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死体を見つけてから

 僕の家は湖のそばにある。

 ほとんどの岸は堤防で固められているけれど、ちらほら浜辺が残っているところもあった。葦が生い茂るその砂地には、いろんなものが打ち上げられる。

 ビニール袋、白い腹を見せた魚、流木、発泡スチロールの切れ端、中身がわからないずた袋。そして人間の死体。


 うちあげられる死体は運がいいのだという。

 湖は海にも通じているので、流れに乗って海に流されることもあるし、またうちあげられないままにただよい、腐乱し、朽ち果ててしまうこともあるのだろう。


 死体にもだいたい種類があるという。

 ひとつは老人。過疎化の進むこの町では、徘徊老人を告知する放送も珍しくない。特に冬の寒い日など、徘徊したまま足をすべらせ溺れてしまうことも多いという。

 もうひとつは暴力団関係者。僕にはよくわからないが、田舎だと都会よりも雑なのだろうか。面倒なことは殺して終わりにする。死体は湖に流してしまえばまず見つからないというのが彼らの常識であるらしかった。これは、クラスメイトの根拠のない噂だ。なんでそんなことが噂にあがるかと言うと、最近男性の死体が湖岸にうちあげられたからだ。



「なあ、お前なんだろ、第一発見者って」


 歩いていたら、後ろから首に腕をまわされ、あやうく窒息しそうになる。なんとかもがいて腕から抜け出すと、茶色い髪。大きな口がにっかりと笑っている。三佐(さんさ) だった。


「なんのこと」


「うちのばあちゃんがおまえのばあちゃんから聞いたんだからな。ばあちゃん情報網を甘く見るなよ」


 深く、僕は息をついた。

 大事にしたくないから黙っていてって言ったのに。

 三佐はうちの隣の家に住んでいる。隣と言っても、畑を二つ挟んだ隣だ。


「おまえんちのばあちゃん、心配してたぞ。あれからうなされたり、夜よく眠れないみたいだって」


 祖母の部屋は僕の部屋の隣だ。とはいえ、壁一枚隔てても聞こえるくらいの声を上げていたなんて、自分で思っているよりも、ストレスが溜まっているのかもしれない。


 僕が黙っている間に、派手な髪色をして、ジャージを着崩した一団が通り過ぎて、三佐に声をかけて行った。それとともに、僕を見て何かを囁きあい、大声で笑った。僕はあいつらが嫌いだった。


「だったらどうなんだよ」


 僕が答えると、三佐が明るいところに出た猫のように瞳孔を細めた。


「いや、すげーんだろ、水死体って。ぶくぶくに膨れて、もう誰だかわかんねえくらいになるって聞いたぜ」


 僕は心の中で、舌打ちをした。

 物見高い群集は、いつだって悲惨なショーを求めている。

 あいつらはそういうショーが好きだ。ショーがなければ、自分たちで開催する。

 体の小さい気弱なクラスメイトをこづきまわして仲間はずれにして言うことを聞かせて地べたをなめさせて。人目のないところではよりエスカレートしたショーを。標的は変わる。僕だって、目をつけられやすい。小柄で集団から元々外れている。


 僕は黙って通り過ぎようとした。けれど、また三佐が僕の首に腕を回し、校舎と校舎の間に入り込んだ。今度は、がっちりと体を抑えられて、動けない。元々、三佐の方が体格がいい。


「まだ何か用なのか」


 僕が低く言うと、三佐は体を離した。


「どこで見つけたんだ」

「船着場の横の、浜辺になってるところ」

「なんであんなとこ」

「犬の散歩」

「オレも連れてけよ」

「は?」


 僕は思い切り睨みあげる。しかし、三佐はへらりと笑った。


「見てみてえんだよ、その、死体発見現場ってやつを」

 



 実際は、三佐の言うようにぶくぶくにふくらんではいなかった。

 最初は、黒いビニールシートか、流木が流れ着いたのだと思った。近づいていくにつれて、それがどうも人のように見えた。浜辺に横たわり、足だけが波に揺れていた。本当に人なのかなと疑いながら歩いていたら、マロが突然力づよく走り出し、僕の手から綱が離れた。マロは一目散にその人のようなものに近づいていった。くんくんとにおいをかぎ、ぺろぺろと舐めていた。けれど、その人のようなものは動く気配を見せない。僕は、嫌な予感がした。


