コンプレックス
今回R指定をつけるか本当に迷ったのですが、びびりなのでつけさせていただきました。
ほんとうにさらっと書いているだけなのでたぶん大丈夫だと思います。
最後まで読んでいただければうれしいです!
1、May
すっかり口に馴染んだ強めのカクテルを飲みながらだと、なんだか色々なことを話し過ぎてしまいそうで少し怖い。
たまにはこうやって、甘いカクテルに甘えてみるのもいいかもしれないのだけれど。
「おじさん、いつものお願い」
昼は暑苦しいこの季節も、夜になれば少しは過ごしやすくなる。
ネオンが綺麗に映えるほど空が暗くなるこの時間、わたしはいつものバーにいた。
「ここ、いい?」
思えばこれが彼との出会いだったのだ。
2、June
最初は、早く大人になりたくてって、ただそれだけだった。
煙草を吸うのもお酒を呑むのも、二十歳より五つ若い時に始めた。
大人への憧れって本当、時として、すごく怖い。
そういえばウエディングドレスが白なのはそれが清純の象徴だかららしいけれど、そんなの誰が決めたんだろう。
わたしにとっての白は、乱れたシーツの激しさだ。
ぴっしりと一つの皺もなく敷かれていたはずのシーツが、まるで誰かに無理矢理剥ぎ取られようとしたみたいにぐちゃぐちゃになる。
なんてなんて、扇情的なんだろう。
激しい情事をそのまま写したようなシーツ。
思えばこれも、十五の時からやっていた。
それこそ、いけないことだと知りつつも。
3、May
今日はわたしの二十六歳の誕生日。
彼から呼び出されたことにほんのちょっぴり期待してしまう。
いつもと同じネオンが光る街を歩くたび、新品のワンピースがゆらりふわり。
昨日よりひとつ暑い気温とふたつ高い湿度の所為で汗が滲む。
「今日はなんだか、いつもと違うね」
目を細めて優しく笑う彼の腕にそっと手を絡めた。
彼は目ざとい、わたしが香水を変えたのにだってすぐに気付いてしまう。
この場合は香りだから、鼻ざとい、なんて言うのかしら。
まっさらなシーツに横たわってから気付く。
皺がつきにくいからってシフォン生地のワンピースを選んだのは失敗だったってこと。
どうせ少なからず皺はつくのだ。
それならもう少しくらい良いものを着てくればよかった。
ふわふわさらさら、彼の手にまとわりつくワンピース。
しつこく優しくまとわりついてくるワンピースに、彼もわたしも囚われた。
彼のことは好きだ、少なくともこういう行為を許せるくらいには。
そして事が終わった時に、彼はわたしに告げたのだ。
4、June
「今日でやめにしないか」
「え?」
話を切り出された時にショックを受けた、受けてそれでようやく気付いた。
着ていた服についた皺みたいに、こびりついた想いはなかなかとれないんだって、ようやく。
少なくとも、なんてそんなものじゃないのだ、この想いはきっと、きっと。
「今更でごめんな。でも、俺、さ」
「…そう、」
なんで急に、なんて聞くつもりも無かった。
なんとなくわかってしまっていたのだ、最近の彼はわたしを抱いていても何処か上の空だったから。
なにより聞いてしまったが最後、少しの希望すらなくなってしまうようで怖くて聞けなかった。
なんて、そんなの無駄な足掻きだと知ってはいるのだけれど。
彼はお構いなしで、わたしの気持ちになんて気付かない、気付けない。
それはきっと彼が幸せに囚われてしまった所為だわ。
「俺、今度結婚するんだ」
あぁやっぱりなぁ、なんて頭の何処か見つけられもしないところで思いながら。
……そう、しあわせになってね。
幸せそうに零した彼に言えたのはこんなありふれた言葉だったけれど、それでも変わらず幸せそうなのはきっと、彼が見ているのはわたしではないからなのだろう。
5、May
「芽衣さん。…僕と、結婚してください」
思わず、聞き間違いじゃないか、と耳を疑ってしまった。
孔子が聞いたら怒るだろうか、まだ六十より三十と少し若いから許されるかな。
なんだか意味も少し違った気がする、って、そんなことはどうでもよくて。
「今日は、これを言うために君を呼び出しました」
敬語を使って照れくさそうに笑うみっつ年下の彼がなんだか可愛くて、愛しくて。
返事なんか決まってるじゃない、ってわたしも少し照れ隠し。
「二人で幸せになろうね」
この瞬間、わたしたちは世界中の誰よりも幸せだった。
6、June
幸せになって、というのはきっとすごく残酷な言葉だ。
自分が幸せにするつもりはないのだと、自分が傍にいないのが幸せなのだと、そんなことをじわじわ語っている。
色とりどりのネオンと喧騒の中を去ろうとする彼は少しでも、わたしとの関係の終わりを惜しんでくれているのだろうか。
そうやって未練がましいことを考えている自分がなんだか悔しくてやるせなかった。
「幸せに、」
今言える最低の言葉を叫ぼうとして、最低の女に成り下がろうとして、やめた。
彼が結婚するその間際まで一緒にいたのは他でもなくわたしだったのだ。
そこに彼からの恋愛感情がなくとも、わたしにしてみればすごく大切な恋愛だったのだ。
自分の想いを伝えることも出来ず、最低の言葉も言えずに彼の背中を見つめたその時。
「純、――…」
彼が不意にわたしの名前を呼んで、するりと言葉を紡ぐように唇を動かした。
わたしが大嫌いなわたしの名前、今の自分とはまったく反対の意味を持つ綺麗な名前を呼んでから続けられた言葉は、あっさりとわたしの決心をぼろぼろに崩した。
「……そうね、わたしも幸せになるわ。今までありがとう、……お兄ちゃん」
彼に聞こえるはずがない声で答えて、それっきり。
早く大人になりたくて、思春期真っ只中の彼に迫ったのが五年前。
兄妹として超えてはならない一線だったのはその時からわかっていたけれど、どうしようもない快楽と狂おしいほどのスリルは一度味わってしまえば抜け出せなかった。
でもきっと、そんなことは二の次で。
わたしはただただ、彼のことが世界で一番好きだったのだろう。
兄妹としてではなくて、大好きだった。
だからこそ今度こそ、本当の意味で願うのだ。
お兄ちゃんが、彼女さんと二人で幸せになれますようにって。
MayとJuneの意味に気づいてくださった方がいらっしゃれば本当に嬉しいです。
最後までお読みいただきありがとうございました!