと彼女はすぐに許したが、実際の所、未だにスレイプニルは自身の何がいけなかったのか、理解はしていない。








「さあ、ベルが鳴ったよ。仕事仕事!」

夜空に鳴り響いたベルをユージンに伝えられ、ルツィエはランプを夜馬車に吊すと、帽子を被りながら御者台に飛び乗った。

短く手綱を引くと、夜に生きる黒馬が夜道へ走り出した。

町には今日も、馬車が車輪の音を響かせ、颯爽と駆け抜けていく。







『世界樹の傍の、Ⅱ』をお読みいただいて、ありがとうございます。作者の葉未です。

町の二話目はこの通り馬づくし目白押し。

少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。

以下、簡単なキャラクター紹介です。



●ルツィエ・ゾルティエ

職業:御者

種族:人間

性別:女性

たくさんの馬たちと馬車運営している褐色の麗人。

短い金髪と伸びた背筋、溌剌とした物言いは男顔負け。槍が得意な元戦士にして村巫女。

成人した際に切り落とすので乳房は無い。

引っ張ったような皮膚と血を塗ったような赤みがあるだけである。

露出の多い彼女の踊りは実に情熱的であり神秘的だが、町では踊ることはない。

誠実な人格を好む馬族に好まれる素質を持ち合わせている上に、ユージンによって会話もできる。

住人にベルを配布し、鳴った場所へ駆けつける。

車自体は、零番馬車から九番馬車まであり、運営自体はユージンに頼りきりであるが、

指揮する人物として高いカリスマ性を持っており「彼女の言うことは聞く」という愛馬たちが多い。


○ユージン:

一角獣、ユニコーン。角を持つ白馬。角でのテレパスによって円滑な馬車運営を可能にしている。ルツィエに一目惚れして以降彼女に尽くし日々寄り添っている。中世ヨーロッパの意味合いでの“乙女”(独立した精神+処女)を好むユニコーンの性質として、処女ではない女性に人間でいう生ゴミのような異臭を感じる。自覚のないスレイプニルの恋心をいち早く察し、敵対心を持ってしまうので何かとケンカになる。ユニコーンの角はあらゆる病を治す薬の材料として嘗て乱獲され、本人は同族に会ったことがない。


○カルピエ:

妖水馬ケルピー。水中や水の上を走る馬車を引く専用の美馬。性格は穏やかで品がある。ルツィエの家ではなく近くの湖に住んでいる。全体が灰色がかっており、鬣に美しい水草を飾っている。気に入った相手と一緒に暮らそうと水の中へ連れて行ってしまうので、彼女の住まいには元水死体であった子供の肉片が多く飾ってある。ルツィエと約束してからは水の外で会うことにしているが、時々悪癖が出ることもある。ルツィエの良き女友達。


○ペガソス

天馬。翼を持つ白馬。体は成体であるが最も幼い馬車馬で、舌足らずで甘えたがり。速度はあまり出ないが馬車を最も揺らさず引くことができるので、基本的に一頭で九番馬車を引く。高級車専用みたいな子。


●スレイプニル

職業:馬車馬頭

種族:神族(聖獣)

性別:男性

パートナー:御者ルツィエ

八本の足を持つ漆黒の聖獣。長身で長い黒髪の男性にもなれる。

北の主神に“銀の轡”を噛まされて捕らわれ、軍馬として背中に乗られていたところを逃げ出した。

その為、自らの種族であるも、他の神族(巨人族を含む考え方)・神獣を毛嫌いしている。

夜間馬車とリーダーを担当。暴風と雷を操ることができる。

御者のルツィエに仄かな恋心を抱いているも、自覚は無い。


●ウラヌス

職業:馬車馬

種族:馬

性別:男性

天の園にあるという神馬候補の魂たちがいるところから引っ張り出された、茶色い毛に白い靴下を穿いているような、栃栗毛という毛色の馬。額に白い星がある。

空は飛べないが、山すら一足で飛び越えると言われている“跳馬”という特殊な神馬に昇華した。

クールな性格で落ち着いている。大人。

馬車馬ではあるが、自分の背は主人であった男爵殿のものであると、直接人を乗せないと誓っている。

微妙な世界の情勢下、日本の名馬であった西男爵のウラヌスがモデル。


○ローグリール

翼を持つ半神の戦乙女・ヴァルキュリアの一羽。北欧美女。

ヴァルキュリアの翼って、服なんですね。


○スノヴィット

モデルはロシアの名馬スメタンカ。

「サワークリーム」という意味らしく、そう呼ばれる純白の馬をローグリールが見たらどう名付けるかと考え「雪」という意味のスノヴィットにしました。


おつきあいいただきありがとうございました。

また町に遊びにきてくださいね。


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