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喫茶店レイニーズ

そこは,雨が降った日にだけ開く不思議な喫茶店。細い路地を抜けた先にある小さなそのお店は,少しの常連さんと迷い込んだお客さんしか訪れない。これはその小さな喫茶店に迷い込んだ少女の小さな想いの物語。


 梅雨。数日の雨続きに世間はうんざりし始めたころ。久しぶりの晴れた朝,私は徒歩通学のため,ウキウキしながら登校した。ただ。


「なんでこうなるのかなぁ」


昼休みに流れた放送は唐突な生徒会の会議を知らせた。クラス委員として行かないわけにはいかず,憧れの先輩にも会えると思って行ったけど,結局先輩は家の用事で出席していないし,やっと終わって帰ろうとしたときには,空は薄暗く,雨の臭いが漂い始めていた。そして家まであと半分というところで,バケツをひっくり返したような夕立が降り始めてしまった。近くにあった馴染みの和菓子店の前で雨宿りをさせてもらう。


「今日に限って忘れちゃってる。いつ止むかなぁ」


 学校用のかばんにはお気に入りの折り畳み傘をいつも入れているはずなのに,こういう日に限って入れるのを忘れてしまっていた。空を見上げると,雨音は弱まったけど真っ暗な雨雲が広がっていて,夕立のわりにすぐに止みそうにない。午前中の透き通るような青空が嘘だったかのようだ。天気予報を見るんだったと後悔する。ふと道の反対側,薄暗い小道が目に入った。そして葉っぱに隠れるようにして小さな看板がある。


【雨空喫茶レイニーズ こちら→】


 いつも通っているのに気づかなかった。こんなところに喫茶店があったんだ。興味本位でその小道に足を踏み入れた。蔦のトンネルを抜けると何の変哲もない雰囲気の良さそうな喫茶店があった。まだ雨は降っているし,少しだけお茶してもいいかなっと思った。扉を恐る恐る押すと,カランカランと鐘が鳴る。中もシンプルな家具で統一されていて居心地もよさそうだ。カウンター席が4つに4人掛けテーブルが2つ。小さな喫茶店だなって思った。今は他のお客さんはいないようだ。


「いらっしゃい。おや、今日はまた一段とかわいらしいお客さんだ」


 カウンターの向こうかなりお年を召していそうなマスターっぽいおじいさんが出てきた。背筋もしっかりと伸びていて立ち姿も決まっている。年を召しているといったが何歳ぐらいなのか分からない。


「さぁ,こちらへどうぞ」

「ありがとうございます」


 カウンター席の左端にちょこんと座る。落ち着いて深呼吸すると,コーヒーの甘い香りが鼻をくすぐる。カウンターの奥の棚にはコーヒーを入れる道具?が並んでいておしゃれなコーヒーカップやティーカップが並んでいる。


「さて,何にいたしますか?」


 渡されたメニューには,よくわからないコーヒーの種類が並んでいる。コーヒーってこんなにいろんなのがあるんだ。ちょっと面白いなって思いながら,でも仕方なくメニューを置く。


「すみません,私,コーヒー飲めなくて」

「おや,そうでしたか。ふむ。では,ちょうど,良い茶葉が入ったので紅茶はいかかでしょう?」

「紅茶なら大好きです」

「ならよかった,しばしお待ちください」


 さっきのメニューには載っていなかった紅茶を出してくれるらしい。少し申し訳ないな,と思いながら,あのお爺さんのいう良い茶葉っていう言葉に惹かれていた。何もないゆっくりとした時間が過ぎていく。アンティーク調の柱時計の秒針の音や,お湯を沸かしているおじいさんの作業の音。さっきまでは忌々しかった外の雨音ですら,このやわらかく包み込む不思議な空間を演出している。こんなところでじっくりと読書するのもいいなって思う。


「どうぞ,アールグレイです。よく知られたものですがここのは香りがいいんですよ」


 目の前に置かれたティーカップから立ち上る湯気,甘くすっきりとした香り。横には可愛い花柄の小皿に乗ったクッキーもある。


「サービス,ということにしておいてください。おいしいんですよ」

「あ,ありがとうございます」


 ひとまずティーカップに口をつける。ふわっと広がる香りが,砂糖の入っていない紅茶を甘く感じさせる。そして一口サイズの小さなクッキーを一枚,パクッと食べる。バターの風味と甘さ控えめのクッキーは紅茶ととても合っている。


「このクッキー,手作りなんですか?」

「はい,私ではなく孫が作っているのですよ。ちょうどあなたぐらいの歳でしょうか。そういえばその制服,同じ学校かもしれません」

「へー,誰だろう。私はこういうの作ったりするの苦手なのでちょっとうらやましいですね」


 そのあともマスターのおじいさんと他愛のない世間話をして,素敵なひと時を楽しんだ。結局,私以外のお客さんは来なかったが,いつもこんな感じなんだそうだ。窓の外を見ると,どうやら雨は止んだようで,帰るのにちょうどいい時間だった。


「そろそろ帰ろうかな,お代はどうしましょう」

「そうですね,私物でしたし,これも何かのご縁。お代は結構ですよ」

「いえ,そんなわけにはいきません。こんな素敵な時間には対価を出させてください」

「そこまで言っていただけるのは嬉しいですね。ではこうしましょう。100円だけいただきます。それと今日はとても楽しかったので,また来てください」


 にこっと微笑むおじいさんの姿は,私ですら惹かれる魅力がある。若いころは浮名を流していたんだろうな。お孫さんも見目麗しいのかな,会ってみたい。


「ぜひ,また来たいって思ってました。お店,いつ空いてるんですか?」

「このお店は雨の降っている日,雨が降ってさえいればいつでも開けています。老後の楽しみのひとつですよ」

「素敵ですね,じゃあまた来ます。お代はここに置いておきますね」

「はい,またお越しくださいね」


 立ち上がると,おじいさんが綺麗な姿勢で礼をする。ここまで似合う人も珍しいな。外に出ようとドアに手をかけた瞬間に,向こう側から急に開かれる。


「おっと,すみません。ありがとうございました。あれ?佐久間?」

「えっ,先輩?」


 ドアの前に立っていたのは,近くのスーパーの袋を持った制服の赤石先輩。私の憧れの先輩だった。


「おぉ,優羽。おかえり。その子と知り合いだったのかい?」

「あぁ,うん。生徒会で会う子だよ。制服湿ってるな,あぁ雨に降られたのか。大丈夫か?」

「はい!大丈夫です,もう乾いちゃいましたから!」

「そっか,風邪ひかないように気をつけろよ」

「はい,ありがとうございます」


 そして私はレイニーズから帰路に就いた。すっかり雨の上がった空に虹がかかっている。これからいいことがありそうだ。先輩との関わりが増えたし。そういえばあのクッキー,孫が作ったって,先輩の手作りだったのかな。また今度,聞いてみよう。


 幸せの予感,小さな喫茶店は素敵な出会いを持ってくる。


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