「マロ!」


 呼ぶと、マロは顔を上げたが、それの傍から離れない。

 僕は、堤防を下り、砂地を歩いた。近づいて、やはりそれが人であることを確信した。水を吸って体に張り付いたジャージ。砂にしずむ指。頭しか見えない。顔は、砂地に埋もれているのだ。

 マネキン、という可能性は思い浮かばなかった。肌の質感が、生き物のものだと思った。


 僕はマロの綱を掴んで、無理やり家に連れ帰った。

 そして、家にいた祖父に話をして、祖父から警察に連絡をした。

 少ししてやってきた警察の人と一緒に、もう一度その浜辺に行った。やはりその場に、それはあった。警察が死体に触れていた。僕は見たくなかったので目をそらして、空を見ていた。それから、一気に浜辺は騒然とした。いろんな車が来た。僕は警察につれていかれ、そのままパトカーで家に帰った。帰ったときにはもう夜だった。勤めから帰った母親から、心配してあれこれ聞かれたが、僕はただ見つけただけなので大丈夫だと言って、でもご飯を食べる気はしなくてそのまま寝た。


「食べないと大きくなれないわよ」

 そう言いながら、でも母親は無理強いはしなかった。ほおっておいてもらえるのが有難かった。

 でもその夜に、白目をむいた死体が水面に漂っている夢を見た。

 それから毎夜、僕の夢にはその死体が現れる。

 もう一週間目。

 死体の身元はわかった。同じ町に住む運送業に従事する30代の男性。その運送業者が暴力団関係であることは、大人の間では公然の秘密だった。

 なんで死んだのか、詳細は僕には伝わってこない。興味もなかった。



 あんなことがあって、悪夢にうなされているのに、僕は散歩コースを変えようとはしなかった。

 こわいものみたさか、いや、わざと恐ろしい思いに向かって行って、慣れようとしているのかもしれなかった。


 午後6時。冬至も過ぎたばかりの今では、すでに暗い。散歩コースは家から田んぼの間のあぜ道を通って湖の堤防を歩くルートだ。街灯なんてない。でも、今日は月が出ている。なれた道でもあるので、懐中電灯はつけずにマロと一緒に歩いていた。

 船着場には、休日ならば釣り人の姿があるが、今日は平日。誰もいない。

 現場に近づく。


「おい」


 突然声をかけられ僕は振り返る。


「連れてけっていったろ」


 僕は無視して歩こうとする。しかし、マロが急に方向を変えて三佐の方に行ってしまった。


「おお、おっきくなったな。オレのこと、忘れてないのか」


 マロは三佐に飛びついて、嬉しそうに尻尾を振っている。三佐も顔をくしゃくしゃにして笑っている。


 そうだった。マロは、昔から僕より三佐の方が好きだったんだ。三佐が顔をあげ、僕を小ばかにしたような笑みを浮かべる。マロが子犬のときも、マロと三佐は兄弟のように仲がよくて、いっそ三佐にあげようかと思ったほどだった。でも、そうしなかったのは、なんでだったか。考えていると、三佐が僕の首に腕を回した。


「あそこか」


 指をさす、コンクリートの壁に囲まれた船着場の向こう。ちらほらと葦のおいしげる浜辺。いまも、ダンボールやビニール袋が流れて着いて―――。


「だれかいねえ?」


 黒い塊が、浜辺でもぞもぞ動いていた。ちょうど、死体があった辺りだ。

 ぐいと、三佐に腕を引かれ船着場に下りる。船着場にひきあげられていた船の上に乗り、コンクリートの壁から、三佐は向こうを覗き込んでいた。


「僕はもう帰るよ」

 声をかけると、三佐は指を口の前に当てて、僕を隣にひっぱってきた。


「あいつ、あやしいだろ」

 浜辺に膝をついて、熱心に砂浜をほじくり返している。

 濡れるのもかまわずに、波の打ち寄せる辺りまで何度も何度も手に求めるものが当たらないか、月の光でさぐるように手を左右に動かしていた。

 あやしいといえば怪しいし、死体発見現場で何かを探すなんて、証拠を残してきた犯人の行動だ。

 でも、それはあそこが死体発見現場だと知っているから思うことであって、この湖はいい釣り場で、釣り人はたくさん来るし、釣りにきてなにか大事なものを落としてしまったのかもしれない。平日だって、まったく釣り人がいない、というわけではないのだ。

