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From「ライフゲーム」To「現実」

作者: 雪明

「ライフゲーム」というものをご存知だろうか?

「ライフゲーム」はコンウェイ氏が考えた一種の簡略化された世界だ。

 碁盤の目(格子)状に広がった二次元空間内の各セル(格子で区切られた正方形)それぞれに対して、法則(ルール)に則り生と死の状態を付与していく。

 我々観測者は無機的なそれを見てひどく有機的な感情を抱くのだ。


“中二病ですか? ウィルキンス博士。”


 いきなり失礼だな、ラッセル君。導入部分くらいは意味深でもいいだろう?

 さて、「ライフゲーム」における法則(ルール)は以下の通りだ。


*以下、「○」は「○」の状態のセルという意味として扱う。

A.「死」に隣接する(セルの前後左右、斜めの8つ)セルのうち3つ以上「生」ならばそのセルは「生」となる。

B.「生」に隣接するセルの2つか3つが「生」ならばそのセルは「生」のままである。

C.「生」に隣接するセルの1つ以下が「生」ならばそのセルは「死」となる。

D.「生」に隣接するセルの4つ以上が「生」ならばそのセルは「死」となる。


“ウィルキンス博士、分かりにくいです。”


 私も同意だラッセル君。読者のためにも図を示すべきだろう――が、いかんせんアレなのでな。

 続ける。「ライフゲーム」はこのA~Dが全てのセルに対して同時に行われることで進行していく。

 A~Dには書かれていないが、「死」に隣接するセルのうち2つ以下が「生」ならばそのセルは「死」のままだ。つまり、「ライフゲーム」は0からはスタートしない。「死」から「生」は生まれないのだ。「ライフゲーム」は創造主を要求しているのだ。

 まずは、この事から「現実」に当てはめてみる。


“なんでですか? ウィルキンス博士。”


「ライフゲーム」は命のゲームという意味だろう。「現実」と一緒じゃないか。

 ラッセル君、「現実」は創造主を要求しているのだろうか?

 ……例えば日本神話においては創造主は存在する。他の宗教においても創造主を多かれ少なかれ要求しているように思うが、今問題としてるのはそういう話では無い。

 神話はあくまで「物語」だ。ぶつかった女の子が全て転校生として隣の席にやってくるという言葉並に「現実」に反している。


“博士の口から出たとは思えない喩えですね、ウィルキンス博士。”


 ラッセル君、語尾の如く私の名を連呼しなくてもいい。まともに登場人物なんて出てこないんだ、そのような差別化は必要ないだろう。

 私の知る限り、「現実」においては創造主は要求されていないようだ。ぼかすようで悪いが「現実」では不確定性が創造主を代行している。マクロ的観点ではなく、ミクロ的観点においてはニュートン力学は成り立たない。

 さて、この「現実」に合わせて「ライフゲーム」を改変してみよう。


“任せたぞ、ウィルキンス博士。”


 どうして上からなんだ? さてはラッセル君、飽きてきたんじゃないか。

 まあいい、これから「ライフゲーム」から創造主――則ち“セルの初期状態の決定者”を疎外する。代わりに不確定性を導入すれば「現実」同様に創造主の存在は不要となる。

 具体的にどうするのかというと初期状態へ確率的処理を導入する。

 例えば初期状態を設定する際に全てのセルに対してコイントスをするとしよう。そうすると全てのセルの状態は不確定となる。


“狙ってトスすれば確定的じゃないんですか? ウィルキンス博士。”


 それが出来るのは君だけだよ、ラッセル君。

 ラッセル君以外がコイントスをした時のことを考えよう。この時、確かにコイントスを行った者が創造主とも言えるのだが、コイントスにおいての表裏は彼(彼女?)におよそ関係なく決定する。つまり、彼(彼女)のような創造主はいてもいなくても変わらない――考慮に入れる意味の無い存在となるわけだ。


“モブってことですね、ウィルキンス博士。”


 ああ、逆にこのような考え方は「現実」においてもまた適応されうる。「現実」においては誰一人として、創造主が存在しないことを証明できていないだろう? にもかかわらず物理、化学、様々な分野において存在しないかのように扱われている――いてもいなくても関係無いからだ。

 このようにどうやら「ライフゲーム」において、初期状態への確率的処理は有効なようである。


“やったね、ウィルキンス博士。”


 ラッセル君、私をおちょくっているのかい? だとしたらそれは由々しき問題だな。

 毎度話が逸れて困るが、「ライフゲーム」の確率的処理において、初期条件の決定以外の方法も考えられる。

 対生成対消滅のような揺らぎの導入だ。

 具体的には、『E.とある確率Pでセルは「死」ならば「生」、「生」ならば「死」となる。』という法則(ルール)を付け加える。

 めんどくさい書き方だが、大雑把に言えばセルに突然変異を認めるということだ。


“つまり博士が今冥土に出発する確率もあるわけですね、ウィルキンス博士。”


 一つ訂正させてくれ、冥土に行く確率があるのはラッセル君、君も同じだ。

 さて、法則(ルール)Eによって創造主を疎外できることの説明は一通りではないと思うが、例えば以下のように言えるのではないだろうか。


 元々、「ライフゲーム」に創造主が必要であると言ったのは、「ライフゲーム」が0からスタートしない故であった。

 しかし、法則(ルール)Eを加えた「ライフゲーム」は0からもスタートする。

 確率Pがどれだけ低かろうと無限大のターンを経れば「ライフゲーム」において「生」のセルは誕生しうる。

 大抵は孤立し法則(ルール)Aによって次のターンには「死」に至るだろうが、運よく密集して「生」のセルが発生すれば(Pの値によっては途方もつかない確率になるが)その限りではない。

 これら全てが法則(ルール)のみで行われるのだから、そこに創造主の入る余地は存在しないということになる。


法則(ルール)にのみ縛られる……なんか恐ろしい響きですね、ウィルキンス博士。”


 だから「現実」そっくりだと言っているだろう。

「ライフゲーム」において揺らぎへの確率的処理もまた有効であるようだ。

 逆にこれは「現実」に則しているとも言える。

 若干の違いは有るものの、これは量子論、人間性原理と類似している。

 特に人間性原理については、「生」のセルが繁栄(我々観測者が誕生)する限り無く低いと思われる可能性が現に存在していることに対して、無限大の試行(多世界解釈)によって我々観測者の観測こそが見る意義のある(誕生可能な環境である)「ライフゲーム」(「現実」)を選別している――という具合に同一の論理構造を内包している。

 故に、0から誕生した「生」のセルが単に法則(ルール)Cにより「死」となるのに終わる試行は、「現実」における高度な知能が誕生しなかった世界に対応する。


“博士の声が二重に聞こえた気がしたんですが、どうやったんですか、ウィルキンス博士。”


 ……気にするな。

 今のところ「ライフゲーム」を「現実」に近づけようとするという考えはうまくいっているように思う。だとしたら――「ライフゲーム」は「現実」になりえるのだろうか?


“ならないでしょうね、ウィルキンス博士。”


 そうだな、ならないだろう。どれだけ「ライフゲーム」が「現実」に近づいたとしても私達がいるこの世界が「現実」なのだからな。それは所詮「バーチャルリアリティ(良くできた偽物)」に過ぎない。


“どんな場所であっても貴方がいる場所が「現実」です。いや、貴方こそが「現実」なのです。願わくは貴方の近くに「生」が2,3いてほしいものですね――こんな感じでいいですかウィルキンス博士。”


 ラッセル君、最後だけそれっぽくすればいい、という訳でもないと思うのだが。

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