しばらく見ていたが、ほかに動きがないので、僕は船から下り、今度こそ帰ろうとする。


「おい、もうちょっと」


 三佐が僕の腕を掴んだが、マロが先に飛び降りていたので双方からひっぱられ、僕はよろけたあげく、三佐にぶつかり、三佐はそれでバランスを崩し、舟に倒れこんだ。派手な音がした。


「誰だ!」


 声がしたかと思うと、起き上がる間もなく光が差し込み、僕たちを照らした。まぶしくて、目が開けられない。


「あれ、君は」


 急に光が僕を照らすのを止め、誰かが堤防を下りてくるのが見えた。


「まだ中学生だろ。犬の散歩は偉いけど、夜出歩くのは感心しないな」


 月の光にその顔がわかるようになるよりも、その声に僕は聴き覚えがあった。この辺の大人にしては、なまりのない、低い落ち着いた声。


「警察の、人?」


「覚えててくれたのか、嬉しいね。浦賀です。そっちの君は友達かい」


「近所の、幼馴染です」


 僕は答えつつ、落ち着いて立ち上がる。


「こんなに暗くなってから、捜査したりするんですね」


「気になることがあったからね」


 そう言うと、懐中電灯を消して、タバコに火をつけた。

 そうして、僕たちを避けて煙を吐き出す。

 フードのついたコートにズボン。そう、たしかまだ若いなと思って、印象に残っていたんだ。僕に状況を聞いていたのは、最初は警察署の人だったけれど、途中から来たこの人に、主導権が代わった。警察署の人と違って、制服じゃなくてスーツだったし、まだ大学出たての新任の先生のような顔をしていたけれど、質問には慣れているなと思った。本当は、見た目ほど若くないのかもしれない。


「ほんとにね、しばらくは、夜の散歩はやめたほうがいい」


「でも、こいつ、同じ時間に散歩に行かないと吠えるんです」


「じゃあ、もっと人気の多いところにしなさい。ほら、君の家の前の道とか」


 僕の家の前には県道が通っている。湖を渡る橋に繋がることもあって、わりと車どおりは多い。


「歩道がなくて危ないから、犬を連れて散歩なんてできませんよ」


「じゃあ、せめてルートを変えなさいよ。きみは見た目よりも神経が太いんだな。死体を見つけた

ところなんて、こわくて普通は近寄りたくないものじゃないか?」


「こわいですけど。別に場所が悪いわけじゃないし」


「どうかな」


 にやりと笑って、船着場の壁にタバコを押し付け、火を消した。


「こういう仕事をしてると、たくさんの人の死に関わるけどね。中にはあるんだよね。人が死にやすい場所っていうのが」


「病院とかすか」


 三佐が口をはさんだ。浦賀はちょいと眉を上げる。


「病院とか、人が死んで当たり前の場所以外にもね、たとえばあるマンションの屋上では飛び降り自殺が多いとか、この三叉路では交通事故が多いとか、あるでしょ」


「オカルトすか。警察って案外迷信ぶかいんすね」


「僕は其の手の噂は信じない。ただ、統計の話をしているんだよ」


「つまり、統計的に、人の死にやすい場所があると。でも、だからといってあそこが、今後も危な

い場所だとは限りませんよね」


「それはそうだね」


 あっさりと認めた。何が言いたいんだろう、と僕は拍子抜けする。


「とりあえず、今日はもう帰ります」


「うん、それがいい」


 行くよ、と三佐に声をかける。三佐はむっとした顔をしていたが、おとなしく僕についてきた。

 浦賀は新しいタバコに火をつけて、ひらひらと手を振った。


「なんかいけすかねえ男だな」


 しばらくしてから、三佐がはき捨てるように言った。


「三佐みたいに興味本位で近寄られると、捜査の邪魔になるから、牽制したんじゃないか」


「悪かったな、やじ馬で」


「自覚あるんだ」


「暇なんだよ」


「・・・暇だったら、何してもいいのか」


「あ?何?」


 低く言った僕の言葉は聞き取られなかったようで、僕はもう一度言うことはしなかった。

 三佐が関わっているとも限らない。三佐とあいつらは仲がよいように見えたが、三佐が直接的に攻撃しているところは、見たことが無いからだ。

 マロと共に堤防を下り、それから黙って家に帰った。後ろから「じゃあな」と三佐の声が聞こえた。僕は振り返らなかった。

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